「競争社会」の外側を生きる


 
 シェアハウスの同居人である20歳現役東大生男子がリビングのソファにうつ伏せに転がって死にかけているので何があったのかと聞くと「競争社会に疲れた」という。
一番競争に強そうな東大生でもそんな風に感じるのだなと思うと同時に、自分が「競争社会に疲れている」ことを自覚していて、かつ口に出して言える分、彼は20歳の頃の私よりもずっと大人だな、と思う。
 
 20歳の時、私は自分が競争社会にいるなんてこと、全く気付いていなかった。それは生まれてからそれまで「競争」が当たり前だったからで、「競争社会」ではない居場所とか、違うスキームでの生き方があるなんてことはさっぱり考えもしなかったからだ。
 親によってナチュラル・ボーン・競争者に仕立て上げられた子供は自分が何に追い立てられているのか、何によって消耗しているのか、うまく気づけない。不安とか焦りとか恐怖が常に物心ついた時から周囲を取りまいていて、その外側にある世界を覆い隠してしまうから。
 それにもし、気づいていたとしたって、私はそんなこと、口に出して他人には言えなかったと思う。
「疲れた」なんていうことは、すなわち負けることだと思っていたし、自分はそんなものに疲れるほどヤワな人間じゃないと、20歳の頃の、硬くて強がりで、一度来た道をまっすぐ進むことしか知らない私は思いたかった。
 そんな恥ずかしいことは口に出してはいけない、って、言語化すらできないほど前の段階、無意識のレベルで思い込んでいた。
 
 
 時々、「どんな大学生でしたか」と聞かれる。
そんな時いつも思い出すのは、大学3年生の頃に受けていたフランス文学専攻のゼミのことだ。
 
 ダメ学生の吹き溜まりみたいだった私のゼミは学科1の不人気ゼミで、生徒は5人しかおらず、5人とも卒業時に就職以外の道(留年、失踪、中退、内定無し卒業、海外院試準備という名のニート)を選ぶというとんでもないゼミだった。毎回毎回、皆が来るか来ないかは授業が始まってみないとわからず、大体いつも1人とか2人とか3人で行うのが常だった。
 
 それで何を勉強するのかといえば、出席者が1人とか2人の時には
「沈黙は言語か」とか「無は存在するのか」とか、そういう答えのまるでないことを先生と3人もしくはタイマンで延々1時間半議論する、みたいなことを1年じゅうずっとやっていた。
 
 ゼミの教室は質素で、キャンパスの端っこにあり、蛍光灯は暗く、雨の日などは特に窓の外に茂る青葉の影が黒いレースのカーテンみたいに教室の中にまで押し寄せ、雨音が他の教室から聞こえてくる声をまるきり遮断してしまって、まるでミサか何かのように空気は暗く重く沈鬱だった。時間はぐんにゃりと歪んで、頭が朦朧として、ダリの「溶ける時計」がそこらじゅうを舞って見えた。ボードレールとランボーとバタイユが黒板の上からお通夜のような顔で我々を見下ろしていた。先生は毎回特に結論を出さず、時間が来ると「では、これで終わりにします」と言って名簿を畳んだ。若くて寡黙な先生だった。
 
 同じ学科には学生が電通とかANAとか華々しい企業にバンバン内定をもらっているゼミもあって、でもうちのゼミ生はそれをうらやましがるどころか「自分たちはそれをうらやましがっていいスキーム内には最初から位置すらしてない」ということを皆よくよくわかっていたので、そんな気配は微塵もなく、卒業が間近になっても当たり前のように「カミュに出てくる岩の陰は何の比喩か」みたいな、一体これが何の役に立つのかもわからないような事を、毎回、毎回、人のいない教室で延々としゃべっていた。
 
 凄まじく居心地が良かった。
 
 私がそこで知ったのは、
「ああ私はこういう、社会的に無価値かもしれないけど、正解のないことを延々と考え続けるのが好きなんだな、正解のないことであれば、いくらでも考え続けることができるのだな」ということだった。
 
