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8日目:「パレスチナとカミーノ、それぞれの聖地」

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エルサレムの壁に書かれていた「フリーパレスチナ」の文字。

与え合う場所、殺し合う場所

 

この日はitero de la vegaからCarrion de los Condesまで、33キロ続く平原をひたすら歩いた。

夕方、到着したCarrion de los Condesでは、地元の教会がアルベルゲとして巡礼者たちを受け入れている。

美しい白い教会が見えてきた。

ヘトヘトになり、門の中に倒れこむ。

教会をぐるりと囲む、黒いレンガを積み上げた高い壁は、夕方の日差しの激しさから巡礼者たちを守ってくれる。

教会の庭は広く、今日の道を歩き終えた巡礼者たちが、壁にもたれてめいめいに休息していた。

今日一日の疲れを、無言のまま皆で労るように。

一日歩き終えたこの時間が、巡礼の中でもっともおだやかな、至福の時間だ。

庭で、気になる巡礼者を見かけた。

目の前に缶を置いて座っている。ほどこしを受けながら巡礼しているのだろう。

ヒッピー風の服装はボロボロで、登山靴は擦り切れて今にも壊れそうだ。

それでも、夕日に照らされた彼の顔はおだやかだった。

前を通り過ぎる巡礼者が缶に小銭を投じると、笑顔でやりとりを交わす。

他の巡礼者も、ごく自然に彼の存在を受け入れている。

まるで、他人のほどこしで歩いていようと、自腹で来ていようと、同じ巡礼者なら全く変わらないよ、と言うように。

 

カミーノでは人に何かを与えられたり、与えたりすることが多い。

道端の家の前に、「ご自由にどうぞ」と書かれた、お菓子や果物のたっぷり入った籠が置いてある。

他の巡礼者からも、しばしば水や食料をもらう。

食堂ではだいたいみんなが食材をシェアし、誰が言い出さずとも、ほかの人の分まで作り、豪勢にふるまう。

助け、助けられることで、人と人がつながり、道をつくりあげている。

 

巡礼経験者の知人は、この道についてこう語っていた。

 

「巡礼路を歩く人々はみな優しく、素敵な笑顔をしている。

優しい雰囲気が道全体にあふれているんだ。」

 

歩き始めてすぐに、その言葉は本当だったと実感した。

カミーノでは、皆が同じ目的を持って歩く仲間。

国境も言語も越えて、皆が解りあい、労わりあおうとする。

祖国にいては自然にできないことが、ここではごく普通にできる。

戦争やいがみ合い、歴史的因縁の耐えないこの世界で、

本当に神の祝福に守られているとしても不思議ではない、特異な場所だ。

 

一方で、イスラエルのパレスチナ自治区を訪れたことがある。

イスラエル軍に住んでいた街を奪われ、難民となった人々は、

その日の食料にも困り、ボロボロの家に住んでいた。

街のあちこちで、若い女性兵士が機関銃をかかげてうろつき、

鋭い目で私たちを見ていた。

イスラエルは17歳から兵役が義務化されており、逆らうと社会的な地位を剥奪され

就職すらもままならなくなる。

イスラエル人であっても、国に従わざるを得ないのだ。

パレスチナ自治区のモスク前を警備していたイスラエル兵

パレスチナ人の住むヘブロンという街では、廃墟になったモスクを訪ねた。

数年前、祈祷の最中にイスラエル兵が雪崩れ込み、その場にいた全員が虐殺された場所だ。

モスクの壁には生々しい血しぶきや銃痕がそのまま残っていた。

バスの中で出会ったパレスチナ人のおじさんは、ヘブロンの商店街で雑貨屋を営んでいたが、

イスラエル兵に突然、店を占拠され、追い出されて、今は道ばたのほったて小屋で商売をしていると話してくれた。

廃墟になった商店街は、イスラエル人によって捨てられたゴミが山となり、

まるで人々の怨念が渦巻いているようで吐き気がした。

上を見ると、鉄のネットが張られていた。商店街のアパートを占拠したイスラエル人が、

通行するパレスチナ人に向かって階上からゴミを投げるため、防御ネットを張っているらしい。

パレスチナ自治区の廃墟になった商店街
パレスチナ自治区の廃墟になった商店街。頭上には防御ネットが張られる

人が人を虐げ、悲劇を生む。

その繰り返しに疲弊しているにもかかわらず、未だに怒りと憎しみに煮えたぎる国。

 

あの土地も、ここカミーノ・デ・サンティアゴも、同じ人間の、神を信じる心によって作られた場所だ。

そう思うと、二つの間のどうにもならない落差に、はがゆい気持ちになる。

 

昨日の夜、宿で食事を共にしたベルギー人の神父はこう言っていた。

「本当なら、宗教同士が争う事は決して無いはずなんだ。

全ての神が言っている事は同じなんだから。

『互いに助け合って生きろ』

それだけだよ」

イスラエル兵に家を壊され、廃墟になった街で遊ぶパレスチナ人の子供たち

 

商店街を追い出されたパレスチナ人たちは、住む場所に不安を覚えながら路上で商売を営んでいる。

 

イスラエル軍によって勝手に建造された、街を囲む壁。延々とイスラエルを非難する落書きが続く。この壁からパレスチナ人が外に出る事は許されない。
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7日目:「安定と自由、どっちがあなたの道?」

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カミーノの楽しみの1つが、バル(Bar)。

夜は安酒場、昼はレストラン、
スナック菓子から水、絆創膏までなんでも揃う、コンビニ的な存在でもある。

朝はクロワッサンにカフェ・コン・レチェ(スペイン版カフェオレ)、昼は巨大サンドイッチ「ボカディージョ」が定番メニュー。

村に着くたびバルに立ち寄り、おしゃべりしながら休憩するのが巡礼者たちの社交だ。

 

この日、バルで休憩中、カナダ人のカップルと出会った。

大学教授のナタリーは67歳。カナダ中西部のサスカチュワン地方の小都市で、6人とルームシェア暮らし。

同い歳のパートナーのティムとは20年近い付き合いで、帰国後は共に環境活動に関わっていく予定だそうだ。

ナタリーに聞かれた。
「The way of freedom or the way of security, which is yours?」
(安定と自由、どっちがあなたの道?)」

即答した。
「もちろん、The way of freedom!!」

するとナタリーは極上の笑顔でこう返した。

「当然、私も同じよ!」

自由の道、と即答できたのは、私がまだ21歳で、きっと、結婚も仕事も経験していないからだ。
しかし、その3倍もの年月の間に、数々の決断を下し、困難を乗り越えてきたであろうナタリーが、その歳になってなお、迷わずはっきりとそう答えられることに驚く。

