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日常のルーティーンを壊す

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もうナンパには興味がないが、asapenという人のナンパブログは定期的に読んでいる。

 

六本木でナンパしながら起業する

 

この人のブログは痛々しい。痛々しさが心臓に突き刺さってきて思わず読んでしまう。
読みながら、彼同様、自分自身が今ある何かをぶち壊さなければいけないということを意識させてくれる、貴重なブログだ。

このブログには、ナンパで成果が思うように上がらないという彼の悩みが、延々と書かれている。

彼はブログで「ルーティーン」という言葉を多用する。フレグランスルーティーン、手相のルーティーン、なんとかルーティーン。
彼の中で一定のノウハウがあって、それを女の子に使用することで、同じパターンの中で女の子と即る(=すぐセックスする)事を目指しているようだ。

ルーティーンを捨てないから、成果が上がらないんじゃないの、とも思うけど、彼自身が、限られたルーティーンのみを使ってナンパできるようになりたいという制約を自分に課しているのかもしれないし、それはわからない。

 

ルーティーン。ルーティーン。ルーティーン。

 

私のブログを読んで、家族の悩みや恋愛の悩み、仕事関係の悩みをメールしてくださる方がいる。

例えば、
童貞が脱出できない。
上司とうまくいかない。
恋愛がうまくいかない。

等。

昨日は久しぶりに、悩みを寄せてくださった方にお会いした。40代の男性だった。
私はカウンセラーではないので、インタビューのつもりで色々聞いていく。目の前に透明な箱があって、その箱の形や大きさや色はわからない。その中に手をつっこんで、その人の内側になんでもいいからぺたぺた触ってゆくと、色がついてその人の容貌が分かってゆく、そんな感じだ。

そうして聞いていると、その人がその人自身をどんなルーティーンに閉じ込めているのか、分かることがある。

ナンパにしろ、恋愛にしろ、友人関係にしろ、仕事関係にしろ、人間関係に悩んでいる人の、その悩みの根幹は、自分が或る特定のルーティーンに囚われていることに気づいていないことにある。
傍から見れば一目瞭然なのに、本人はそのルーティーンに囚われていることに気づかない。

 

コミュニケーションはルーティーンの繰り返しだ。

飽くまで人が繰り返してしまう同じコミュニケーションの円環。
それは、10年単位の、非常にゆったりとした時の流れの中で繰り返しているものかもしれないし、毎日毎時間毎秒、繰り返してしまうものかもしれない。

同じルーティーンを繰り返してしまうこと、そのことに気づかないまま、人は悩んでいる。

ルーティーンに囚われた時、人は自らを問えなくなる。

私はその円環する流れの中に棹をさして、その人自身に自らが囚われているその流れの環の形を気づかせてあげるだけだ。他人なら、だれでもできる行為だと思う。

 

どんな行為もルーティーンでできている。それを変えたいと強く望むなら、一秒でも早く自分がルーティーンに囚われていること、そしてそれをどうやったら壊せるのかを考えなければいけない。
囚われていることを自覚するのはみじめだ。ただ、自覚を可能にするのは痛さへの慣れでしかないし、壊す事自体は技術でしかない。

ナンパは自分が囚われているコミュニケーションのルーティーンから抜け出すための技術の一つかもしれない。恋愛ができない、童貞を捨てられない、すぐセックスできるようになりたい。

ナンパに限らず、日常の中に、自分が抱えるルーティーンから抜け出すチャンスはあふれている。
今までとは違う恋愛がしたい。違う仕事がしたい。違う人間になりたい。

 

今ここにあるルーティーンから抜け出して、全く新しい関係性、コミュニケーションの型、そういうものがあると思って、それを信じて人は飛び込んでゆく。飛び込もうとする。飛び込んで、新しい境地にたどり着く。
「やった!もう◯◯は怖くない」。そうして前の古いルーティーンをゴミ箱に捨てる。捨てた瞬間からまた新しいルーティーンに絡め取られてゆく。ルーティーンから抜け出せると思った瞬間、人はまた円環に落ちる。それがゴミになるまで。

 

私たちは毎ゲーム、全く同じ色、同じ大きさ、同じ重さでゲーム台に載せられ、円を描いて穴に落ち、また穴から拾い出されて台の上に載せられる、変わらない球だ。異なる軌道を描いたつもりでも、行き着く先は同じ形の穴。どこに落ちたとしても、拾い上げられて、載せられる先は一緒である。台の上と穴の中の円環を、ぐるぐるぐるぐる繰り返すだけの球。

 

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球の自覚のないナンパ師は愚かだし、無論、そうでない非ナンパ師だって愚かだ。

ただ、それが分かった上で尚、そのルーティーンを壊してゆく。
その壊したいという欲望、そして、自分の手で壊した瞬間にきらきらと破片が舞う、その一瞬の隙の希望が、人が関係するという行為の美しさなのかなと思う。

 

 

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