どこにも行けなかったころ#1 上野のハプバーにて


 

20代前半のころ、上野のハプニングバーに行ったことがある。

友達に漫画家のI先生と飲んでるから来ない?と呼び出されて、行ったら上野の有名なハプバーだった。

感受性がまだ、火傷によってズル剥けた皮膚のようにヒリヒリとして、敏感な頃だったので、私は怖いという気持ちと、私、どうにかなっちゃうのかなというドキドキした気持ちで薄暗い廊下の隅の扉を叩いた。

入り口で、身分証を見せ、女性は無料ですと言われて入った。

どんなミステリアスな場所だろうと思っていたのだが、入ってみたらガッカリした。だだっ広い場所に、数席のテーブルとソファー席があって、店内は相手の顔が見えないほど暗かった。照明を落とした、ただのカフェとかバーのような感じだった。一つだけ違うのは、そこにいる人々が、服を着ていたり、裸だったり、半分裸だったりすることだ。

しかし、裸の人間が積極的に絡み合っているかというとそういうわけではなかった。そこにいる皆が皆、壁際に佇みながら「そこで何が起きるのか」をずっと観察している。観察すらしていない人間もいた。彼らはただ裸ん坊になりながら困っていた。衣服という壁だけは取り払ったものの、そこから先どうしていいのかわからないと言った顔で佇んでいた。裸なのが、却って彼らの心理的な距離を際立たせる気がした。目の前にある、透明な分厚いこのプラスチックの壁を、壊してよ、誰か、僕に興味を持ってくれた人間が、そう彼らは言っているようだった。

そのうち友達同士が、フロアの隅にある、セックスをする用の小部屋に行ってセックスし始めたので、私たち一緒に来ていたグループの人々は、それを狭い小部屋で車座になって眺めた。

小部屋はひどく湿っぽくて、体液の臭いがした。目の前で起きていることを、全くエロいと思わなかった。ただグロいと思った。

触ってごらんと言われて触ってみたが、女の子の局部は黒く茂っていて、全く何がどうなっているのかわからなかった。童貞は大変だなと思った。自分の持ち物でさえこうなのだから。

そのあとで、その女の子が、「小野さんは見当違いのところを触っていて全く気持ちよくなかった」と言っていて、すみません、と思った。

そのうちそれを見て興奮した同じグループの男性が手を引っ張ってきたので、私たちは隣の部屋に入った。興奮していなかったかといえば嘘になる。けれどそれは性的な興奮ではなくて、異常な空間で何が起こるのかを期待する怯えと、自分を高みにおいてそこから他人の泥にまみれた行為を見下ろす、何も差し出すことのない、吝な傍観だった。

男は隣の部屋で私を押し倒し上にのしかかってきた。私はされるがままになっていたが、二人きりになった途端に心は冷凍庫に放り込まれたみたいにかちかちに凍り始めていた。

異常な状態なのに、興奮しない、私は一生、何にも興奮ができないのではないかと思った。

男は別に服を脱がすわけでもキスをするわけでも胸を触るわけでも局部に触れるわけでもなく、転がっている私を抱きしめながらポエムのようなものをずっとつぶやき続けていた。手がねっとりと汗ばんで気持ちが悪かった。この男もまた勇気がないのだなと思い、足で蹴飛ばして、部屋を出て、元いた席に戻った。男はなんだかほっとしたような嬉しそうな顔をしていて、私はその男を馬鹿じゃないかと思った。そして、自分のことも大馬鹿だと思った。

私は別に、知らない男とセックスしたいわけじゃないのだなと思った。

性的な場所にいるからといって、性的な存在になるわけではない。

また、セックスしたからといって、寂しくなくなるわけではない。

寂しさは会話によってしか埋まらないのではないかと思う。

会話ですら埋まらない最後の一筋の穴を埋めたような気持ちになるために、人はセックスを使うのではないかと思う。

そこにいる人たちは、決して部屋の中心には立たず、誰かが自分の隙間を埋めてくれるのをひたすら待っているように思えた。

彼らのことを寂しく感じ、同時に自分も、寂しいから、来たいのかどうかわからない場所に誘われれば来てしまうのだなと思った。

Iさんは、セックスするわけでも、女の子を口説くわけでもなく、ただ酒を大量に飲んでニコニコ笑っていた。Iさんはいい人だった。

4時間ほど居て外に出た。

外に出ると、明け方4時の上野の街は店に入った時と変わらずギラギラと青白い光を放ち、そこを通る人間の目を全力で刺し続けていた。

私は、何かを隠すために光り続けているものもあるのだなと思った。


11月3日(祝)12時〜旅行家の吉田友和さんと、ランチつきトークライブ「一周したけどスペインが好き! スペイン巡礼×世界一周トラベラーのトーク&ランチイベント」


《お知らせ》

11月3日12時より、麹町のメゾン・セルバンテスにて、旅行家の吉田友和さんと、ランチつきのトークライブを行います!
題して、「一周したけどスペインが好き!
スペイン巡礼×世界一周トラベラーのトーク&ランチイベント」
吉田さんといえば、私が学生時代に世界一周した時、彼の著書「してみたい!世界一周」を参考にさせてもらったぐらい憧れの著述家さん。
そんな方とお話できるなんて夢みたいです。
メゾンセルバンテスのランチは美味しいしボリュームもあり、めちゃくちゃお得!
ぜひみなさま、ふるってお越しください!

♪♪♪
「一周したけどスペインが好き!
スペイン巡礼×世界一周トラベラーのトーク&ランチイベント」

「10日もあれば世界一周」など数多くの著作を持ち、いかに短期間で遠くの国でも旅ができるかを極め続ける、世界一周旅行家の吉田友和さんと、7月に「人生に疲れたらスペイン巡礼 食べ飲み歩く800kmの旅」を発売し、スペイン巡礼路の魅力を発信する、エッセイストの小野美由紀さん。

二人とも世界一周の経験者でありながら、「いろんな国を見たけれど、やっぱりスペインが好き!」と言い切る二人。

そんな2人が感じる、アンダルシア、マヨルカ島などのスペイン各地、また、南米や中米などスペイン語文化圏の魅力、さらには、新たな旅行スタイルとして世界中でブームの「カミーノ・デ・サンティアゴ」=スペイン巡礼の旅の味わい方について、余すところなくお伝えします。

ランチコースはスペイン巡礼の道にちなんだスペシャルメニューとワインです。※コーヒー付き

終了後にはお二人のサイン会もございます。

見て聞いて味わう、楽しみのたっぷり詰まった充実の2時間です!

