ホントはむちゃくちゃしんどい


11月19日
夕方、ひとまわり離れた友人と半年ぶりくらいに短く会食。

現時点でしんどいこと、甘えたいこと、慰められたいことを言い合う。言い合うというか自分が一方的に話すだけ。彼は社会的に成功しているので、逆に、もういっそ何言ってもいいやと思い、普段言えない弱音や苦しさや親に対する葛藤を安心して吐き出せる。
彼が私に好意があると知っていて会うのは、利用しているようでズルいなと思うが、今の時点で互いのパートナーに言えない悩みを口に出せ、甘えたり助けを求められるのがその人しかいないので仕方ないと納得する。
別に身体的接触があるわけでないし、愛の言葉を囁き合うわけでもないし、ほとんど会わないから、社会的には不倫ではないだろうが、こんなに精神的にベッタリ癒着した状態は肉体だけの不倫よりよっぽど際どく、ハタから見て気持ちの悪い関係ではないだろうか。
変なの、と思う。全部のことを一人で済ませられたら結婚も恋愛ももっと単純なのに。

母が村上龍の担当編集を20年くらいずっとやっていて……という話をすると、
相手に「それはけっこうしんどいんじゃないか?」と言われて、初めて私がしんどい環境にいることに気づく。

しんどい。
本当はめちゃくちゃしんどい。何をやっていても本当はしんどい。
何を書いても何をやっても親のジャッジが追いかけてくる。
言われるまで気づかなかったが、ずっとベンチマークとして村上龍やそのあたりの子供の頃から読まされていた作家の作品を突きつけられている気がして、ここまでの成果をできるだけ早く出せよと言われている気がしてしんどい。
小説を書くことの意味が、もはやよくわからない。今書いている長編はほぼ完成しているのに、本当にこれが書きたかったのかどうかもよくわからない。
小説以外の創作は気が楽だ。親のジャッジがあんまりない。
最初の一作の絵本は作るのが本当に楽しかった。でもそれ以降は、本を出すために書くみたいなところがあって、書きたいから書いているという感じじゃない。
心の中にはパンパンに膨れ上がって外に出ようとしている何かがあって、でもそれを外に出そうとすると親のジャッジが追いかけてきてすかさず蓋をするので苦しい。正確には親のジャッジを背負っている私というのをやめられない私、が苦しい。あっちに行ってくれと思えば思うほど影のようにべったりとひっついてきて本当に重たい。
ものすごく体調が悪いのは自分で自分に蓋をしてずっと苦しいせいなのだと分かっていてもこれを取り外す方法がわからなくて苦しい。それは自分以外の誰か、身近な人でもきっと、分かることではないんだろうと思う。
母のことを、早く死ねばいいのに、と思うが、死んだところで簡単に解決するわけじゃないんだろうな、とも思う。

夜にエッセイを漫画化してくれる漫画家さんと編集者さんと会食。自分の作品をよりよくしてくれる人がいるというのは嬉しい。少しだけ、前向きな気持ちに。

11月20日
山梨の陶芸工房に行く。誰にも何にも言われないし、好きなように好きなだけ創作できるので気が楽だ。窯の火を見ていると落ち着く。火は燃えるだけ。一度として同じ形はとらないし、どんな形を取っても自由。

夜に、疲れが出てしまいこんこんと寝込む。
彼と付き合いたいのかも、
小説を書きたいのかも、
生きていたいのかも、わからない夜があって、でもそれは突き詰めると親のジャッジから逃れたい、それだけ、たったそれだけだったりするのだ。
誰にもジャッジなんかされたくないし、したくないし、逃れたところで一心に違うものを創作したい。
小野美由紀をやめてしまいたい。
誰のことも信用できない自分がいる。どんな関係も、どうせ最後には空気の抜けた自転車のタイヤのようにしぼむでしょうと思っている自分がいる。

工房に来て2日目の朝に、山の上まで歩いていったところにある氷室神社へ散歩。ここには縄文時代からの原生林がまま残っていて、立っているだけで不思議な感じがする。
千年杉にべったりとくっついて甘える。木はでかい。男にも木にも甘えている。


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