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9日目:私はマオ・レゾルビーダ(未解決人間)

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巡礼10日目②-3

 

自分と家族との間に、抱える問題。

どこに行っても、どこに逃げても、私はそれを隠せない。

『未解決の人間』。

それは、私の事じゃないか……。

 

 

 

 

 

 

就職活動が苦しい

今日は、小さな山の頂上で夜を明かす事になった。

山の夜は冷え込む。夜空を見上げれば、大気が重く、遠近がいびつだ。
星が、こちらに手を伸ばしてくるような近さで瞬いている。

 

暖炉の前で、巡礼者たちと談笑する。小さな宿なので、人数は少ない。

 

隣に座った韓国人の女の子、ヒジュ。同い年の22歳。ヨーロッパの学生が巡礼に殺到する7月8月と違い、9月のこの道で、学生に出会うことは珍しい。
ヒジュも、去年韓国での就職活動に悩んで、大学院に進学するかどうか考えるためにカミーノ・デ・サンティアゴの道に来たらしい。

「韓国でも、就職活動は大変なイベント。学生たちはこぞって大企業に殺到するのよ。彼らも、彼らの家族も良いキャリアを勝ち取るのに必死。大学受験が終わってヘトヘトのまま、すぐ次の競争にかりたてられる。

私は大学で新聞部の部長をやっていた。就職活動で有利になると思ったから。留学もしたし、大企業でインターンもしたけど、ハードな仕事で、身体を壊してしまった。

これまでの活動実績があれば、きっと企業は評価してくれる。でも、私は自分が将来やりたいことなんてわからない。このまま卒業する前にやり残したことが無いか、ずっと気にかかってる」

 

無理もない。就職活動はまるでレースだ。一瞬でも気を抜けばライバルに負けるという恐怖を煽られて、必死で走り続ける。
将来が不安になるのは皆同じだ。

 

ヒジュは続ける。

「この旅に出るとき、さんざん親に怒られた。
『スペインを歩くことが、キャリアになんの役に立つんだ?って。お前を大企業で働くエリートにするために、これまでどれだけのお金をお前に投資してきたと思ってる?余計なことをするんじゃない』って。
お父さんは未だに怒っていて、メールの返事をしてくれない。
親の期待に応えて、周りがほめちぎる大企業のOLになるべきなのか、
それとも別の道を行くべきなのか・・・なんにもわからない。
頭がパンクしそう。毎日毎日、同じことを考えながら歩いているわ」

自分と同じ境遇のヒジュの悲痛な言葉は、重く胸に刺さった。

 

話を聞いていたカナダ人のブレンデン。バンクーバーの名門大学を出たあと、3年ほど勤めた会社を辞め、バーテンダーになった。次の仕事に就く前に、自分の人生を考えたくてこの旅に来たという。
日本の知り合いにも、脱サラをして銀座にバーを開いた男性がいる。彼らはどうして安定した道を外れる勇気が持てるんだろう。私なんて、就活に必死の同年代の仲間から外れて、一年遅らせるだけでも怖くて仕方が無いのに。

 

皆黙って暖炉の火を見つめ、思索にふける。それぞれの悩みが、窓を越えて外の暗闇へと広がってゆく。

 

張り付いた本当の問題

黙って聞いていたブラジル人のエリート、マルコスが口を開いた。熱っぽい視線で、それぞれの胸に言葉を届けるよう、一語一語、ゆっくりと深いトーンで語りかける。

 

「ブラジルには、『マオ・レゾルビーダ』という言葉がある。
直訳すると『未解決の人間』。
自分の家族や、人生の悩みを、解決していない人間を指して言うんだ。
マオ・レゾルビーダな人間は、ブラジルでは社会的にも評価されない。
たとえ大企業の重役に就いていたとしても、『あいつはマオ・レゾルビーダだからな』と言われて、仲間内では信頼されないんだ。
君たちの周りにも、マオ・レゾルビーダはたくさんいるだろ?
ミユキ、ヒジュ、俺は君たちにマオ・レゾルビーダになってほしくないよ。どんなに良い企業に入ることよりもね。」

