女子カーストって、実は前向き?「格付けしあう女たち」を、ぼっち女子が眺めてみた


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編集協力させたいただいた、白河桃子さん著「格付けしあう女たち (ポプラ新書)」が先日、発売しました。

 

 

女子たちは拗ねていた。

そして、怒っていた。

オンナのしあわせのものさしを押し付けてくる社会に。他人に。そして、自分自身に。

 

 

 

わたしはぼっちである。

女友達が(まじで)少ない。

当然、女社会を知らない。

 

小学校低学年の休み時間、教室の隅でひっそりと石に絵を描いているあいだ、クラスの女の子たちが校庭で繰り広げていた「セーラームーンごっこ」にも「姫ちゃんのリボン」ごっこにも入れなかったし、

高校生のころ、教室の隅でヘッドホンの右と左の狭間で浅井健一の歌声の世界にひきこもっていた間に、クラスの女子が、自分より微妙に美人なAちゃんと微妙にブスなBちゃんとの狭間でどっちに着くか悩んでいることにも気づいていなかった。

大学を卒業し、定職にもつかずシェアハウスの片隅にひきこもっている間にも、知らない間に女子たちは、男社会と格闘しながら、結婚・出産のための準備をてきぱきと済ませ、ちらほらとオンナの幸せをつかみ始めている。

 

ぼっちは世の中の大勢が抱える悩みを同じ時期に抱える必要がないという意味ではメリットがあるけれど、べつに、だからといって世の大半の人が抱える悩みにぶちあたらない、というわけではない。

世の大半の人がはやばやと悩み、解決策を手に入れている事項について考えるきっかけを逃し(そんな話する女友達もいないから)、周回遅れで悩み始めたころには、周りのいち早く解決を済ませた人から「え?今更そんなことで悩んでるの?」という顔をされる、ということがまま、ある。

(これ、男も同じ)

 

私は女子同士の争いの中で、勝ち上がってゆく自信も度胸もなかったから、早々と(5歳ぐらいで)カーストの最下層のすみっこに逃げてしまったというだけで、別に自分が女子であることに変わりはない。

女同士のつきあい、結婚、出産等々、典型的な女子の悩みに、27歳にして、周りの女子よりだいぶ遅れてぶちあたり、あたふたしている次第である。

 

もちろん、大学に入った頃から親友と呼べる女友達も出来始めたけど、
しかし、「我が道系」の女に寄ってくるのはまた、典型的な「我が道系」である。
「結婚?なにそれ食べれるの?」
当然、あまり参考にはならない。

(今さらだけど、セックス・アンド・ザ・シティがあんなに流行ったのって、主人公の女4人が絶対にマウンティングし合わないからなんじゃないかなぁ…。)

 

だから、取材を通して初めて「女子の世界」に触れ、世の女子たちはこうやって「女子コミュニティ」で悩みをシェアし、それぞれ葛藤し、こうして恋愛・結婚・出産などなど「オンナの幸せ」について、考えをめぐらせてきたのか!と、思わず関心してしまった。

私は27年間、いったいぜんたい、ちゃんと「女子」やってきてたのかと。

 

だからこそ、今回お仕事を手伝わせていただいた「我が道系」女子の代表格、 ジャーナリストの白河桃子さんが、「女子の世界」をどう分析するか、非常に興味深かった。

なんせ、一流企業で働いたあと、アジアの新興国で暮らし、現在は女性の生き方、働き方のスペシャリスト。

そんな、悠々自適に自分のフィールドを跋扈している女性の代表格が「フツーの女子」の中に、埋没するわけがない。

ヒエラルキーの中で、黙って格付けされるわけがない。

 

そんな白河さんが、どんな風に「格付け女子」たちのことを見ているのか、 もしかしたら、ちょっといじわるな目で見てるんじゃないの、と、最初、うがった目で私は見ていた。

だって、私は見ちゃうもん。 「ロンハーマン買えなきゃセレブママ脱落」とか言われても、「ロンハーマンって、アメリカ郊外の70年代ママが芝刈りで着てそうな白ニットでしょ」とか思っちゃうし。

