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風呂のない家に住んで半年が経つ。

今のところ、不自由はしていない。

 

最初に風呂なしの家に住もう、と思ったのは、家賃をおさえる意味ももちろんあったけれど、

単純に、銭湯通いをしたかったからだ。

生活の中に、自分だけのリズム、自分なりの、人生の起点を作りたかったからだ。

 

昨年の11月ごろの私は、いろいろなものや人に振り回されていて、ボロボロだった。

十二指腸潰瘍になって、仕事を辞めた当時の私は、あばらが浮くほどやせこけ、夜中に胃の痛みで飛び起きるせいで昼間はいつも朦朧としていた。

人生の中に、一日の中に、自分の基準がどこにもなかった。

仕事や人間関係で膿むのは、それ自体が問題なのではなくて、
自分を棹さす地点を、どこにも持っていないからだ、と思った。

 

昔、家をもたず、京都や東京をふらふらしていた時の経験で、銭湯のよさは感じていた。

どうせひまな人生だ。

銭湯に行く、その30分とか1時間の時間を、一日の起点にして、そこから一日のサイクルを作りたい、と思った。

たとえ生活の中で、なにかに振り回されたとしても、そこだけはぶれない、人生の中の自分だけの起点。

 

不動産屋さんは、女の人にはおすすめしませんよと言いながら、意外と簡単に部屋を探し出してくれた。

渋谷からひと駅。駅徒歩2分。

渋谷にも原宿にも歩いて行ける。

1K10畳、前年度リフォーム済みで家賃4万5千円ポッキリ。

なんのことはない。

「風呂がない」というだけで人々の選択肢から除外されているだけで、その条件さえ気にしなければ、格安の優良物件が、ちまたには溢れているのだ。

 

友人たちに銭湯通いを始めた、と言うと、「大変だね」とか、「高くない?」といわれたけれど、

月1万円かそこらで、だだっぴろい風呂(掃除つき、ガス・水道代含)をアウトソーシングしていると思えば、たいへんいごこちがよい。

月のガス代はだいたい1200円で横ばいだし、
たぶん、風呂代をプラスして5万7千円前後で風呂つきの家に住むより、ずっとよい生活をしていると思う。
(恋人と「神田川プレイ」ができるのも、楽しい。)
 

 

それ以上に、銭湯通いは大きな効果をもたらしてくれた。

 

銭湯には、他人がいる。

空間の中に、他人の裸体がみっしりとつまっていて、

それらは性的でなく紐解かれ、たがいの気配がたがいをほぐしあう。

そのことが、わたしをおちつかせる。

 

客のうち、代々木公園のランナー以外は、ほとんどが近所の商店街のおばちゃんだ。

彼女たちの

「あすこのテナントのオーナーはすこぶる態度がわるい」とか

「あすこに入った店はいつも半年ともたずにつぶれる」といったうわさ話を聞きながら、

広い湯船につかっていると、

他人の人生が、数限りないひだをもって迫ってくる。

 

電車の中で、仕事先で、街で、

これだけ多くの他人にもまれて生きているのに、

これほど密に、他人の人生が感じられる場所を、

わたしはほかに知らない。

 

銭湯は私にとって、命のつまった神聖な祠だ。

 

洗い場で、シャワーに髪を任せながら、首を90度かたむけて、

清潔な湯船にたゆたう、三十路前後の白い乳房が、おなじ乳白色の蛍光灯の光を反射しつるりと輝くのを見ると、

今、まさに生きている、なんとはない、他人の人生が、網膜にきつく迫ってくる。

 

陽の光が差し込んで白くけぶる海中に、遠目に揺れる珊瑚のような、細く淡い血管が、

血がめぐり、赤みを帯びた女性の臀部のやわい皮膚のしたに、本人にも知れず浮かびあがるのを見ると、

肉の下に重層的に刻みこまれた、ひとりの人間の歴史が宇宙のように私を取り囲む。

 

肉をすべて、家族のために使ってやってしまって、皮の袋みたいになった老人たちのからだ。

美しい老いもあれば、悲しい老いもある。

シャワーで泡を洗い流したあとの、彼女たちの皮の照りの違いで、それに気づく。

そのことが、私をきりりとさせる。

 

銭湯は空白だ。

他人の手垢にまみれた価値基準にも、じぶんに染み付いた価値基準からも遠く離れて、空白の場所をもつことが、

わたしをどれだけ、やしなってくれることか。

公共というにはいささか私的すぎ、かといって決して自分を閉ざせない。他人の私的がさらされている場所。

他人の私的に自分が埋め尽くされる場所。

 

 

すこし前、ブログを読んでくれた童貞の男の子からメールをもらった。

「自分は26歳だけど、未だ童貞で悩んでいる。どうやったら童貞を捨てられるか教えてほしい、そのためならナンパ修行でもスポーツ修行でもなんでもします」と。

冬だったため、思考が冷えているのか、追い詰められたようすでせつせつと書いてあった。

私は「ナンパも筋トレもしなくていいから、まず、毎日風呂にゆっくりと浸かること、できれば銭湯にいくこと、それが無理なら足湯をすること」をすすめた。

彼が実行したかは分からないが、しばらくして「思考にとらわれないで、リラックスして過ごせています」と返事が来た。

 

 

自分とセックスしても、ろくなことにはならない。

それよりも「自分から距離を取る」ことの重要さ。

他人がいる場所にいくこと。他人の人生を感じること。

そのほうが、不安はなくなるし、葛藤は減る。自分をすりへらすものを自然と手放せる。

 

一日の中の、いっときでも、自分というものを遠くに投げること。

その空白に、いま、生きている現実の世界が見いだせる。

 

 

シェアハウスもよいけれど、人と関わるのが苦手で、つい自分にひきこもりがちな人には、銭湯もよいものだと思う。

 

たまに、しこたま飲んで酔っ払って、閉店時間に間に合わず、台所の流しについ頭をつっこんでしまうことは、格好つけたい相手にはひみつだよ。

 


紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。