 

ぐっと、マルコスの言葉が胸にめりこんだ。

マオ・レゾルビーダという、聞きなれない異国の響きが、痛みを誘発する。

 

こんなにも自分にぴったりの形容詞があるなんて。

『未解決の人間』。

それは、私の事じゃないか……。

 

大学進学時、一番行きたかった大学に行くことを、母に反対された。その大学に行くなら、学費は払わないと言われ、包丁を突きつけて泣きながら懇願した。それでも母は頑として首を立てに振らなかった。3日間の修羅場の後、疲れ果てて私が折れた。
後に続く大学生活のことは、もうどうでもよかった。

 

入学後、せめて勉強する分野は自分で選ぼうと、留学を決めた。行きたい大学に行けなかったんだから、せめてどこかに抜け道を探そう。そうして交換留学の試験に受かった。母は喜んでくれなかった。どうせ行くならアメリカの大学にすればよかったのに。そんな名の知れない大学なんて、就職活動の足しにもならないわよ、と。

 

就職活動中、一番行きたかった企業のインターンに合格し、喜び勇んで家に帰って報告した。報告する前から、無意識の内にうっすらと母の表情は予期していた。それでも報告せずにいられなかった。母は無言だった。

翌日、母が受けてほしい企業のパンフレットと、週刊誌が机の上に置かれていた。
パンフレットは、電通と、博報堂、それから4大商社だった。
週刊誌の「就活生に人気が落ちている企業」という特集記事の中の、私の行きたい人材系の企業の名前に、赤線が引かれていた。

 

母にとって私の言動は、すべて白紙の通知表だったのだ。毎回点数をつけて、無言で突きつけるための。

 

やめて。やめてよ。
私に点数をつけないで。
点数をつけるんなら、せめて一度でいいから、ほっとする点数がほしいよ。

 

巡礼に出た今も、パニック障害で就職活動を辞めたことを、母には言えないままだった。
その後に続く母の表情を想像したら、「あの時、エスカレーターに乗れなかったんだ」と、打ち明ける勇気はとても持てない。
母はなぜ、私が就職活動をやめたのか、未だに知らずにいる。

 

一番恐れていたのは、この事だったのだ。
就職活動以前に、自分の抱えている問題がなんなのか、この旅で自覚してしまうことが、一番怖いことだったのだ。

 

できるなら、家族をめちゃくちゃにぶっこわして、消えてしまいたい。

 

身体のあちこちが、未解決の問題で汚れているのが、今の私なのだ。
自分の家族との間に、これまで抱えてきた問題。
家族との摩擦の中で身体にべったりと固着した黒ずみを、どこに行っても、どこに逃げても、私は、隠せない。

 

自分の中心を見るのが、こわい。

 

未来を見続けていれば、過去の自分が抱えてきた問題は見ずに済む。

足し算をし続けていれば、本当の自分は見なくて済む。

かりそめでも、「いろんな私」を作り上げれば、就活では評価が得られる。

TOEIC900点以上取れる私。グループディスカッションを上手く仕切れる私。◯◯代表の私。
胸を張って、一夜漬けで考えた尤もらしい志望理由を、語れる私。

そうやって、「できること」が増えれば増えるほど、自分の中心部は、余計なもので覆われて見えなくなる。
そうだ、それでいい。安心しろ。中心は見なくていい。

大丈夫、お前はできるんだから。

 

解決しきれない家族との問題があること。ずっと、それに悩んでいること。それが自分を支配していることを、私は知らなかった。いや、見ないふりをしていた。就活の自己分析でも求められないような、ずっと奥深くの自己分析を、勝手に始めてしまうことが、私は怖かった。

身体の中心にある、一番、未解決の巨大な虚無に、マルコスの言葉が突き刺さった。

 

