自分ではない、他者の話を聞くということー相談室を行なって


この記事『出張お悩み相談室「みゆきの穴」をはじめます』を読んで、数名の方にお申込みをいただき、お会いしました。

出張お悩み相談室(カウンセリング)を受けてくださった方の感想①

出張お悩み相談室(カウンセリング)を受けてくださった方の感想②

上記の告知文は、軽いノリで書いたけれど、実際にはカウンセリングのつもりで本気でやっている。
幸いある程度満足していただけて、感想を快く書いてくださるケースが多い。

けれど、感想をくださった方のケースに関しては、自分は随分楽をさせてもらっているなと思う。

Ust番組(「メンヘラ的家族論」)をやったり、こういう過激なブログを書いたりしているので、申し込んでくださる方は、自分の悩みに深く入り込み、予め「問い」を抱えてきてくださっているからだ。

「問い」がある人は、すでに答えを自分の中に持っている。

そういう方に対しては、相手の中に深く入り込み、その答えを相手の中から拾い上げるだけだ。

相談室をやって感じるのは、カウンセリングというのはカウンセラーが悩みを解決する行為ではない、ということだ。

自分の中に答えを持っている人に対してカウンセラーが何かをしてあげることはない。 答えを持っている人は、自分ですらすらと流れてゆく。流れの中で、自分で答えを捕まえる。 カウンセラーは、相手の流れをただ、見て、せき止められている部分を見つけて、滞りを取り除いて流してあげるだけだ。

そのためには、逆説的だが相手に対する執着を捨てなければならない。

私は、相手のことを半分くらい「どうでもいい」と思いながら話を聞いている。この「どうでもよさ」がないと、カウンセリングは成立しない。

他人だからどうでもいい、どうでもいいけれど、流れていない部分を見つける…。
カウンセリングについて色々教えてくれたり、本を紹介してくれる友人の高石くんは 「カウンセリングは、自分の中の救世主願望との戦いだ」と言っていた。 他人を助けたいという気持ち、相手の心を思い通りにして、自分の万能感を得たいという欲が、本人を気持ち悪いスピリチュアルカウンセラーやインチキ宗教の教祖のような存在にし、相手を依存させてしまう。

悩みを相談してくださる相手の話の中にも、本当は聞かなくていい、分流のような余計な話と、流れの中で大切な部分、答えに結びつく一筋、本当に相手にとって、今語ることが必要な話がある。

聞かなくていい部分に関しては「どうでもいいです」とはっきり言うこともある。

他人への救世主願望に溺れていると、どうでもいい話まで全て聞いてしまって、大切な一筋を掴むことができなくなるな、と思う。

逆に、相手への期待が強くなっても、相手に依存してしまう。
カウンセリングの中で、「○○します」と言ったとしても、実際に行動に移すかどうかはクライアントの問題だ。けれど、期待が強くなりすぎるとそこまでも自分の目の中に置きたくなる。支配が始まると、他人は流れなくなる。その人の流れを、大切にしてあげられなくなる。
他人だから、実際に問題解決するかどうかはどうでもいい。どうでもいい相手の中に、自分を無にして入っていく。 そうして初めて、相手のことを深く見つめられる。

 

簡単にいえば、
「他人は、自分ではない」ということだ。
この相談室を始めるまで、 私は「他人は自分ではない」という当たり前の事に全く気づいていなかった。本当に、人の話を全く聞いていなかったなと思う。
この大前提をしっかりと持っていないと、他者を見ることができない。
自分とは違う他者に対して、その人がいる環境、その人の生きてきた人生、その人の持つパーソナリティ、その全てへの想像力を駆使して、相手を自分の中に再構成して、話を聞けなくなる。

自分以外の他者はみんな、自分ではない。

言葉にするととても簡単だ。けれど、多くの対人関係の問題はこの事が分かっていないから生じている。
恋人、家族の誰か、仕事先の誰か、友人の誰か。
“相手が自分ではない”という、それだけの事を私たちは簡単に忘れる。それを忘れるから、相手のことがわからなくなる。そして相手への恐れが生まれる。
相手を他人として見ると、目の前の他者の背後に、無数の細かな分流のように、その人を作り上げているたくさんの事象が広がって見える。

相手の社会的立場、周囲との関係性、住んでいる環境、育ってきた家族、今の状況、他人への接し方、何に困っていて、何を望んでいるのか…。

あらゆることに想像力を広げて、相手の背後に広がる、その人の人格を作り上げてきた無数の細やかな因子を捉えてゆく。妄想ではなく、他者を捉える一つの技術として、想像が活きてくる。

「他人は自分ではない」。 その事に気づいて初めて、相手の中に広がる、深くて広い湖の水面を、覗き込める。

 

街は他人だらけだ。

人、人、人、人、人、

電車で向かいの席に座っている女性も、立っている男性も、赤ちゃんも、子供も、おじいさんもおばあさんも、酔っ払って寝ているサラリーマンも、狂った風俗嬢も、疲れたOLも、みんな他人だ。
自分以外が他人であることを身体に刻み込み、その上で、「どうでもよさ」を持ちながら相手に深く入り込み、流れを見つめる。

他者を他者として見つめ、想像すること。そのためにはまだまだまだまだ、身に付けるべき技術が膨大にあるし、それをひとつずつ埋めていくために色々な事に取り組む必要がある。

その面白さを、今、噛み締めている。

 

また、この他者を想像する技術を知るのに、「自傷行為の理解と援助」と、「山上敏子の行動療法講義with東大・下山研究室」という2冊の本はとても役に立つ。

人に薦められて読んだのだが、2冊とも、臨床の現場で、クライアントの取る行動をどう捉え、どう理解するか、相手の生活環境や社会的な立場、家族環境といった相手を取り巻く現実的な場にまで治療者が想像力を伸ばし、そこで掴んだ相手の像を元に具体的な解決法を提示するかを、単なる理論ではなく、具体的経験にもとづき述べている。

この2冊については、またレビューを書きたいと思っています。

 

出張お悩み相談室「みゆきの穴」は引き続きお申し込みを募集しています。詳しくはこちらを御覧ください。


投稿者:

miyuki.ono1228

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

「自分ではない、他者の話を聞くということー相談室を行なって」への5件のフィードバック

  1. 何事もこれが大事。『“相手が自分ではない”という、それだけの事を私たちは簡単に忘れる。それを忘れるから、相手のことがわからなくなる。そして相手への恐れが生まれる。』/自分ではない、他者の話を聞くということー相談室を行なって | http://t.co/Q8OPtkA0

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