たとえ6000万のタワマンに住んでても、やりたい仕事ができないのって、果たして幸せなのか?と思っちゃうし。

「結局オンナは顔セレ!」って言い切る女子大生ちゃんたちにもやもやしたり、しちゃうもん。

 

小さな差異に一喜一憂して生きる彼女たちを、白河さんがどんなふうに分析するのか。

非常に興味があった。

 

ところがどっこい、白河さんの彼女たちを見る目は優しかった。

専業主婦ママ、女子大生、バリキャリ女性…etc、 それぞれ年齢もクラスタも異なる、彼女たちの個人的なやっかみや足の引っ張りあいを「しょーもない個人の問題」とせず、 その根底には、日本が抱える労働の問題、妊娠出産にまつわる社会的な冷たさ、手助けのなさや、 お母さんたちの働きづらさの問題があると、冷静に原因をあぶりだす。

「比べあいは、社会が多様化する過渡期だからこそ起こる」という独自の視点にも納得。 これって実は雇用の問題だったのか!と分かれば、解決の糸口も見えてくる。

 

そっか、女子たちは怒ってるんだ。

「結局、女は顔セレじゃん!」と叫んだ女子大生も、 友達から来る「幸せアピール」な年賀状をやぶいてしまうママも、 社会に期待される「女としての役割り」と、個人の幸せの乖離に悩み、 「どうせ自分はそんなものには応えられないわよ」と拗ねている。

拗ねつつも、自分の理想を手に入れるために、戦ってる。「もう競争から降りました」と裸足で逃げ出す男子が多い中で、女子たちはエネルギーを有り余らせ、その出口を探して、就活、仕事、家庭と仕事の両立、いろんな局面で戦ってる。

生き方が見えない今だからこそ、 自分の生き方を肯定したくて、だからこそ比べあう。

 

それってなんだか一周回って前向きじゃん?

戦ってるのも含めて全部「女子」だなぁ、そういうのっていじましいなぁ、と、女子の新たな面が、サイコロを転がすように見えてきた。

そして、コミュニティ内でべちゃべちゃとくっついては比べ合ってるように見える女子たちも、手を取り合えないという意味では孤独だし、ぼっちなんだな、

そういう意味では、あんがい自分と変わらないな、どうにかしてあげられたらいいのにな、と、最後には他の女子たちのことを考えるようになってきた。

 

これまで、オンナのイヤ〜な面に言及する本は数あれど、それに社会学的な読み解きが加わることで、モヤモヤが腑に落ちる。かつ、解決策も提示して、スカッと爽快、最後には前向きになれる本ってなかなかない。

自分が女子であることに、モヤモヤしてる人にこそ、読んでもらいたい。

スピ系よりもパワーチャージされるよ。  (たぶん)

 

最後にひとつ、 私がいつも行く銭湯の名物は、常連のおばあちゃんたちの、脱衣所での井戸端会議。

骨と皮でしわっしわの「女子のなれのはて」が、女子会(平均年齢高め)で何を話すのか、興味を持って耳をそばだてていると…。

婆A『高島屋のギャラリーに知り合いがいてねぇ、このまえ、展覧会に特別に誘ってもらったのよ!』

婆B 『あらぁうらやましい。高島屋なんて…私なんてそんな知り合い居ないわよ。銀座のギャラリーには、知り合いがいていっつも招待してくれるんですけれどもね』

(すかさず)婆C『二人とも素敵な知り合いがいて良いわね〜、私なんて、歌舞伎座の知り合いに年一回、特別鑑賞チケットもらえるくらいのもんよぉ』

 

…… がーん。

オンナってしわくちゃのヨレヨレになってでも、マウンティングし合う生き物だったのか…。

しかも「知り合い自慢」て。

美貌、ダンナ、仕事…手持ちのカードが全部なくなってなお、他人のカードで戦う図々しさ!

 

尻がせんべいみたいに垂れても、乳がきんちゃくみたいになっても、

まさに幼稚園から墓場まで、

オンナの業の深さに苦笑い、するしかなかった。

 

しかし、骨身になってもダンナに先立たれても、マウンティングしあえる仲間がいるってことは、有る意味、幸せなのかもしれないなぁ……。

(孤独死しそうだもん、私。)

 

ちゃんちゃん。

 


投稿者:

miyuki.ono1228

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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