大学生活について


3月の終わり、大学、カタリバ、道塾と相次いで卒業式を迎えた。
大学生活の「仕舞い」をつける度に、自分がどんな道を歩んで、
いま、どんな自分としてここにいるのか、を何度も考えさせられた。
自分にとっての「大学生活とは」を、
社会に出る今日、ここで示しておこうと思う。
「人生打って出し」というのが、私が6年間を通じて得たひとつの答えだ。
確かに、一本道をまっすぐ進んでいける人、「自分はこれだ!」って決めて進んで行ける人はかっこいい。
でも、大学1,2年生の段階で「自分はこれだ!」が決まっている人って、そうそういないと思う。
私自身、大学6年までやっていたことを振り返ると、表面的には何にも一貫性がない。
もうそもそも、入り口からしてコケてたから。
第一志望に落ちて、行きたい大学に行けずに「ちくしょう、見返してやる」と決意して仮面浪人を始め、キャバクラで予備校の授業料を稼ぎつつ大学と受験勉強を掛け持ちするも、3ヶ月で体力的に挫折。
腐ってテキトーに選んで入ったサークルは本当に面白くなくて。
なんかもう、これがあるべき大学生活の姿なのか。あまりにもしょぼくないか。本当はもっと違うことがやりたいのに、と、エネルギーの使い道が見つからないことに憤りを感じ、溶鉱炉のように悪い熱を溜め込んだ心の蓋はがちがちに硬くなっていた。
で、ちょうど専攻選択のときに、「自分の中のフランス性を検証する」とかいうテキトーな理由をつけて、フランス一人旅に出た。
「とりあえず」のエネルギーのぶつけ先を、見つけてみたんです。いいかげんに。
そしたらそれがムチャクチャ面白かった。
よし、じゃあ次はもっと海外に長く行こう、と思った。
そしたら交換留学の制度があることが分かって、しかもフランス語だったから、選抜の倍率も英語と違ってめちゃゆるい。これはチャンス、と思った。
でも一年のうちに全然単位なんか取ってなかったから、やばい!ということで、2年は全力で勉強しました。
オールA取らないと出願資格にも届かなかったから。本当に勉強以外しなかった。
で、カナダに交換留学が決まったら、6ヶ月の休みが取れることがわかった。
じゃあ世界一周すればもっと広い世界が見られるじゃん、と思って、思い切って世界一周に旅立ち、インドからアルゼンチンまで、22カ国を周った。
で、帰ってきたら、日本の若者、特に高校生は、今まで見てきたどの国の若者より目が死んでて、ショックだった。
小学館の筆記試験で、ボロボロの寒い会場の中、悲壮な顔で列に並んでいる大量の同じ格好の大学生を見て、
「ライフイズビューティフル」のアウシュビッツの風景とダブって、
そこに、つい3ヶ月前には4WDで駆け回ってた、遮る物ひとつない広大なアルゼンチンの大草原がフラッシュバックしてきて、
なんで3ヶ月前は大草原の小さな家を地で行ってた自分が今やアウシュビッツやのん、と思ったらとたんにパニック障害を起こして泡吹いて倒れて、就活をやめた。
やめて、これからどうしよう、東京には大草原は無いし、もう自分は駄目だ、と思っていたとき、
些細な偶然からカタリバ代表の今村さんを紹介されて、
「カタリバ」の職員に誘われ、どんな仕事かも知らないままに飛び込んだ。
1年間、80校以上の高校に行き、高校生に向かって自分の思いをプレゼンした。
話を聞いて泣いてくれる子、16年間負ってきた心の傷を初めて打ち明けてくれる子もいた。
体育館のそこここで、生徒のそれぞれが他人に今まで見せたことのなかった感情を沸騰させる瞬間を、
毎日毎日見ていた。
カタリバの職員の任期を満了した後は、学生記者、ビジコン、憧れの出版社でのバイト、出版甲子園、とにかく何でも手を出した。多くの人に出会った。
全部、偶然チャンスが転がってきたときに、躊躇せずに「やります!」って自分から飛び込んだことだった。
それが自分にとって何の意味を持つのか分からなくても、
「次」のチャンスがあったら、いいかどうか判断する前に、飛び込んでみる。
自分にとって何がいいボールなのか、わからないうちは見送らず、なんでも打ってみる。
「自分には打つ姿勢がある」ことを明示し続ける。
「打つ姿勢」がある人のところにはどんどんボールが来ます。
自分はなんでもやる、なんでもやるからやらせてくれ、という姿勢さえ持っていれば、
それがいつの間にか、自分の輪郭を作ってくれるし、それを求めて声をかけてくれる人に出会わせてくれる、と思う。
それは縁とか運とか、そういうあやふやなもので、確証なんか全く無いけれど、
次の足場が見当たらずに「どうしよう」と思っても、谷底に落ちかけたタイミングで誰かがひょいっと拾ってくれる。
斉藤孝は「貧乏ノススメ」という本で、
若いころ、超ド貧乏で、仕事を選んでられないからとにかくなんでも引き受けていたら、いつのまにかベストセラー作家になっていた、と書いていました。
それと同じで、「心の貧乏性」でい続けて、とにかく貪欲になんでもやること。
「それ、自分がやりたいです」と表明するのは怖いし恥ずかしい。
でも表明し続ける。
他者に向かって胸襟を開き、自分のこころのうちをきちんと伝える。自分という人間の輪郭を明示する。
志とか、一本筋とかが無くても、恥じることは無い。むしろそんなものは無くたって、
目の前に転がってきたものを、柔軟に全部吸収して、いろんな世界を見てゆけば、
ひとつの世界にずっといる人には見られないような景色とか、
自分にしかない観点とか、色々なものを吸収してふくらんだ豊かな土壌とかを、自分の中で育ててゆけると思う。
だから、志とか、やりたいことが今は無い、というひとは、
チャンスを拾うことに、貪欲になってほしい。
同時に、自分の心のうちを開き、自分の気持ちを表明するのを恐れないこと。
人や社会と自分をごりごり擦り合わせて、常に発熱し続けること。
それが「次」を作るし、自分の輪郭を育ててくれると思う。
以上が、私が大学生活を経て得た小野美由紀という人間の輪郭です。
今の「自分」が、今後どう変容していくかはわかりませんが、
ひとまず、これらのかたちを私に与えてくれた6年間の生活の「仕舞い」として書きました。
これからもおつきあいのあるみなさん、離れていってしまうけれど、今まで私を形作ってくれたみなさん、
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。


