「忘れる」の効能ー震災から二年を経て


3日前の3月11日で、震災から丸二年が経過した。

 

1年目の3月11日は、自分に何ができただろうかと自問する日だった。

2年目のこの日は、震災を忘れていないだろうか、と自問する日になった。

特に今回、取材のために訪れたランカウイという南の島ー東日本大震災の、匂いとも空気とも全く無縁なこの場所で、2年目のこの日を迎えたことで、「あの日のことを忘れる」ことの罪悪感について、嫌でも考えさせられた。

同行していた編集者の先輩が言っていた。

「震災が起きた当初は、“亡くなった大勢の方の代わりに、自分は一生懸命生きよう、日々を大切に生きよう”と強く思った。

でも、日々の生活で色々なことに追われていると、なかなか決意したようにはできず、元通りの生活に戻ってしまっている。

震災に備えないと、とは思うけど、毎日毎日、“もしも”のことを考えては暮らせない。

あの時の危機感を忘れている自分に、罪悪感を感じることもある」と。

 

私は今でも東京に住んでいる。

狂った街だなと思いながら渋谷に住んでいて、時々、この街で人と会ったり飲んだり、代々木公園をぶらぶら散歩したり、八幡湯に浸かったり、狭いアパートで寝たりして、生活している。
その行為のはしばしに「震災の“あの日”を忘れているからこそ、できること」を感じる。

 

一個人の生活という、膨大なページの間に、ときおりすっとポストイットが挟まれている。

「震災の瓦礫を踏まえたうえで、今もなお成り立っているくらし」だと。

 

あの日のことを忘れてしまうことに、罪悪感を覚える人は、きっと沢山いるんだろう。

 

「忘れる」という行為は、人間が生きるためにとても重要な機能だ。

毎日細胞が生まれ変わり、新陳代謝を繰り返す中で、私たちの体はさまざまなものごとを忘れてゆく。

骨盤が動いたり、汗をかいたり、生理があったり。

身体が起こすひとつひとつの動作すべてが、過去のことを捨てて、新しい身体、次の身体で生きてゆくために必要な事だ。

すべてを覚えながら、生きてゆくことはできない。

忘れたほうがいいことを、どうしても忘れられず、それがその人の生活を阻んでいる時、それを「トラウマ」と呼ぶように、私たちの身体は、忘れることで正常に機能するようにできている。

だから、いくら「忘れないぞ」という意気込みを持ってしても、左右できない部分はきっとある。

私たちは、忘れることで生きてゆく。
次の命を産んでゆく。

国全体としては、震災の経験を忘れることで、どうかなと思う方向に進んでいる部分もある。けれど、ひと一人の幸せ、ということを考えた時、「忘れる」という事は、決して責められないはずだ。

 

では、もし、私たちがあの日の震災のことを、日々の生活の瑣末な行為に追われる中で忘れていったとして、あの震災から何も学ばなかった、と言い切れるかというと、そうじゃない。

私たちは、忘れたとしても、あの経験から何かを学んだはずだ。

 
一つの例としては、前回の震災の時のように、もし、自分から遠く離れた場所で苦しんでいる人がまた現れたら。自分とは直接関係の無い不幸な出来事が起きたとき、対岸の火事のさなかにいる人たちのことを、どう、自分のこととして引き寄せるか。

あの時東北に向かった多くの想像力は、時を経て消えたのかというと、決してそうではない。

対岸の火事を自分に引き寄せる、その作法を、私たちそれぞれが各自のやり方で学んだように思う。

 

具体的な行動を、取れる人、取り続けられる人、取れなかった人、色々かもしれないが、それでも私たちは、対岸で火事が起きた時、そこにいる人たちに対してどういう態度を取るか、どうやって寄り添うのか、自分に引き寄せるのかを、国としての大きなまとまりではなかったものの、個々人の身体の中に、筋反射的に覚え込んだのではないか。

それはけっこう大きな学びではないか。

 

もちろん、今でも東北には、忘れないでいてほしい、忘れられることで生死を分かたれてしまうような人たちが数えきれないほど暮らしている。震災以降、福島に多くの知り合いができたので、なおさらそれを感じる。

でも、人は自分の痛みとして一旦引き寄せた部分は、きっと忘れないように思う。

 

私は東京という自分のふるさとがとても好きなのだが、震災以降、東京が今までとは一転して、知り合いがどんどん去っていき、力の無い都市になってしまったことがとても悲しかった。

原発絵本プロジェクトをやっているのは、もしかしたら数年後には忘れられてしまうかもしれない、原発問題に揺れたこの2年間の、私たちが生きてきたこの時代の空気をなんらかの形で表現したい。福島の人たちと同じだけの苦しみは感じられないかもしれないけれど、都市部に住み、電気で暮らしてきた同じ問題の対象者として感じてきたことを残したい。「原発絵本」と銘打ってはいるけれど、そのテーマだけに限定せず、多くの人がこの2年間に直面した、エネルギーだとか、科学技術だとか、倫理だとか、この社会でどう生きるかだとか、そういったことごとー2011年3月11日以降、多くの人が考えた、未来のいのちに向けての課題を、誰にでもわかる形で留めたい。忘れられたとしても、忌避したり、ふたをされるものにはしたくない。

また、福島連携復興センターなど、知人が活動している団体があって、それらに売り上げを寄付することを目的として動いているのは、プロジェクト設立当初から変わらない。

すごく個人的で勝手な気持ちで始めたことで、一部分の局所的な支援にしかならないのかもしれないけれど、そういう引き寄せ方しか自分はできなかったので、それならそれでいいかな、と思っている。

個々人によって、引き寄せ方、自分にずっとひっかかっている震災のフックは、きっと異なるだろう。

 

震災のことを、いつまでも覚えておくことはできないかもしれない。○○のために、とか、忘れるな、とか、そういう自戒を持ち続けながら暮らすのは、難しいことかもしれない。
けれど、あのときを経て、人がそれぞれ、対岸で起きた火事をどう自分へと引き寄せるか、その自分なりの答えを身体レベルで覚えたとしたら、それは、忘れたことの容積より、ずっとずっと大きな学びだ、と思う。

そしてそれは「震災を忘れた」ことにはならないんじゃないかな、と思う。

 

そういうことを全く震災の匂いのしない、ランカウイの街で考えた。

 


紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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