はじめて同性とキスした時のこと


 たどり着いたフランスの片田舎の駅のホームは夏の日差しを反射して鏡のように白く、私は炒り豆になった気分で列車が吐き出す無数のバカンス客に紛れ迎えを待っていた。ホームステイ先のホストが迎えにきてくれる、と留学エージェントからの手紙には書いてあった。

 夏期休暇に一ヶ月半の語学留学を決めたのは、友達のいない夏の過ごし方を知らなかったからだ。大学はつまらぬ。私の話し相手になる人間なんてこの学校にはいない。一方でパリを選ばなかったのは、私なぞがあの華々しい街でやっていけるはずがない、と言う卑屈さの裏返しである。当時の私は傲慢と驕りを服の代わりに着、周囲と自分に不満を抱え、それをどこにぶつけたらいいのかもわからない、青白い顔をしたこ生意気な女子学生だった。

 陽炎で、ぐんにゃりとレールがゆがんで見える。産毛がちりちりと焦げ付きそうだ。

「Miyuki!」

 下の名前を呼ばれて振り返ると、バンカーがべこべこに潰れた泥だらけの車の窓から、小麦色の肌をした女性が手を振っていた。

 イザベラ・レミッティ、37歳。2人の小学生の子を持つシングルマザー。両親譲りの白く大きな石造りの家に、近くの語学学校の生徒をホームステイさせ生計を立てている。同じ街に住む夫とは1週間ごとに交代で子供の面倒を見ているらしい。その日、初めて出会った時も、金髪に青い目の2人の男の子と、それからもう少し背の高い、褐色の肌をしたハンサムな男の子が彼女の両脇で腕を絡ませていた。私は最初、彼を3人目の子供かと思ったが、そうではないと知るのに時間はかからなかった。

 初めての語学学校、初めてのフランス、初めての長期滞在。

 何もかもがそれなりに楽しかったが、とりわけ心踊ったのは、この若々しいシングルマザーと2人で過ごす放課後の時間だった。

 イザベラは根気よく、私の拙いフランス語に付き合ってくれた。帰宅してから寝るまで、私たちは何時間でも話をした。互いの話、恋愛の話、日本とフランスの政治について、社会について。一介の、田舎町の主婦がこれほど強固な政治的主張を持っていることに驚いたし、いい子ちゃんの大学に通っているくせ、社会についてなんの意見も持たずにいる自分を恥じた。

 この家には私と同時期に、メキシコからの留学生と、中国からの留学生がいた。

 私と同い年のメキシコ人の男の子は強い光を放つ濡れた黒い目をしていて、牧神パンのように美しく、しなやかな手足を持っていた。イザベラの褐色の肌に、彼のチョコレート色の肌はよくなじんだ。その二つが溶け合う光景を、私は滞在中、静かなキッチンで、テレビをつけっぱなしのリビングで、日差しの眩しい庭で、幾度となく目撃した。

 彼らは恋をしていた。夏の間だけの自然な恋を。

 息子と見間違うような齢の差の相手とそんなことが起きるだなんて当時の私にはにわかに信じ難かったが、同時に深く納得もした。イザベラは、不器用なペニスを不機嫌に受け入れた経験しかない私に比べてはるかにセクシーだった。おしゃれで、ジョークが好きで、シミやソバカスを隠そうとさえせずとも、赤い口紅一本でパーティーの主役になれる彼女は眩しかった。一方で「プラトニックな関係なの」と言いながら、息子たちの体育教師を恋人として紹介してくれた。一点のやましさもない笑顔で。

 年齢なんて飾りだ。飾りどころか、1番最初に剥がしてしまえばあとは誰も気に留めない、商品のタグみたいなもん。

 日本では包み隠されるべき欲望が、ここでは全て白日の下にさらけ出され、美しく輝いていたし、欲望に素直に従う人々の生命の力強さに私は感嘆した。言葉の不自由さゆえ、人と充分に混じりあえない私にとって、目の前に奔放に投げ出された彼女の肉体は、どんな言葉よりもまず、手前にある現実だった。

 やがてメキシコ人の男の子は国に帰り、自然な形で彼らの恋は終わった。家には私と彼女だけになり、私たちは以前にも増して熱心に会話をするようになった。

 不思議な時間が流れていた。何の変哲も無い石壁の家の中が、彼女と喋ると、春の野原にもなったし、夏の海辺にもなった。私は彼女のブロンドの髪が、背後の窓から差し込むレースのような淡い陽に透かされて光るのを見るのが好きだった。彼女が私の言葉に耳を傾け、一音一音を拾い、丁寧に訂正してくれる時、覚えたてのフレーズを使って意思を伝え、彼女の表情がぱっと変わるのを見た時、私の心は高鳴った。