レビュー:不登校からの出発


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学校カウンセラーである田中登志道さんの「不登校からの出発」を読む。

不登校児を抱える家族向けに、子供との接し方を説いた本だ。

本書が読者に対して優しく、そして温かいのは、不登校を、社会からの逃亡/もしくは生に対する無気力さの表れとして捉えず、むしろそれぞれの子供が、
一般的な両親が想定する進学→就職→結婚・・・といったステレオタイプなライフコースから外れ、その子なりの「独自の人生」を歩み始めるための「前段階」としてポジティブに捉えている点にある。
著者は「ひきこもり」という言葉自体をも、一般的なイメージ通りに語らず、カウンセラーとして多くの不登校児と格闘したナマの経験の上に、鮮やかに再定義している。

 


彼らの様子は「閉じこもり」または「たてこもり」と表現したほうがよいでしょう。
「ひきこもり」には意志が脱落しているイメージがありますが、「閉じこもり」には濃密な精神的活動がありますし、「たてこもり」には非常に強い意志が働いているからです。

 

 

彼は「ひきこもり」を、禅宗の修行になぞらえて捉える。

 

禅宗においては、修行を極めた禅者があえて自らを韜晦して世間から身を隠し、禅の境地をさらに深めようとする営みの事を「聖胎長養」といいます。
これはまさに「ひきこもり」を手段とした、自己をレベルアップするための努力です。
ひきこもらなければ、世の中から自分を遮断しなければできない修養もあるのです。

 

 

ひきこもりの子供たちが、自分がどう生きるかを追究し、彼自身のオリジナルな文化を作ろうと悪戦苦闘する様は、偉大なる精神史上の功績を残した禅僧たちに引けを取らない、と彼は述べる。

 

いうなれば、社会とアンプラグドでいられる「ひきこもり」の期間は、自ら成長することを止めた宙ぶらりんの状態では決してない。
むしろ、豊かな精神的葛藤の中、独り試行錯誤しながらアイデンティティを醸成し、次なる道を産み出すための修行の時間なのだ。

 