今、知ってしまった。
マルコス。私が『マオ・レゾルビーダ』だよ。
その言葉が指すのは、私なんだよ。

 

でも、どうしたらこの苦しみが取れるのか、わからないんだ。

 

窓の外、明日歩くはずの道は、真っ暗闇の中、豪雨に打たれてぐずぐずと泥の中に溶けてゆくように見えた。

 

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8日目:「パレスチナとカミーノ、それぞれの聖地」

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エルサレムの壁に書かれていた「フリーパレスチナ」の文字。

与え合う場所、殺し合う場所

 

この日はitero de la vegaからCarrion de los Condesまで、33キロ続く平原をひたすら歩いた。

夕方、到着したCarrion de los Condesでは、地元の教会がアルベルゲとして巡礼者たちを受け入れている。

美しい白い教会が見えてきた。

ヘトヘトになり、門の中に倒れこむ。

教会をぐるりと囲む、黒いレンガを積み上げた高い壁は、夕方の日差しの激しさから巡礼者たちを守ってくれる。

教会の庭は広く、今日の道を歩き終えた巡礼者たちが、壁にもたれてめいめいに休息していた。

今日一日の疲れを、無言のまま皆で労るように。

一日歩き終えたこの時間が、巡礼の中でもっともおだやかな、至福の時間だ。

庭で、気になる巡礼者を見かけた。

目の前に缶を置いて座っている。ほどこしを受けながら巡礼しているのだろう。

ヒッピー風の服装はボロボロで、登山靴は擦り切れて今にも壊れそうだ。

それでも、夕日に照らされた彼の顔はおだやかだった。

前を通り過ぎる巡礼者が缶に小銭を投じると、笑顔でやりとりを交わす。

他の巡礼者も、ごく自然に彼の存在を受け入れている。

まるで、他人のほどこしで歩いていようと、自腹で来ていようと、同じ巡礼者なら全く変わらないよ、と言うように。

 

カミーノでは人に何かを与えられたり、与えたりすることが多い。

道端の家の前に、「ご自由にどうぞ」と書かれた、お菓子や果物のたっぷり入った籠が置いてある。

他の巡礼者からも、しばしば水や食料をもらう。

食堂ではだいたいみんなが食材をシェアし、誰が言い出さずとも、ほかの人の分まで作り、豪勢にふるまう。

助け、助けられることで、人と人がつながり、道をつくりあげている。

 

巡礼経験者の知人は、この道についてこう語っていた。

 

「巡礼路を歩く人々はみな優しく、素敵な笑顔をしている。

優しい雰囲気が道全体にあふれているんだ。」

 

歩き始めてすぐに、その言葉は本当だったと実感した。

カミーノでは、皆が同じ目的を持って歩く仲間。

国境も言語も越えて、皆が解りあい、労わりあおうとする。

祖国にいては自然にできないことが、ここではごく普通にできる。

戦争やいがみ合い、歴史的因縁の耐えないこの世界で、

本当に神の祝福に守られているとしても不思議ではない、特異な場所だ。

 

