このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーを Google ブックマーク に追加
[`evernote` not found]
LINEで送る

巡礼イントロ

 

『人生と荷造りは同じ。旅の間にどれだけ要らないものを捨てられるかが、“自分は何者だったか”を決めるんだ』

—或る韓国人宗教学者の言葉

 

 

2008年の4月1日。

就活生にとって最も多くのドラマが起こるこの日、私は就職活動をやめた。

 

就活失敗からスペインまで

 

12時50分。午後イチ面接10分前の時間帯。

東京・丸の内のとある大企業の、エントランスへと続くエスカレーター前で、私の足は突然、動かなくなった。

 

目の前で、何の変哲もないエスカレーターが、ごうんごうんと音を立てて上がってゆく。

これに乗れば、一流企業の証・大理石の黒光りする巨大なエントランスホール。

多くの就活生が殺到する、人気企業だ。

私はそのピカピカのエントランスの受付けで、サイボーグみたいな笑顔の受付嬢から「訪問者」の名札を受け取って、面接の会場に向かう予定だった。

 

しかし。

それを目前に、私の足は今、まるで石膏で固められたようにぴくりとも動かない。

 

何故かは分からない。

去年の10月からずっと着続けているリクルートスーツの襟足から、夏でもないのにだらりと汗が吹き出す。

平凡なデザインの、やや履き潰されたマルイの就活パンプスは、相変わらず地面に接着して、私の意思を無視し続ける。

 

なんで動かないんだよ。動け。動け。動いてよ動いてよ動いてよ。あと3分で入館証を貰うでしょ、最上階の面接会場まで3分でしょ。待合室でエントリーシートのコピーを見直して、トイレに行って身だしなみを整えて、完璧な笑顔を作るでしょ、そして人事が来るのを待つんだよだから困るんだよ今動いてくれなきゃ。動いてよ動いてよ動いてよ…。

 

焦る気持ちとは裏腹に、私の脳と足の神経は、ぶつりと切り離されたままつながってくれない。

 

頭は一番イヤな想像を作り出す。

私の後ろにはきっと、午後イチで訪社した会社員たちが長蛇の列を作り、突然動かなくなった就活生に苛立ちを募らせているに違いない。

(早く乗れよ)能面のサラリーマンたちの大合唱が背後から聞こえる。

社員の首から下げられたピッカピカの社員証は、レーザービームの如き光を放ち、愚鈍な私を嘲笑っている。

 

妄想の最中も、黒色のステップは誰も載せず、淡々と機械的なスピードで上がってゆく。

就活生憧れの、あのオフィスエントランスに向かって。

一秒、一秒、また一秒。タイムリミットが近づいてくる。ここで乗らないと、あの面接会場に辿りつけないんだよ。私の未来が詰まっている、あの面接会場へ。

 

焦りがピークに達した私はエスカレーターに自分の身体を無理やりねじこんだ。とにかく、一歩前へ、踏み出さなければ…!

まるでガムテープで巻かれたように、ガチガチにこわばって動かない股関節が、その命令を無視した。

右足のかかとは上昇してゆくステップを掴み損ね、バランスを崩した身体はダーン!と派手な音を立て、おもいっきり転倒した。

ああ…やっちゃったな…。

 

起き上がり、後ろを向く。無表情の大人たちが列を作って立っている。

つま先から血の滲んだ膝小僧まで、ストッキングはくっきりと、滑走路みたいに完璧な一直線を描いて破れていた。

情けなさがあふれ出て、私の涙腺はパンクした。

 

それからどこをどうやって、あの迷路のような丸の内の地下通路を帰っていったのかは分からない。

携帯電話には、人事から着信が3件、入っていた。

無理もない。最終面接の予定をすっぽかしたのだから。

 

==

私はこうして就活をやめた。エスカレーターも電車にも、それ以来怖くて乗れなくなった。

カウンセリングルームでは、「パニック障害」という病名が付けられた。

 

なぜそうなったのかは、自分でも薄々感じていた。

これが何のしっぺ返しなのかも。

 

一言で言うと、それまでの私は「チョーシ乗ってた」のだ。

 

無敵のエントリーシートは実は白紙

慶應大学の3年生だった私は、交換留学の試験に受かり、カナダの大学で一年間学んだ。フランス語も英語も話せた。そのまま世界一周をして22カ国を巡り、翌年の秋に帰国した。

当時は就職バブル。一年先に就活をした同じ学科の同期は、電通やANA、外資コンサルなど、華々しい就職先が決まっている。私も当然、同じような進路に進むのだろうと思っていた。

12月には第一志望の企業のインターンがあった。多くの就活生が殺到する、人気のインターンだ。それに受かれば、面接のショートカットが約束されていた。優秀な仲間だってできるだろう。そう考え、嬉々として応募した私は合格し、事実、一ヶ月の楽しい時間を過ごした。

 

 

(自分は無敵のエントリーシートを持っている)そう、信じて疑わなかった。

大丈夫でしょ。

留学したし。

TOEIC950点だし。

インターンだってしたし。

 
 

しかし、その企業でチューターとして就活の相談に乗ってくれていた人事の女性は、そんな私の気持ちを見透かしたように、その後会うたびに同じ質問をぶつけてきた。

「小野さんは、本当は何がしたいのかな?」。

今思えばこの女性に感謝すべきなのかもしれない。ただ、当時エベレスト級の自尊心をふりまわしていた私には、その女性の問いの真意は図りかね、煩わしささえ感じた。

何がしたいかって?一流企業の内定が欲しいんですよ。決まってるじゃないですか。

 

心のなかでそう思いながら、同時に湧いてくる得体の知れない不安を押し殺しながら、その人事の女性に何度も会った。だんだん、会うのが苦痛になっていった。

 

要するに、私は何かを目指しているようで何も目指していない、典型的な頭スッカスカの、身のない就活生だったのだ。

ここから自分が仕事探しに鬱々としはじめるとは、まったく思っていない、身のない就活生………。

に続く)

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーを Google ブックマーク に追加
[`evernote` not found]
LINEで送る

紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。