私自身、中学三年生の時に精神的に衰弱し、半年間ほとんど学校に行かない時期があった。自分が立派な不登校児であると自覚してからは、まるでこの世の終わりのような気持ちで日々、過ごしていた。知る限り、同じ学校で不登校の子供はひとりもいなかった。自分の人生は中学までで途切れるのだ、とばかり思いながら生きていた。
大人になってから、「実は自分も不登校だった」という人間にたくさん出会い、実は自分と同じ仲間がたくさんいたのだ、という事に初めて気付いた。
全国に不登校児は年間十二万九千人もいるのだから、前後の年代だけで考えても、実はひとつの学校につき、部活ひとつ作れるくらい、不登校の経験者は多いのだ、という事に気付いたのは、不登校を卒業してからだいぶ後のことだった。

 

自分が絶望していた“世界”は、じつは、気泡のように小さく淡いものだったのだ。
そんなシャボン玉みたいに小さな世界が、日本中の学校の、教室というこれまた小さな世界の中に、いくつも漂っている。
自分以外に仲間はいないと思いこみながら。
その思いこみの内側に、きらきら震える感受性をひっそりと培養しながら。

 

今、その時の気持ちを思い出そうとしても、全く思い出せない。
けれど、本書を読み、作者の不登校児に向ける温かい視線を感じるにつけ、実は自分が世界だと思っていた小さな泡沫の外側には、同じように温かいまなざしでその世界を支えてくれていた多数の大人がいた事に気付いたのだった。

 

保護者だけでなく、元ひきこもりや不登校だった本人たちにも読んでもらいたい本。

 

 


キャバクラのスカウトと、ラポールを築くこと


フランス文学ゼミの同期に、現在キャバクラのスカウトマンをしている友人がいる。
もともとはカウンセリングの勉強をしていて、六本木の高級カウンセリングルームで働いていたが、昨年、一転してスカウトマンになった。
彼は一日に街頭で100人もの女性に声をかける傍ら、
ナンパにいそしみ、Twitter上でナンパの実況中継をしていたりもする。
(彼の、ナンパした相手に対するつぶやきはかなり毒が強い。私は好きだが。)
今は、催眠術の勉強をしているそうだ。
彼の風貌は、通常私たちが抱くキャバクラのスカウトマンというイメージからはおよそかけ離れている。
「すれた」感じが全くない。
育ちのよさと学歴の高さが周囲の空気に漂い、インテリジェンスが漏れ伝わる人間だ。
実際、彼のスカウトには哲学がある。
「田舎から出てきたばかりの女の子をだますような真似は、自分は絶対にしない。
“働いてみたいけど、スカウトされて、なんてイヤだな”と思っている人に対して、このスカウトマンにだったら、お店を紹介してもらってもいいかもと思ってもらうことを目標にしている。」
彼は、これまで学んだ心理学のあらゆる技術を駆使してスカウトとナンパをする。
カウンセリングとナンパとスカウト。
その全てに共通する、最大の技術は
「相手とラポール(信頼関係のある対話)を築くこと」
だそうだ。
「ただ考える事は、“相手が何を求めているのか”、“今どうしたいのか”、それだけだ。
声のトーン、早さ、表情からそれを読み、それをしてあげること。
一瞬で見知らぬ相手とラポールを築くこと。
その精度を上げる事、それだけを考えて日々行動している。」
そのために、彼はスカウトの前に瞑想をする。
人と話したり、音楽を聞いたりして、相手と対峙するのに最高のコンディションにまで自分を高める。
服装に気を使う。非常に高価な、変わったデザインのブルゾンを着て、高貴な雰囲気を身にまとう。不思議な形の指輪をはめ、会話をしながら相手の目の前でちらつかせることで、注意力を散漫させる。
相手の心を読む力を鍛えるため、カフェで、となりの席のカップルの会話に耳を傾け、心の中で相手の声のトーンを追う。カップルの男のほうが、どうしたら女により好かれるか、微に入り細に入り分析する。
その修業を、彼は日々、続けている。
相手の中にとにかく深く分け入り、潜ってゆく。相手の心を知るために。
コミュニケーションを考えるとき、
私たちは
「伝える」
ことばかりに夢中になる。
けれど、本当は
「伝わる」
こと—
“伝達される相手”としてのじぶんの感度を高め、
相手の感性を引き受ける受信体に“なる”こと—
のほうが本質なのかもしれない。


