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よいコンテンツってなんだろうと思う。

自分はむしろバズったりいいね!されたり話題になったりしないもののほうこそ優れていると思う。

ひっかかったり、不快だったり、なんだこれ…と思ってしまうようなものは安易にいいね!されたりつぶやかれない。

人はそこに躊躇してしまうからだ。

例えば私は「ガラテアソーマ」というブログが大好きだ。更新された時は必ず読んでいる。にもかかわらず、このブログについてツイートしたりいいね!した事は一度もない。

このコンテンツのなにがいいのか、自分でもわからないからだ。

でも、これは確実にじぶんにとっては「よい」のだ。

躊躇してしまうくらいよいのだ。

そういう、なにがいいのかわからなくて、でもなにか自分のなかにひっかかる、気持ちの悪いものが、一年後ぐらいに、ふと、「そういえばあの時◯◯になぜか、ひっかかりを感じたのは、こういうわけだったのか。」と分かる時がある。

受け手の中に植えつけられた種が、受け手と共に成長して、ある時その人の中でぽんと花が咲くみたいに、意味を持つことがある。

そうしてそれはその時はじめて作者の手を離れて、その人自身のものになる。
それはその人自身の表現になる。

たとえば園子温の映画は(家賃3部作は別として)気持ち悪くて、胸糞悪くて、デートには全く向かなくて、見終わったあとに「面白かった。感動した」と、まったく言いづらい。

園子温の映画が好きだというと人格を疑われそうだからというのももちろんあるし(わたしも、小野美由紀を好きだなんて人格を疑うといわれるような人間になりたい、と思う。ともだちには好かれたいけど)
園子温は本の中で「映画は僕の公開質問状だ」と書いているけど、そのとおり、彼の映画は質問性が強すぎて、自分が彼からの公開質問に対して答えられない/どう答えていいのかわからないから、絶賛しづらい。好きと言いづらい。

でも、そこから色々な経験を積んだそのあとに、ふと「ああ、園子温の映画でこんなのあったな」と感じることがある。公開質問の答えがじぶんの中で見つかった状態。

 

そういう、安易に答えを打ち返せない、噛み砕けない、自分の中のひっかかりが、確実にその人を育てている。

 

だから、偏った考えかもしれないけれど、私は心に残るコンテンツほど安易にバズったり絶賛されたりしないだろうと思っている。

 

逆に自分の作ったものや、やったことや書いたことがバズったりした時は即座にそれを捨てなければいけない。

わかりやすい、手に取りやすい、伝えやすいものだったんだと思って、すぐに忘れたほうがいい。それにこだわっているようだと何もかも逃してしまう。

表面で上手く行っているように見える時ほど、早く次にいかなければならない。うかうか喜んでいたら、逆にそれをもてはやした人たちから、簡単に捨てられる。

だから、セルフブランディングなんてアホの極みだと思うし、それを意図的に始めた時点でコンテンツとして面白い自分なんてなくなってしまうように思う。もしくはすぐに賞味期限が切れる。消費して捨てられないために自分を造ることはセルフブランディングではまかないきれない。

捨てられない自分は、年月をかけてセルフビルドするしかない。

それは安易にバズったり、いいね!される自分を作ることとは程遠い。

ということを水曜日にB&Bで行われたとあるイベントでKAI-YOUの武田さんの話を聞いて考えた。

 

自分はだから、本当にまだまだだなと思う。

自分の作ったものをすぐにポイっとできる、その速度をもっと速めたい。

 


紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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