ダイヤモンド・オンラインで福島に関する記事を書きました


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携帯の電波も届かない、バスも走っていない福島の山奥の村で、見ず知らずの人の家に3日間泊めてもらって書いた体当たり記事がダイヤモンド・オンラインに掲載されました。

これまで何度か原発絵本プロジェクトの取材のために足を運んでいた福島。

5月初旬に参加した「福島ジャーナリスト・キャンプ」で初めて報道取材のための滞在を行い、朝日新聞「プロメテウスの罠」を執筆する特別報道部の依光さんの指導のもと、いわき市の北端にある過疎地域「志田名・荻」地区を訪ね、取材しました。

その後、個人的に追加取材を行い、現地の農家に3日間滞在して聞き込みを行いました。

こういうジャーナリスティックな手法での取材は初めてでしたが、良い学びになりました。

ネットでなんでも拾える今、自分で現場に行って時間をかけて、オンラインに無いものを拾うのって大事だなぁ、と。

そこから分かることって大きいなと思います。

 

ブログにしろ何にしろ、これまで体当たり精神と脱ぎっぷりを大事に書いてきた私ですが、

今後も自分自身が体験することを大切にして(ものを書くのはパソコンの前じゃない!リアルワールドや!)記事を書いてゆきたいです。

 

震災から2年、生まれた「除染格差」 巨大行政区域・いわき市に切り捨てられた人々

「となりん村は田植え再開してんのに、なぜうちんとこは……」放射能被害が比較的軽く、早くから安全宣言を出していたいわき市。だが、震災から2年たった今も深刻な放射能被害に苦しむ地域がある。福島第一原発から約28キロにある、川前町の志田名地区と荻地区だ。「市に切り捨てられた」と住民自らが語る集落、志田名が苦しむ、近隣地区との「格差」とは――。(取材・文・写真/小野美由紀〈おの・みゆき〉)


「忘れる」の効能ー震災から二年を経て


3日前の3月11日で、震災から丸二年が経過した。

 

1年目の3月11日は、自分に何ができただろうかと自問する日だった。

2年目のこの日は、震災を忘れていないだろうか、と自問する日になった。

特に今回、取材のために訪れたランカウイという南の島ー東日本大震災の、匂いとも空気とも全く無縁なこの場所で、2年目のこの日を迎えたことで、「あの日のことを忘れる」ことの罪悪感について、嫌でも考えさせられた。

同行していた編集者の先輩が言っていた。

「震災が起きた当初は、“亡くなった大勢の方の代わりに、自分は一生懸命生きよう、日々を大切に生きよう”と強く思った。

でも、日々の生活で色々なことに追われていると、なかなか決意したようにはできず、元通りの生活に戻ってしまっている。

震災に備えないと、とは思うけど、毎日毎日、“もしも”のことを考えては暮らせない。

あの時の危機感を忘れている自分に、罪悪感を感じることもある」と。

 

私は今でも東京に住んでいる。

狂った街だなと思いながら渋谷に住んでいて、時々、この街で人と会ったり飲んだり、代々木公園をぶらぶら散歩したり、八幡湯に浸かったり、狭いアパートで寝たりして、生活している。
その行為のはしばしに「震災の“あの日”を忘れているからこそ、できること」を感じる。

 

一個人の生活という、膨大なページの間に、ときおりすっとポストイットが挟まれている。

「震災の瓦礫を踏まえたうえで、今もなお成り立っているくらし」だと。

 

あの日のことを忘れてしまうことに、罪悪感を覚える人は、きっと沢山いるんだろう。

 

「忘れる」という行為は、人間が生きるためにとても重要な機能だ。

毎日細胞が生まれ変わり、新陳代謝を繰り返す中で、私たちの体はさまざまなものごとを忘れてゆく。

骨盤が動いたり、汗をかいたり、生理があったり。

身体が起こすひとつひとつの動作すべてが、過去のことを捨てて、新しい身体、次の身体で生きてゆくために必要な事だ。

すべてを覚えながら、生きてゆくことはできない。

忘れたほうがいいことを、どうしても忘れられず、それがその人の生活を阻んでいる時、それを「トラウマ」と呼ぶように、私たちの身体は、忘れることで正常に機能するようにできている。

だから、いくら「忘れないぞ」という意気込みを持ってしても、左右できない部分はきっとある。

私たちは、忘れることで生きてゆく。
次の命を産んでゆく。

国全体としては、震災の経験を忘れることで、どうかなと思う方向に進んでいる部分もある。けれど、ひと一人の幸せ、ということを考えた時、「忘れる」という事は、決して責められないはずだ。