生活水準が下がる事は「怖い」か—内田樹「邪悪なものの鎮め方」


敬愛する内田樹先生の新刊「邪悪なものの鎮め方」を、
やっと購入した。
飛びつくように読む。
その中の一編、「Let’s Downsizing」で、先生はこう語られていた。
「経済規模がどんどん縮小している今の時代においては、
人の暮らしにまつわるすべて、
つまり、行政や経済活動、そして消費は
どんどんダウンサイジングされるべきである。」と。
ちょうど先日、講談社の雑誌連載の取材を受けた時に、奇しくもそんなことについて話した気がする。
取材者は「東大生のノートはなぜ美しいか」の太田あやさんと、ダンディな雰囲気のFRIDAY編集者の方。
太田あやさんは、江国香織似の美人だった。
取材テーマは「若者の就職観の変化」。
なぜ、慶應の学生が押し寄せる一部上場の大企業ではなく、
ベンチャー企業で働く事を決めたのかについて尋ねられる。
一回目の就職活動をやめた時、同期の学生たちから口々にこんなことを言われた。
「大企業に就職しないで一体どうする?今の生活水準を下げられるのか?」
一緒に就職活動をしていた仲間は、多くが3年次にカナダに交換留学していた時の同期だった。
皆アメリカやイギリスの名だたる大学に留学し、当然のように
就活ランキングでは超トップ層の大手外資系証券会社や4大商社への就職を決めていた。
(中には、リーマンブラザーズやメリルリンチに内定していた人間もいた。
上記の発言は、この2社への内定を喉から手が出るほど欲していた友人たちの内の一人によるものだ。)
生活水準。
就職活動の時、だれもが露骨に、あるいは無意識下にそのことを考える。
あたりまえだ。誰も生活水準なんて下げたくない。
でも、逆に、
生活水準がこの先死ぬまで「右肩上がりでい続ける」ことなんてありうるのだろうか?
内田先生は書く。
「日本社会がこれから取るべき生存戦略は『ダウンサイジング』である。
何もかもが右肩上がりで増加することを想定した戦略はこれから通用しない。
それと同じく、『生活レベルはいったん上がると下げることができない』という“常識”は、
消費活動を拡大させ続けるための資本主義経済にとって都合のよい妄想でしかない。
生活レベルなど、本来ならいくらでも乱降下するものだ。」と。
本当にそうだ、と思う。
私にとっては、生活水準を下げることを「怖い」と思うことのほうが、ずっと、怖い。
それを怖れて、何もできなくなるほうが、よっぽどリスクである。
生活水準なんて、どうあがいても勝手に下がる時は下がる。
JALに関する報道を見ていて、まさに今みながそれを感じているだろう。
リスクを担うのが、大きな会社か、それとも個人なのか、その違いだけだ、と、思う。
今、生活水準を下げる事を怖い、と思わないのはなぜか。
それは、一緒に働く仲間の存在が大きい。
内田樹も若いころは貧乏暮らしで仲間の家に居候していたらしいが、
今、会社で一緒に働いている仲間たちがいれば、
生活水準が下がっても、どんなに困窮しても、助け合ってやっていけるのではないか。
みんな貧乏だけど、
「信頼」が担保になっているから、怖くない。
心のセーフティーネットが張ってある状態なので、不安なく、まっすぐに前を向いて働ける。
信頼のセーフティーネットが無い状態で生活水準が下がるのをおびえているより、
下がる事を「当たり前」として、みんなで肩を組み合ってずでんと構えているほうが、
ずっと、楽だと思う。
そして、この事に多くの若者が気付き始めているのではないか。
FRIDAYの編集者の方は、ここ数年の社会変化の中で、若者の「仕事に就くということ」への意識がどう変化しつつあるのかを知りたくてこの企画を立ち上げたそうだが、変わったとすれば、
多分そこだろう。