一方で、イスラエルのパレスチナ自治区を訪れたことがある。

イスラエル軍に住んでいた街を奪われ、難民となった人々は、

その日の食料にも困り、ボロボロの家に住んでいた。

街のあちこちで、若い女性兵士が機関銃をかかげてうろつき、

鋭い目で私たちを見ていた。

イスラエルは17歳から兵役が義務化されており、逆らうと社会的な地位を剥奪され

就職すらもままならなくなる。

イスラエル人であっても、国に従わざるを得ないのだ。

パレスチナ自治区のモスク前を警備していたイスラエル兵

パレスチナ人の住むヘブロンという街では、廃墟になったモスクを訪ねた。

数年前、祈祷の最中にイスラエル兵が雪崩れ込み、その場にいた全員が虐殺された場所だ。

モスクの壁には生々しい血しぶきや銃痕がそのまま残っていた。

バスの中で出会ったパレスチナ人のおじさんは、ヘブロンの商店街で雑貨屋を営んでいたが、

イスラエル兵に突然、店を占拠され、追い出されて、今は道ばたのほったて小屋で商売をしていると話してくれた。

廃墟になった商店街は、イスラエル人によって捨てられたゴミが山となり、

まるで人々の怨念が渦巻いているようで吐き気がした。

上を見ると、鉄のネットが張られていた。商店街のアパートを占拠したイスラエル人が、

通行するパレスチナ人に向かって階上からゴミを投げるため、防御ネットを張っているらしい。

パレスチナ自治区の廃墟になった商店街
パレスチナ自治区の廃墟になった商店街。頭上には防御ネットが張られる

人が人を虐げ、悲劇を生む。

その繰り返しに疲弊しているにもかかわらず、未だに怒りと憎しみに煮えたぎる国。

 

あの土地も、ここカミーノ・デ・サンティアゴも、同じ人間の、神を信じる心によって作られた場所だ。

そう思うと、二つの間のどうにもならない落差に、はがゆい気持ちになる。

 

昨日の夜、宿で食事を共にしたベルギー人の神父はこう言っていた。

「本当なら、宗教同士が争う事は決して無いはずなんだ。

全ての神が言っている事は同じなんだから。

『互いに助け合って生きろ』

それだけだよ」

イスラエル兵に家を壊され、廃墟になった街で遊ぶパレスチナ人の子供たち

 

商店街を追い出されたパレスチナ人たちは、住む場所に不安を覚えながら路上で商売を営んでいる。

 

イスラエル軍によって勝手に建造された、街を囲む壁。延々とイスラエルを非難する落書きが続く。この壁からパレスチナ人が外に出る事は許されない。
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7日目:「安定と自由、どっちがあなたの道?」

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カミーノの楽しみの1つが、バル(Bar)。

夜は安酒場、昼はレストラン、
スナック菓子から水、絆創膏までなんでも揃う、コンビニ的な存在でもある。

朝はクロワッサンにカフェ・コン・レチェ(スペイン版カフェオレ)、昼は巨大サンドイッチ「ボカディージョ」が定番メニュー。

村に着くたびバルに立ち寄り、おしゃべりしながら休憩するのが巡礼者たちの社交だ。

 

この日、バルで休憩中、カナダ人のカップルと出会った。

大学教授のナタリーは67歳。カナダ中西部のサスカチュワン地方の小都市で、6人とルームシェア暮らし。

同い歳のパートナーのティムとは20年近い付き合いで、帰国後は共に環境活動に関わっていく予定だそうだ。

ナタリーに聞かれた。
「The way of freedom or the way of security, which is yours?」
(安定と自由、どっちがあなたの道?)」

即答した。
「もちろん、The way of freedom!!」

するとナタリーは極上の笑顔でこう返した。

「当然、私も同じよ!」

自由の道、と即答できたのは、私がまだ21歳で、きっと、結婚も仕事も経験していないからだ。
しかし、その3倍もの年月の間に、数々の決断を下し、困難を乗り越えてきたであろうナタリーが、その歳になってなお、迷わずはっきりとそう答えられることに驚く。

「自由の道から安全な道へのバイパスはないの?」と聞いたら、

「あるわよ、結婚という道が。でも私にその選択肢は無いわね。きっと、一生!!」

そう言ってナタリーはほがらかに笑う。

私は67歳を迎えたとき、はたしてこんな風に生きていられるだろうか。

巡礼7日目① のコピー
真ん中がカナダ人大学教授のナタリー。

巡礼路で出会う人たちの生き方を見ていると、皆自分の道を迷わず突き進んでいるように感じる。色々な国で働いたり、ホスピタレイロ(巡礼宿の管理人)に志願したり、仕事を辞めて留学したり……。