「自由の道から安全な道へのバイパスはないの?」と聞いたら、

「あるわよ、結婚という道が。でも私にその選択肢は無いわね。きっと、一生!!」

そう言ってナタリーはほがらかに笑う。

私は67歳を迎えたとき、はたしてこんな風に生きていられるだろうか。

巡礼7日目① のコピー
真ん中がカナダ人大学教授のナタリー。

巡礼路で出会う人たちの生き方を見ていると、皆自分の道を迷わず突き進んでいるように感じる。色々な国で働いたり、ホスピタレイロ(巡礼宿の管理人)に志願したり、仕事を辞めて留学したり……。

みなそれぞれ、自分のものさしで自分の人生を測っている。
たった1つ、その人だけのものさしで。

この道に来る前、仲が良かった社会人の男の先輩に言われた言葉が、今も忘れられない。

「小野ちゃんはまだ学生だから分からないだろうけど、25歳くらいになると周りがどんどん結婚し始めて、焦って来るんだよ。俺の周りを見ててもね、どっちが幸せかっていうとやっぱりね、 嫁ぎ遅れて仕事しかないっていう女の人と比べたら、結婚して子ども持って家庭に入っているほうが、幸せだよ」

尊敬していた先輩の口から、そんな言葉が語られたことがショックだった。

私の母はシングルマザーだ。まるで、母のことを侮辱されたような気がした。

他人の幸せを勝手に自分の尺度で測ってしまう鈍さは暴力だ、と思った。

巡礼路で出会う人たちは、「女性は○歳までに結婚して子どもを生んだほうがいい!」というものさしからは少なくとも自由そうだ。
数々の葛藤を乗り越えてなお、迷わず「自由の道!」と答え、少女のように目を輝かせて活達と歩く67歳の老婦人ナタリーからは、社会通念に絞殺されそうな不安や怯えは一切、感じられない。

人の幸せを勝手に測ってああだこうだ言うのは簡単だ。

インターネットやテレビを開けば、そんな言葉で埋め尽くされている。

そういう人を見る度に思う。「お前はどうなんだよ」と。

そして自分にも思う。「お前はどうなんだよ」と。

 

他人のことはどうだっていい。

巡礼では、他人のペースに合わせる事こそ、良しとされない。それはきっと人生も同じだ。

67歳になっても、ナタリーみたいな笑顔で「私はこっち!」と迷わず言い続けられる人間でいたい。

どうやったら、そうで居られるんだろう。

日本から引きずってきた憂鬱に、少しだけ、日が射した気がした。

 
★旅する若者を応援するWebサイト「TABILABO」さんのインタビューでも、スペイン巡礼と世界一周について話しています。
巡礼に興味のある方はこちらも合わせてご覧ください。
http://tabi-labo.com/tabi-athlete/onomiyuk/

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6日目:「仕事=誰かに何かを与える事?」

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朝、喉の痛みに目が覚めた。連日の天候の変化の激しさに、体調を崩したようだ。

次の村までは約30kmほどある。どうしても聖地まで歩いて行きたかったが、迷った末、無理をせずにバスで移動することにした。

 

村のバスターミナルから出発すると、バスは徒歩で次の村を目指す巡礼者たちの列を追い越し、悠々とアスファルトの国道を走り抜けてゆく。大都会では慣れたスピードも、一歩一歩、踏みしめながら歩くことに慣れたこの地では、戸惑うぐらいに速い。

 

次の街、サアグンは多くの教会や修道院に囲まれた、静かな田舎街だった。

近代的なゲストハウス風のアルベルゲと、歴史あるコンベント(修道院)をそのまま利用した古めかしいアルベルゲ、どちらにするか迷った末、後者に泊まることにした。

中世の修道僧が生活していた教会の回廊を、改装して宿泊棟に充てている。灯りのない回廊にはステンドグラスや燭台など、中世の装飾が当時のままそこかしこに残る。

今にも修道僧が出てきそうな、荘厳な場所だ。

 

ホスピタレイラ(宿の女主人)が迎え入れてくれた。マーサ、52歳。アメリカのカリフォルニアから来た。

 

アルベルゲの管理人は、過去に巡礼した人がボランティアで1年間、一つの村でアルベルゲを管理・運営する。

 

まるまると太った身体にエプロンをつけ、典型的なアメリカ人のお母さんといった風貌のマーサ。

なぜ彼女は、わざわざ遠くのアメリカから、英語も通じないこの村でのホスピタレイラに志願したのだろうか?

 

彼女は言う。

「昨年、この道を歩いたのは、とても貴重な経験だった。

私はカミーノから多くのものを受け取った。

今度は私がそれを返す番。そう思って、

ホスピタレイラに志願したの。」

 

多くの巡礼者が、カミーノを終えた後、今度は自分が恩恵を返す番と、ホスピタレイロになったり、巡礼路に移り住んでくる。

 

夜になれば明かりが消え、食べ物も水も分け合って生きるようなカミーノの暮らしになって初めて、互いに与え、与えられる関係のありがたみを、身に沁みて感じるようになった。

翻って、日本での自分を考えると、そんな意識を一切持っていなかったことに気づく。

 

「成長したい、自分を磨きたい」。

就活をしていた時、出会った多くの学生がそう口にしていた。
私もなんの迷いもためらいも思考もなく、そう言っていた。

でも、それは何のためだろう?自分のため?誰かのため?社会のため?

 

マーサに聞いた。

「自分は今、卒業後の進路を考えている最中だけど、今までの人生で、一度も誰かに何かを与えたような気がしないの。こんな自分でも、そんな仕事ができると思う?」

 

マーサはにっこりと笑って答えた。

 

「私は52年間カリフォルニアで暮らしてきた。

息子を3人育てて、やっと自分のために使える時間ができた。

そんな時、この道に出会ったわ。

その時すぐに分かった。ああ、私の今やるべきことは、この道で自分と同じように歩いてきた巡礼者に、今までの人生で受け取った恩恵を返すことなんだって。

それは使命感とかそんなおおげさなものじゃない。

ただ、バスケットの試合でボールが回ってきたみたいに、誰かにそれをパスするのが、今の自分の役回りだと感じたのよ。52年間生きていて、それは初めての出来事だったわ。

 

人が人に何かを与える方法ってたくさんあるわ。でもそれは人それぞれ、違う形なの。

 

その人にしか、人に与えられないものって必ずあるのよ。

 

たとえ今は与えられるだけの身分だとしても、いつか必ず、それに気付いてアクションを起こす時が来るのよ。

それが大学を卒業する前の、たった一年の間に起きるなんて、一体誰が決めたの?

