どこにも行けなかったころ#1 上野のハプバーにて


 

20代前半のころ、上野のハプニングバーに行ったことがある。

友達に漫画家のI先生と飲んでるから来ない?と呼び出されて、行ったら上野の有名なハプバーだった。

感受性がまだ、火傷によってズル剥けた皮膚のようにヒリヒリとして、敏感な頃だったので、私は怖いという気持ちと、私、どうにかなっちゃうのかなというドキドキした気持ちで薄暗い廊下の隅の扉を叩いた。

入り口で、身分証を見せ、女性は無料ですと言われて入った。

どんなミステリアスな場所だろうと思っていたのだが、入ってみたらガッカリした。だだっ広い場所に、数席のテーブルとソファー席があって、店内は相手の顔が見えないほど暗かった。照明を落とした、ただのカフェとかバーのような感じだった。一つだけ違うのは、そこにいる人々が、服を着ていたり、裸だったり、半分裸だったりすることだ。

しかし、裸の人間が積極的に絡み合っているかというとそういうわけではなかった。そこにいる皆が皆、壁際に佇みながら「そこで何が起きるのか」をずっと観察している。観察すらしていない人間もいた。彼らはただ裸ん坊になりながら困っていた。衣服という壁だけは取り払ったものの、そこから先どうしていいのかわからないと言った顔で佇んでいた。裸なのが、却って彼らの心理的な距離を際立たせる気がした。目の前にある、透明な分厚いこのプラスチックの壁を、壊してよ、誰か、僕に興味を持ってくれた人間が、そう彼らは言っているようだった。

そのうち友達同士が、フロアの隅にある、セックスをする用の小部屋に行ってセックスし始めたので、私たち一緒に来ていたグループの人々は、それを狭い小部屋で車座になって眺めた。

小部屋はひどく湿っぽくて、体液の臭いがした。目の前で起きていることを、全くエロいと思わなかった。ただグロいと思った。

触ってごらんと言われて触ってみたが、女の子の局部は黒く茂っていて、全く何がどうなっているのかわからなかった。童貞は大変だなと思った。自分の持ち物でさえこうなのだから。

そのあとで、その女の子が、「小野さんは見当違いのところを触っていて全く気持ちよくなかった」と言っていて、すみません、と思った。

そのうちそれを見て興奮した同じグループの男性が手を引っ張ってきたので、私たちは隣の部屋に入った。興奮していなかったかといえば嘘になる。けれどそれは性的な興奮ではなくて、異常な空間で何が起こるのかを期待する怯えと、自分を高みにおいてそこから他人の泥にまみれた行為を見下ろす、何も差し出すことのない、吝な傍観だった。

男は隣の部屋で私を押し倒し上にのしかかってきた。私はされるがままになっていたが、二人きりになった途端に心は冷凍庫に放り込まれたみたいにかちかちに凍り始めていた。

異常な状態なのに、興奮しない、私は一生、何にも興奮ができないのではないかと思った。

男は別に服を脱がすわけでもキスをするわけでも胸を触るわけでも局部に触れるわけでもなく、転がっている私を抱きしめながらポエムのようなものをずっとつぶやき続けていた。手がねっとりと汗ばんで気持ちが悪かった。この男もまた勇気がないのだなと思い、足で蹴飛ばして、部屋を出て、元いた席に戻った。男はなんだかほっとしたような嬉しそうな顔をしていて、私はその男を馬鹿じゃないかと思った。そして、自分のことも大馬鹿だと思った。

私は別に、知らない男とセックスしたいわけじゃないのだなと思った。

性的な場所にいるからといって、性的な存在になるわけではない。

また、セックスしたからといって、寂しくなくなるわけではない。

寂しさは会話によってしか埋まらないのではないかと思う。

会話ですら埋まらない最後の一筋の穴を埋めたような気持ちになるために、人はセックスを使うのではないかと思う。

そこにいる人たちは、決して部屋の中心には立たず、誰かが自分の隙間を埋めてくれるのをひたすら待っているように思えた。

彼らのことを寂しく感じ、同時に自分も、寂しいから、来たいのかどうかわからない場所に誘われれば来てしまうのだなと思った。

Iさんは、セックスするわけでも、女の子を口説くわけでもなく、ただ酒を大量に飲んでニコニコ笑っていた。Iさんはいい人だった。

4時間ほど居て外に出た。

外に出ると、明け方4時の上野の街は店に入った時と変わらずギラギラと青白い光を放ち、そこを通る人間の目を全力で刺し続けていた。

私は、何かを隠すために光り続けているものもあるのだなと思った。


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