大東駿介(だいとうしゅんすけ)さんは19歳のとき(2005年)にモデル業と並行して俳優業をスタート。
今ではNHKドラマ10「シバのおきて~われら犬バカ編集部~」(2025年)の主演や2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」にも出演されるほどの実力派俳優です。
そんな現在の活躍からは想像ができませんが、実は幼い頃複雑な家庭環境だったそう。
大東駿介さんの父親や母親はどんな人で、現在の親子関係は?中学生で一人暮らしをした時はどんな様子だったのでしょうか?そして大人になった現在の心境は?
大東駿介さんが数々のメディアで語られてきた壮絶な生い立ちをまとめてみました。
大東駿介の生い立ちが壮絶!
大東駿介さんの生い立ちは壮絶なものでした。詳しく見ていきましょう。
小学3年生のときに父親が失踪
大東駿介さんが小学3年生の頃、父親が失踪し両親は離婚することになりました。

父親はタクシー運転手でもともと家を空けることが多く、一緒に暮らさないことになっても大東駿介さんにはさほどダメージはなかったとのこと。
それ以降父親に会うことはなかったそうです。

たしかに、普段から母親しかいない生活だったのなら、小学校低学年なら父親がいなくなっても特に何も感じないかもしれませんね。
その後大東駿介さんが20代になり、父親の居場所がわかった時にも最初は会おうと思えなかったとか。
けれど30歳手前で心境の変化があり、会おうと思ったときには亡くなってしまい・・・
父親の遺影を見ても”この人が父親だ”という実感がなく「お父さん」と思えなかったことが悲しかったと話しています。
それから後、父親の生き方を調べていくうちに父親も少しだけ役者をやっていたことがわかり、今は遺伝子レベルで父親とのつながりを感じているのだそう。
父親には「会っておけば良かった」と思っているそうです。
親父は不器用だけど、めちゃくちゃドラマティックな生き方をしている人なんです。いろいろなものを巻き込んで、いろいろなものを失って。親父のそんな生き様にものすごく生命力を感じて影響を受けていますね。実は、ちょっとだけ親父も役者をやっていたという共通点もあるんです。今は遺伝子レベルで親父とのつながりを感じています。
引用:マイナビウーマン
大東駿介さんは父親のことを”一生会えないけどすごく思っている相手”と言っています。



そう思える人がいるって素敵ですが、今の心境になるまでには数々の葛藤があったでしょうね・・・
中学2年生のとき母親が蒸発
大東駿介さんは母親と2人暮らしでしたが、中学2年生の頃母親が蒸発。


クリーニング店を営んでいましたが、大東駿介さんが中学1年生の頃から店(家)を空ける日が多くなり、夜になって帰ってくる日・2日帰って来ない、3日帰って来ない、1週間・・・と外泊のスパンが長くなり、ついにはいなくなってしまったのだそうです。



1人親なのに家に帰らないとなると・・・勝手な憶測ですが、恋人ができたのかもしれませんね
今ではこういった状況は育児放棄=ネグレクトとして虐待と認識されますが、当時はそんな認識もされず、大東駿介さん本人も周りに助けを求めることができなかったとのこと。
親を死ぬほど恨んだけれど、大人になり「親を親と思ってたから恨んでいた」ということに気づき、「親も個人なんだ」「母親も一人の女性であって一人の人間だと思い、一人の生き方をしたんだと思って」考えないことにしたのだそうです。
「別に母親には会おうと思わない」と言っており、大東駿介さんにとって母親は”生きてるけど一生会わないと決めた人”になりました。



最終的に大東駿介さんを1人にし、今も生きているお母さんだから余計に「会おうと思わない」のかもしれませんね
中学生で1人暮らしを経験
大東駿介さんは母親が出ていったことによりまだ中学生だったのに一人暮らしをすることになりました。


お金がなく自己肯定感も下がり死を考えたことも
まず食べることに困り、住居の1階にあったクリーニング店に落ちていた小銭やレジのお金を集めて駄菓子を買いに行ったりして過ごしていたそう。
当時10円だった”どんどん焼き”を1円玉10枚を握りしめて買いに行っていたとか。