 

カリフォルニアとスペインの日光のブレンドでこんがり焼けた、ライ麦パンみたいな笑顔でそう言う彼女。

 

出国前に読んでいた「一人では生きられないのも芸のうち」(内田樹)の中にも、似たような言葉が書かれていた。

「自分に先立つ何千、何万の人々に与えられたものを返すことでしか、私たちは生きられない。そしてその行為が“仕事”だ」と。

 

では、今まで生きてきた中で無数の人から与えられてきた、目に見えない恩恵を返すために、私が、見返りを求めずに誰かのためにできる行為って、一体、なんだろう。

マーサの言葉は、救いにはなるけれど、私にとってはまだまだ雲の上の言葉だ。

 

それが見つかった時「仕事」という言葉にかかった霧は、少しは晴れるんだろうか。

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スペイン巡礼記 5日目:「毎日が休日だと思える仕事」

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5日目ー毎日が休日と思える仕事

サンティアゴ巡礼に出発してから5日目。だんだんと歩くことに慣れてきて、

石ころだらけの道を一日に30キロほど歩けるようになった。

 

午2時ごろ、アルベルゲ(巡礼宿)に到着し、芝生の生えた中庭でビールを飲んでいると、2人の巡礼者に話しかけられた。
一人はスペイン人で71歳のルカス。バスク地方の小さな街で41年間小学校の教師を勤め、現在はリタイア生活だ。巡礼は5回目だという。
もう一人は、ブラジル人で36歳のマルコス。サンパウロの大学を卒業し、外資系企業でマーケティングの仕事をしている、典型的なエリートだ。

 

巡礼者たちの自己紹介は「なぜ歩いているのか?」という問いから始まる。
この日も聞かれたため、私は「大学を卒業した後、将来どんな仕事をするべきなのか、考えるため」と答えた。

そう答えると、陽気でおせっかいなスペイン人たちからは、たいてい一家言飛び出してくる。

やれ「こんな仕事がいい」だの、「俺の仕事は最高だ」だの、「スペインでだけは働くなよ」だの…。

 

しかしこの日、ルカスの口から聞いた言葉は、ひと味違った。

 

「毎日、月曜日だ、火曜日だと思ってする仕事はいけないよ。
毎日が土曜、日曜、祝日だと思えるような仕事に就きなさい。
私は、働いていた41年間、一日も“仕事をした”と思った日はないよ。」

 

この、ごく単純だが核心をついた言葉に、はっとした。

 

そこには「仕事」を越え、生きることそのものに対する、彼の強い意志が篭っていた。

 

もちろん、41年の間には辛いことも耐え難いことも、怒りに震えることもあったに違いない。

スペインを始め、ラテン系の国の住民は、感情の振れ幅がとても大きい。

喜びをはちきれんばかりに表現する一方で、悲しみや怒りも濁流のごとく激しい。

ルカスだって、きっとそうだ。

 

けれど、71歳の老人が、白髪になってなお、照れもせず、物怖じもせず、誰に媚びることもなくその言葉をまっすぐに放った、ということこそ、その言葉が真実であること、その信念に宿る威力の証明のように感じられた。

5日目ー毎日が休日と思える仕事2

彼の言葉は、ラテン民族の、生き方そのものに対する、おおらかで懐広く、喜びに満ちた人生哲学そのものだ。

そして、一生をかけて一つの仕事に打ち込んできた男の、41年間、白墨とサッカーボールと、子供たちのはちきれそうな胴を抱え続けて太く鍛えられた指の節のように、たくましく、揺ぎ無い正しさを持った「職業信念」だ。

 

日本で毎日、企業の面接を受けながら、自分はそんなことを考えていただろうか。

「仕事だと思えない仕事」なんて、そもそもあるんだろうか。

 

日本の就職は「就業」ではなく「就社」だと皮肉交じりに言われているが、それは日本の就職がどうこうという問題じゃなく、結局は就活している自分自身が、それになんの疑問も持たずに乗っかってきたからだ。

大企業のブランド名、安定性、福利厚生を見てリクナビのボタンを押すだけで、なんとなく説明会に誘導され、なんとなくエントリーシートを送り、なんとなく面接のノウハウを覚えてオフィス街を歩きまわる毎日。
「やりたい仕事」ではなく、「つけたい社章」にこだわる毎日。

それまで私は、その仕事がしたいかどうかより、「自分の性格と折り合いの付く会社に入れるかどうか」ばかり気にしていた。
企業の求める鋳型に、自分をはめ込むことに一生懸命で、同時に、自分に合う鋳型を捜し求めていた。

「本当は何をしたいのか」ではなく「就活を上手くこなせる良い感じの自分」になって、会社に受け入れてもらうことばかり考えていた。

しかしそれでは齟齬が出る。半年経った頃、私は自分が「なにをやりたいか」について何の考えも持っていないことに気づき、愕然とした。それと共に、なぜ自分が就職できなかったのか、やっと分かった。

自分が必死に作り上げてきたはずの「良い感じの自分」は、ハタから見て全然「良い感じ」じゃなかったのだ。

「あなたは、人生で何をやりたいの?」という、

自分の中心になるはずの核の部分に、実はなんにも、無かったんだから。

 

じゃあ、なにをしたら、ルカスの言うとおり「毎日が休日だと思える」んだろう。

今までの自分は、全然そんなこと、考えてもこなかった。

お腹の底から、楽しいって言えることって、なんだろう。

分からない。

分からないし、ひょっとしたら立場も年齢も異なる自分には、当てはまらないのかもしれない。

けれど、それでも世界に、そんな風に考えて生きている人が一人でもいる、

まっすぐにそれを信じて言ってくれる人がいることが、この時の自分にはただ、嬉しかった。

 

その夜、寒さに震えながら毛布にくるまり、真っ暗な闇の中で他の巡礼者たちのいびきを聞きつつ寝入ろうとしても、ルカスの言葉は深々と胸に突き刺さったまま、光を放ち続けていた。

これから私が向かう航路を決める、灯台の光のように。

 

 

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「生きねば」と「生きることにした」の間ー「cocoon」と「風立ちぬ」と「ひきこもり女子いろいろえっち」

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20130815-200805.jpg

最近、「ひきこもり女子いろいろえっち」というブログをなめるように見ていて、

むかつくぐらい文才があってむかつく、底辺って言っているけど全然あなたの才能は底辺じゃないじゃない、ひきこもりで非正規だけどそんなに持つもの持ってんじゃんという嫉妬と焦燥と自覚の無さへのいらだちで叫び出しそうんなって後頭部がぐよぐゆする。

 

底辺と呼ばれるその世界を、青い空に飛行機が線を引くみたいにして多くの人が二つに分けた(そして、自分のいない側の)その境界から向こう側を、青さを青さとして表現する力を持ってるじゃん、ずるい、ずるいよ、と、自分の陳腐さを呪いながら読んでいる。

 

と同時になぜか、つい最近見た映画「風立ちぬ」と、東京芸術劇場でやっている藤原貴大と今日マチ子の舞台「cocoon」のことを思い出した。

 

 

 

 

「風立ちぬ」はすごく残酷な映画だ。

おいそれと、誰にも、薄皮一枚へだてて、絶対に共感させてくれない冷たさがある。

 

