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みゆきなんのゆるばかトークvol.9 w/@lesyeuxx“メンヘラ的家族論”」を放送した。

元セックス依存症のカウンセラー高石宏輔と、きちがいの私が家族について話している。

参考:【USTREAM】「メンヘラ的家族論」ぶつかり合いながら変化していく関係性について

 

私は家族の全ての問題は、

・自分がされて嫌なこと

・本当はしてほしいこと

・本当はしたいこと

この3つを、自分自身で分かってない、もしくは分かっていたとしても、様々な外圧によって、それをきちんと家族に伝えることができないでいるからこそ、起こると思っている。

 

多くの人が、家族の問題を抱えている。

抱えながらも、「自分は正常だ」と思い込んで、見ないように、腫れ物にさわるようにして、生きている。

 

Ustでも話しているが、

私は親ぐらい、本当に殴りたかったら殴ればいいと思っている。

 

殺しちゃったらだめだけど。いや、別に殴らなくてもいいけど。

言うことを聞かせるために殴るのはDVだからダメだけど。

 

放送中、来場してくれた園子温の映画のファンの方が「家族が殺しあって崩壊する園子温の映画を見るとスッキリする」と言っていた。

家族が最終的に殺しあい、血がたくさん出る園子温の映画を見て

「現実に自分にはできないことをよくやってくれた!」というスッキリ感を覚える、と言っていて、私はそういう見方をしたことがなかったので驚いた。

この映画を見てスッキリして、家族に自分の抱えている殺意や憎悪をぶつける事をやめてしまうくらいなら、相手を「ちゃんと殴」ったらいいのだ。

親も「ちゃんと殴」られたらいいのだ。

ちゃんと殺しあって、再生したほうがいい(いや実際に殺しちゃだめだけど)。

「ちゃんと殴る」という行為=「感情を互いにぶつけあうこと」が家族間で必要な場合はたくさんある。

 

問題は殴ったあとだ。

殴ったあとで、自分が親や家族に対して持っている欲望にちゃんと気づくこと。

「本当は、自分は親にどうされたい/どうしたい」のか?

 

子どもが親を殴るって、よっぽどの事だ。本当に親を殴りたいと思っている子どもなんていない。

それなのに殴ってしまうくらい、親に対して、本当はこうであってほしい、こうして欲しいという強い願望がある。どうしてそうしてくれないんだ、という渇望がある。

ただ怒りをぶつけたくて殴るんじゃないと思う。本当は違うものをぶつけたい。

家族に本当にぶつけたい、自分の願望はなんだろう。家族に対して、どうして欲しいんだろう。

殴って初めて、それが分かることもある。

 

自分の本当の望みを知って、きちんと家族にぶつける事は、とても難しい。

園子温の「恋の罪」で、売春をし続ける美津子は結局、母親を殺せなかった。

なぜ売春をするのかという、主人公の問いに、美津子は言った。「まだ言葉が肉体を持っていないから答えられない」と。

言葉を生業とする国文学の研究者である美津子ですら、自分がなぜそうするのかが分からなかった。自分の願望に向き合って、言葉にすることができなかった。

だから、母親と向き合えずに、逆に母親に殺されてしまった。

 

園子温の映画は、たくさんの人が死んで血が流れて、家族の問題が爆発して解体して、スカッとするように見える。でも実は、子どもが親と向き合うこと、家族に本当の願望をぶつけて、解決することがいかに難しいか、その絶望を描いているように思う。

“多くの家族が、自分たちの特殊性から目を逸らして、平均的な家族だと思い込もうとするから問題が起きるのです。家族全員が自らの特殊性を認め、お互いを許しあった時に、家族は本当の意味で変われると思います。”(園子温「非道に生きる」より)

 

ぶつかったくらいでは、変わらないかもしれない。

本当の自分の願望を伝えた時に、ちゃんと向き合ってくれる家族もいるかもしれないし、そこまでしても誰一人向き合ってくれない可能性もある。

でも、「ちゃんと自分の願望を家族に伝えられる」ということは、自分自身が向き合えるだけの人間性を獲得する、ということだ。

自分がどうしたいのか、家族とどんな関係を結びたいのかを発見できた時、人は変われる。

 

私は14歳からずっと家族の問題で苦しんでいて、その関係を色々あってきちんと解決しようと決めた。

人に薦められたカウンセラーには

「親はあなたの願望なんて受け止めてくれないものです。

それよりもカウンセリングや治療の過程で“愛される、受け入れられる”という経験をして、その願望を満たしたほうがいい」と言われたが、なんか違うんじゃないかな、と思った。そんなのはやってみないと分からない。私は他のだれでもない、親に受け入れられたかったし、だからこそぶつけた。ぶつけて初めて、家族のことを許せるようになった。

今は、ちゃんとぶつけてよかったと思う。

 

多くの人が、家族のことを気にはしつつ、ちゃんと見ないまま、時を過ごしている。

自分たちが気狂いだということを家族全員が認めないまま、社会的な外聞だとか、常識だとか、ぼんやりとした霞をかけて、互いの姿を見えなくしている。

 

気狂いでも生きて行けるし、よい家族関係は築ける。

その事を自分自身でも、家族にも認めてもらった時、その人は再生する。

病むということは、社会の中で「多くの人が、気にはしているけどなんとなくそのままにしていること」に気づける能力があるということだ。

それを、社会的に外れているからとか、普通は気にしないものだとか、色々な外圧に押しつぶされて蓋をせずに、自分だけはとことん気にして、ちゃんと解決するまで向き合うこと。

それをしたときに、初めてメンヘラはメンヘラで無くなる。

 

その一過程として、「ちゃんと殴る」という行為も、選択肢の一つとしてはアリなんじゃないか、ということを、この番組では話している。

 

Ustでは家族や恋愛、男性の話もしているし、セックス依存症の高石くんが、ナンパした子と熱海のホテルで漁師に見守られながらセックスした話などが語られているのでおすすめです。

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紹介 author-img 著者

小野美由紀(MiUKi_None)作家。1985年東京生まれ。

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