 

では、もし、私たちがあの日の震災のことを、日々の生活の瑣末な行為に追われる中で忘れていったとして、あの震災から何も学ばなかった、と言い切れるかというと、そうじゃない。

私たちは、忘れたとしても、あの経験から何かを学んだはずだ。

 
一つの例としては、前回の震災の時のように、もし、自分から遠く離れた場所で苦しんでいる人がまた現れたら。自分とは直接関係の無い不幸な出来事が起きたとき、対岸の火事のさなかにいる人たちのことを、どう、自分のこととして引き寄せるか。

あの時東北に向かった多くの想像力は、時を経て消えたのかというと、決してそうではない。

対岸の火事を自分に引き寄せる、その作法を、私たちそれぞれが各自のやり方で学んだように思う。

 

具体的な行動を、取れる人、取り続けられる人、取れなかった人、色々かもしれないが、それでも私たちは、対岸で火事が起きた時、そこにいる人たちに対してどういう態度を取るか、どうやって寄り添うのか、自分に引き寄せるのかを、国としての大きなまとまりではなかったものの、個々人の身体の中に、筋反射的に覚え込んだのではないか。

それはけっこう大きな学びではないか。

 

もちろん、今でも東北には、忘れないでいてほしい、忘れられることで生死を分かたれてしまうような人たちが数えきれないほど暮らしている。震災以降、福島に多くの知り合いができたので、なおさらそれを感じる。

でも、人は自分の痛みとして一旦引き寄せた部分は、きっと忘れないように思う。

 

私は東京という自分のふるさとがとても好きなのだが、震災以降、東京が今までとは一転して、知り合いがどんどん去っていき、力の無い都市になってしまったことがとても悲しかった。

原発絵本プロジェクトをやっているのは、もしかしたら数年後には忘れられてしまうかもしれない、原発問題に揺れたこの2年間の、私たちが生きてきたこの時代の空気をなんらかの形で表現したい。福島の人たちと同じだけの苦しみは感じられないかもしれないけれど、都市部に住み、電気で暮らしてきた同じ問題の対象者として感じてきたことを残したい。「原発絵本」と銘打ってはいるけれど、そのテーマだけに限定せず、多くの人がこの2年間に直面した、エネルギーだとか、科学技術だとか、倫理だとか、この社会でどう生きるかだとか、そういったことごとー2011年3月11日以降、多くの人が考えた、未来のいのちに向けての課題を、誰にでもわかる形で留めたい。忘れられたとしても、忌避したり、ふたをされるものにはしたくない。

また、福島連携復興センターなど、知人が活動している団体があって、それらに売り上げを寄付することを目的として動いているのは、プロジェクト設立当初から変わらない。

すごく個人的で勝手な気持ちで始めたことで、一部分の局所的な支援にしかならないのかもしれないけれど、そういう引き寄せ方しか自分はできなかったので、それならそれでいいかな、と思っている。

個々人によって、引き寄せ方、自分にずっとひっかかっている震災のフックは、きっと異なるだろう。

 

震災のことを、いつまでも覚えておくことはできないかもしれない。○○のために、とか、忘れるな、とか、そういう自戒を持ち続けながら暮らすのは、難しいことかもしれない。
けれど、あのときを経て、人がそれぞれ、対岸で起きた火事をどう自分へと引き寄せるか、その自分なりの答えを身体レベルで覚えたとしたら、それは、忘れたことの容積より、ずっとずっと大きな学びだ、と思う。

そしてそれは「震災を忘れた」ことにはならないんじゃないかな、と思う。

 

そういうことを全く震災の匂いのしない、ランカウイの街で考えた。

 


原発絵本プロジェクトの今②「たかが電気、と祈りと問い」


続きです。

 

かなりかなり、遅い話題なんですけども。

坂本龍一さんの「たかが電気」発言を聞いた時、私は、

「もしこれが原発じゃなくて『音楽』だったら、この人、同じ発言するんかな」

と思った。

絶対にありえない話なんだけど、もし「音楽」というものが、人体にとって激烈有害であることが判明して、音楽廃止運動が起きて、「NO MUSIC」とか人々が言い出したとして。

知識人が「たかが音楽」と言い放ったら、この人、どんな気持ちになるんだろう?と。

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原発絵本プロジェクトの今①「原発のこと、ぶっちゃけよくわかりません」


原発絵本プロジェクト」について、ご報告に大変間が空いてしまい、誠に申し訳ございません。

パトロンの皆様へはマイクロパトロンプラットフォーム「CAMPFIRE」を通じてご報告させていただいているものの、その他の方には、現在のプロジェクトの進捗報告など長い間できておらず、「あのプロジェクト、一体どうなってるの?」と思われている方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