「風立ちぬ」を見ていろんな人がいろんな評をしいろんな場面で涙を流すけれど、周りの人で「共感した」という人はあまりいない。

いたとしてもそれは嘘だと思う。

 

あれはジブリだからこそ大衆映画っぽくまるっとやわらかいタッチで描かれているけど、完璧なインテリの映画。

 

実写だったらたぶん怖すぎてついていけない。

 

なんか昭和の古き良き庶民の生活を描いているように見せかけて実はあれはすごく限定された人たちにしか分からない生活だ。

だって二郎さんは裕福な家に生まれて、東京大学に進学した超エリートで、国のために飛行機つくってる。

そんで、外国人客がたくさんいるような高級避暑地に一人で行ける。

菜穂子さんは菜穂子さんで、少女時代に洋装できるほどのお金持ちだし、お父さんも、高級避暑地で外国人客に物怖じせずに話せるということは貿易商かなんかだったのだろうか、全然原作読んでないから当てずっぽうで書くけれど、100%フィクションだとして見てもそういうふうに取れるよね。

 

外国に行って工場見学をして帰る、あれって今のメーカー勤務のお父さんが海外出張行って工場見て帰るよりか全然超ものすごい事なわけでしょう。

ジブリ的なおっとりとした空気の中で描かれるけど。

 

あの二郎さんの

「生きねば」

に心の底から共感できる人なんか本当に一握りしかいないんじゃないの、と思う。

 

「俺は、私は共感できるぜ」って酔える人はたくさんいると思うけど。

 

二郎さんのノブレス・オブリージュを体感できる側の人で

宮崎駿もそうで、

 

のほほんとしているけれど、あれは心底冷え冷えとした映画だなと思う。

二郎さんの「生きねば」は、国に選ばれて優先的に生きることを義務付けられた人の「生きねば」で、ピラミッドの実は頂点にいる人の言葉で、あの映画の世界は人を殺せる側に周る人間の世界だなと思う。

宮崎駿はそれをわかっていて、自分がそっち側にいることに自覚的だからこその、自責みたいなものを感じる。

 

あてずっぽうだけど。

 

二郎さんと菜穂子の愛には涙出来ても、二郎さんの「生きねば」には、なんだかそら恐ろしくて共感できない。

 

二郎さんの「生きねば」は現代において、誰も発し手の居ない、亡霊みたいな言葉としてスクリーンに浮いている。

 

「風立ちぬ」にもちゃんと描かれていたけど、命令された生に従って突き進む人の影に押しつぶされて犠牲になる庶民がたくさんいるってこと。

 

その押しつぶされる側の庶民を一生懸命想像して描いたのが今日マチ子✕マームとジプシーの藤原貴大さんの舞台「cocoon」だ。

 

舞台上で飛び跳ねまわる女学生たちは、一応、庶民の子ということになっていて、ひめゆり部隊として派遣されて、結局軍の都合で戦火の中に放り出されて、そうしてひとりずつ、飛ぶ鳥の羽が一枚ずつもがれてくように死んでゆく。

 

そうして最後、クラスメイトや下級生が、ひとりひとり、爆弾にふっとばされたり、押しつぶされたり、自爆したり、体中を弾に撃たれて死んでいった最後、残されたたった一人の女子学生、サンが発した言葉が

「生きることにした」だった。

 

なんて安易な言葉だろう。

死ななかったから生きるのだ。

 

でも安易なのだ、一握りのエリートの「生きねば」に対して、残された庶民たちにとって、生きることは安易なのだ。

 

「生きねば」は国のために生きることがなんか必然になっちゃったエリートの言葉で、

「生きることにした」は別に国にとっては死んでもいいけど、なんか生きちゃった庶民側の言葉だ。

 

死んでないから、生きちゃったのだ。

そういう人たちがふわっと降り積もってこの世界はできている。

 

 

大学の頃、学生たちが底辺高校に行って、高校生たちの話を聞いたり、自分たちの経験を話したりするボランティア活動に参加していたんだけど、そこで起きているあまりのディスコミュニケーションに気持ちが悪くなってやめてしまったことがある。

大学生側は持てる側として自分たちの持てる全てをその底辺校の高校生に与えようとして、でも彼らにとって大学生の持っているもの、美しく努力した経験だったり将来をまっすぐに目指す力、だったりそもそも彼らのアイデンティティの土台であるところの学力、だったりは端から永遠に手にはいらないもので、彼らの世界とこっちの世界はシャツの一番上のボタンと一番下のボタン穴、ぐらい遠くてハマり合わないものなのだ。それなのにボランティア側は、共感できたふりをして、コミュニケーションがうまいようなふりをして、うんうんと相手の話を聞いていた。

そのことに気持ち悪さがつのりにつのって、やめてしまった。

 

でも、その時は上のボタンの側のような気になっていた自分たちだって、二郎さんにはならない。

 

「ひきこもり女子 いろいろえっち」に出てくるような、底辺層、コンビニの店長さんのブログで「うちらの世界」と呼ばれているような人たちだけでなくて、私たち、はてぶとかツイッターとかで他人の人生を覗いて「ばかだなあ」とか思っている人たち、

例えばはてぶ民(高学歴が多いらしい。ホントかよ)だって完全に「うちらの世界」だ。

ボタンの上と下だったら、下の側。

国にとっては死んでいいけど生きちゃってる側。

そういえば今日は終戦記念日で、終戦記念日といえば毎年決まってうちの岡山育ちのおばあちゃんが
「広島にピカが落ちたら戦争おわるってみんなあの時知ってたんだよね、なぜか」
という話をするんだけど、落ちるって知ってても落ちるのを待っちゃうんだよねの側。
 

そのふわっと降り積もってる、生きちゃってる側の人で膨張し続ける世界の大きさに

もう黙るしかないような気になる。

 

 

ピラミッドのある世界で、下と上が絶対に交じり合わない世界で、

「風立ちぬ」と「cocoon」を同時に見て、

ひきこもり女子いろいろえっち」を読んで、

降り積もる側の自分の頭がぐじゃぐじゃんなって未爆発で、
どうにもならないのを避けようとして、そう思った。

 

何を思っても人の生は、かってに膨張しちゃう。

 

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『結婚できない』という幸せ

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2013-08-03 22.36.57

 

編集者・ライターのターザン山本さんが、ブログで私について書いてくれた。

 

「あのね、君は女としての幸せは捨てる。放棄する。

いらない。あきらめる。捨ててもいいよ。

それに代わるもっとでかいものを手にすればいいんだから。

だって女の幸せなんて男の都合によって作られた概念なんだから。
そんなものはどうでもいいよ。自分のことの方が100倍大事だ。

ただし自分が女であることはとことん徹底的に利用しろ。」

『薄目美女』煩悩菩薩日記(ターザン山本)