「スペイン巡礼の道」ランチを召し上がりながら、お二人のトークをお楽しみください。

第一部
・小野美由紀さんトーク
「スペイン巡礼は、美味しい!カミーノ・デ・サンティアゴの歩き方」

・荷物は体重の10分の1
・ワインがタダで飲み放題?
・いらないものを捨てる旅
・巡礼路は恋の道。街コンならぬ”道コン”?!
・安い!うまい!巡礼グルメ

・吉田友和さんトーク
「世界三周!ラテン三昧の旅」

・中南米旅行なら世界一周がお得
・ここは行きたいラテン旅先ベスト5
・週末アジア旅でもラテン気分
・闘牛と生ハムメロンから知るスペイン
・バルセロナから足を延ばそう!

第二部

小野さん×吉田さん対談
「世界一周したけど、スペインが好き!」

トーク終了後

・書籍販売会とサイン会

【開催概要】
11月3日(祝)11:30~受付 12:00~スタート 14:00終了予定

会場:市ヶ谷「メソンセルバンテス」
アクセス:
市ヶ谷駅より徒歩4分
麹町駅より徒歩4分
四ツ谷駅より徒歩7分

定員:先着46名様(お一人様の参加も歓迎いたします。)
参加費:お一人様4,000円(トークショウ、コースランチ、ウエルカムワイン、税込)

お申込みはメソンセルバンテス
03-5210-2990
メールでのお申込み
cervantes@spainclub.jp

~小野美由紀さんプロフィール~

小野美由紀(おのみゆき)
1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。
学生時代、世界一周に旅立ち22か国を巡る。就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。
その後3度に渡り全800キロの道を歩く。
卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。
クラウドファンディングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を出版。
2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、話題を呼ぶ。

現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

~吉田友和さんプロフィール~

1976年生まれ。出版社を経て2002年初海外旅行にして夫婦で世界一周を敢行。
2005年に旅行作家としてデビュー後、国内外を旅しながら執筆活動を行う。
著者に「3日もあれば海外旅行」(光文社新書)、「世界一周デート」(幻冬舎文庫)、
「自分を探さない旅」(平凡社)、妻・松岡絵里との共著に
「初めての世界一周」「世界も驚くニッポン旅行100」(ともにPHP研究所)などがある。

新進気鋭の旅行作家として注目されています。

皆様のご参加をお待ち申し上げております。

以上

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
直輸入20年の信頼と実績 スペインワイン&グルメの専門店
蔵元直送のハイクオリティーワインを取り揃えています。
http://shop.spainclub.jp/

スペインクラブグループ
銀座、月島、麹町、門前仲町の店舗ご案内
http://www.spainclub.jp/
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「若いね」って言われたら、嬉しい?


 

若いね、と褒められることに最近喜びを感じなくなって来た。

昔は「若いね」と褒められると、この人は私に「フレッシュな魅力を感じてくれているのだな」と思い、嬉しかったが、

今は、「若いね」と言われると、

「年相応の貫禄や社会的な責任のある人間」のようには見られていないのではないか、という懸念がよぎる。

お世辞で言ってくれているのかもしれないが、それはそれで「若いと言っておけば、喜びそうな女だ」と思われているようで、腹が立つ。

「若いのにすごいね」などと言われるよりも、

「年齢にふさわしい貫禄と、社会的な責任を負った大人の女だね」と言われたい。

そう思うのは、単に私がその領域に関して現在コンプレックスを感じていることの裏返しなのだが、

どちらにしても、若さを単にほめられるよりは、年齢にともなった人生の蓄積を先に褒められたい、まだこれだけしか生きていない、ではなく、すでにこれだけの人生を生きてきた人だ、ということを認めた上で話してほしい、という気持ちのほうが先行する。

それに、そう褒めた人が、若さをやたら懐かしがっているようなそぶりを見せたりすると、

若くないと人生を楽しめないと言われているようで、そっちのほうが心の裏地にちくちくとささる。

初対面とか、すくなくとも年齢を問うような浅い関係性においては、自分のことよりも、相手の人生観のほうが、大事だ。

最近、ある男の人と知り合って、恋愛風のムードが漂ったのだが、

「若いね」「ほんとに30歳?」「見えないね」と相手がひたすら連呼するので

気持ちがしゅるしゅると萎えてしまった。

男性は女性を褒める時に(また、女性が男性を褒める時にも)とりあえず容姿と年齢のギャップを褒める、という定石のようなものがあるが、

若さに価値を置いていない人間を相手に、その人の若さを褒める事は、逆に自殺行為だ、と思う。

日本にはアイドル好きに代表されるような、若さを称揚する文化があり、それに対して社会的に「大丈夫かな」とは思う(「幼さや未熟をアピールする事で、相手の手をゆるめさせ、ある種の牽制を相手に与える」という日本的な戦術は国際社会では通用しなくなりそうな気もするし、一歩間違えると危ういのでは」という懸念を感じる)が、それを無理に変えて欲しいとか怒ったりするつもりはない。「女性蔑視では」と怒るつもりもない。(だって、日本の女性だって若くて幼い男子が好きだ。高倉健ファンの若い女性より、韓国アイドルが好きなおばさまが多いのを見ても明らかだ)

ただ、私は若さで勝負をしたくない、という気持ちが今は強い。

銀座の高級クラブで働いていた時に、いろいろ教えてくれたお姉さんたちは、みなでっぷり太って貫禄があった。

なんていうか、「美人」とか「かわいい」からはほど遠いのだが、ばんと張った腹の上に、たっぷりとした乳とふくよかな頬が並び、きりっとしててきぱきと業務をこなしているのを見ると、なんていうか、どっしり地面に根を張った太い木の幹の内側から漂ってくるつややかさがあって、私はつい、お客さんよりもお姉さんたちのほうを眺めてしまっていた。