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いまのふくしま① 「それでも、この土地で生きてゆく」鎌田千瑛美さん(ふくしま連携復興センター)後編


ふくしま連携復興センター」の事務局職員である

鎌田千瑛美さん(26)。(twitter:@chikky55

震災後に出身の福島に戻り、復興支援に尽力する傍らで、
peach heart」という団体で福島の若い女性たちを
支援する活動も行なっている。

福島に戻り、故郷のために活動すると決めた鎌田さんが、
実際に今の福島で暮らし、感じていることをお聞きした
インタビューレポート、後編です。

 

前編はこちら)

“いまのふくしま① 「それでも、この土地で生きてゆく」鎌田千瑛美さん(ふくしま連携復興センター)後編”の続きを読む


いまのふくしま① 「それでも、この土地で生きてゆく」鎌田千瑛美さん(ふくしま連携復興センター)前編


昨月、「原発絵本プロジェクト」関連の

ヒアリングを行うため福島に行き、

そこで「ふくしま連携復興センター」の事務局職員である

鎌田千瑛美さん(26)にお会いした。(twitter:@chikky55

南相馬市出身で、東京で就職したのち、

震災後にNPO法人ETICで

震災復興リーダー支援プロジェクト

の立ち上げに尽力されていた鎌田さん。

 

今年1月に福島に戻り、ふくしま連携復興センターで

震災復興活動を行うNPOを支援する一方、

peach heart」という団体を立ち上げ、

福島で生きる若い女性たちが放射能や復興について

気軽に本音で話し合える場づくりや、

おしゃれなマスクの販売活動などを行なっている。

 
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原発と震災について語ることー「対岸の表現者」の自覚


 

京都で「原発絵本プロジェクト」として展示をしてきて痛感したこと。

それは、結局わたしたちは「対岸の表現者」でしかない、ということだ。

それでもなお、この問題を題材に表現しようとするかぎり、
わたしたちは「居かた」を決めなければならない。

対岸に居る、直接の被災者の方々にとって、
恥ずかしくない「振る舞いかた」を決めなければならない。

被害者のいる社会的事件を表現するということは、そういうことだ。
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「原発絵本プロジェクト」を始めた理由。


 

原発絵本プロジェクト この国にひかりがみちるまで の京都での展示が決まりました。

 

 

なぜ絵本なのか

 

