巡礼2日目①

朝7時、宿を出発する。

スペインの朝は遅い。
まだ日も昇らない真っ暗な闇の中を、懐中電灯だけを頼りに歩き出す。

朝8時ごろ、ようやく日が昇り始める。

さえぎるものひとつない地平線が、突如燃え上がるように朱色に染まり、
赤い太陽が、真っ黒な大地の向こう側からやってくる。どろどろと溶け出た光を絵の具のようにまき散らしながら、大地を明るく照らし始める。

風は身を切るように冷たい。
青と赤の水彩が交じり合う広大な空と、まだ明けない黒い大地が世界を二等分する。ピカソの絵のような、ヴィヴィッドな色の大群。こんな景色、今まで見たことがない。
空が明るくなると、今度は大地がさんざめく。
見渡す限りに広がる牧草地帯が、空から降り注ぐ日の光に歓喜しふるえる。
さっきまでは真っ黒だった大地が、光を浴びて黄金色の海のようにゆったりと目の前に広がっている。その中に一本だけ渡された細い小道を、草に遮られながら歩いてゆく。
大地と空だけがこの世界のすべてだ。そこでは自分の存在など、無に等しい。
そんな巨大な世界を相手に、澄んだ空気の中を、ただひたすらに、まっすぐ歩き続ける。

昼ごろ、細い山道に入った。
スペインの真昼の太陽は、秋といえども強烈だ。
じりじりと皮膚を焼く過酷な直射日光が、体力をそぎ落としてゆく。

背負ったバックパックが急にずしりと、重さを増した。

巡礼は厳しい自然環境の中を歩いてゆくため、完全装備を強いられる。
登山靴に、パーカー、登山用の杖。少しでも荷物を減らすため、バックパックの中身は体重の10分の1に制限するのが望ましい。

それ以上重いと、1日30km以上歩くのは難しい。

そのため持ち物は、最低限の衣類、靴ずれなどに対応するための医療ケア用品、そして、あれば寝袋。それだけだ。

巡礼2日目②
でっかいバックパックに、靴と寝袋、それに杖をくくりつけて歩く少女。スカート姿が妙にキマる。

それにしても、5キロのバックパックを背負って歩くなんて、一体どれぐらいぶりだろう。

日本では常に就活用のヒール靴で、スニーカーなんて滅多に履かなかった。

土ぼこりの舞う、石ころだらけの道を歩いていると、足の裏で踏みしめた大地の細やかな隆起が足全体に伝わり、体全体を振動させる。

普段は大切にくるまれている足の裏が、むき出しになったような感覚。

私の身体、ちゃんとここに存在しているんだ。
そんな感覚がだんだん、戻ってくる。

「Por que caminos-tu?(なぜ歩くの?)」

道で他の巡礼者と出会ったとき、必ず聞かれるのがこれだ。

自分探し、肉体のトレーニング、宗教的動機、
これからの人生についての重大な選択を決めるため・・・

理由は人によって様々。どんな理由で歩いても許されるのがカミーノの道だ。

正直私はこれを聞かれた時、なんと答えて良いのか分からなかった。
「就職活動がうまく行かなくて…。それで、なんとなくこれからどうするか考えるためで…。」
なんとなく答えるのが口はばったい感じがしたというのもある。カッコ悪い自分を知られたくないという気持ちもある。
けれどたぶん本当は、そういった表面的な動機はさておき、心の奥にある動機があまりにも青臭過ぎて、口に出すのが恥ずかしかったのだ。

本当の心の底からの動機は「強い自分になりたい」。
それだけだった。

レースについて行けない自分、面接で正しく振る舞えない弱い自分。エスカレーターに乗れないくらいで面接会場を引き返してしまった自分。
会社の求める人物像になれない自分。
強い自分を演じられない自分。

それが、痛いぐらい嫌だった。

「甘えているだけだ」
「社会に出たら、就職活動より、もっと辛くて理不尽なことが待っているのに、
これくらい耐えられなくてどうするの?」
就活を辞めた時、心配してくれた大学の先輩や社会人の知り合いに、口々に言われた。

その通りだと思う。

何万人の就活生がこなしている「フツウ」の事を、「フツウ」にできるようになりたい。
自分の進むべき道について、疑ったり、迷ったりしない、自信に溢れた人間になりたい。そう強く思った。

この道を選んだのは、ぐちゃぐちゃの内面の中で、なんとかたどり着いた答えだった。
日本でできる他の方法もあったと思う。けれど、なんでだかわからないけれど、自分が選んだのは『歩くこと』だったのだ。
500kmも歩けば、さすがに迷いも取れるし、強くもなれるだろうーそんな、半ば意味不明の甘い論理と、スポ根的な意地で、私はこの旅に出た。
それが、果たして「逃げ」だったのかどうか。
まだ、この時点では分からない…。


紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。