山崎ナオコーラさんの小説「かわいい生活」に

「女としての魅力ではなく、社会人としての魅力をアップしたい」というような趣旨の言葉があるが、

わたしも

「年齢を重ねた人としての魅力をアップしたい」

と切実に思っている。

そのためには、とりあえず「初めての相手にこちらから電話をかけられるようになる」とか、クリアしなきゃいけないことが、たくさんあるのだけど……。

 

文章のクセ、コミュニケーションのクセ


IMG_4876

文章教室を開講して2ヶ月。

今のところ、週に3回のペースでお申し込みをいただいている。

思ったよりもいろいろな層の方に受講していただいていて、ハローワークで職を探している人から、大きな企業の社長さんまでいろいろだ。

やっていて思うこと。それは、

“文章の悩みというのはそれ単体では存在せず、その人の人生の悩みと直結している”

ということだ。

文章は、いうまでもなく、書き手自身の人格と直結している。

その人の見ている世界、その人の暮らし、今の生活状況、コミュニケーションの仕方。

人格だけではない。対面で坐した時の、その人の喋り方、姿勢、声のトーン、話すときの文法の癖。それらはすべてリンクしている。

たとえば、読み手にとって共有されるべき情報をはじめから共有せずに、いきなり前提をすっぽかして書き始めてしまうような人がいる。そういう人は、会話においても、他者の視点が抜けていることが多い。

また、主題がはっきりせずに、だらだらと際限なく長い文章を書いてしまう人。そういう人は会話においても、いつまでたっても述語が表れずに区切りなく話し続けてしまうクセを持っている。

このように、その人が持っている文章の癖や、うまく書けなくて悩んでいる部分というのは、そのまま、その人の生き方のクセや、もしくは他人とのコミュニケーションにおける、つまづきの表れであることがとても多い。

本当は、自分に自信が持てない、だったり。

部下に相談したいのに、できない、だったり。

やりたいことがなくて焦っている、だったり。

その人の抱える悩みが、紙に印刷された、文字列の上にそのまま透けて見えることがある。

(もちろん、私にもある。私の場合、自分が言っていることが相手に伝わっているか、どうしても自信が持てないので、ついつい蛇足的にダラダラ言葉を重ねてしまう。その結果、余計なことを言ってしまう事が多い。原稿を書く時には、その事についてかなり注意するようにしている。)

 

とあるクライアントで、初対面の第一声からタメ口で話しかけてくる40代の男性がいた。失業中で、ハローワークに出すエントリーシートの書き方を教えて欲しいと言う依頼だった。

最初は「(自分よりも)若い女だと思って、舐めてるのかなあ」と思いながら講義を行っていたが、提出された文章を読み、話をするうち、彼の「他人全般に対する舐め」が、彼の人生におけるつまずきを作り出しているんだなぁということがよくわかった。

彼の文章は、いうまでもなく、他人に甘えていた。内容が甘えているということではなく、書き方自体が甘えている。べちゃべちゃとしていて、他人と距離が取れていない文章。“相手はもちろん、自分を理解してくれている”という前提で書かれているから、当然、読み手は困惑する。まるでドアもない家を、買うとも言っていないのに押し売りされているみたいな気分になるのだ。そのことを、気づいてもらう必要があった。

このように、 話し方の癖、文章の癖と、その人のコミュニケーションの癖というのは直結していて、それらを総合的に見てゆくと、この人が一体何につまずいているのか、というのがおのずと見えて来る。

 

私はカウンセラーではないから、その人のつまずき全部を取り除くことはできない。また、一回の講義で、コミュニケーションの癖を直せと言ってもどだい無理な話だし、むしろ癖なんかあって当然で、それがその人の個性でもあるから、全部を直す必要もない。また、たとえ文章が下手でも、不思議と相手に伝わる文章というのもあるから、「てにをは」などの文法をびっちり矯正すればいいというわけでもない(エントリーシートなどの場合は別だけど)。

ただ、「他人に伝わる文章を書きたい」と願う時、自分のコミュニケーション上のクセを知っておく、というのは、かなり有効だ。

だから、私が講座の中で行っているのは、提出された文章と、目の前にいる人のすべてから、その人の、文章を書く上でのつまずきに直結している部分を分析して、 それをその人自身に気づいてもらえるよう、促すことである。

 

時々、必要だと感じたら、クライアントに発声練習をしてもらうことがある。

発声して、自分の声を聞く事で、これまでどれだけ自分の声が閉じていて、相手に届かないものであったか、また、自分の話し方の癖について、気づく事があるからだ。

たぶん、やらされている本人は最初は恥ずかしいと思うが、講師としてはこれがいちばん楽しい。

 

声を出してもらううち、ふいに、その人の頭の後ろから、爽やかな風が吹き抜ける瞬間がある。

声がお腹の底から通ってくる感じ。自分の声を聞きつつ、相手に届けるために、迷いなく声を出せている瞬間。

そんな時のクライアントの顔は、さえざえとして、緊張や不安のない、落ち着いた表情をしている。

その時の感じを思い出しながら文章が書けたら、”じぶんらしい表現”になるのではないかと思う。

 

 ===

お知らせ 9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。

 


ネットワークビジネスの洗脳イベントに潜り込んだ話


古賀史健さんの、「騙される人の共通点」という記事を読んで。

私もつい最近、次の書籍のために、とあるネットワークビジネスの洗脳パーティーみたいなのに潜入取材してきたんですよ。

いったいどんな人たちが来ていて、どういう感じで取り込まれてゆくんだろう、と思って行ったんですが・・・。

まず、それが渋谷のクラブで行われるクラブイベントであることに驚き、さらにそれが真っ昼間に行われることに驚いた。

そして、意外なことに、来てるのはみんな、20歳から24、5歳くらいの、お金を持ってない感じの子たちなんですよ。どちらかというとコミュニケーションが苦手な、大学の1学期に友達づくりに失敗してしまっていそうで、でも一応は会社や学校には所属していて、暇と友達作りたい欲をもてあましていそうな子たちなんです。

「お金持ってない若者を狙うのか〜」と思ってたら、主催の人が出て来て、最初に煽るのが「老後の不安」なんです。「みんなこのままじゃあと50年後はやばいぜ!」って。で、そっから「老後に悲惨な思いをしないためにはつながりを作って日本を変えていこうぜ!」とかなんとか、音楽のパフォーマンスの合間のMCで言う訳。「老後の不安」「つながり」「日本を変える」がこの会の黄金キーワードらしく、そのあとも繰り返し繰り返し繰り返し言われ続けるわけです。

特に一番最後に出て来たDJの人の語りがやばかった。

「俺はぁ〜!

