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「マレフィセント」感想:ヤリチンに煮え湯を飲まされたヤンデレ娘が傷を回復する話…が、結局「“カワイイは正義”なのか?」が気になって集中できないよぉぉ!


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「マレフィセント」を観ました。(ここから先はネタバレ度:小)

 

初恋をこじらせたヤンデレのお姫様が、擬似親子関係による愛の芽生えによって傷を回復するという、大変感動的なお話ではあるものの、私が一番に気になったのは、劇中における男の扱いのひどさです。

どういう感じかって言うと

 

女>>>>>>>>カラス>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>王>>>王子


どんだけ男は添え物なんだよ!

「アナ雪」にも増す、ディズニーのミサンドリー(男性嫌悪)っぷり!!

「かぐや姫の物語」の時にも思いましたが、男をこきおろし、女を立てるのは、映画業界における最近流行のマーケティングなんでしょうか?

 

基本的にはずっと続く、男対女の対立構図。人間の国(男の国)とムーア国(女の国)の諍いは、なんとなく昨今の都議会を想起させ、ああアメリカにも煮え湯を飲まされている女たちが…と、胸が痛みます。

私が見た映画館ではカップルで来ていたお客さんが多かったのですが、観賞後、女子のほうはホカホカと満面の笑みで帰ってゆくのに対し、男たちはというと、劇中でアホみたいに立ち尽くす王子同様、所在のなさがやばかった。なので、カップルで見るよりも女性2人で見に行き、サム・ライリー演じるカラスのかっこよさに萌えるのが吉。

 

もうね、なんと言ってもこの映画の見どころはカラスです。

映画自体はぶっちゃけ、設定と脚本が荒すぎていまいちのめり込めません。

マレフィセントと妖精たちと、国王の関係性があまりにも説明不足で矛盾しているように見える、とか、マレフィセントがオーロラに惹かれる理由がいまいち甘い、とか。

そう、この映画の根幹であるマレフィセントとオーロラ、2人の関係の描き方が荒くて、2人の絆は、実は他の人々では適わないほどに強固だったんだよ、だからあの結末なんだよ、という、見ている側を納得させるだけのエピソードがすっぽ抜けている。

マレフィセントはなぜオーロラの世話を焼くのか?…ストーリーを追うだけでは、結局、初見の時の赤ちゃんオーロラ姫があまりにも可愛くて母性をくすぐられたとか、そういう理由しか思い浮かばず、そうなると『結局、カワイイは正義!(ぴゃは☆)』みたいなしょーもない大前提に戻ってくる構図になり、この映画で伝えたかったメッセージ(他人にかけた呪いはいつか自分に返ってくるだとか、憎しみではなく愛の応酬でしか人は救われないとか、悪役にも実は愛があるんだよ…とか??)がかすんでしまうというか、怖モテのマレちゃんが頑張ってるその努力が無に帰してしまうというか(強い女が頑張るよりも、無知でかわゆい女の子のほうが結局いいでしょ☆みたいな)、映画自体の説得力が、薄くなってしまうわけです。

『かつて愛した男のむすめ 自分は母ではないけれど 守ってみせます命を懸けて』みたいなド演歌調も、薄幸顔のマレちゃんには似合わなくはないけれど、決してそういう感じでもなくて、男に対しては恨み100%やからねマレちゃん…。

 

というわけで、マレちゃんがオーロラ姫の面倒を見る根拠になるエピソードがいまいち描かれていないため、第三者から見ると後半のマレフィセントは「寂しさから赤子についついちょっかいを出す『イタイ女』」にしか見えない。結果、共感度が一気に下がり、主人公らしさがかなり終盤にならないと回復しない…というザンネンさ。もうちょっと丁寧に描いてくれたらいいのに。

 

…というですね!諸々の設定の甘さをですね!全部ぶっとばして「もうそんなことどうでもいい!」と思われてくれる、この映画の立役者No1が、サム・ライリー演じるカラス!!!!

もうね!この映画はカラスを見るために見る映画だと言っても過言ではありません!

ぶつぶつ言いながらも結局はマレちゃんの言う事はすべて叶え、女主人のツンデレを完璧に理解し、そして自身は主張もせずに黙々とついてゆく…。彼女の傷ついた心を、痛いほど理解しつつ、それでも余計な口をはさまずに最後まで彼女を支え続ける。

こんなイイ男、ディズニー史上いようか(反語)!