 

結婚して幸せになれないのは不幸だと思っていた。

でもそれは違うような気がする。

結婚して幸せになれないのは逆に強いのだと思う。

規格外の強さなんだ。

 

でもそれは時に同じ女からも嫉まれるし、男の側だって困るから、

結婚できない女がみじめな気持ちになるよう、社会が仕向けているだけなのだ。

 

結婚できない人は、「結婚で幸せになれない」という幸せを手にしている。

社会の大半の人は認めないと思うけど。

 

女としての幸せよりも、もっと大きいものを掴めると思えば、そんなの大したことじゃない。

女であることは認めつつ、女の幸せ以外のものを掴んで行こう。

 

でも、それだけじゃフツーの事しか言っていなくてつまらないので、世の中には

「女としての幸せを放棄した女」が好きで好きでたまらない男、

神格化したい男がゴマンといることも、

同時に記しておく。

 

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ダイヤモンド・オンラインで福島に関する記事を書きました

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スクリーンショット 2013-07-22 12.22.06
携帯の電波も届かない、バスも走っていない福島の山奥の村で、見ず知らずの人の家に3日間泊めてもらって書いた体当たり記事がダイヤモンド・オンラインに掲載されました。

これまで何度か原発絵本プロジェクトの取材のために足を運んでいた福島。

5月初旬に参加した「福島ジャーナリスト・キャンプ」で初めて報道取材のための滞在を行い、朝日新聞「プロメテウスの罠」を執筆する特別報道部の依光さんの指導のもと、いわき市の北端にある過疎地域「志田名・荻」地区を訪ね、取材しました。

その後、個人的に追加取材を行い、現地の農家に3日間滞在して聞き込みを行いました。

こういうジャーナリスティックな手法での取材は初めてでしたが、良い学びになりました。

ネットでなんでも拾える今、自分で現場に行って時間をかけて、オンラインに無いものを拾うのって大事だなぁ、と。

そこから分かることって大きいなと思います。

 

ブログにしろ何にしろ、これまで体当たり精神と脱ぎっぷりを大事に書いてきた私ですが、

今後も自分自身が体験することを大切にして(ものを書くのはパソコンの前じゃない!リアルワールドや!)記事を書いてゆきたいです。

 

震災から2年、生まれた「除染格差」 巨大行政区域・いわき市に切り捨てられた人々

「となりん村は田植え再開してんのに、なぜうちんとこは……」放射能被害が比較的軽く、早くから安全宣言を出していたいわき市。だが、震災から2年たった今も深刻な放射能被害に苦しむ地域がある。福島第一原発から約28キロにある、川前町の志田名地区と荻地区だ。「市に切り捨てられた」と住民自らが語る集落、志田名が苦しむ、近隣地区との「格差」とは――。(取材・文・写真/小野美由紀〈おの・みゆき〉)

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スペイン巡礼記 2日目:「Porque caminos?(なぜ歩くの?)」

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巡礼2日目①

朝7時、宿を出発する。

スペインの朝は遅い。
まだ日も昇らない真っ暗な闇の中を、懐中電灯だけを頼りに歩き出す。

朝8時ごろ、ようやく日が昇り始める。

さえぎるものひとつない地平線が、突如燃え上がるように朱色に染まり、
赤い太陽が、真っ黒な大地の向こう側からやってくる。どろどろと溶け出た光を絵の具のようにまき散らしながら、大地を明るく照らし始める。

風は身を切るように冷たい。
青と赤の水彩が交じり合う広大な空と、まだ明けない黒い大地が世界を二等分する。ピカソの絵のような、ヴィヴィッドな色の大群。こんな景色、今まで見たことがない。
空が明るくなると、今度は大地がさんざめく。
見渡す限りに広がる牧草地帯が、空から降り注ぐ日の光に歓喜しふるえる。
さっきまでは真っ黒だった大地が、光を浴びて黄金色の海のようにゆったりと目の前に広がっている。その中に一本だけ渡された細い小道を、草に遮られながら歩いてゆく。
大地と空だけがこの世界のすべてだ。そこでは自分の存在など、無に等しい。
そんな巨大な世界を相手に、澄んだ空気の中を、ただひたすらに、まっすぐ歩き続ける。

昼ごろ、細い山道に入った。
スペインの真昼の太陽は、秋といえども強烈だ。
じりじりと皮膚を焼く過酷な直射日光が、体力をそぎ落としてゆく。

背負ったバックパックが急にずしりと、重さを増した。

巡礼は厳しい自然環境の中を歩いてゆくため、完全装備を強いられる。
登山靴に、パーカー、登山用の杖。少しでも荷物を減らすため、バックパックの中身は体重の10分の1に制限するのが望ましい。

それ以上重いと、1日30km以上歩くのは難しい。

そのため持ち物は、最低限の衣類、靴ずれなどに対応するための医療ケア用品、そして、あれば寝袋。それだけだ。

巡礼2日目②
でっかいバックパックに、靴と寝袋、それに杖をくくりつけて歩く少女。スカート姿が妙にキマる。

それにしても、5キロのバックパックを背負って歩くなんて、一体どれぐらいぶりだろう。

日本では常に就活用のヒール靴で、スニーカーなんて滅多に履かなかった。

土ぼこりの舞う、石ころだらけの道を歩いていると、足の裏で踏みしめた大地の細やかな隆起が足全体に伝わり、体全体を振動させる。

普段は大切にくるまれている足の裏が、むき出しになったような感覚。

私の身体、ちゃんとここに存在しているんだ。
そんな感覚がだんだん、戻ってくる。

「Por que caminos-tu?(なぜ歩くの?)」

道で他の巡礼者と出会ったとき、必ず聞かれるのがこれだ。

自分探し、肉体のトレーニング、宗教的動機、
これからの人生についての重大な選択を決めるため・・・

理由は人によって様々。どんな理由で歩いても許されるのがカミーノの道だ。

正直私はこれを聞かれた時、なんと答えて良いのか分からなかった。
「就職活動がうまく行かなくて…。それで、なんとなくこれからどうするか考えるためで…。」
なんとなく答えるのが口はばったい感じがしたというのもある。カッコ悪い自分を知られたくないという気持ちもある。
けれどたぶん本当は、そういった表面的な動機はさておき、心の奥にある動機があまりにも青臭過ぎて、口に出すのが恥ずかしかったのだ。

本当の心の底からの動機は「強い自分になりたい」。
それだけだった。

レースについて行けない自分、面接で正しく振る舞えない弱い自分。エスカレーターに乗れないくらいで面接会場を引き返してしまった自分。
会社の求める人物像になれない自分。
強い自分を演じられない自分。