3年前まで売れない役者だったけどぉ〜!

この会のおかげでこうして舞台に立てるようになりましたぁ!

みんな〜〜!! 夢を叶えるために必要なことって何か知ってるかぁ〜〜〜!

それはぁ〜〜〜………

  …

  …

  …   

 

 

つながりダァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」

 

 

…吐きそう。

で、あとはその場で半強制的に「つながり」を作らされる。

ああ、こうやって会員を増やしているんだな、って思いました。それぐらい今の若者で「つながり」に不安を持っている人が多いんだな、そういうぼんやりうっすらした不安から来る「友達つくらなきゃ、つくりたい」っていう欲、「でもどうしたらいいかわからない」っていうグルグルの中にこの人たちは自分のビジネスをはさみこんで少しずつかっさらってゆくんだって。本来なら人に言われてするようなことじゃない、確立した道筋みたいなのがない物事について、でもまあ、仕組みに任せちゃえば安心、みたいな気持ちから、亀裂にはまり込むんだな、って。

そのクラブのVIPルームには、ビジネスの代表みたいなのがいるらしく、30分並んで入ると、そこには“しょぼい松岡修造”みたいなのが陣取っていて、そのまわりを若い子たちが3周くらい取り巻いており、しょぼ松岡はキラキラ光る白い歯を見せながら

「俺みたいなクラスの自由人になるとぉ〜、年に5、6回はハワイいっちゃうからっ!見てこの日焼けの色!これじゃ会社員無理っしょ!」とかなんとかひたすら「ハワイ、ハワイ、ハワイ」自慢、それを若い子たちが目をキラキラしながら聞く、という構図が延々と続きたいへん胸クソ悪くなった。肌の色と仕事関係ねぇ〜〜〜!!!!

しかし、この胸のむかつきはなんだろう、老後に不安があるのは事実だし、たしかにつながりは大事、そして日本には問題がたくさんあり、変えて行かなければいけないことは分かり切っているし、ロジック自体は間違いではない、でも彼らに言われるとなんだか底なしの胃のむかつきのようなものがおそってくる。べつに彼らは騙しているわけでは決してないし、このイベント自体だって、参加するのは来場者の選択だ。でもなんだか、「老後不安」→「つながり大事」→「だからここでつながろう」のあいだにはすんごくいろいろなものがスルーされて取りこぼされている気がする。しかしここに来ている人々はみなすごく不自然な笑顔でうんうんとうなずき素直にMCを聞いている、まるで、笑顔と素直さがこの場の通行手形であって、そうであらないとなにか大きなものから取りこぼされてしまうみたいな緊迫したものが彼らの身体から漏れていて、わたしはなんだか見ているうちになんだか悲しい気持ちになってしまった。

 

この悲しい気持ちとむかつきの正体を、うまく書けるときがきたら書こうと思う。

IMG_2516

===

お知らせ

9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。


9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。


淡路さん写真4

(写真提供:淡路愛)

9月3日(木)   19:30 ~に、「旅の本屋のまど」さんにて、新刊のトークイベントを行います。

スペイン巡礼の魅力について、スライドショーをつかいじっくり解説するほか、他の巡礼者の方をお呼びし、貴重なフランスパート(ル・ピュイからサンジャンまで)についてもたっぷりお話しします!

ぜひ皆様、お越し下さい。

 新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」発売記念

◆小野美由紀さん  スライド&トークショー◆

「スペイン巡礼旅の楽しみ方」

———————————————————————-

新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」(光文社新書)の発売を記念して、ライターの

小野美由紀さんをゲストにお迎えして、スペイン巡礼旅の魅力についてスライドを

交えながらたっぷりとお話していただきます。カトリック三大巡礼路のひとつ、カミーノ

・デ・サンティアゴ。スペインはもちろん、イタリア、フランス、東欧諸国まで、世界中の

さまざまな国の人々がこの道を歩くことを目指して旅していて、最近は巡礼路を歩いて

旅する日本人も急増しているのだとか。本書は、就職活動に挫折し、スペイン巡礼を

体験し、その後3度に渡り全800キロの道を歩いた著者が、アウトドアとしても、旅として

も面白く、信仰を問わず誰にでも開かれている「スペイン版お遍路」の醍醐味を伝えた

旅エッセイになっています。実際にスペイン巡礼路を歩いて来た小野さんが肌で感じた

「歩き旅」の貴重な体験談が聞けると思います。小野さんのファンの方はもちろん、

スペイン巡礼路に興味のある方や歩き旅に興味のある方はぜひご参加ください!

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

————————————————————————

●小野美由紀(おのみゆき)

1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。学生時代、世界一周に

旅立ち22か国を巡る。就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。その後3度に渡り全800キロ

の道を歩く。卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。クラウドファンディ

ングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を

出版。2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、

話題を呼ぶ。現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

◆小野美由紀さんブログ

http://onomiyuki.com/

———————————————————————–

007

(写真提供:淡路愛)

【開催日時】  9月3日(木)   19:30 ~ (開場19:00)

【参加費】   900円   ※当日、会場入口にてお支払い下さい

【会場】   旅の本屋のまど店内

【申込み方法】 お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、

 お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627

 e-mail :info@nomad-books.co.jp

 (お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)

  ※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】

 旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)

 東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F

 http://www.nomad-books.co.jp

  主催:旅の本屋のまど

 協力:光文社


病んでないとモノなんか書けないというのは嘘だし、病んでるだけではモノは書けない


先日、取材に行ったゲイバーで、同席した人から、

「病んでなきゃ、文章なんて書けないでしょ?」と言われた。

本当にそうだろうか?