 一度、何かの拍子に母親の話になったことがある。シングルマザーの彼女に、遠い国で不機嫌な顔をして文句を吐き続ける、私の母親の話をするのは気が引けたが、一度口を開くと止まらなかった。拙い単語でしか言い表せないことが、却って気持ちを尖らせた。誰にも話したことのない母への憎しみと、理解されない悲しみ、「ひょっとしたら母は私を愛していないのではないか」と言う疑問を、私はこの異国の地で3週間前に出会ったばかりの他人に号泣しながら告白した。2児を持つイザベラは、きっと私の母の立場で聞くだろう。そう思い、ハッと顔を上げる。彼女も泣いていた。てっきり「お母さんの身にもなって」とか、「お母さんはあなたを愛してる」とかそんなセリフを予想していたのに。OuiともNonとも言わず、彼女は私の気持ちを同じ涙で引き受けてくれた。そういえばあれだけおしゃべりな彼女が、自分の両親の話だけはしないことに、その時、初めて気づいた。私たちは黙って、ただ、わんわん泣いた。

 あっと言う間に留学期間は終わり、パリに発つ日がやってきた。その日の朝はとても早くて、私は早朝6時の列車に乗らなければならなかった。

 イザベラと私は白い息を吐きながら、まだ、日の登る前の、人のいない暗いプラットフォームで電車を待った。ショールをまとったイザベラは、壁にもたれて煙草をふかしていた。何かを言わなければいけなくて、でもそれは拙いフランス語で表現できるほど簡単ではなく、更に、言葉にしてしまったら、私たちはもう二度と会うことはないだろうとはっきり分かってしまうから、私たちは互いに言うべき言葉が見つからないふりをして、死んだように横たわる、2本の冷たいレールを黙ってじっと見つめていた。

 薄汚れたフランス国鉄の車両が轟音を立ててホームに滑り込み、この街の大学に通う学生たちがわっと出口からホームに溢れ出た。重たいトランクをぶらさげて、やたら段差の大きなステップをどうにかこうにかよじのぼり、イザベラを振り返った。イザベラは肩にかけたショールを掴み、腕組みをして、人の波に流されないようにホームの上でふんばっていた。

 泣きそうだった。別れたくなかった。ジリリリと発車のベルが鳴る。何か言わなくては、そう思って口を開けた瞬間、イザベラが駆け寄ってきて列車のタラップに足をかけ、手で私の頬を覆うと、唇にキスをした。イザベラのやわらかな金の巻き毛が、鼻筋にあたる。頭に回した手で私の耳を口元に引き寄せると、彼女はこう囁いた。

「愛してるわ」

 私も、と言った私の声は涙と鼻水に邪魔されて正しいフランス語の発音になっていたかどうか分からない。イザベラは、ふわりとショールを私の首筋にかけると、列車から離れた。無骨なドアがガタンと音を立てて容赦なく閉まり、列車は右に左に大きく揺れながら、ホームを後ろに残してゆっくりと走り出した。彼女の白い、卵型の顔が遠く離れてゆく。イザベラのショールからは、彼女がいつも使っていた、ラベンダーの精油の匂いがした。

 あれが恋なのか、はたまた愛なのか、歳の離れた友情なのか、今でも分からない。

 イザベラに手紙を書いたが、返事はなかった。12年前は今みたいに誰もがメールをやる時代ではなかったし、イザベラは鉄の塊みたいなちっぽけな携帯電話しか持っていなかった。私の手紙はフランスの宛てにならない郵便局が配達しそこねた可能性もあるし、移り気な彼女のことだから、手紙が届く頃にはとっくのとうに他に愛を注ぐ相手を見つけていたのかもしれなかった。帰国の直前、イザベラは「友達と新しいビジネスを始める」と言っていた。

「商品を人に勧めて、その人が買えば私も儲かるし、さらにその人が知人に勧めればその人も儲かる仕組みなの」ーーそれって「ピラミッド」(フランス語で”マルチ商法”の意)じゃないの、と問うたが、彼女は頑なに違うと言い張り、それ以上のことは拙いフランス語では追求できなかった。

 何も纏わない「愛してる」を、未来も過去も性別も厭わない「愛してる」を、私はこれから先の生涯で誰かに言うことがあるだろうか。

 わからない。わからないがしかし、この時の経験があるからこそ、私は人の心を掴み、揺さぶり、人生までもをひっくり返してしまう出会いは、どんな相手との間でも起こり得ること、またそれを暗い海に浮かぶ灯台の光のように、希望として信じられるのである。

※このエッセイは、講談社の「群像8月号(2018年7月7日発売)」の「随筆」コーナーに初出掲載されたものを加筆・修正したものです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です