「“自分の仕事を考える3日間”の作り方」ワークショップ


 

「見ないようにすることは、凝視することとおなじ。」

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11月23日、西村佳哲さんの「“自分の仕事を考える3日間”の作り方」ワークショップに参加した。

わたしはかねてより、西村さんのファシリテーションの技術、ざっくりいうと『場創り』の方法論をなんとかして盗みたいと思っていたのだ。


 

最初に西村さんの存在を知ったのは、ことし1月の「自分の仕事を考える3日間」。

まれびとハウスの住人何人かが行くというから、何をやるかも知らず、のこのこと奈良まで着いていった。

 

そしたら、度肝を抜かれたのだ。

西村さんの、ファシリテーターとしての「在り方」、正確にいうと「佇まい方」に。

 

西村さんは、決して意気込まない。

司会をしてやろう、という、ありがちな緊張感とか、熱量とか、作為的なものは、彼からは微塵も感じられない。

 

ただぼけーっと、そこに「在る」ように見える。そうしながら、会場と一体化している。

無色透明な存在なのに、その在り方が、西村さんという「個」を確立している。

その在り方は、これまで見たことのある、ワークショップのファシリテーターとは、一線を画していた。

なんとかして、あの在り方を盗みたい。

そういうわけで、この会に参加した。

 

 

◆◇◆

 

西村さんがファシリテーターの心構えとして挙げていたのは、「場をけん引はしないこと」

それでいて、「主催者として、場をホールドし続けること」。

 

 

彼の『場創り』の捉え方は、『能』の構造に、とても近しい。

 

能はインタラクティブだ。観客との呼応により、舞台空間を作っていく。

すべて即興、リハーサルなし、一度きり。

 

その中でのファシリテーターの役割は「ワキ方」。

ワキは主役であるシテの思いを聞き出し、また、客席と舞台空間をつなぐ役割を担う。

シテと観客とのインターフェイスとしての「ワキ」。

 

その空間を握っているけど、支配はしない。参加者とゲストをつなぐ、透明な存在としての、ファシリテーターの在り方。

 

 

◆◇◆

 

 

今回のワークショップ中、

西村さんがおっしゃっていたなかでもっとも残った言葉、

 

それは

 

「見ないようにすることは、凝視することとおなじ。」という言葉だ。

 

「会場に困ったお客さんがいたり、自分の中で違和感を感じた時に、それをスルーせずにきちんと取り上げてあげることで、会場も『あ、なにごともなかったかのように過ごすことはないんだな』と安心する。」

 

そう、西村さんはおっしゃっていたけど、

 

実を言うと、私がそれを今回のワークショップで実感したのは、違う文脈でのことだった。

 

 

 

それは…

 

 

 

 

白状すると、うんこ漏らしそうだったんです。私。

 

 

◆◇◆

 

この日一日、風邪ぎみで、ずっとお腹の調子が悪かった。

 

会の後半で、実践ワークをやることになった。

参加者の中から希望者が、奈良のフォーラムでの西村さんの真似事をして、5分ずつくらい、司会者役をやる、という擬似体験ワーク。

 

こんな機会はもう無い、と思い、ここぞとばかりに手を挙げた。

お腹は超痛かったけど。

 

 

◆◇◆

 

 

私は本来、とても緊張しやすい。

 

どれぐらい緊張しやすいかというと、まれびとハウスのワークショップ「ラポールと身体知」の最初の主催のあいさつで、緊張しすぎてちびったことがあるくらいなのだ。しかも、第一回ならまだしも、第7回くらいで…。

 

緊張すると括約筋がゆるむ女。

笑い事ではない。

今まで数々の場面で人前に立ってきたが、どういうわけか、緊張し始めると、毎回ちびりそうになる。

 

人前に立つ時は、つねに括約筋との戦いなのだ。

 

今日はなお悪い。

尿意にプラスして、敵は便意なのだ。もう…なんていうか、ラスボスである。

 

自分の番が近づいてくる。お腹はどんどん痛くなり、

うんこが漏れてきそうな雰囲気が大腸のかなり下のほうに漂いはじめる。

みんなの前で、うんこ漏らしたらどうしよう。25の女が大勢の、(しかも何人かの知り合いがいる前で)うんこを。

スカートからツツーと茶色い液体が垂れる。その光景を思い浮かべるだけであたまがくらくらして、卒倒しそうになる。

 

あと2人で自分の番だ。

便の気配はますます強くなる。どうしよう、ヤツが近づいてくる。

どうしたらこの緊張を取れるんだろう、この緊張を緊張を緊張を緊張を緊張を…!