個人的な経験から言うと、これはもう、病んでいない時の方が確実に文章は書ける。
モノを書くという行為は半分以上が技術だ。配管工事とか、プログラミングと同じだ。
病んでる配管工が上手にペンチを使えるとも思えないし、プログラマが病んでたら頭がぼうっとして正確にプログラムを書けないだろう。

だから、モノを書いているときはできるだけ心が安定しているほうがいい。気分が良く、朗らかなときのほうが、あきらかに筆が進む。

毎朝、7時くらいには起きて、7時半には本郷三丁目のスターバックスの窓際の席にいる。
この時間が一番好きだ。
店内には人もまばらで、窓から見える景色はまだ薄暗く車もあまり通らず情報量が少ない。
外部刺激のない状態で、黙々と書ける。窓の外の景色を吸収して心はりんと冴え、道路の上の白線とおなじくらい混じりけのない状態に、自分の内部がだんだんと変化してゆく。

病んでいる人に、書くと言う行為は必要かもしれないが、
書くためには病んでいる必要があるわけではない。
また、病んでいるからといって書けるわけでもない。

書くためには、自分の「病み」を俯瞰する能力が必要だ。
どうやって他者と共有できるか。人が面白いと思う形にするか。
病みを俯瞰できる能力があるということは、半分くらい「病まない」ことを意味しているから、
病みを俯瞰し続けるうちに、少しずつ病まなくなってゆく。
書くことに病気を癒す作用があるとしたらそのためだと思う。

病んでいないと、文章なんて書けない、は嘘だ。

ただ、病みを俯瞰するためには、孤独が必要だと思う。
わいわいがやがやとにぎやかな状態で、病みを静かに俯瞰することは難しい。

だから、書くためには孤独でかつ正常な状態に自分をいかに持って行くかが重要だ。

孤独と、病みと、正常な状態。

その3つをグルグル回ることが、文章を書くという行為なのだと思う。

あくまで、個人の意見だけど。

 

IMG_5426

駅のホームも、静かに心を見つめて文章を書くのに適している。

 

 

===

お知らせ

9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。


明日、新刊が出まーす!「人生に疲れたらスペイン巡礼 食べ・飲み・歩く800キロの旅」(光文社新書)


新刊の内容

7月17日、2作目(絵本を入れると3作目)の著書である「人生に疲れたらスペイン巡礼 飲み、食べ、歩く800キロの旅 (光文社新書)
」が出ます。

早いところだと、もう書店さんに並んでいるようです。

image

 

3回に渡り歩いた、「スペイン巡礼路(カミーノ・デ・サンティアゴ)」の魅力がたっぷりつまった本です!

image

カラー写真を多数掲載し、巻末にガイド資料(全行程の高低差マップ・おすすめアルベルゲリスト・持ち物リスト)を添付。
わたし以外の体験者のコラム(一人旅、カップル旅、強行弾丸5日で完歩!旅)など、いろいろな方の体験もぎゅぎゅっと詰まった素敵な本になりました。
帯コメントは、恐縮ながらもジャーナリストの佐々木俊尚さんにいただきました。

傷口から人生を読んでくださった方・また、ブログの読者の方へ

 

今回の本は、主題がスペイン巡礼ということもあり、傷口から人生にも書いたエピソードと重複するエピソードもいくつか出てきます。(といっても総量で言うと234ページ中20ページくらいですが)

 

同じ内容を二度書くことにかなり迷いはあったのですが、新書と文庫のエッセイでは、読者層が大幅に違うため、新しい読者にも知ってほしいと思い、熟慮の末に入れました。とはいっても、表現は変えておりますし、ほんの一部なのですが、前作を読まれた方で、小野美由紀の本をもう一冊読んでみよう!と思われている方、もし、重複がどうしても気になるようであれば、今回の本はスキップしてもらってもよいかもしれません。

 

今回の本は、私の文章の感じを気に入ってくださっている方、ブログや前作を気に入ってくださっている方向けというよりも、純粋に

 

・スペイン巡礼に興味がある
・旅行本が好き!

 

という方にオススメです。

 

特にスペイン巡礼路のガイド本としては、絶対の自信があります!
これまでたくさんスペイン巡礼に関する本が発売されていますが、最新の情報という意味ではこの本がベスト!と言い切れます。

 

なにより、
元時事通信のジャーナリストの淡路愛さん、ポーランド人フォトグラファーのadamikoさんの写真がとても美しいです!!

 

歩く旅のススメ

 

スペイン巡礼の道に興味がなくても、歩く旅の体験本としても本書はおすすめです。
個人旅行が当たり前になった昨今ですが、「歩く」という超個人的な体験をわざわざ選択するのはなぜ?!
歩くことで何が得られるの?!という話が織り混ざっています。
また、歩くことに焦点を絞ってはいますが、スペイン北部の美食ガイド、巡礼路周辺の都市ガイドとしても役に立ちます。

 

スペイン好きな方、生涯に一度はカミーノ!という方、ぜひお手にとってごらんください!

 《内容紹介》
【佐々木俊尚氏 推薦!!】
「これこそが、サバイブの時代の旅だ。
要らないものを捨て去り、最後に残る自分を発見する旅」<内容紹介>
もしあなたが、長い人生の中で、数日間もしくは数十日間を個人的な楽しみのために確保できるなら。
または、人生につまずき、絶望しているのなら。
もしくはお金をなるべくかけずに行ける、刺激的な旅先を探しているのなら――。迷わず本書を手に取ってほしい。
(「はじめに」より)
カトリック三大巡礼路のひとつ、カミーノ・デ・サンティアゴ。イタリア、フランス、もちろんスペイン、東欧諸国まで、
さまざまな国の人々がこの道にやってき、その数は増え続けている。
100キロから証明書をもらえ、全ルートは800キロ。ガリシア地方にある大聖堂を目指す。
やるべきことは、たったひとつ「歩くこと」。
アウトドアとしても、旅としても面白い。信仰を問わず誰にでも開かれているこの道の醍醐味を伝える。<目次>
第1章 スペイン巡礼とはなにか
1-1 カミーノ・サンティアゴ7つの魅力
1-2 スペイン巡礼基礎知識
1-3 巡礼の費用と持ち物

