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ドトールと許し


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京都なのに、ドトールにいる。

ドトールが好きだ。

ドトールには何もない。

代々木八幡のドトールに一ヶ月前に入った新人のバイトのお姉さんは、未だに新商品の「スパイスショコラ」を「スパイシーショコラ」と間違えて覚えている。誰も教えてあげないのだろうか。お姉さんの目は、いつも焦点が合っていない。

右となりで格闘技やってそうなおっさんが、ニートで引きこもりらしい男の子に生活指導している。親子ではない。引きこもりの男の子は、輝いた目でハキハキと返事をしているけれど、よく聞くと全く会話が噛み合っていない。精神が危ない人特有のギラギラとした目。目の前で男の子を鼓舞する男の人はそのことを全く意に介していない。

従業員、お客さん、店内のすべてにおいてのコミュニケーションの成り立ってなさがドトールの良いところだ。

代々木八幡のドトールはいつも人で溢れている。

ニートみたいな人、営業のサラリーマン。フリーランスっぽい人。

左となりのおじさんが日記を書いていたのでふと見ると「仕事がない。死にたい。」と書いてあった。毎ページ同じことが書いてある。大変だ。
この死にたいと書き続けているおじさんが、横でなくて、私の目の前のイスに座っていたとしたら、ドトールなんかに居ないで散歩しにいきましょうと言うだろう。ドトールにいたら、死にたくもなる。

 

ドトールには毎日、だいたい同じような人がいて、私もたぶん他の人からそう思われている。

渋谷のドトール本店にはいつだって風俗嬢とネットワークビジネスの人と宗教の勧誘がいるし、霞が関のドトールにはやる気のなさそうな国家公務員がちゃんといる。

そのことにいつもほっとする。お洒落なお店にはこのほっとする感じがない。

ドトールにはなにもない。

 

取材だの打ち合せだの、交流会だのイベントだので、たくさんの人に触れていると自分の輪郭が二重、三重にぼやけて、わけがわからなくなる。

それがドトールに来ると瞬時に戻る。
何にも触れない無関心が、私を裏返して、からっぽにしてくれる。ぐちゃぐちゃになった輪郭を、束ねてもとに戻してくれる。

 

大好きなマンガの一つに、「ちひろ」という風俗嬢を主人公にした漫画がある。

ちひろは空洞だ。性と欲のつまった世界で、誰にも依存せず触れ合わず、自分の中をからっぽにして、他人をただ、眺める。

ドトールのような徹底的な無関心。誰もを許すけど、誰もをその中に留めておかない。

でもその空の中に自分がある。今まで何かがぱんぱんにつまった、その自分をひっくり返して中身を出したら空だった、そういう思い切ったものがある。ぱんぱんにつまった外の世界。それをいろんな人がドトールという空洞に持ち込み、またそれを抱えたまま、去ってゆく。何もしなくていい。何もその空間に残さなくていい。

 

柔らかくてかさかさした、触り心地のまったくない、セロテープにマジックで書かれた許しのようなもの、それがドトールだなと思う。

 

 


投稿者:

miyuki.ono1228

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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