それが、痛いぐらい嫌だった。

「甘えているだけだ」
「社会に出たら、就職活動より、もっと辛くて理不尽なことが待っているのに、
これくらい耐えられなくてどうするの?」
就活を辞めた時、心配してくれた大学の先輩や社会人の知り合いに、口々に言われた。

その通りだと思う。

何万人の就活生がこなしている「フツウ」の事を、「フツウ」にできるようになりたい。
自分の進むべき道について、疑ったり、迷ったりしない、自信に溢れた人間になりたい。そう強く思った。

この道を選んだのは、ぐちゃぐちゃの内面の中で、なんとかたどり着いた答えだった。
日本でできる他の方法もあったと思う。けれど、なんでだかわからないけれど、自分が選んだのは『歩くこと』だったのだ。
500kmも歩けば、さすがに迷いも取れるし、強くもなれるだろうーそんな、半ば意味不明の甘い論理と、スポ根的な意地で、私はこの旅に出た。
それが、果たして「逃げ」だったのかどうか。
まだ、この時点では分からない…。

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スペイン巡礼記 1日目②:合言葉は“ブエン・カミーノ”

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巡礼1日目①-2

ブルゴスを出発し、郊外へと続く、美しい並木道を歩いてしばらくすると、国道沿いの道に出た。

季節は秋、すでに収穫を終えた小麦畑の、乾いた茶色が道の両脇に果てしなく広がる。

時おりちらちらと目に入る紅い花が美しい。

 

2時間ほど歩くと、さっそく他の巡礼者たちの姿がちらほらと見え始めた。

皆一様に巨大なバックパックを背負い、寝袋を括りつけ、ボロボロの登山靴で歩いているので一目で見分けが付く。

追い抜き際、目が合うと笑顔で挨拶された。

「Buen Camino!(良い巡礼を!)」

これが、この道を歩く人々の合言葉だ。

 

このカミーノ・デ・サンティアゴの道には世界中から人が集まってくる。

スペイン、フランスなどヨーロッパからが大半だが、アメリカや中南米からわざわざやってくる人もいる。

最近では、大病を患ったドイツ人のコメディアンがこの道を歩いたおかげで病気が治ったと話題となり、ドイツと韓国では彼の書籍が大ヒットし、巡礼が一大ブームとなっているらしい。

 

歩く理由もまた人それぞれ。皆、敬虔なキリスト教徒で、さぞかし悲痛な面持ちで歩いているのだろうと思いきや、近年はもっぱらレジャー化し、自分探し、ギャップイヤー、失業中のひまつぶし、小学生の修学旅行、リタイヤ後の人生を考えるため、美しいスペインの自然や食文化を楽しむため、スポーツ感覚で…と、人によってバラバラ。

中にはお金も仕事も無いため、巡礼路を幾度も往復しながら他の巡礼者からのほどこしだけで生きている強者もいる。

聖地とは言え、その懐に飛び込んでくるのは、決して巡礼者だけではない、ということだ。

 

このように、国籍も言語も歩く理由も年齢もバラバラなこの道で、

「ブエン・カミーノ!」というあいさつだけが、すべての巡礼者の共通項。

この言葉一つで、巡礼者と巡礼者は出会い、つながってゆく。

 

何組かの巡礼者たちを追い越した後、一組のカップルに出会った。

セザールとアンヌ。アンヌはフランス人だが、セザールはメキシコ人だ。

セザールがパリの大学に留学中アンヌに出会い、現在はパリとメキシコシティで遠距離恋愛中の二人。セザールは敬虔なキリスト教徒らしく、アンヌが来年メキシコに移住する前に、ぜひ一度は、と巡礼を決めたらしい。

巡礼の道は、地球の裏側に住む恋人たちをも結びつける。

巡礼3日目①
休憩中のアンヌ。「休む時はできるだけ靴を脱いだほうがいいわよ!」と教えてくれた。

 

16時半ごろ、次の村であるholloniros del caminoに到着。初日は足慣らしの意味もこめて、20kmに留めた。

石畳の小道沿いに家々が並ぶ、小さな小さな村だ。

一つしかないアルベルゲに到着し、巡礼者の証であるスタンプをクレデンシャルに押してもらう。

宿の外では巡礼者たちが、めいめいに道路に座り込み、一日の疲れを取っていた。

 

テレビもインターネットもない。携帯電話の電波も通じない。

するべきことは歩くこと、そして休むこと。それだけだ。

 

思考を遮るものがひとつもないこの場所で、巡礼者たちはひとりひとり、これまで自分が辿ってきた道、そして、これから歩いてゆく道について思いを馳せる。

大都会でのめまぐるしい生活の中で隠れていた思考が、だんだんと呼び覚まされる。自分の内面に深く潜る時間。

この道は、そんな空白の時間に満ちている。

 

日が落ちると、スペインの夜は急激に冷え込む。震えながらシャワーを浴びる。運悪く、水しか出なかった。仕方がない。もう少し大きな街ならいくつかグレードの高い巡礼宿もあるが、ここは小さな村なのだ。4ユーロで泊まれるだけでもありがたかった。

疲れた身体に斬りこむように、冷たい水が染み渡るが、それでも、日中の火照りを溜め込んだ肌には気持ちが良かった。

共同寝室のベッドのマットレスは硬かったが、身体を横たえると、初日の慣れなさに張り詰めていた緊張の糸がほどけ、ころがり落ちるように深い眠りについた。

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スペインらしい、小さな家々が並ぶ村。数軒の店と宿しかない

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スペイン巡礼記 1日目:聖地を目指す

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1日目①

「みんなと同じ」強さがほしい

早朝のマドリッド。セントラルバスターミナルからのろのろと這い出した、スペイン北部行きの長距離バスは、まだ寝ぼけ眼の灰色の街をすべり抜け、郊外へと走りだした。

30分もすれば、大都市らしい街景色はぽつりぽつりと途切れ始め、だだっ広い荒れ野原が顔を現す。

 

スペイン巡礼の道は、フランスのサン・ジャン・ビエ・ド・ポルトから始まり、聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで続く、いわばスペイン版「お遍路」だ。今回は都合で20日余りの滞在期間しか取れなかったので、ちょうど巡礼路の中腹地点、聖地から500kmの地点にある、ブルゴスの街から出発することにした。

 

ただ歩くだけではない。スペインといえば、たくさんの世界遺産を抱える国。名だたる世界遺産や宗教建築、風光明媚な土地を、巡礼者たちは通り抜ける。巡礼といっても、ただストイックなだけの旅ではない。

 

しかし、そうは言っても今回の旅の目的は、自分自身を見つめることにある。

もう来年は、パニック障害になんかなりたくない。ちゃんと「みんなと同じ」ように就職活動がしたい。ちゃんと就職できる、強い自分になりたい。

自分にとってこの旅は、強くなるための処方箋みたいなものだ。

この時はそう思っていた。

 