第2章 わたしの巡礼
2-1 緑の山脈を越える、肉体の道
2-2 草原をひたすら歩く、頭の道
2-3 ゴールに向かう、魂の道

第3章 自分らしい巡礼路を楽しむために
3-1 巡礼路は一つではない
3-2 美食のスペインを味わい尽くす

<著者プロフィール>
小野美由紀(おのみゆき)
1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。学生時代、世界一周に旅立ち22か国を巡る。
就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。その後3度に渡り全800キロの道を歩く。
卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。
クラウドファンディングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を出版。
2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、話題を呼ぶ。
現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

 


あなたのそれは何色


IMG_2488
先月の中旬ごろ、お気に入りの水色のカーディガンを、とある飲食店に訪れたさいにうっかり忘れてしまい、後日、確認の電話をかけました。

しかし、電話に出た店員さんの答えは
「水色のカーディガンの忘れ物はありません」。
いやおかしい、どう考えてもあの店にしかないはず。勘違いの可能性もあるかと思い、JRの忘れ物センターやら、その日訪れたほかの場所やらに電話してみたけれど、やっぱり見つからない。
しばらく諦めムードになっていたのですが、もう一度だけトライしてみようと思い、再度、電話でカーディガンのその他の特徴を伝えつつ、店員さんに確かめてもらったんですね。
そうしたら
「水色のカーディガンはないけど、灰色のカーディガンならあります。ブランド名は×△○※……」
………それだ!!!!!
私にはどう見ても水色にしか見えないものが、他人にはグレーに見える。
少し前、例のドレスの画像がSNSで出回ったとき、「ふーん」とたいして気にもとめなかったのですが、我が事となると驚きは大きい。
人の認識する世界の色って、全然違うんだなぁと、驚いたわけですが、でも、これ、たぶん仕事上でもしょっちゅう起きていることですよねぇ。
「数日以内に仕上げます」の数日って、「2〜3日」なのか、「3〜4日」なのか。
「気持ち、巻きでお願いします」の「巻き」ってどんくらいなのか。
今、一緒に仕事してる編集者さんは、私に負けず劣らず感覚人間なので
「気持ちポップめに」
とか
「エグく、かつキャワな感じで」
とか、2人ともようこれで通じ合えるなと思う単語で仕事してるのですが(書いててバカっぽいぞ)
そういうのって奇跡的に噛み合ってるだけで、ホントは細部まで詰めようとしたら言葉がいくらあっても足りないですよね。
このカーディガンの件も、最初に私が色だけでなくて、形はこうで、ブランドはこうで、生地は……と、細かく説明していたら、一発で通じたかもしれない。

ここで、話は変わるのですが、私は今、西崎憲さんの小説教室に行っています。
その時に、西崎さんが、小説の諸要素について、こんな風に説明してくださいました。
「主題が内臓だとしたら、プロットは物語の、骨。ストーリーは、肉。で、描写は皮膚。読者に見える部分、“何を見せるか”“どう見せるか”。詩性は装飾ですね」って。(ざっくりとまとめるとこんなかんじ。実際はもっと丁寧かつ違う言い方でご説明されてました)
はー、そっか。
小説の中の“描写”って、もともと、異なる感覚を持っていることが大前提の他者と、わたしの覚えた感覚を、共有するために、必要な機能なんだ。
それによって、私たちは、もしかしたら2万光年遠くに住んでいる相手とだって、感覚を共有できるかもしれない。
で、かつ、西崎さんは「描写」についてこんなことをおっしゃいました。
「みなさん、小説で描写をするときには、頭の中にあるイメージを言葉で表現しようとしますよね。
そう、し終わった後に、ちょっとだけ待ってください。
あなたのその描写を、世界的に有名な文章家が、読んだとして、その彼が、あなたの頭の中にあるイメージと同じものを想像するかどうか。
そう、ちょっと考えてみたときに、彼のイメージとあなたのイメージが一致するだろうと思える言葉が、いい描写です。」
なるほどなあ。
たしかに描写って、やっているほうは、頭の中に浮かんだイメージに、ついついのめり込んで没頭して書いているから、あまりその場ではふりかえらないんです。
でも、ふと傍観してみた時に、
「この描写や例えは、人に共有されるかな?」と考えてみることって、人になにかを伝えるためには、必要なのかもしれません。
頭の中の世界と、外の世界の一致。
私がブルーと言った色は、あなたにとってもブルーなのか、それともグレーなのか。
小説を書く、という行為は、ひょっとすると、世界(に含有される、ものすごく多くの他者)と私との感覚が、一瞬でも一致する点を、言葉の上でかぎりなく詰めてゆく作業なのかも。
そう思うと、わくわくしてくるなぁ。


冬の薔薇より豚バラ


スクリーンショット 2015-04-18 21.48.41

エッセイが出た。
タイトルに「就活」と入っているので、就活関係の取材がやたら多い。
その中でも最も聞かれて困るのが、
「今の就活がどれだけ苦しくて、学生を圧迫するのもので、理不尽で制度として破綻しているか」を自らの経験として語らせようとする質問だ。
私の本は、2009年当時、就活がピークとなる4月1日、最終面接の五分前に、リクルートの丸の内サウスタワーのビルへと続くエスカレーターに乗る目前で、パニック障害を起こして転倒してエスカレーターに乗れなくなるところから始まるので、そういう質問が来るのは仕方ないかもしれない。
けれど、私は別に「就活」がなくなってほしいとは思わない。
むしろ、その仕組みの中で内定を勝ち取れるのはすばらしいことだと思う。
中川さんの「内定童貞」に書かれているように、面接の中で自分の武器を、めいっぱい発揮できる人もいるだろうし、楽しく就活を終えられる人もいるだろう。
そういう人にとっては、この上なくいい仕組みだと思うし、もし今自分が大学3年生に戻って、就活をもう一度するとしたら、たぶん、ふたたび就活の仕組みに乗るだろうし、そして内定も取れるだろう。(たぶんね)
でも、やっぱりどうしたって世の中には載れる仕組みと載れない仕組みがあって、もしも自分がその仕組みに載れなかった場合、「載れない」ということを理由に命までおとしてしまう人がいることは、聞いていてやはり、どこかおかしい、やるせない、と思ってしまう。
これは、就活にかぎらず、世の中のすべての仕組みに言えることだと思うけど、その仕組みがどんなに素晴らしい仕組みであろうと、あまりにも「載せる圧力」が強すぎると、それだけで、いろいろなものが潰れていってしまう。その潰れてしまったものの中に、小さくてもきらきらした、あまりにも良いものが、あったとしても。
私の絵の先生は、よく
「人の能力を伸ばすには、『冬のバラ』方式では限界があるんです。」と言っている。
冬のバラは、春に美しいバラを咲かせるために冬にわざと枝葉を削ぐ。厳しい環境においてそれでも新しい芽を出したバラは、より強く、美しい花を咲かせるのだ。
けれど、
「それだけじゃだめなんです。その方式で育てられた人には限界が来ます。人間は命ですから。
人を伸ばすということは、水をやり、枯れた葉は取ってやり、日が強ければ日陰をつくり、支えて、伸びたい方向に枝葉を伸ばせるように支えて、やっとその人の花が咲くんです。人を伸ばすというのはそういうことです。
自分の才能を開花させられる天才というのは、自分に自分でそうしてあげられる人のことなんです」
私はその話を聞いてから、ずいぶんとラクになった。