みなそれぞれ、自分のものさしで自分の人生を測っている。
たった1つ、その人だけのものさしで。

この道に来る前、仲が良かった社会人の男の先輩に言われた言葉が、今も忘れられない。

「小野ちゃんはまだ学生だから分からないだろうけど、25歳くらいになると周りがどんどん結婚し始めて、焦って来るんだよ。俺の周りを見ててもね、どっちが幸せかっていうとやっぱりね、 嫁ぎ遅れて仕事しかないっていう女の人と比べたら、結婚して子ども持って家庭に入っているほうが、幸せだよ」

尊敬していた先輩の口から、そんな言葉が語られたことがショックだった。

私の母はシングルマザーだ。まるで、母のことを侮辱されたような気がした。

他人の幸せを勝手に自分の尺度で測ってしまう鈍さは暴力だ、と思った。

巡礼路で出会う人たちは、「女性は○歳までに結婚して子どもを生んだほうがいい!」というものさしからは少なくとも自由そうだ。
数々の葛藤を乗り越えてなお、迷わず「自由の道!」と答え、少女のように目を輝かせて活達と歩く67歳の老婦人ナタリーからは、社会通念に絞殺されそうな不安や怯えは一切、感じられない。

人の幸せを勝手に測ってああだこうだ言うのは簡単だ。

インターネットやテレビを開けば、そんな言葉で埋め尽くされている。

そういう人を見る度に思う。「お前はどうなんだよ」と。

そして自分にも思う。「お前はどうなんだよ」と。

 

他人のことはどうだっていい。

巡礼では、他人のペースに合わせる事こそ、良しとされない。それはきっと人生も同じだ。

67歳になっても、ナタリーみたいな笑顔で「私はこっち!」と迷わず言い続けられる人間でいたい。

どうやったら、そうで居られるんだろう。

日本から引きずってきた憂鬱に、少しだけ、日が射した気がした。

 
★旅する若者を応援するWebサイト「TABILABO」さんのインタビューでも、スペイン巡礼と世界一周について話しています。
巡礼に興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。
http://tabi-labo.com/tabi-athlete/onomiyuk/

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6日目:「仕事=誰かに何かを与える事?」

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朝、喉の痛みに目が覚めた。連日の天候の変化の激しさに、体調を崩したようだ。

次の村までは約30kmほどある。どうしても聖地まで歩いて行きたかったが、迷った末、無理をせずにバスで移動することにした。

 

村のバスターミナルから出発すると、バスは徒歩で次の村を目指す巡礼者たちの列を追い越し、悠々とアスファルトの国道を走り抜けてゆく。大都会では慣れたスピードも、一歩一歩、踏みしめながら歩くことに慣れたこの地では、戸惑うぐらいに速い。

 

次の街、サアグンは多くの教会や修道院に囲まれた、静かな田舎街だった。

近代的なゲストハウス風のアルベルゲと、歴史あるコンベント(修道院)をそのまま利用した古めかしいアルベルゲ、どちらにするか迷った末、後者に泊まることにした。

中世の修道僧が生活していた教会の回廊を、改装して宿泊棟に充てている。灯りのない回廊にはステンドグラスや燭台など、中世の装飾が当時のままそこかしこに残る。

今にも修道僧が出てきそうな、荘厳な場所だ。

 

ホスピタレイラ(宿の女主人)が迎え入れてくれた。マーサ、52歳。アメリカのカリフォルニアから来た。

 

アルベルゲの管理人は、過去に巡礼した人がボランティアで1年間、一つの村でアルベルゲを管理・運営する。

 

まるまると太った身体にエプロンをつけ、典型的なアメリカ人のお母さんといった風貌のマーサ。

なぜ彼女は、わざわざ遠くのアメリカから、英語も通じないこの村でのホスピタレイラに志願したのだろうか?

