6日目:「仕事=誰かに何かを与える事?」


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朝、喉の痛みに目が覚めた。連日の天候の変化の激しさに、体調を崩したようだ。

次の村までは約30kmほどある。どうしても聖地まで歩いて行きたかったが、迷った末、無理をせずにバスで移動することにした。

 

村のバスターミナルから出発すると、バスは徒歩で次の村を目指す巡礼者たちの列を追い越し、悠々とアスファルトの国道を走り抜けてゆく。大都会では慣れたスピードも、一歩一歩、踏みしめながら歩くことに慣れたこの地では、戸惑うぐらいに速い。

 

次の街、サアグンは多くの教会や修道院に囲まれた、静かな田舎街だった。

近代的なゲストハウス風のアルベルゲと、歴史あるコンベント(修道院)をそのまま利用した古めかしいアルベルゲ、どちらにするか迷った末、後者に泊まることにした。

中世の修道僧が生活していた教会の回廊を、改装して宿泊棟に充てている。灯りのない回廊にはステンドグラスや燭台など、中世の装飾が当時のままそこかしこに残る。

今にも修道僧が出てきそうな、荘厳な場所だ。

 

ホスピタレイラ(宿の女主人)が迎え入れてくれた。マーサ、52歳。アメリカのカリフォルニアから来た。

 

アルベルゲの管理人は、過去に巡礼した人がボランティアで1年間、一つの村でアルベルゲを管理・運営する。

 

まるまると太った身体にエプロンをつけ、典型的なアメリカ人のお母さんといった風貌のマーサ。

なぜ彼女は、わざわざ遠くのアメリカから、英語も通じないこの村でのホスピタレイラに志願したのだろうか?

 

彼女は言う。

「昨年、この道を歩いたのは、とても貴重な経験だった。

私はカミーノから多くのものを受け取った。

今度は私がそれを返す番。そう思って、

ホスピタレイラに志願したの。」

 

多くの巡礼者が、カミーノを終えた後、今度は自分が恩恵を返す番と、ホスピタレイロになったり、巡礼路に移り住んでくる。

 

夜になれば明かりが消え、食べ物も水も分け合って生きるようなカミーノの暮らしになって初めて、互いに与え、与えられる関係のありがたみを、身に沁みて感じるようになった。

翻って、日本での自分を考えると、そんな意識を一切持っていなかったことに気づく。

 

「成長したい、自分を磨きたい」。

就活をしていた時、出会った多くの学生がそう口にしていた。
私もなんの迷いもためらいも思考もなく、そう言っていた。

でも、それは何のためだろう?自分のため?誰かのため?社会のため?

 

マーサに聞いた。

「自分は今、卒業後の進路を考えている最中だけど、今までの人生で、一度も誰かに何かを与えたような気がしないの。こんな自分でも、そんな仕事ができると思う?」

 

マーサはにっこりと笑って答えた。

 

「私は52年間カリフォルニアで暮らしてきた。

息子を3人育てて、やっと自分のために使える時間ができた。

そんな時、この道に出会ったわ。

その時すぐに分かった。ああ、私の今やるべきことは、この道で自分と同じように歩いてきた巡礼者に、今までの人生で受け取った恩恵を返すことなんだって。

それは使命感とかそんなおおげさなものじゃない。

ただ、バスケットの試合でボールが回ってきたみたいに、誰かにそれをパスするのが、今の自分の役回りだと感じたのよ。52年間生きていて、それは初めての出来事だったわ。

 

人が人に何かを与える方法ってたくさんあるわ。でもそれは人それぞれ、違う形なの。

 

その人にしか、人に与えられないものって必ずあるのよ。

 

たとえ今は与えられるだけの身分だとしても、いつか必ず、それに気付いてアクションを起こす時が来るのよ。

それが大学を卒業する前の、たった一年の間に起きるなんて、一体誰が決めたの?

 

カリフォルニアとスペインの日光のブレンドでこんがり焼けた、ライ麦パンみたいな笑顔でそう言う彼女。

 

出国前に読んでいた「一人では生きられないのも芸のうち」(内田樹)の中にも、似たような言葉が書かれていた。

「自分に先立つ何千、何万の人々に与えられたものを返すことでしか、私たちは生きられない。そしてその行為が“仕事”だ」と。

 

では、今まで生きてきた中で無数の人から与えられてきた、目に見えない恩恵を返すために、私が、見返りを求めずに誰かのためにできる行為って、一体、なんだろう。

マーサの言葉は、救いにはなるけれど、私にとってはまだまだ雲の上の言葉だ。

 

それが見つかった時「仕事」という言葉にかかった霧は、少しは晴れるんだろうか。


投稿者:

miyuki.ono1228

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。