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誰かを変えようとする、という事

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ちいさいころ、母と祖母が運動会などの行事に来るのが嫌で仕方なかった。

 

他の子のスペースには、父親と母親、カラフルなお弁当と、

この日のテンションに合った赤や青など原色のはじけるTシャツ、

それらとのコーディネートは全く考慮されなかったであろう、

同じく極彩色で彩られたキャラクター物のレジャーシートが決まって揃っていた。

 

幼いわたしはそれに激しく嫉妬していたし、その嫉妬がどこから来るのかも分からないまま、

他の子のスペースでごはんを食べたりして、母と祖母を悲しませた。

 

小学校高学年になる頃に、こうした自分の態度の意味と、その態度が母と祖母に与えた影響をようやく理解し、今度は自分を恥じた。

 

たぶん、その感情と、「だれかにこうなってほしい」「こう変化してほしい」と思う気持ちは一緒なのだ。

 

祖母と母しかいないのと、

うちのお弁当が地味なのと、

母の服装が運動会にしてはシックすぎて浮いていた事、

それらの、決して変えようにも変わるはずのない事実に反抗していた、子供の私の気持ちと。

 

私があの小さい私でなかったら、

祖母の作るお弁当が美味しかったこと、

母の服装が他の子のお母さんよりずっとお洒落であったこと、

二人がわたしを応援しているまなざしに気づいただろう。

 

他人に変わることを願うということは、それと同じだ。

相手にとっての幸せが何かも分からず、他人を変えようとなんて、しちゃいけないのだ。

その人の、あるがままの尊さに比べたら、

誰かを変えて、幸せにしたい、というかたくなさは、光の前の、ひとひらの雪に過ぎない。

あるがままでいいのだ。

そのひとの、そのひとらしさのぜんぶ、そのひとがもつもの全部、あるがままでいいのだ。

その人の、あるがままが、一番、尊いんだ。

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