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中世の王都ブルゴス

バスは午前11時過ぎ、出発地であるブルゴスに到着した。

 

ブルゴスは、中世のカスティーリャ・イ・レオン王国の首都として栄えた街。

中世の王都の威厳を、今でも街並みのそこかしこに残している。その代表が、街を囲む城壁と、旧市街の入り口で巡礼者たちを迎える荘厳なサンタ・マリア門だ。世界史好きにはたまらない街だろう。

 

街の中心となるのは、世界遺産にも指定されているカテドラル(大聖堂)だ。

昼過ぎともあり、街にはほとんど人影がない。マドリッドの喧騒と排気ガスにまみれた街並みがまるで嘘のように感じられる静けさの中、白亜の大聖堂は青く澄み渡った空をバックに、天に向かってのびやかに聳え立っていた。よく手入れされた外壁が、太陽の光を反射し輝いている。きっとこの街は何百年も前から、無数の巡礼者たちの信仰を受け止めてきたのだろう。

 

さっそくアルベルゲ(巡礼宿)に向かい、クレデンシャル(巡礼証明書)を発行してもらう。巡礼者の身分を証明し、格安で巡礼宿に泊まれる、パスポートのようなものだ。

 

門前は多くの巡礼者たちでごったがえしていた。その場に居合わせた欧米人らしき女の子の二人組が、どこかそわそわして落ち着かない。もしやと思って声をかけると、やはり今日が一日目で、この街からスタートすると言う。チェコ人の女の子、アニーとクララ。年齢は18歳。高校を卒業してすぐギャップイヤーを取り、アルバイトでお金を貯めてカミーノに来たという。二人とも、英語もスペイン語も全く話せない。

高校や大学卒業後、働かずに一年ほど海外を旅したり、好きなことをして過ごすことをギャップイヤーと呼ぶ。欧米の若者の間ではありふれた文化だ。

いいなぁ。その歳で巡礼の旅を経験できるなんて。しかも、全く言葉の通じない異国の地にいきなり飛び込むなんて。自分が18歳の時は目の前の受験に必死で、自分の好きなことをして過ごすなんて思いつきもしなかった…と、素直に彼女たちを眩しく思う。

言葉が通じないので、お互い身振り手振りで会話をする。言葉も、身分も歳も離れてはいるが、この道では同じ場所を目指して歩く、貴重な仲間だ。

 

クレデンシャルを手に入れて宿を後にした。街を見守るように囲む城壁をくぐり抜けると、そこはもう聖地に向かう巡礼路だ。黄色いペンキで描かれた矢印が、アスファルトの上に点々と描かれている。巡礼者に、正しい道であることを指し示す、唯一の目印だ。

未来を目指す、黄色の矢印。これからどんな旅が始まるんだろう。

荒野へと続くアスファルトの道に、第一歩を踏み出した。

巡礼1日目3

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スペイン巡礼記 イントロ②:もう自分探しでもいい

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rikunabi

大企業のオフィス・エントランスで突然、動かなくなった私は「パニック障害」と診断された。

 

答えの出ない問いが、心臓から溢れて全身を毒するかのようだった。

いや、その予兆はずっと前からあったのだ。就活を始めるずっと前から。

ただ、無視していただけだ。

「私はやれる」という傲慢さだけで。

 

就活を辞めた事を、家族に言えなかった。

毎日、リクルートスーツで出かけては家の近所をうろついた。

(リストラされたお父さんって、こんな気持ちなのかな)とぼんやり思いながら。

 

ある日の朝、憂鬱な気持ちでリビングのテレビをつけると、NHKの「おはよう日本」で、パニック障害についてのニュースをやっていた。

テレビ画面の中では、モザイクをかけられた女性が、体育座りで部屋の隅にうずくまっている。

その女性は就職活動中にパニック障害を患い、以後7年間、外出できなくなったままだと語った。

「おはよう日本」どころか、「絶望日本」だ………。

自分もこの人みたいになるんだろうか。
モザイクをかけられた体育座りの彼女が、自分のみぞおちにも居座っているような気がした。

 

携帯のメールにもミクシィの日記にも、友人たちからの内定の報告が次々に並んでいた。すでに外資系の内定をもらっている友人からは、「お疲れ様飲み会しよー^^」と、空気読む気ゼロのメールが入っていた。まるで、4月1日を過ぎて内定の無い人間など、この地球上に一人もいない、と言わんばかりの。

どれにもこれにも、サクラ色の絵文字がたっぷりと散りばめられている。

自分の花道を、自分で祝うように。

 

溝に落ちるマリオは、落下する瞬間、地上で動き続けるクリボーたちをどんな気分で眺めるんだろう。

 

だれもが乗れるエスカレーターに、私だけ乗れない。

そのことが私を絶望させた。

 

もう「自分探し」でもいい

 

そんな中で、スペイン巡礼に旅立つ事を決めたのは、だから、全くのやけくそだったのだ。目の前で皆が楽しそうに乗っている動く歩道に乗れず、どこにも行けない自分を慰めるための、ただの逃避旅行。

それでも、なぜ「スペインを歩く」という突飛な行動に惹かれたのかというと、世界一周中に出会った韓国人の宗教学者、金さんの言葉が、ずっと心に残っていたからだ。

 

金さんは40年以上前に来日し、東京大学で学んだのち、四万十川をフィールドワークしながら古今東西の聖地を研究し歩いている。現在はソウル大学に在籍している。
ボロボロの服装からはとても大学教授には見えないが、それでも、自分の研究について熱心に語る彼の目には、世界中を歩きまわって得た豊かな知性が確かに溢れているのだった。

 

その彼に「最も感銘を受けた場所はどこですか」と尋ねた時に帰ってきた答えが、スペインの巡礼路「カミーノ・デ・サンティアゴ」なのだった。

 

キリスト教の三大聖地の一つ「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」。その、スペイン北部の聖地を目指し、フランス南部の開始地点から、約1000kmにも及ぶ道を歩く、いわばキリスト教版「お遍路」。

中世に始まったその道は今なお世界的に人気で、子供からお年寄りまで、毎年3万人を超す巡礼者が、険しい山や谷、荒野を越え、最終ゴールである「サンティアゴ大聖堂」一点のみを目指し、歩く。

 

彼は言った。

「人生と旅の荷造りは同じ。いらない荷物をどんどん捨てて、最後の最後に残ったものだけが、その人自身なんですね。歩くこと、旅することは、その「いらないもの」と「どうしても捨てられないもの」を識別するための作業なんですよ。私の人生は残り長くてあと20年くらいだけど、その間にどれぐらい、要らないものを捨てられるかが、『自分が何者だったか』を決めるんです」。

 

私が最後まで捨てられない、大事な荷物って一体なんだろう?