これを読んでいる、就活生のあなた。いや、就活生に限らないかな。

就活のすべてが悪いとはまったく思わないけれど、就活の仕組みが、あまりにもあなたの枝葉の形にそぐわず、あまりにもがちがちに縛ってしまって、もう二度と、伸びることすらもかなわないほどに命を削ぐような気がしてならないのなら、そこから少しの間でも、逃げていいのではないか、と思う。
もし、その仕組みがあなたにとって本当に必要であれば、たぶん少しの間を置いて、その場に戻ってくるだろうし、
その間に、自分で自分の枝葉を伸ばす方法を、誰かと一緒に、あるいはひとりで、考える時間をもっても、いいのではないか、と思う。
あかるいひざしを浴びて、ひなたぼっこでもしながら、さ。


蛸とシャンデリア


rectangle_large_717cf895c93b008a5b74c3ac090ab85b

私が銀座の高級クラブでバイトをしていた時、Kさんというお客さんがいた。
Kさんは、ものっすごく、顔が怖い。スキンヘッドに、剃り上がった眉毛をいつもしかめている。道で会ったら、飛び退くレベルだ。
そんなヤクザみたいな見た目だけど、うちの店に来れるくらいだから、たぶん、堅気だ。
70歳のママが仕切るうちの店は、銀座で40年の老舗だった。そのためか、“お姉さん”もお客さんも年季の入ったツワモノばかり。60代はざらで、80代、90代の引退した政治家や経済界のトップもごろごろいた。二十歳になったばかりの私にとって、もくもくの煙草のけむりと、シャンデリアのぎらぎらの光に包まれたそこは、得体のしれない妖怪たちの巣食う城で、日々冷や汗を流しながら格闘していた。

Kさんはそのうちの一人、65歳のお客さんだった。

Kさんのセクハラは豪快だ。
初めて会った日、まだ店に慣れない私が隣に座ろうとすると、いきなり無言でぐわしっとお尻をひっつかんできた。
私はそのとき、まだまともに男性とお付き合いしたこともないおぼこ娘だったから、ぎゃーっと叫んで飛び退いた。
Kさんは「へっへっへ」と笑うと、
「男にケツさわられてビビるようじゃ、銀座じゃとてもやってけねぇな」と、予め私の敗北を見透かしたような事を言うのだった。
「セクハラのコツはよ!女が席について、会話が始まらないうちに、いきなり手えつっこんでおっぱい揉むんだよ!そうすれば怒られねぇんだよ」と、つるつるの頭を真っ赤にして、ニヤニヤしながら言う。
「女の子はヌーブラしてるじゃん。どうするの?」と聞くと 
「ヌーブラの中に、指を入れるんだよ」と言う。
そんな、サイテーのヤツである。
しかしKさんは、見た目と上辺の言動に反して女の子たちには優しく、私がライターの火の長さを見誤ってうっかりKさんの鼻を燃やしそうになったときも、全く怒らず、へらへら笑っていた。
Kさんは何の仕事をしているのか分からないが、うなるほどお金を持っていて、いつも一人で深い時間にふらりと現れた。その横には、この店で3番目にキャリアの長い、50代の“お姉さん”のナツヨさんが、丸太のような身体をソファにみっしりと詰め込んで座っていた。
高そうな着物で簀巻きにされたナツヨさんの胴体は、鬆がなく、むっつりと肉に満ちていて、女の私でも触りたくなるような、ふかふかとした肌をしている。透き通るような白い顔に、真っ赤な唇がちょんと乗っている。
プライドの高いベティー・ブープと、歳を喰ったポパイ。
この2人は20年来の付き合いなのだと、私は白髪頭のママに聞いた。
その時の私は、結婚もしていない男女が20年もどういうわけで連れ添えるのか(しかも、店の女と客という関係で)まったく想像しがたくて、とかく、この世に起こる事は不思議だらけだな、と、目の前で繰り広げられる、時に甘やかで、時に意地汚い男と女の世界を外側からぼーっと眺めつつ、自分はそこに混ざれなくて、必死に水割りを作り続けていた。