 

彼女は言う。

「昨年、この道を歩いたのは、とても貴重な経験だった。

私はカミーノから多くのものを受け取った。

今度は私がそれを返す番。そう思って、

ホスピタレイラに志願したの。」

 

多くの巡礼者が、カミーノを終えた後、今度は自分が恩恵を返す番と、ホスピタレイロになったり、巡礼路に移り住んでくる。

 

夜になれば明かりが消え、食べ物も水も分け合って生きるようなカミーノの暮らしになって初めて、互いに与え、与えられる関係のありがたみを、身に沁みて感じるようになった。

翻って、日本での自分を考えると、そんな意識を一切持っていなかったことに気づく。

 

「成長したい、自分を磨きたい」。

就活をしていた時、出会った多くの学生がそう口にしていた。
私もなんの迷いもためらいも思考もなく、そう言っていた。

でも、それは何のためだろう?自分のため?誰かのため?社会のため?

 

マーサに聞いた。

「自分は今、卒業後の進路を考えている最中だけど、今までの人生で、一度も誰かに何かを与えたような気がしないの。こんな自分でも、そんな仕事ができると思う?」

 

マーサはにっこりと笑って答えた。

 

「私は52年間カリフォルニアで暮らしてきた。

息子を3人育てて、やっと自分のために使える時間ができた。

そんな時、この道に出会ったわ。

その時すぐに分かった。ああ、私の今やるべきことは、この道で自分と同じように歩いてきた巡礼者に、今までの人生で受け取った恩恵を返すことなんだって。

それは使命感とかそんなおおげさなものじゃない。

ただ、バスケットの試合でボールが回ってきたみたいに、誰かにそれをパスするのが、今の自分の役回りだと感じたのよ。52年間生きていて、それは初めての出来事だったわ。

 

人が人に何かを与える方法ってたくさんあるわ。でもそれは人それぞれ、違う形なの。

 

その人にしか、人に与えられないものって必ずあるのよ。

 

たとえ今は与えられるだけの身分だとしても、いつか必ず、それに気付いてアクションを起こす時が来るのよ。

それが大学を卒業する前の、たった一年の間に起きるなんて、一体誰が決めたの?

 

カリフォルニアとスペインの日光のブレンドでこんがり焼けた、ライ麦パンみたいな笑顔でそう言う彼女。

 

出国前に読んでいた「一人では生きられないのも芸のうち」(内田樹)の中にも、似たような言葉が書かれていた。

「自分に先立つ何千、何万の人々に与えられたものを返すことでしか、私たちは生きられない。そしてその行為が“仕事”だ」と。

 

では、今まで生きてきた中で無数の人から与えられてきた、目に見えない恩恵を返すために、私が、見返りを求めずに誰かのためにできる行為って、一体、なんだろう。

マーサの言葉は、救いにはなるけれど、私にとってはまだまだ雲の上の言葉だ。

 

それが見つかった時「仕事」という言葉にかかった霧は、少しは晴れるんだろうか。

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スペイン巡礼記 5日目:「毎日が休日だと思える仕事」

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5日目ー毎日が休日と思える仕事

サンティアゴ巡礼に出発してから5日目。だんだんと歩くことに慣れてきて、

石ころだらけの道を一日に30キロほど歩けるようになった。

 

午2時ごろ、アルベルゲ(巡礼宿)に到着し、芝生の生えた中庭でビールを飲んでいると、2人の巡礼者に話しかけられた。
一人はスペイン人で71歳のルカス。バスク地方の小さな街で41年間小学校の教師を勤め、現在はリタイア生活だ。巡礼は5回目だという。
もう一人は、ブラジル人で36歳のマルコス。サンパウロの大学を卒業し、外資系企業でマーケティングの仕事をしている、典型的なエリートだ。

 

巡礼者たちの自己紹介は「なぜ歩いているのか?」という問いから始まる。
この日も聞かれたため、私は「大学を卒業した後、将来どんな仕事をするべきなのか、考えるため」と答えた。

そう答えると、陽気でおせっかいなスペイン人たちからは、たいてい一家言飛び出してくる。

やれ「こんな仕事がいい」だの、「俺の仕事は最高だ」だの、「スペインでだけは働くなよ」だの…。

 

しかしこの日、ルカスの口から聞いた言葉は、ひと味違った。

 