しかしマレちゃんは過去の男とその子どもに夢中。妖精の家に雨を降らしたりと、小規模な嫌がらせに熱中しています。なんかこういうOLいますよね。過去の因縁に囚われたばっかりに、視野が超狭くなっちゃって、結局、狭い範囲でしか自分の心を満たそうとせず、近くにある幸せに気づかない…っていう。「初恋のやりチン引きずるよりも、身近に一番理解してくれる、誠実な(しかもかっこいい)男がいることに気づいてマレちゃん!!」と思わずスクリーンに語りかけそうになってしまいました(余計なお世話)。

もうね、生身の男よりも、異形のカラスのほうがステキっていうのは、

「素敵な王子さまは要らないから、何でも言うこと聞いてくれる都合の良い家来が欲しいわ」

っていう、現代キャリアウーマンの願望の反映なんでしょうか。だとしたらよくやった、ディズニー!!

 

女子が映画で「見たいもの」は、この映画においては全部カラスが回収してくれます。私だってあんなカラスほしい!「従者萌え」という新しいジャンルに目覚めそうです。

 

というわけで女子の皆様は堂々と映画館にGo!とくに、過去にやりチンに煮え湯を飲まされた経験のある女子は、とてもスカっとすること間違いなし。

男子は……所在無さげに突っ立つ勇気があるなら、いいかもしれません。


投稿者:

miyuki.ono1228

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

“「マレフィセント」感想:ヤリチンに煮え湯を飲まされたヤンデレ娘が傷を回復する話…が、結局「“カワイイは正義”なのか?」が気になって集中できないよぉぉ!” への2件のフィードバック

  1. こんにちわ。 こちらのページの何かちょっと露骨なタイトルに、少し反感を感じてしまったのですが、私はマレフィセントが仇の娘である筈の相手と深い絆で結び付けられてしまう理由を、この映画を5回目に見に行った時に気が付いて納得出来ましたので、実は ( そのことには ) ちゃんと説明がつくのだ、と言いたいです。 詳しくは私のページに読みに来て下さい。 URLは以下です

     http://www.geocities.jp/maleficenteena/Maleficentia.htm#000

    カラスの化身を「男」という認識のようですが、ディアバルはあくまでもカラスのオスなので、マレフィセントにとってはペットを魔法で人間に化けさせてるだけですから、云わば人間にとっての気心の知れた愛犬か家来といった処で、物語でも実際はそういう扱いの筈で、男としての扱いにはなっていないと思いますよ。 ラストシーンでマレフィセントの後を着いて飛ぶカラスは、正に羽根のあるマレフィセントにとっての忠実なイヌそのものなのだと感じましたしね。

    また、この映画の物語は一見するとお伽噺のようですが、実はストロンバーグ監督がかつて映像美術担当として関わってアカデミー賞まで取ってる「アバター」のストーリーと良く似てて、私はその作り直しのような印象を強く受けました。
    アバターは言うまでもなくアメリカインディアンの歴史を土台にしてその結末を逆転して理想化したような話なワケですが、その北米インディアン部族の中でも最も頑強に白人に抵抗して、とうとう最後まで負けずにいて滅ぼされないで済んだ、北東アメリカ最強のイロコイ族インディアンの血を受け引いてる女優こそがアンジェリーナ・ジョリーなのですから、まさにそうしたテーマにもピッタリな配役でもあります。
    この映画の人間の国が「男の沽券や侵略主義で支配されてるアメリカ白人社会」のメタファーで、妖精たちの自然を尊重するムーア国が「北米インディアンたちの比較的宥和的だった社会」のメタファーではないかと思いました。

    この映画を「アナと雪の女王」とテーマがそっくり被ってる、というような論評をよく見ますが、この映画での男の扱いがぞんざいで、ほぼ悪役扱いな理由はいわゆる「シスターフッド」 ( ブラザーフッドの対語 ) がテーマだというよりは、女性の自立や解放こそがこの映画のテーマであるからに過ぎないように思います。

  2. 文章が面白すぎて笑ってしまいました…確かに男が添え物すぎる!アンジェリーナジョリーがきれいだからもう、深く考えるのを放棄してしまいました(´・ω・`)確かにカラスかっこよかったですね、ドラゴンになってたし(*’▽’)強い女より可愛くて無知な若い子が勝つかー、色々な見方があって勉強になりました(´・ω・`)

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