 

 

今の自分を捨ててしまいたい。

 

就活、パニック障害、くだらない虚栄心、役に立てられなかった学歴。

要らないものを抱え込み、ぱんぱんに膨らんで、身動きの取れなくなったこの自分を。

 

そのために今できることと言えば、その道を歩く事以外にないような気がしたのだ。もしかしたらこれは、自分探しという名の「逃げ」かもしれない。でも、そんなことを悩む余裕はなかった。

 

もう自分探しでもいい。日本の狭い家で膝を抱えているよりは、全然自分と関係のない場所で、いらないものを捨ててしまいたい。

 

余計なものをそぎ落として、最後に残る「核」みたいなものを見つけられたら、他のことはどうだっていい。せめて就職できなくても、ダメな自分でも、人生だけは捨てたくない…。

 

そう思って、私はスペイン行きを決めた。

20日かけて聖地までの500kmの道のりを歩く、「カミーノ・デ・サンティアゴ」の旅に。

一日目に続く)

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スペイン巡礼記 イントロ①:エスカレーター乗れない記

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巡礼イントロ

 

『人生と荷造りは同じ。旅の間にどれだけ要らないものを捨てられるかが、“自分は何者だったか”を決めるんだ』

—或る韓国人宗教学者の言葉

 

 

2008年の4月1日。

就活生にとって最も多くのドラマが起こるこの日、私は就職活動をやめた。

 

就活失敗からスペインまで

 

12時50分。午後イチ面接10分前の時間帯。

東京・丸の内のとある大企業の、エントランスへと続くエスカレーター前で、私の足は突然、動かなくなった。

 

目の前で、何の変哲もないエスカレーターが、ごうんごうんと音を立てて上がってゆく。

これに乗れば、一流企業の証・大理石の黒光りする巨大なエントランスホール。

多くの就活生が殺到する、人気企業だ。

私はそのピカピカのエントランスの受付けで、サイボーグみたいな笑顔の受付嬢から「訪問者」の名札を受け取って、面接の会場に向かう予定だった。

 

しかし。

それを目前に、私の足は今、まるで石膏で固められたようにぴくりとも動かない。

 

何故かは分からない。

去年の10月からずっと着続けているリクルートスーツの襟足から、夏でもないのにだらりと汗が吹き出す。

平凡なデザインの、やや履き潰されたマルイの就活パンプスは、相変わらず地面に接着して、私の意思を無視し続ける。

 

なんで動かないんだよ。動け。動け。動いてよ動いてよ動いてよ。あと3分で入館証を貰うでしょ、最上階の面接会場まで3分でしょ。待合室でエントリーシートのコピーを見直して、トイレに行って身だしなみを整えて、完璧な笑顔を作るでしょ、そして人事が来るのを待つんだよだから困るんだよ今動いてくれなきゃ。動いてよ動いてよ動いてよ…。

 

焦る気持ちとは裏腹に、私の脳と足の神経は、ぶつりと切り離されたままつながってくれない。

 

頭は一番イヤな想像を作り出す。

私の後ろにはきっと、午後イチで訪社した会社員たちが長蛇の列を作り、突然動かなくなった就活生に苛立ちを募らせているに違いない。

(早く乗れよ)能面のサラリーマンたちの大合唱が背後から聞こえる。

社員の首から下げられたピッカピカの社員証は、レーザービームの如き光を放ち、愚鈍な私を嘲笑っている。

 

妄想の最中も、黒色のステップは誰も載せず、淡々と機械的なスピードで上がってゆく。

就活生憧れの、あのオフィスエントランスに向かって。

一秒、一秒、また一秒。タイムリミットが近づいてくる。ここで乗らないと、あの面接会場に辿りつけないんだよ。私の未来が詰まっている、あの面接会場へ。

 

焦りがピークに達した私はエスカレーターに自分の身体を無理やりねじこんだ。とにかく、一歩前へ、踏み出さなければ…!

まるでガムテープで巻かれたように、ガチガチにこわばって動かない股関節が、その命令を無視した。

右足のかかとは上昇してゆくステップを掴み損ね、バランスを崩した身体はダーン!と派手な音を立て、おもいっきり転倒した。

ああ…やっちゃったな…。

 

起き上がり、後ろを向く。無表情の大人たちが列を作って立っている。

つま先から血の滲んだ膝小僧まで、ストッキングはくっきりと、滑走路みたいに完璧な一直線を描いて破れていた。

情けなさがあふれ出て、私の涙腺はパンクした。

 

それからどこをどうやって、あの迷路のような丸の内の地下通路を帰っていったのかは分からない。

携帯電話には、人事から着信が3件、入っていた。

無理もない。最終面接の予定をすっぽかしたのだから。

 

==

私はこうして就活をやめた。エスカレーターも電車にも、それ以来怖くて乗れなくなった。

カウンセリングルームでは、「パニック障害」という病名が付けられた。

 

なぜそうなったのかは、自分でも薄々感じていた。

これが何のしっぺ返しなのかも。

 

一言で言うと、それまでの私は「チョーシ乗ってた」のだ。

 

無敵のエントリーシートは実は白紙

慶應大学の3年生だった私は、交換留学の試験に受かり、カナダの大学で一年間学んだ。フランス語も英語も話せた。そのまま世界一周をして22カ国を巡り、翌年の秋に帰国した。

当時は就職バブル。一年先に就活をした同じ学科の同期は、電通やANA、外資コンサルなど、華々しい就職先が決まっている。私も当然、同じような進路に進むのだろうと思っていた。

12月には第一志望の企業のインターンがあった。多くの就活生が殺到する、人気のインターンだ。それに受かれば、面接のショートカットが約束されていた。優秀な仲間だってできるだろう。そう考え、嬉々として応募した私は合格し、事実、一ヶ月の楽しい時間を過ごした。

 

 

(自分は無敵のエントリーシートを持っている)そう、信じて疑わなかった。

大丈夫でしょ。

留学したし。

TOEIC950点だし。

インターンだってしたし。

 
 

しかし、その企業でチューターとして就活の相談に乗ってくれていた人事の女性は、そんな私の気持ちを見透かしたように、その後会うたびに同じ質問をぶつけてきた。

「小野さんは、本当は何がしたいのかな?」。

今思えばこの女性に感謝すべきなのかもしれない。ただ、当時エベレスト級の自尊心をふりまわしていた私には、その女性の問いの真意は図りかね、煩わしささえ感じた。

何がしたいかって?一流企業の内定が欲しいんですよ。決まってるじゃないですか。

 

心のなかでそう思いながら、同時に湧いてくる得体の知れない不安を押し殺しながら、その人事の女性に何度も会った。だんだん、会うのが苦痛になっていった。

 

要するに、私は何かを目指しているようで何も目指していない、典型的な頭スッカスカの、身のない就活生だったのだ。

ここから自分が仕事探しに鬱々としはじめるとは、まったく思っていない、身のない就活生………。

に続く)

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