このプロジェクトは、震災から1ヶ月後、突如わたしのあたまんなかで始まったプロジェクトです。

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レビュー:映画「チェルノブイリ・ハート」


映画「チェルノブイリ・ハート」を見た。
きつかった。
「10万年後の安全」よりも10倍くらいきつい。
なぜかというと、これがホラー映画でもパニック映画でもなく、
本物の、今、この瞬間に、同じ地球上のベラルーシで起こっている事を写したドキュメンタリーで、
しかも、25年後の福島に、確実に起きるであろうことだからだ。
「ハイ、あなたたちの未来はこんなかんじですよ」って、
こんなにも恐ろしい、血肉色した鮮やかすぎる未来を目の前に突きつけられて、
平気でいられる人がどれだけいるんだろう。
このドキュメンタリーは、国土の97%が放射能汚染地域であるベラルーシで、放射能被害にあった子供たちの様子を写したもの。
なので、映画の舞台はほぼすべて、病院である。
監督は、甲状腺ガンの治療現場から始まり、精神病院や小児病棟を次々と回ってゆく。
私は、放射能が引き起こす病気は、甲状腺ガンと白血病くらいしか知らなかった。
けれど、その認識がずぶずぶに甘いことを、この映画で思い知らされた。
原発から80km圏内で、事故後に生まれた子どもの多くが、先天的に脳性麻痺や脊髄損傷、水頭症、悪性腫瘍を患っている。
悪性腫瘍で、自分の身体と同じくらいに、ぱんぱんに膨れあがったお腹をひきずって歩く子ども、
足と手が壊死して、薬を塗ると痛みで泣き叫ぶ子ども、
水頭症で、あたまなのか顔なのか分からないほど頭部が膨らんだ子ども、
生まれた時から発育障害で、4歳なのに4ヶ月の赤ちゃんくらいの体躯しかない子ども。
そんな子供たちで、施設はあふれている。
変形し、皮膚の色が変わった患部が、舐めるようになんどもなんどもスクリーンに大写しにされる。
その度に、自分の認識の甘さを思い知らされる。
それだけでは終わらない。
一番ショックな事実を突きつけるためか、作中になんどもなんども登場するのは、
「遺棄児童院」
つまり、障害を抱えて生まれ、親が治療費を払えずに捨てられた子供たちの集まる施設が、チェルノブイリ近郊にはいくつもあるのだ。
そりゃそうだよ、事故のせいで住んでいた家と仕事を失って、
生まれてきた子どもは月に何百ドルとかかる重度の障害を抱え、治る見込みも国の補助もなく、月収100ドル以下で、
それでも育て続けるなんて、誰が可能だと思う?
親のせいじゃない。これは、国が生んだ捨て子だ。
生まれる前から、国によって、原発によって未来を破棄された子ども。
これが、25年後のフクシマに起こりえないなんて、誰が言えるだろう。
施設の人の、
「この子の親は見つかっていません。治療法もありません。
この子の未来は誰にも分かりません。」
という言葉が突き刺さる。
さらにショッキングな事実は続く。
原発から80kmのゴメリ市の産院での、健常児の出生率は15%〜20%
これ聞いたとき、数字が逆なのかと思った。
てっきり翻訳ミスかと。
そうじゃなかった。
障害児の出生率が15%〜20% ではなく。
健常児の出生率が15%〜20%。
信じられる?
多くの子どもは水頭症、脳性麻痺など先天性の障害を持って生まれてくる。
アメリカでは、水頭症の乳児は生まれた時に注射器で水を抜いてもらえるけれど、ここはベラルーシ。医者の月収が100ドル以下の国で、そんな高額の手術をほぼ全員の水頭症児に施すなんて不可能だ。
原発から80km圏内って言ったら、フクシマでいうとこんな感じ(googleMAP)
北茨城やいわきももちろん、宮城の白石、那須塩原や会津若松ももう少しで届きそう。
この範囲の産院で、健常児の出生率がたったの15%。
ベラルーシで起きていることが、こんなにも克明に分かっているにも関わらず、
なんで国のトップは、フクシマの子供たちを避難させないんだろう?
何が起こるか分からないから、じゃなく
何が起こるか、こんなにも、こんなにも鮮明に分かっているのに、
なんで、なんでほっとくの?
見えてるじゃん、もう見えてるじゃん。
この映像は、CGでも、ホラー映画の特殊メイクでもなんでもないよ。
アメリカの、映像技術を駆使したバーチャル・リアリティーでもないよ。
精神病院に詰め込まれた子どもとか、頭なのか顔なのかもうよくわかんなくなってる水頭症児とか、足が枯れ木みたいになった、ぼろぼろの子どもとか、
こんなにリアルに見えてるのに、なんでそれでも安心だとか、言えるわけ?
第一・第二原発から、広島原爆の136個分のセシウムが放出されたって発表しときながら、なんでそれでも
「チェルノブイリとフクシマは違う」って言えるの?
今、フクシマにいる子供たちと、これから生まれてくる子供たちの未来がわかっていて、なんでそれでも避難させずに東電を救済するのか、わからないよ。
今、東電ではなくて、フクシマの子供たちと若者を避難させるほうが、国の生存戦略上有効だって、なんで政府の偉い人達がわからないのかも、全く理解出来ないよ。
もしこのまま、避難措置も取らず、十分な補償もせずに、原発から80km圏内の人たちをほったらかしにしたとしたら、
きっと、25年後、これと同じ映像を撮りに、各国からフクシマに取材クルーが押し寄せるだろう。
きっとその時、彼らは思うはずだ。
「今から25年前にも、これと同じ映像を撮ったフィルムがあったのに、なんで日本は学ばなかったんだ?」って。
そうなってしまいそうな事が、私は悲しい。
このフィルムの中の映像と地続きの現実は、もう始まってる。
今の放射線量が◯ミリシーベルトとか、セシウムが☓ベクレル検出されたとか、
まったくリアルでない、数字の情報ばかりが流れてきて、
どれが本当の情報かも分からず、ぼうっとtwitterとネットニュースを眺めている今、
遠く離れた国の映像なのに、
何年も先の未来予測でしかないはずのに、
一番リアルな、フクシマに関する情報だと、私は思う。
明日は水曜でレディースデーだし、あさっては1日で映画の日なので、
何見ようかと迷っている方はぜひ見てください。
1時間でサックリ見れます。でも、ショックはずっと続きます。
ショックどころかこの現実は25年後まで続きます。
それが分かってしまう、本当に苦しい、でも、“分からせてくれる”映画です。
こちらも合わせてどうぞ:レビュー:映画「10万年後の安全」

