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この記事がシェアされて来たので読んだけど、内容とイントロの文言の不一致感と、それから「お前が言うなや」感がすごかった。

 

「自分探し」の奴隷から脱出せよ! クリエイター紀里谷和明、蜷川実花が熱く語る

http://enrique5581.net/post-10501/

 

>「アナと雪の女王の「ありのままの〜〜♪」ではないですが「自分探し」という言葉が流行しています。」

 

っていう書き出しからしてセンスなくて笑っちゃいそうになるんだけど。何年前の話だよって言う。5年くらい前の記事かと思ったら一昨日のだった。


いつも思うけど、たいてい「自分探しなんてしなくていい」っていう有名人に限って、いやお前まだ自分探してるやろって感じがしたり、自分探しさんざんし終わってドヤってる感じがして、いやそれ、し終わった人間が「する必要ない」って言ったからって、それって童貞脱した人間が童貞に向かって「いや童貞のままでいいって。大した問題じゃないって!!」っていうようなもんででもそれ当の童貞からしたら納得するのなんてまず無理で、いやそれお前が言うなやぁ!!!!って本人にとっては大問題なんだってばってな感じが童貞じゃない私にもすごくよくわかるんだけど。
この人は「流行ってる」っていうけど、どっちかっていうともう「自分探し」ってカッコワルイものみたいに思われている気がする。この前もある学生さんに
「世界一周したいけど、周りに『お前、自分探しかよ』って言われていじられたら恥ずかしいし…」って言われてえーーーーっ!!!お前はときめきメモリアルの藤崎詩織かぁ!!!って思わずのけぞってしまった。そんなこと言われんのかよ。どういうこっちゃねん。
で、試しに周りに「自分探しってどういうイメージ?」って聞くと、これがだいたい「インドに行く」とか「海外を一人で放浪する」とか、陳腐なイメージしか出てこないのだ。旅=自分探しかよ。ステレオタイプすぎだろ。


私は自分探しって、旅に出る事でもなんでもなくて、「本人が“こう生きる”と決めるまでの迷走の過程」だと思う。
今の自分は嫌いで、だから変わりたくて、でも、変わり方も、変わった先の理想の自分も、上手く想像できないから、よくわかんないまま宛先不明の手紙をずっと出し続けて返事が来ないからずっと海老ぞりと胎児のポーズを繰り返して、そのままどこにもいけないイメージ。

だから、そういう意味では、丸の内のオフィスビルで働いていたって自分を探している例もあるし、インドを何年、旅していたって、自分探しじゃない例なんて多分にある。

生き方をある程度決めてしまったらあとは楽だ。村上春樹の小説みたいに、たんたんと事を運べばいい。けど、自分探ししている人たちには、それができない。「こう生きる」と決めたい自分と、今の自分の不一致が苦しいから。どう生きたらいいかわからなくて苦しんでいる。

ずっと前にナンパ師の男の子の話をブログに書いたけど、彼のやっていることだって立派な自分探しだ。異性愛に関する、理想と現実の自己像の不一致を埋めたくて、必死にもがいている。

私がシェアハウスに引きこもって暮らしていた時にも、周りには定職に就かずにふらふらしている子がいっぱいいた。彼ら、彼女らはよく「やりたいことが見つからないんだよね」とか「働きたくねーから」みたいなことを言う。でも、そういう悪ぶった、ちょっとふてくされたようなことをいう人たちに限って、本当はもう一段階、深刻な悩みを抱えている。つまり、「どう生きていいのか、わからない」っていう。

そういう、だれもつまづかなそうなところでつまづいてしまった自分に苦しんでいる。誰もつまづかなそうなところだから、誰にも相談できない。本当は社会に適合したいし、自分なんか探さないですんなり生きたい。けれど、誰もつまづかなそうな所でつまづいている自分が、またつまづいたらどうしよう。そういう、「まさかの葛藤」が、彼らを苦しめている。

そういう人に「四の五の言わずに適当なところに就職して働け」と言ったって、無駄である。

言われて聞くようなら彼らは最初からうだうだ自分探ししていない。

聞けないから迷っているのだ。自分探しする人は、頑固なのだ。

 

もうこのさい、不謹慎を覚悟ではっきり言うけど、自分探しをせずに何の疑いもなく大人になれた幸せな人たちを健康体だとすると、自分探しをしてしまう人たちというのは、もう、ビョーキみたいなもんである。
幼少期にアタマ打ってどうにかなっちゃったんだよ。だからしょうがない。そういう人は。周りが「自分探しなんて辞めろ」なんて言うだけ無駄。
そういう人は、もう、諦めて自分探しに邁進するしかない。
「自分探しなんてするな」というマトモな大人の意見なんか、聞いてはいけない。脳のビョーキなんだから、聞こうとするとエラーを起こしてますます迷走の期間が延びるだけ。
自分探しなんて、まじで超超超カッコワルイものなのだ。
みじめだしじめじめしていてもう途方も無くカッコ悪くてやばい。まじやばい。そんなもう超自明のことを、「自分探しかっこわりいww」とかって笑うヤツは、カッコワルイものをカッコワルイとそのまま笑うっていうなんのクリエイティビティも芸もないことをやっているだけだという自覚をしたほうがいいと思う。
自分探ししているやつなんて世間的には基本大メーワクだし、家族にもヨメにも夫にも上司にもあらゆる人から褒められないし、まんがいちそういう人が「自分が見つかった!」なんて喜び勇んではしゃいでも返ってくるのは「あっそう」だけである。
だからこそ、カッコワルイものをカッコワルイままやればいいんじゃんと思う。カッコワルイ事をわざわざ避けても、じぶんがひしゃげるだけだからつまんないと思う。自分を探したくなるカッコワルイ自分を抑えて社会にテキゴーしようとするとカッコワルイ自分が心の中で暴れ回るのを黙殺しないといけなくなるから、反動で年取ってから若者に飲み屋で説教するような「俺すごい」って言わないと気が済まないような、影で若い人に後ろ指さされまくるようなカッコワルイ大人になっちゃうと思う。
もう、自分がカッコワルいことを分かった上で、開き直らずに、淡々ともがけばいいと思う。他人のカッコワルさって他人はあんまり気にしてないから。やれるだけ、社会と自意識の狭間で七転八倒して、Mr.ドリラーみたいに掘りまくって掘り尽きて、自分を延々と微分しまくってああもうなんにも出てこないよなんも見えねぇってなった時に、はじめて、社会に目を向けられるんだから。


紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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