早稲田の煮汁、慶應の煮汁


早稲田大学のすぐそばで働き始めて4ヶ月。
慶應と早稲田、両方の雰囲気に浸かってみて、つくづく思う。
「早稲田生と慶應生は、やっぱり違う」と。
私が早稲田で一番のカルチャー・ショックを受けた経験は、
高田馬場のロータリーで地面に転がる「早稲女(ワセジョ)」を見た事である。
慶應ガールからすれば、女の子が寒空の下、
いくら酔っぱらっているからといって路上で寝るなんて
そんな、アンタ言語道断でしょ、という感じである。
あの時は、異世界の珍種生物を見たような気分になった。
それはともかく、
友人の早稲田生・S君は、
早稲田一の名物授業・自己表現論にて、大勢の学生の目の前で
「早稲田生は社会性がない」
と喝破したことがあるそうだが、
なるほど確かに、
早稲田生、慶應生それぞれが持つ「社会性」には、両者のカラーの違いが
にじみ出ていると思う。
早稲田生と慶應生のアイデンティティーを決定付けるもの、それはずばり
「立地」
である。
早稲田といえばご存知の通り、1年から4年まで全学年がすっぽり収まる巨大キャンパスである。
右を見ても早稲田生、左を見ても早稲田生。
早稲田周辺の飲食店に入れば、みごとに学生しかいない。年齢がそれより上の客はほぼゼロ。
そして、上京してきた早稲田生は大抵早稲田近辺に家を借りる。
当然徒歩通学。
電車なんか乗らない。
早稲田生が、学生だけに囲まれて一日を終えることは容易に可能である。
対して慶應の本丸は、3・4年生が過ごす、
大都市のど真ん中・三田キャンパスである。
そこで慶應生たちは、学生生活の後半を
汚辱ならぬ「サラリーマン性」に塗れて過ごすことになる。
まず、最寄り駅に降り立った瞬間から、慶應生は企業社会の洗礼を受ける。
JR田町駅周辺には言わずとしれた有名企業のビル群が林立している。
高田馬場のような、学生街の臭いは微塵もしない。
とにかく周りを見てもサラリーマンしかいない。
ここで学生は、息も絶え絶えにスーツの裾を引きずって歩く、
くたびれたおっさんたちの姿を見て過ごす。
この街では学生こそが「異邦人」である。
駅周辺で、学生ノリではしゃごうものなら、
しみたれた背広姿のおっさんたちからじっとりとした視線を浴びせられることになる。
かくして慶應生は、3年生になった途端、社会の冷や水を浴びせられてしょんぼりする。
その点、早稲田大学のある高田馬場近辺では、
学生世界に属さぬものといえば、
零細企業と風俗くらいしか存在しない。
これでは社会を垣間見る機会などあるはずもない。
さらに、
JR田町駅から慶應三田キャンパスまでに至る道のりは、
オッサン向けの飲み屋か定食屋ばかりである。
田町には、学生向けの手ごろな値段の飲食店は存在しない。
そもそも早稲田と慶應ではランチセットの単価が200円くらい違う。
慶應で、キャンパスから一番近くて学生が入れそうな飲食店は「洋麺屋 五右衛門」である。
(※ラーメン二郎は除く。あれは食べ物ではない。)
早稲田でランチに1050円のパスタを食べる学生はいない。
そんな奴は直ちに「贅沢病だ」と罵られるか、たかりの標的にされる。
そして、
スーツの群れに生気を奪われつつ、人ごみを掻き分けて
キャンパスにたどり着いた学生が目にするものといえば、
またしてもスーツの群れである。
三田キャンパスは常にスーツの学生で溢れている。
4月、日吉から訪れた新3年生が初めて三田キャンで目にするのは、
就職活動の渦中を戦う4年生の、リクルートスーツの大群である。
そして、4年がスーツを脱ぎ始める頃には、先輩から脅された3年生が早々とスーツに着替え始める。
かくして三田キャンパスでは一年中、スーツが主流なのである。
あー辛気臭い。
リクルートスーツに身を包んだ慶應生は、
田町駅前のサラリーマン御用達のかけそば屋に駆け込んでは、
ナビタイムを見ながら次の訪問先の企業の場所(たいてい銀座か丸の内か大手町)を確認しつつ、
隣の席でそばをすする自分と等身大のサラリーマンのくたびれた姿を横目で見ては、
「ああ、俺も老けたなあ」とため息をつくのだ。
このような要因により、オフィスビル群の谷間に掘られた養鯉所のごとく、
拝金主義と大人の社交性をまるまると超え太らせた慶應生が泳ぐ三田キャンパスは、
港区・中央区の巨大企業群の採用活動における格好の釣り掘りと化している。
かくして慶應生は、3・4年に上がってから急激に老け込むのである。
この違いを考えると、
周りに学生しかいない、学生のみによる学生神話の世界で4年間を平気で過ごす早稲田生が、
慶應生のような「すれた社会性」を身に着けるチャンスも皆目無く、
永遠のピーターパンよろしく7年も8年もキャンパスに居ついてしまうのも
まぁ、仕方のないことである。
というか、早稲田の幼児性も慶應の無駄な老けぶりも、
どっちもどっち・・・というのが、両者の本丸で時を過ごしてみての、感想だ。
そうは言いつつ、
早稲田生が4年間煮込まれる、ダシ強め・脂多めの早稲田の煮汁と、
慶應生が金にものを言わせて無理やり振りかけた
「社交」という名のスパイスが効いたスープ、
どちらも学生を4年間でたくましく育てあげるには良い環境ではあるなぁ、と
思うのだ。
以上の考察は、決して批判ではなく
両大学への愛から生まれたものなので、決して誤解なさらぬよう。
もし思うところあれば、ぜひコメントください。
ちなみに東大はどうかというと、学問という霊壁に守られたガラパゴズ諸島・・・
のようなイメージなのでよくわかりません。