参考:ベラルーシの若者・児童の、甲状腺ガンについての報告



レビュー:映画「10万年後の安全」


「10万年後の安全」を吉祥寺のバウスシアターで見た。
死にたくなるほど気が遠い、死にたくなるほど気の重い、「実話」。
フィンランドのオルキルトという小さな島に建設が始められた、原子力発電所の核燃料廃棄物の最終処理施設「オンカロ」
フィンランド語で「隠れた場所」という意味。
地下500mの深い穴を掘って、そこに放射性廃棄物を埋蔵し、再び人が入れないように封鎖し近づけないようにする。完成は、2世紀後の予定。
放射性廃棄物が完全に無害になるには10万年かかる。
それまで誰も触れてはいけない。10万年後まで何食わぬ顔でそこにあり続け、絶対に悪用されないために、多くの人に忘れられなければいけない。
つまり、10万年持ちこたえ、誰にも発見されず、忘れ去られ、10万年後の未来まで完全に無視されることがオンカロには求められている、という話。
10万年?持ちこたえる?
本当に?
どうやら現代の技術に人類は自信満々のよう。
13億年前の地層が残るフィンランドの小さな島の、地中奥深くでなら、この巨大な貯蔵庫は、あらゆる変化に耐えられると思っているのだから。
氷河期が来て、地形が変動して、それでも10万年、耐えられる施設を、我々の技術なら、きっと作れるだろうと。
地球は6万年ごとに大氷河期に襲われていて、文明は失われて、その後に再び栄えた人類に、我々は果たして言えるのだろうか?
「ここに危険物が埋まっています。触れちゃいけない。忘れなきゃいけないよ」と。
原発の作り手側である建設会社が想定しているのは、線形の未来だ。
10年後も100年後も技術はくまなく発展し、自分たちの会社は倒産もせず、核戦争も氷河期も来ず、未来は予測できる範囲内の姿をもって、我々の前に現れると。
でも。
わたしたち、すくなくとも日本人にとって、線形の未来は失われてしまった。
3月11日、あの日あの時の一秒前まで、わたしたちは、次の一秒も次の一分も次の一時間も、そして明日もあさっても一年後も、今日と同じ、直線に乗ってやってくると思っていて、でもあの時あの瞬間からわたしたち、少なくとも被災者、そして原発に近い人たちの、線形に続いてくと思っていた未来は、ぐちゃぐちゃに塗りつぶしたボールペンの線のように、いびつな円を描き続けてとどまって居る。一度そのまっすぐな行き先を失った線がどこに向かうのか、正確にすべてを知る人は、我々の中には誰もいない。
2世紀後の未来が直線に乗ってやってくる事を信じてる人は、日本だけでなく、地球上で、果たしてどれだけいるのだろうか。
そして、2世紀後、順調に我々が予測する未来がやってきて、オンカロが無事完成したとしても、そこが核燃料廃棄物でいっぱいになったとき、第二、第三のオンカロが必要になるだろう。
10万年後、最初のオンカロの廃棄物が人類に与える影響を無くす頃には、
いったい、人類はいくつの「隠された場所」を作っているのだろう。
それが、わたしは怖い。
そう。もうすでに核燃料廃棄物は大量に存在している。
次に作る原発の問題で騒ぐ前に、私達はすでに恐ろしいサッカーボールを抱えているのだ。
永遠に10万年後まで誰かが抱え続けなければいけないサッカーボールを。
できることなら未来の人類に向かって、我々は知らぬ存ぜぬのまま、遠くに遠くに蹴り飛ばしてしまいたいサッカーボール。
だけど現実のそれはそんなに軽やかじゃない、巨大な水槽の中に沈めて、管理するために何千人もの人間の手を煩わせて、すでに重く重く国を押しつぶしているお荷物だ。仕方がないから、政治というゲーム場でこづきまわして回しあっている。フィンランドがオンカロの建設に乗り出したのも、政治の上でエネルギー源の確保はお荷物を抱えてまでも達成しなければならない重要命題だから。
人間が作ったものなのに、できるだけ人間から遠ざけておきたい。おかしいね。
おかしいけれど、それを指摘する前に、「反対派、賛成派問わず、処理しなければならない目の前の問題だ」と監督は言う。
忘れてはならないのに、忘れさられなければいけない、忘れさられることが望まれるもの。
「忘れる事を忘れちゃいけない」それが廃棄物の最終処分場。
人類が原発をやめるまで、もしくは滅びるまでに、いったいあといくつ「最終」処分場が必要なんだろうね。