そのKさんがいつも出前で頼むのが、銀座「たこ八」のおでんだった。
「たこ八」は夜の店で人気の出前店である。明石焼き風たこ焼きとおでんを、客席まで届けてくれる。泰明小学校の近くに店舗があり、ちょいと飲むのには最適の店だ。
本来はたこ焼きの店だが、Kさんが寒い日に頼むのは、いつだっておでんだった。
ギラギラのシャンデリアの下に、あたたかそうな風呂敷包みが届く。
なよやかなちりめん友仙の風呂敷をほどくと、漆塗りの重箱の中に、ほかほかのおでんの具が、ぎっしり詰まっている。
つやっとした黄金色の汁が、シャンデリアの光をうけてきらきらと震える。その中に、真っ白な湯気を衣装のようにまとって並ぶ、ぷるぷるの具材たち。
Kさんは、テーブルについた女の子にも必ず「食べろ」と言ってくれた。遠慮する私に、ナツヨさんは「いいから」と、いつもの通りの無愛想さで割り箸をよこす。
ふわっふわのはんぺんに歯を立てると、じわあと汁があふれだす。
だしが喉をすべりおちる。こっくりとした鰹ぶしのうまみが、食道に染み込む。
肌理のこまかなちくわぶは、やわらかくて繊細だ。
これまでの人生で食べたことのないくらい、なめらかで味のしみわたった捻りこんにゃく。
厚揚げ豆腐のぷつぷつと粟立つ肌は、適度な弾力で歯を喜ばせる。
Kさんはそれをナツヨさんに「あーん」してもらう。
Kさんはこの時だけ、子供のような顔になる。
たこ八のおでんにはタコ串が入っている。「タコタコ、タコ頭」と言いながらKさんはそれをほおばる。湯気のせいで、Kさんのスキンヘッドは真っ赤に火照っててらてらと光る。共食いですねと言うとKさんはタコをほおばったまま、拳で肩をパンチしてきた。
銀座のお店で出前を取る客は多い。けど、私は高級官僚のお客さんがお祝いで取る豪華な寿司よりも、Kさんの頼む素朴なおでんのほうが、ずっとずっと楽しみだった。
店に勤めて3年が経った頃。
Kさんがガンになった。
半年ぶりに店に来たKさんはひどくやせこけ、髭は真っ白になっていた。
Kさんはそれでも、病気のことなどおくびにも出さず、いつものようにへらず口を叩きながら、ウイスキーグラスを傾ける。ナツヨさんはその横で、まるで何事もないかのように座っている。
いつも通り、たこ八のおでんが運ばれて来た。
「これ喰わなきゃよ、この店に来た気がしねぇよな」とKさんは笑う。「うちはおでん屋じゃないわよ」とナツヨさんは言う。
Kさんが急にいててて、と言って、身体をねじった。腰のあたりをおさえている。ガンが進行して、薬の副作用が出ているんだろうか。
激痛がKさんの身体を蝕んでゆくのが、目に見えて分かった。
顔をゆがめたKさんの頭は真っ赤だ。けれど、Kさんは何事もないかのように、おでん喰わせろ、と言う。
ナツヨさんは、心配するそぶりも見せず、おでんのちくわを一口大に箸で割いて、ふー、ふー、と息を吹きかけ、Kさんの口元に運ぶ。
店のヘルプの、ちょっとだけアタマのたりないAちゃんが「ガン〜!ガンなのにお店に来るなんてすごいですう、私、もし自分がガンになったらたぶんショックで寝たきりになっちゃう」と、場をぶちこわすようなことを言ったけれど、ナツヨさんはAちゃんを、いつもヘルプが粗相をした時にするみたいにぎろっと睨むわけでもなく、黙ってKさんの口元におでんを運び、背中をさすり続けている。

Kさんの顔がよりいっそう険しくなった。
脂汗をながして、ぎゅっと目をつぶる。目尻の皺がいちだんと深くなる。
Aちゃんが、抜きすぎて砂漠の林みたいになった眉根を寄せて「だいじょうぶですかぁ〜?」と言う。
Kさんはそれを無視して、もくもくとナツヨさんが口元に運ぶおでんを食べる。
きっと、Kさんは自分の“痛み”よりも、“痛くてもここに通ってる”ことに注目してほしいのだ。

Kさんのふしくれだった手は、それでもお金持ちのおじいさん特有の、ほかほかとしたピンク色で、桜のでんぶを思わせるような赤い斑が、ところどころに浮き出ている。
私は、なんて声をかけてよいのかわからなくて、Kさんの手をそっとにぎった。
お客さんの手を自分から握るのは、それがはじめてだった。
Kさんは顔をゆがめたまま「おおきに」と言った。
Kさんの大阪弁を聞いたのは、それが最初で最後だった。

今も私は寒い冬には、たこ八ののれんをくぐる。
デートには向かない店だ。なんでこんな店知ってるの、と言われたらなんと答えたらいいかわからないし、男女の会話も似合わない。だから一人で来て、ちょっと飲んで帰る。本来はたこ焼きの店だから、一年中通えるんだけど、ここに来たくなるのは、いつだって冬の日だ。
おでんの湯気が、赤い壁を撫でるように揺れている。
その湯気の向こうに、私はKさんの禿げ頭を探す。

===
たこ八 数寄屋通り店 (たこはち)
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13007812/
東京都中央区銀座7-2-12
平日:18時~2時 土曜:18時~23時
夜10時以降入店可、夜12時以降入店可
JR新橋駅3分 JR有楽町駅6分 地下鉄銀座駅5分
#同時日記 #おでん 


4月9日(木)田房永子×小野美由紀トークイベント「女が病まずに生きるには?」@吉祥寺PARCOブックセンター


20150317160912

9日(木)漫画家、エッセイストの田房永子さんと、新刊出版記念にトークイベント・サイン会を行います。

田房さんは、非常に聡明な方で、男性中心主義社会の矛盾や、それによってもたらされる女のジレンマについて、とてもわかりやすく、仕組みを描き出すことのできる作家さんです。

今回は、その田房さんがずっと追い続けているテーマと、傷口から人生に通底するテーマである「女が成年してからどうやって自己肯定感を得るか(病まないで生きられるか)についてお話ししたいと思います。女のと銘打っていますが、田房さんの新刊が男社会について書かれたものなので、男の生きづらさについても触れるかと思います。
個人的には田房さんの執筆活動のスタイルというか、どうやってあの個性的な作品群を生み出しているかに興味があるので、それについてもお聞きしたく思っています。
トーク後にサイン会も行います(人生初!)ので、すでに著書をお持ちの方はご持参いただければサインも可能です。

本屋さんでのイベントは初で、気持ちは春と相まりすでに飛び気味。どうぞよろしくお願いします。

 

日時:4月9日(木) 19時~
会場:パルコブックセンター吉祥寺店特設会場

【参加方法】

パルコブックセンター吉祥寺店にて、『男しか行けない場所に女が行ってきました』(1,200円+税 イースト・プレス 2月1日発売)もしくは『傷口から人生。』(580円+税 幻冬舎 2月10日発売)をお買い求めいただいたお客様に整理券を配布いたします。レジにて参加希望の旨お伝え下さい。

※ お電話でのご予約も承ります。(0422-21-8122 午前10時~午後9時)

※ 予定数に達し次第整理券の配布は終了いたします。

詳細はこちらをご覧下さい。