守られたい


 11月8日

 あさ、付き合いたての彼と初エッチ。いつも思うけど人の性器というのはなぜこんなにごつごつしていて変な形なんだろうか。体の中でこんなにも複雑な形をしているとこって他にないと思う。相手にひっかかりやすいようにできているのだろうか、他人にひっかからないと生きて行けないのが人間なのか。

 しばらくしてから急に体調が悪くなり、病院に。ここのところ仕事で頭がいっぱいでろくに食事を取っていなかったことが原因らしい。ちゃんと食べろと怒られる。胃カメラを飲みCTを取ることになった。まだ30歳なのに。急に弱気になってこれからの人生のことを考える。

 ふと振り返って周りの人たちのことを考えるのは、こうやって体調を崩したときだ。体調が良くてイケイケな時ほど視野は狭い。以前、私を「俺より下の女の子」扱いしてくる男の編集者さんに怒ってしまって担当を変えてもらったことがある。あの時は本当に腹が立ったが、いま思えば彼は彼なりに私のことを良くしようとして一生懸命に考えてくれていたのかもしれない。反省。皆なんらかの形で現状を少しでもよくしようとして動いていて、それが噛み合わないと誤解になったり、あの人は私をダメにしようとしていると思ってつい怒ってしまうが、それは同時に、他人へのレセプターが鈍くなっていることの裏返しだ。他人に頼ったり、手伝ってもらったり、相手なりの形で力を貸してもらおうとすることが下手なのでそこの読み取りをよく間違える。いつも、どこかで遠慮してしまって、助けて欲しいと言えない。甘えてはいけないと思っている。甘えないことで何かに復讐しようとしている。

 母に電話。今度一緒に住む相手は彼氏ではないのかと聞かれる。違う、というと、あんた同棲するくらいなら結婚しなさいよと言われる。
 びっくりした。ずっと、母は自分自身と同じように私に結婚して欲しくないのかと思っていた。私の幸せを願っていないから、ずっと独り身でいて自分の手元から離れて欲しくないのかと。
 母に「あんたはしていないじゃん」と言ったら笑って、そりゃできるんだったらしたほうがいいわよ、と言う、母も歳をとって弱気になったのかもしれない。私が、今年の1月に祖母が死んでから、子供の頃のことや、自分に怒りを与えていたトラウマを整理できたように、母の中でも、いろいろな変化が生まれたのかもしれない。子供の幸せを願える人間に、歳をとって変わってきたのかもしれない。

 久々に話して、枷が外れたような気持ち。母も人間だ。歳を取るごとに、錆び付いてブリキになるわけじゃない。死ぬまで変化し続ける。

 守られたい。

 私が異性に求めている条件はこれしかない。今の彼と付き合い始めたり、長編小説が手離れしたせいで、自分が何を本当は求めているのか、心の中の氷が溶け出して、中にあったものが少しずつ露わになるようにして、やっと分かってきた。ずっと、自分が男性に求めるものは、話が面白いだとか頭がいいとかセックスのときこれこれこういうふうに振舞ってくれるだとか、色々あるように思っていたけれど、蓋を開けて自分の中を奥深くまで掘り進めて見たらこれしかなかった。

 私は思ったより強くないし独り立ちができない。何でもできると思っていたのはなんでもできる人間であれという強迫観念にも似たまやかしだった。男に依存せず、一人でもカッコよく明るく生きられる私、という理想の自己イメージは一種の覚せい剤にも似てカンフル効果は高いのだが、肝心の体の芯はギスギスで、気力と頭の中身だけでがんばって自分を持ち上げている感じ。学生時代、自分で何にもできずに男にちやほやされて全部やってもらっている女の子を見てイライラしていたが、私は本当は彼女のことが羨ましかったのだと思う。自分もそうふるまいたくて、でも、甘えたり頼ったりすることは悪だと教えられてきたから。
 子供の頃、母に些細なことで頼ったら怒られた。幼い頃、忙しくてなかなか話せない母と、塾に向かうタクシーの中でのわずかな時間に、コミュニケーションがとりたくて、わざと知っていることを知らないふりをして質問したことがある。そのとたん母は烈火のごとく怒った。「なんでそんなことも知らないの、私に聞く前に辞書引きなさい」ショックだった。別にそのことを知りたかったわけではなく私は母に甘えたかっただけだ。優しくいろいろなことを教えて欲しくて守られているという実感が欲しかっただけだ。
「守られている」という実感をすっとばして私は大人になった。それが今、何千年もの間溜まりに溜められた地下ガスのように噴出し始めている気がする。満たされれば、多分、別の欲望にすり替わってゆく気がする。が、いま、私は守られたい。本当は全力で依存したいのだ。誰かに。いままで誰と付き合っても満たされなかったのは、自分が男性に対して本当は何を望んでいるのかに気づいていなかっただけだ。時代に逆行しているのかもしれないが、わたしは強い男の人に守られたい。ばかだなあ、お前、と言われたい。ばかでいていい、と言われたい。自立・対等なんかくそくらえだ。銀座のホステスをやっていた頃、たくさんの歳下の男たちをはべらせて、付き従えていた70歳のママが最高に煌びやかでカッコよく見えたように。

 夜、渋谷のアパートメントに行くために銀座線に乗る。赤坂見附の駅で乗り換える時、手荷物の多い私はもたもたして、降りる時に時間がかかってしまう。いつも上手く電車を降りることができない。けどこの日は乗ってくる人たちはきちっと整列して私が降りるのを最後まで待ってくれた。こういうとき、日本の社会ってウェルオーガナイズドだ、と思う。最近は悲しい事件や不幸な事件、理不尽な悪意で誰かが辛い目に合う事件のニュースが多くて辛い気分になるが、一方で、些細なところに思いやりが行き届いているなと思えることも、たまにはある。よかった、他人は頼っていいのだ、電車を降りる時、多少はもたもたしても、生きて行けるのだ。
 もうすぐ彼が来る。部屋を暖めて待たなくては。その代わり、シュークリームをねだろう。


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