 

 

 

 

 

そう思っていた時、ふと、西村さんの言っていた

「見ないようにすることは、凝視するのと同じ」という言葉が思い浮かんだ。

 

 

 

 

 

そうだ。

 

そうなんだ。

 

私は今まで、自分の緊張を遠ざけようとばかりしていた。

 

いつもいつも、

 

「緊張しないように、緊張しないように」と考えることで、逆に緊張を凝視していた。

 

ないものにしようとすればするほど、そこに意識が向いてしまう。

 

会の最中、不自然な司会進行だったり、ゲストと司会者で噛み合っていない部分があったり、会を阻害するものがあったりする時に、それを「なかったことにする」のと同じで、

 

自分の中の不自然な部分をなかったことにするのは、それ自体がとても不自然なことだったのだ。

 

それに気づいたとたん、自分の中で意識が変わり、頭の中から、うんこの事は、とりあえず、消えた。

 

 

 

だったら今、代わりに私は、何を見ればいいんだろう?

 

 

私はなんで、今から司会をやるんだろう。

 

そう思って、会場を見渡してみた。

 

ああ、そうだ、ここにいるのは、みんな、この会を楽しみに来ている参加者たちなんだ。

 

だったら私のするべきことは、

 

会場を楽しませること、

たった、それだけじゃないか。

 

そう思った瞬間、淡雪のように緊張がすっと消えた。便意も。

 

そのまま、最初は参加者全体の雰囲気を、次に、西村さんの雰囲気を感じ取ってみた。

 

前の質問が長引いて、だんだん疲れてぐったりしてきている会場の雰囲気。

早く質問したくてイライラし始めている人。

西村さんは、いつものごとく、悠然と構えている。

 

今、私が司会のバトンを渡された時に、するべきことは、この淀んだ雰囲気を入れ替えることだ。

 

西村さんと、会場の空気を、パチっとつなぐことだ。

 

 

自分のするべきことが、自然と分かった。一切、緊張が無くなった。

 

そのまま、楽な気持ちで司会をすることができた。

 

 

◆◇◆

 

 

「主催者として、場をホールドし続けること」という心構えは、

 

つまり、「場をホールドする」という自分の「在り方」を自分で定めることなんじゃないだろうか。

 

「在り方」を、地面に根おろす。

 

あとは、その役割を持って、『場』そのものを見つめ続けること。

 

 

意識は、ともすると自分の内側にすぐに向かってしまう。自意識の方向に働いてしまう。すると、今、その時点で見るべきものが見られなくなってしまう。

 

自分の役割をぎゅっと握ったまま、外側に目を向け、『場』のありかたをつねに見つめ続ける勇気を持つこと。

 

 

それは、大枠で捉えれば、場づくりだけでなく、生き方とか、働き方とか、人間としての存在の仕方にまで、通じる作法ではないか。

 

まわりの世界に対する、自らの姿勢、そのものではないか。

 

 

◆◇◆

 

 

この一日で学べたことは、あまりにも多い。

とくに、緊張しないで人前に立てたことはとても大きかった。自分にとっては、コペルニクス的転回だ。

今後も、自分の仕事やイベント、Ustのインタビューに活かしてゆきたい。

 

9時間の中に、大事なエッセンスが山ほど詰まったワークショップ。

場づくりやインタビュー、もしくはそれを通り越した、人としての振る舞いの作法に興味のある方には、とてもおすすめ。

 

 


投稿者:

miyuki.ono1228

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

「「“自分の仕事を考える3日間”の作り方」ワークショップ」への13件のフィードバック

  1. メモ:続き↓:”『場』のありかたをつねに見つめ続ける勇気を持つこと。/大枠で捉えれば、場づくりだけでなく、生き方とか、働き方とか、人間としての存在の仕方にまで、通じる作法ではないか。まわりの世界に対する、自らの姿勢、そのものではないか” http://t.co/XhP0GQ2c

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