生きる力がすごいですよね!
そのうちお金もなくなり、お弁当もないので学校に行かなくなり、家のライフラインも止まってしまいました。
友だちにも、誰にも知られたくない。バレたくない、恥ずかしい。という感情が先に来てしまい、助けてもらうという考えが思い浮かばなかったのだそうです。
親がいなくなるって自分の価値を肯定してくれる人がいなくなることで、どんどん自己否定に走ってしまったとのこと。
3階の自分の部屋から地面を見下ろして、死ぬことも考えましたが「死んだら漫画のワンピースの最終回が見れなくなる」ということも生きる選択をした理由の1つなのだとか!
好きなものや好きなことがあるのは大事なことだと大東駿介さんはおっしゃっています。
笑われるかもしれないのですが、しんどかった中学生の頃、大好きな漫画「ワンピース」の最終回を見届けずに死ねるかという気持ちもありました。「誰かのせいで、読まれへんなんて考えられへん。意地でも生きてやる」と大まじめに思っていました。好きなことの支えは非常に大きいです。趣味でも夢でも何でもいいので、自分の目標に近づくためにはどうしたらいいかを考えてみてください。
引用:読売新聞オンライン



どん底から這い上がった人の言うことは説得力がありますね!
助けてくれた人々
結果的に大東駿介さんの1人暮らしの期間は1年くらいだったそうですが、その間には助けてくれる人たちもいたようです。
- 中学校の先生が菓子パンを買ってきてくれた
- 親友5人組が家のドアを突き破って入って来てくれた(その5人のうちの1人がお笑いコンビ「金属バット」の小林圭輔)
- 友達の家でご飯を食べさせてもらった
- 中学の終わりに近所に住むおばが訪ねてきて、おばの家で一緒に住むことになった
「助けて」って子どもから言うのはとても難しいことで、つい大丈夫なフリをしてしまうのだそうです。



大東駿介さんは、家族では大変な思いをされましたが、その他の周りの人たちには恵まれていたのですね!
大東駿介の現在の心境
大東駿介さんは、昔から映画が好きだったこともあり、自分の人生を生きなくて済む仕事=俳優の道に生きていく活路を見出しました。


辛かった時期も「これも1つの作品の中の自分だ」「この作品が終わればまた次の作品」と思って自分を俯瞰して見れば楽になれたそうです。
そしてその俯瞰して自分を見る経験が今お芝居にも活かされているのだとか!
俳優を始めた当初は怒りや憎しみといったマイナスの感情を活力にして仕事をこなしていましたが、最近は自分を大切にしてくれる人や気遣ってくれる人の気持ちを素直に受け止められるようになったのだそうです。
大東駿介さんが話していたことで心に響いた言葉があります。
- 生まれてからどう生きるかは平等
- 不幸だってことを背負って生きていく人はずっと不幸
- 人生(生まれた環境や経済状況)は不平等。
生き方は平等。結果も平等。自分の生きた通りに人生はデザインできる
これは辛い経験を糧に努力を続け、素敵な環境を手に入れた大東駿介さんだからこそ実感した人生観なのでしょうね。
まとめ
今回は2025年秋ドラマ:NHKドラマ10「シバのおきて~われら犬バカ編集部~」に主演される大東駿介さんの生い立ちについて調べてみました。


- 小学3年生の時に父親が失踪(両親が離婚)
- 中学2年生の時に母親が蒸発し、1年間一人暮らしを経験
- 家族には恵まれなかったが、周りの人に助けられてきた
- 大人になり、過去の出来事も糧にして実力派俳優として活躍中
現在は過去の経験から、インタビューなどでつらい思いをしている子どもに寄り添う言葉を発信されています。
過去の自分の辛い経験は無駄じゃなかった、自分の経験を話すことで今苦しんでいる人を救うことになればいいとおっしゃっているのが印象的でした。
壮絶な生い立ちをバネに、これからもますます活躍される大東駿介さんから目が離せませんね。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました☆