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今、南の島でサーフィンをしている。
28年間生きてきて、今が一番元気だ。

一年前に整体を習い始めてから、私の身体は劇的に変わった。

続いて、サーフィンをすること、また平均化訓練を覚えたことで、私の身体はどんどんたくましく図太く、「イイ」身体になってきている。

同時に、まったく逆説的だけど、身体が元気になればなるほど、自分の中の「老い」を感じるようになってきた。

一番強烈に「老い」を感じたのは、
今年の2月に、元引きこもりでホストの男の子に会った時のことである。
彼は私に、「自分は社会を恨み、女性を恨んでいる」と言った。
そして「自分と同じ、元不登校の私のことも、同族嫌悪だ」と言った。

でも、正直、それを聞いた私には、彼の言っていることが全く分からなかったのである。

恨み?同族嫌悪?

彼のように、社会を恨んだりすることが、私にも過去に、果たしてあっただろうか。

はっきり言って、私の目に映る社会はけっこう、美しい。
他人もだいたいは美しい。
働きはじめてから、さらに美しくなった。
働くという行為は、自分が無力ではないということを証明してくれる。与える相手、与えられる相手が居ること、それだけで、世の中の美しさが身にしみて感じられる。
今は、物を書くという、「これ自分の仕事だ」と胸を張って言える仕事があるから、ますます働くことが楽しい。

恨みと言うのは強烈なエネルギーだ。
私が整体を習った奥谷さんも、「ネガティブな感情というのは、発散しきれていない余剰なエネルギーを吐き出すためのもの。
若くて身体が未発達で、骨の開閉がうまく行ってない時には、ありあまるエネルギーをそうやって外へ発散しようとするんだよ」

と言っていた。
リストカットも食べ吐きも、鬱病も引きこもりもエネルギーだ。自分自身に負のエネルギーをぶつけて、一人で処理しているわけ。

今の私には、そのホストの男の子が持っているような、社会や何かを強烈に恨むエネルギーが、ない。

歳を取ったせいでエネルギーの相対量が減ってしまったことも大きいけど、身体のことをやるうちに、結局「自分は自分である」ということを身に沁みて感じ、自分以外にエネルギーをだんだんと割けなくなって来ているのだ。
世界で何が起こっても、周りが何を言っても、今を生きているのは、他でもない、私のこの身体一つ。

他人は他人。
自分は自分。
同族なんて、いるわけない。

だから、Twitterとかで社会や何かに対する恨みを撒き散らしている人を見ると、「おお、すげぇ」と思ってしまう。
莫大なエネルギーを、持っていてすげぇ、うらやましい、と。

さっき、社会を恨むことがあっただろうか、と自問したけれど。
私にも、もちろん、あった。

中学で不登校だった時。あの時自分は確かに、学校を恨んでいた。
なんで分かってくれないのと言って、周りの大人たちに、ナイフを振り回すようなことをしていた。

でも、大学を卒業したころ、ちょっとした用事があって中学の職員室に足を運んだ時、中3の時に教わっていた、抑圧的で教育的で、一番大嫌いだった国語の先生に、偶然鉢合わせした時、そのとたん、先生がはらはらと大粒の涙をこぼされて、

「お前、生きてたのか!

…お前は感受性が鋭すぎて、
ある時期は本当に脆くて危なかったな。
40年教師やってて、 初めての経験だった。
でも、 生きてて本当に良かった」

と言われた時に、抱えていた積年の恨みは、一気に氷解してしまった。

大人はだいたい、見ている。
しょうもない大人もいるかもしれないけど、若者のことを、だいたい見ている。
見えてなかったのは、自分のほうだ。
そう気づける年齢になった時に、人生の再編集が起きて、「あの時の大人の気持ち」が、分かる時が来る。

そうやって過去に起こった事を、たびたび編集し直す余地が、14歳から28歳までの間にあったから、
今、生きていられるのかもしれない。

そして、忘れる。再編集したとたんに忘れてしまう。
女の人は、この「忘れる」という作用が激しいなと思う。毎月の生理で、過去の一ヶ月間に起こった事を全部洗い流せるから。
生理期間というのはだいたい再編集の期間なのだ。一ヶ月経てば、一ヶ月前に起きたどんな失敗も恨みも怒りも、チャラになってしまう。
男の人は、というか男の子は、生理がないぶん、忘れる機会が少ないから、しんどいだろうなと思う。

忘れるというのは過去の自分の気持ちにシンパシーを感じなくなるということである。
自分の過去である他人に、共感できなくなるということである。
説教臭い大人が生まれるのはこのためだ。
私ももしかしたら、説教臭い大人になるんだろうか。まぁ、それでもいいけど。

「忘れられること」「自分の過去の人生を、編集し直せること」が、老いの特効薬であるとするなら、老いは、悪くない。
今の自分と、過去の地点の自分の間にある余白。
これまでたっぷり有してきた、過去の自分の人生を、編集し直す余地がたくさんあるというのが、「老い」の良さである。

そして、元気に、ポジティブに、悪いことを忘れて、生きてゆく。
あー、ほうれい線やばい、とか言いながら、人生を再編集して、これからも、どんどんしぶとく、老いてゆくのだなぁ、と思う。

「だてに歳食って」、よかったなぁ。


紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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