「学ぶ」ことの意味—フォーラム「未来を作る教育のあり方」


1月17日、2030ビジョンが開催する第1回フォーラム「未来を作る教育のあり方」に、
パネリストとして登壇した。
フォーラム2
フォーラム3
ファシリテーターは、「Mr.ゆとり」こと、元文科省の寺脇研氏。
質疑応答の時間に、参加者の一人から、こんな質問が出た。
「自分は浪人中だが、今、受験をやめようとしている。
なぜなら、大学に行く意味がわからなくなったからだ。
例えば、なぜ関数を学ぶのか。学んで何の意味があるのか。
それがわからない。」
ごく普通の、20歳前後の若者だった。
自信の無さそうな態度を取りつつ、彼の口調には、
「自分がやらされ続けている行為の、意味の分からなさ」に対する強い非難が感じられた。
それは寺脇研氏への質問だったのだが、
思わず私は身を乗り出し、パネリストの机を越えて、彼に質問してしまった。
「キミは、何の意味があるのか、分かり切っていることしかやらないの?
勉強する意味がわからない。
みんな、そうだよ。誰だってそう思った事はあるよ。
でももし、
例えば、何の意味があるのかを分かり切ったことしかやらない小学生がいたら、
嫌じゃない?」
しかし驚くべき事に、
今の教育現場には、そんなたとえ話のような現実が蔓延しているらしいのだ。
内田樹の「下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)」
によれば、最近の小学生は、授業を受ける際、
まず初めに、教師に「学ぶ事の意味」を問うそうだ。
学ぶという行為自体の意味を問うのではない。
「それを学ぶ事によって、先生は僕たちに何をくれるの?
勉強することが僕たちにとってどんなメリットがあるの?」
そう、教師に問うのだそうだ。
つまり、彼らが差し出す、勉強という行為の代償として見合う価値を教師が提示できなければ、
彼らは授業をとたんに放棄する。
なぜなら、価値の提供が見込まれなければ、学んでも意味がないからだ。
彼らにとって、勉強は完全なる「等価交換」でなければ我慢ならないのだそうだ。
分からない事はやらない。
学びってそういうものなのだろうか?
学びというのは、今、ここにはないもの、
やがて彼方よりこちらに向かってやってくる未知の存在に、ある程度の期待を抱けなければ、
成り立たないものではないだろうか。
私たちはそれが「何」なのかは知ることはできない。
なぜならそれは「今、ここ」にないものだからだ。
学びというのは、そんな未知の存在に対し、
胸襟を開き、それが「なんであろうと」受け入れる姿勢を持たなければ、達し得ない。
そして私たちは、それが何であるのか、
それがどんな変化をもたらしてくれるのか分からずとも、
そこに期待をかけることができる。
学びによってもたらされる「何か」によって、ほんの少しだけ未来が変化する。
その変化を嗅ぎ取り、それを選択することが、私たちにできることの全てだ。
今においては単なる「可能性」でしかない、何千万分の一の未来が発する
ささやかで微弱な信号を受信する力、
その微弱な信号に触れ、琴線のように振動を起こす、過敏な受信体を体の中に持つ事が、
私たちが学びを選択し、学びから意味を受けとる
ただ一つの方法なのではないか。
意味が分からない事に期待をかける力。
今は分からない事でも、なにかある、何かをここから得てやる、
そんなふうに、未来の可能性を感じ取る力を育てる事こそ、
「学び」を与える立場の人間が、子供にしてやらなければいけないことだと、私は思っている。
フォーラム1
参加者は100人弱。
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懇親会は居酒屋ワンフロア貸し切っての大宴会に。