空間編集の愉悦ーシェアハウスの面白さと、「まれびとハウス」の今後


今月号の「広告」のテーマが「シェア」だった。

まれびとハウスってなんなのさ
田端のシェアハウス、「まれびとハウス」に住んで1年弱になる。
まれびとハウスは「ぷらっと寄れるプラットフォーム」をコンセプトに去年の4月にオープンした。
イベントルームがあり、そこで開催される講演会やワークショップやパーティーを目当てに人が行き来する、そんな家。
初期の頃は、イベントを多数開催していたため、一週間に2〜30人のお客さんが来ていた。
一年間で、のべ2000人以上ものお客さんが来たはずだ。
そんなまれびとハウスを、何かに例えるとしたら、と、
よくお客さんからも、自分たちでも挙げていたのが「寺」。
寺のように、普段の所属や貴賎に依らず、老いも若きも、すべての人に開かれている空間。
行けば、何を糧に生活してるのかよくわからない、ニートみたいな人がいて、禅問答やら講話が始まる。
また、寺といっても、寺自体を目的にして来訪する客人ばかりではなく、
「あそこに行けば◯◯さんがいるから」だったり、
「まれびとで会いましょう」だったり、
既存の人間関係にとって、ちょうどいい収まりどころとして、まれびとハウスを使用してくれる人たちが多かった。
人々がまれびとハウスを回遊するのではなく、まれびとハウスが人間関係の間を回遊する。
そんな感じで、まれびとハウスは、民俗学者・折口信夫の用語で、外来からの来訪者、ようするにお客さんを指す「稀人(まれびと)」のための家として機能していた。

自分とまれびとハウスの関わりー「崩れ」そのものとして

「まれびとハウス」は当初、住人の6人全員、学歴も高いし、なんか社会的にきちっとした人が多かった。
6人中2人が東大生と言うこともあり、東大生のお客さんが多くて、開催されるイベントもわりとIQ高めっていうか、お勉強的な内容のものが多くて、それはそれでさわやかで知的でまったく文句付け所なんか無いんだけど、
ニートになったばかりの自分としては、
「なんっか好かんたらしいなー、なんかもっと・・・ブチぎれてるようなコンテンツが欲しいなぁ」
と常々思っていた。
それで、風俗とキャバクラのスカウトをやっている友人に頼んでナンパ講座を開いてもらったりした。
健全なコンテンツばかりのところに不健全なものをぶちこむ、社会的にはダメだったり汚らしいと思われていたり、非効率だと思われてるものをぶちこむ、その快感があった。
IQ高い人ばっかりが住んでるからって、IQ高いばっかりのコンテンツやっててもあんまり面白くないかな、って。
社会的にはちゃんとしてても、中身がちゃんとしてない人、邪悪な人、狂っている人もいる。
反対に、社会的にはだめでも、その狂いの渦の中に、一瞬、きらめくものがあって、それがその人の美しさを作っているような人がいる。
他にも、だめなんだけどなんかすごくいい人とか、ぶっとんでる人とか、ようするにソーシャルであることを盾に内面を守ってる人より、その人の内面自体がコンテンツ、みたいな人が来るような家になればいい、と思っていた。(何様、って感じですいません)
空間のほころびでいたい。
何かを崩す、その土砂音が、かえって奥底の快感をひっかくこともある。
そういう感じで、自分も「崩れ」そのものとして、わざとまれびとハウスの機能美を崩すポジションにいようとした事は確か。

空間編集の面白さー「自分の媒体を持つ」ということ

で、ここからが自分が思う、シェアハウスの面白さについて。
シェアハウスの一番の面白さは「家を編集できる」ということ。もちろんひとりで住んでいたってできるんだけど、多くの人と暮らすことで、編集の振れ幅が大きくなる。
家を一軒借りるって、白紙の媒体を持つのと同じ。
そこの、コンセプトを決めて、コンテンツを決めて、コンテンツの作り手を決めて・・・。という感じ。
ひとり暮らしだったら、家のコンセプトはまずまちがいなく「自分にとって最も快適な家」になるだろう。
けど、複数人と住んでいると、それではすまなくなる。
そのおかげで、コンセプトに余白ができる。
それで、自分にとっても、他人にとっても面白い家ができあがってくる。
もちろん住んでいる住人自体もコンテンツ。
ひとりで作るわけじゃないから、他人の持っているコンテンツとかちあったりして、思ってもみなかった創発が起きる。
それが、面白い。

再編集もアリ

結局まれびとも一年経って、住んでる人がおどろくべきスピードで入れ替わって、最初のメンバーは全員一旦家をでた。
当初の住人に合わせて作った「まれびと(客人)のための家」というコンセプトも、現在の住人には合わなくなっちゃった。
例えるなら最初ラーメン屋で始めて、仕入れの都合でメニューの9割がカレーになっちゃったのに、未だラーメン屋の看板出してるみたいな気持ち悪さがある。
そうなったら、私はコンセプトを再び変えて、リビルドしたらいいと思う。
家だって、一度決めたコンセプトをかたくなに守るんじゃなくて、あわなくなってきたなと思ったらガンガン編集方針変えて、リニューアルしたらいいんじゃない。
ここからは例えばの話だけど、
今のまれびとハウスの名前を変えるとしたら、ちょっと安易だけど思いつくのは「たびびとハウス」だなー。
海外から友人づたいにまれびとを知って滞在するお客さんがずいぶん増えたし、1ヶ月、2ヶ月の超短期スパンで滞在して、出て行く人も増えた。
地方(特に京都などの関西方面)からやってきて滞在してゆくお客さんも多い。
下手したら住人より滞在者のほうが多い日もあるほど。
住んでいる人も、正社員ももちろんいるが多くがフリーランサー。イベントルームは日中、シェアオフィスみたいな使われ方をしている。
かなり広くて快適なシェアオフィスだと思う。森じゅんや(@JUNYAmori)を始めWEB系の仕事している人が多いので書籍やデバイスもシェアできるし。
ほぼ全員Macユーザだし。
フリーランサーも仕事から仕事へと旅する旅人みたいなものだし。ノマドワーク、って言葉が流行りつつあるとおり。
広い意味での旅人にとって心地いい家っていうコンセプトで再編集するだけで、またぐっと違った表情を持つ家になるだろうし、シェアオフィスとしてイベントルームを公開することでまた違った人の流れもできるだろう。
上記の構想は発想としてはかなりベタなんだけど、再編集の一例ってことで。
もちろん、コンセプトはみんなで話しあって決めることだし、それはこれから住む人によっても大きく変わってくるので、まれびとハウスはこれからこうなりますという意味ではないです。
まとめ
結局、何が言いたかったかというと、
こういうふうに自分の意志と発想が反映される空間があるというのは面白いことだよ、
ということ。
「もはやシェアは当たり前の時代」だと、今月号の「広告」は語っているのだけど、「シェアハウス」を「他人と空間を共有する場所」ではなく「自分と他人、複数の手で能動的に編集できる空間、かつ、空間によって自分も編集される場所」と捉えたら、かなり違った効能が見いだせるんじゃないだろうか、と思うのだ。
そういう見方を最初に提示したのが「まれびとハウス」だったらいいなー、と私は密かに願っている。
了。
おまけ
Amazonで「シェアハウス」で検索したらこの2冊が出てきたんだけど、これはシェアハウスじゃなくて同棲だと思う。。。
それにしても、BL業界でシェアハウスって今ならもっと出ていてもいいはずのテーマだと思うんだけど、腐女子には受けないのかなぁ。


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