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生活水準が下がる事は「怖い」か—内田樹「邪悪なものの鎮め方」

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敬愛する内田樹先生の新刊「邪悪なものの鎮め方」を、
やっと購入した。
飛びつくように読む。
その中の一編、「Let’s Downsizing」で、先生はこう語られていた。
「経済規模がどんどん縮小している今の時代においては、
人の暮らしにまつわるすべて、
つまり、行政や経済活動、そして消費は
どんどんダウンサイジングされるべきである。」と。
ちょうど先日、講談社の雑誌連載の取材を受けた時に、奇しくもそんなことについて話した気がする。
取材者は「東大生のノートはなぜ美しいか」の太田あやさんと、ダンディな雰囲気のFRIDAY編集者の方。
太田あやさんは、江国香織似の美人だった。
取材テーマは「若者の就職観の変化」。
なぜ、慶應の学生が押し寄せる一部上場の大企業ではなく、
ベンチャー企業で働く事を決めたのかについて尋ねられる。
一回目の就職活動をやめた時、同期の学生たちから口々にこんなことを言われた。
「大企業に就職しないで一体どうする?今の生活水準を下げられるのか?」
一緒に就職活動をしていた仲間は、多くが3年次にカナダに交換留学していた時の同期だった。
皆アメリカやイギリスの名だたる大学に留学し、当然のように
就活ランキングでは超トップ層の大手外資系証券会社や4大商社への就職を決めていた。
(中には、リーマンブラザーズやメリルリンチに内定していた人間もいた。
上記の発言は、この2社への内定を喉から手が出るほど欲していた友人たちの内の一人によるものだ。)
生活水準。
就職活動の時、だれもが露骨に、あるいは無意識下にそのことを考える。
あたりまえだ。誰も生活水準なんて下げたくない。
でも、逆に、
生活水準がこの先死ぬまで「右肩上がりでい続ける」ことなんてありうるのだろうか?
内田先生は書く。
「日本社会がこれから取るべき生存戦略は『ダウンサイジング』である。
何もかもが右肩上がりで増加することを想定した戦略はこれから通用しない。
それと同じく、『生活レベルはいったん上がると下げることができない』という“常識”は、
消費活動を拡大させ続けるための資本主義経済にとって都合のよい妄想でしかない。
生活レベルなど、本来ならいくらでも乱降下するものだ。」と。
本当にそうだ、と思う。
私にとっては、生活水準を下げることを「怖い」と思うことのほうが、ずっと、怖い。
それを怖れて、何もできなくなるほうが、よっぽどリスクである。
生活水準なんて、どうあがいても勝手に下がる時は下がる。
JALに関する報道を見ていて、まさに今みながそれを感じているだろう。
リスクを担うのが、大きな会社か、それとも個人なのか、その違いだけだ、と、思う。
今、生活水準を下げる事を怖い、と思わないのはなぜか。
それは、一緒に働く仲間の存在が大きい。
内田樹も若いころは貧乏暮らしで仲間の家に居候していたらしいが、
今、会社で一緒に働いている仲間たちがいれば、
生活水準が下がっても、どんなに困窮しても、助け合ってやっていけるのではないか。
みんな貧乏だけど、
「信頼」が担保になっているから、怖くない。
心のセーフティーネットが張ってある状態なので、不安なく、まっすぐに前を向いて働ける。
信頼のセーフティーネットが無い状態で生活水準が下がるのをおびえているより、
下がる事を「当たり前」として、みんなで肩を組み合ってずでんと構えているほうが、
ずっと、楽だと思う。
そして、この事に多くの若者が気付き始めているのではないか。
FRIDAYの編集者の方は、ここ数年の社会変化の中で、若者の「仕事に就くということ」への意識がどう変化しつつあるのかを知りたくてこの企画を立ち上げたそうだが、変わったとすれば、
多分そこだろう。

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