「毎日、月曜日だ、火曜日だと思ってする仕事はいけないよ。
毎日が土曜、日曜、祝日だと思えるような仕事に就きなさい。
私は、働いていた41年間、一日も“仕事をした”と思った日はないよ。」

 

この、ごく単純だが核心をついた言葉に、はっとした。

 

そこには「仕事」を越え、生きることそのものに対する、彼の強い意志が篭っていた。

 

もちろん、41年の間には辛いことも耐え難いことも、怒りに震えることもあったに違いない。

スペインを始め、ラテン系の国の住民は、感情の振れ幅がとても大きい。

喜びをはちきれんばかりに表現する一方で、悲しみや怒りも濁流のごとく激しい。

ルカスだって、きっとそうだ。

 

けれど、71歳の老人が、白髪になってなお、照れもせず、物怖じもせず、誰に媚びることもなくその言葉をまっすぐに放った、ということこそ、その言葉が真実であること、その信念に宿る威力の証明のように感じられた。

5日目ー毎日が休日と思える仕事2

彼の言葉は、ラテン民族の、生き方そのものに対する、おおらかで懐広く、喜びに満ちた人生哲学そのものだ。

そして、一生をかけて一つの仕事に打ち込んできた男の、41年間、白墨とサッカーボールと、子供たちのはちきれそうな胴を抱え続けて太く鍛えられた指の節のように、たくましく、揺ぎ無い正しさを持った「職業信念」だ。

 

日本で毎日、企業の面接を受けながら、自分はそんなことを考えていただろうか。

「仕事だと思えない仕事」なんて、そもそもあるんだろうか。

 

日本の就職は「就業」ではなく「就社」だと皮肉交じりに言われているが、それは日本の就職がどうこうという問題じゃなく、結局は就活している自分自身が、それになんの疑問も持たずに乗っかってきたからだ。

大企業のブランド名、安定性、福利厚生を見てリクナビのボタンを押すだけで、なんとなく説明会に誘導され、なんとなくエントリーシートを送り、なんとなく面接のノウハウを覚えてオフィス街を歩きまわる毎日。
「やりたい仕事」ではなく、「つけたい社章」にこだわる毎日。

それまで私は、その仕事がしたいかどうかより、「自分の性格と折り合いの付く会社に入れるかどうか」ばかり気にしていた。
企業の求める鋳型に、自分をはめ込むことに一生懸命で、同時に、自分に合う鋳型を捜し求めていた。

「本当は何をしたいのか」ではなく「就活を上手くこなせる良い感じの自分」になって、会社に受け入れてもらうことばかり考えていた。

しかしそれでは齟齬が出る。半年経った頃、私は自分が「なにをやりたいか」について何の考えも持っていないことに気づき、愕然とした。それと共に、なぜ自分が就職できなかったのか、やっと分かった。

自分が必死に作り上げてきたはずの「良い感じの自分」は、ハタから見て全然「良い感じ」じゃなかったのだ。

「あなたは、人生で何をやりたいの?」という、

自分の中心になるはずの核の部分に、実はなんにも、無かったんだから。

 

じゃあ、なにをしたら、ルカスの言うとおり「毎日が休日だと思える」んだろう。

今までの自分は、全然そんなこと、考えてもこなかった。

お腹の底から、楽しいって言えることって、なんだろう。

分からない。

分からないし、ひょっとしたら立場も年齢も異なる自分には、当てはまらないのかもしれない。

けれど、それでも世界に、そんな風に考えて生きている人が一人でもいる、

まっすぐにそれを信じて言ってくれる人がいることが、この時の自分にはただ、嬉しかった。

 

その夜、寒さに震えながら毛布にくるまり、真っ暗な闇の中で他の巡礼者たちのいびきを聞きつつ寝入ろうとしても、ルカスの言葉は深々と胸に突き刺さったまま、光を放ち続けていた。

これから私が向かう航路を決める、灯台の光のように。

 

 

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