 正解のない問い、数値に現れるものよりも、結果のないことを、延々と、延々と、延々とやるのが、たまらなく心地いい。
 それは他の学生も同じだったと思う。
 
 他に、留学とか世界一周とかインターンとか、学生らしいこともいろいろやったけど、それらすべてなぜかさっぱり記憶がなく、いつも学生時代のことを振り返った時に思い浮かぶのは、あの狭く薄暗い教室で、普段は無口な男の子と、先生と3人で延々としゃべっていた「沈黙は言語か」の背後に降る雨の音と、窓の外の青葉闇だ。
 
 
 それでも親の「三井物産か電通に入れ」という謎のプレッシャー(⇦本当に謎だ……)によって、いやいや、就活していた。入りたくもない会社のエントリーシートを頭痛を我慢して書きながら、しかし自分では「なぜ私は好きでもないのにこんなことをやっているのだろう」と、まったく思わなかった。自分は何が嫌で何が嫌じゃないのか、何に惹かれ何に惹かれないのか、全くわかっていなかったし、考えようともしなかった。
 
 だって、競争ってそういうものだと思ってたから。心を無にしてやるものだと思っていたから。
 
 自著「傷口から人生」には就活をパニック障害を起こしてやめたと書いたが、本当は、就活を止めるために体がパニック障害を起こして「くれた」のだと思う。それぐらい私は就活が嫌だった。
 
 でも、なんで止められなかったかというと、その時の私は「正解があるものの方が、社会の中では絶対的に正解だ」と思い込んでいたからだ。
「用意された正解を、どれだけ正確に早く出すか」ってルールから、抜け出す力がなかった。若くて、頑なで、馬鹿で、自分をひ弱だと思い込むのをやめられなかったから。
 
 リクルートスーツを着るのも死ぬほど嫌だったが、その頃は世の中のすべての人はスーツを着て仕事をしていると思い込んでいた。いや、私は全盲ではないので、街を歩いていたら、スーツを着ずに仕事をしている人などゴマンといることに嫌でも気づくはずだ。ただ、愚かで、狭い「競争」の世界にいる私は、それを見ないようにしていただけなのだ。「正解を探す」とか「競争で勝つ」以外の仕事が、生き方が、この世界には本当は溢れているということに、私が気付いていなかった。
 
 その時の私は「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ」と思いながら、一体自分が何をいやだと思っているのか、全く分かっていなかったのだ。あれだけ早く、正確に、答えを出す訓練を5歳の小学校受験の時からやってきたにもかかわらず。
 
 
 それから6年経って、今、私は運良く「正解のないことを延々と考え続ける」仕事で食べている。
 何でこうなったのか自分でもよくわからない。物書きになりたいとは本当は1度も思ったことがない。でもなぜかたどり着いてしまった。細い道を、それ以外の選択肢を押しのけてやっとできた隙間みたいな細い道をたどってきたら、いつのまにかこの世界にたどり着いていた。たどり着くまでに6年もかかった。本当はあのゼミの授業を受けていた時から、頭よりも賢い私の体は「お前はこっちだろう」って、本能的に気付いていたのに。
 
 今の自分は、正解のない世界を生きている、と思う。
 こう書くと「負け犬の状態を受け入れた」というふうに受け取る人もいるかもしれないが、うーん、そういう感じとはちょっと違うんだよな。正確には「自分だけの」正解を探し、「自分の中でだけ」競争をしている。自分の外側の他人が勝手に作った競争社会を降りて、自分の中でだけの答え探しに、ある時から徐々にスイッチが切り替わり始めた。その答えはいつ出るのかわからないし、出たところでそれが社会にとってどんな意味があるのかわからない。それはとても怖いことだ。競争社会にいる時は、競争がない世界ってなんて平和なんだろうと思っていたが、そこから降りてみたら、正解のない世界の方が、何の支えも保障もないぶん、残酷で暴虐で理不尽で、よっぽどヘビーだということがわかった。勝者も敗者もグラデーション的に入れ替わるぶん、意識をしっかり持っていないと、自分のアイデンティティが保てない。
 
 でも、こっち側の世界に来て良かった、と思う。
 こちら側の世界の様相は毎時毎分毎秒変わり、人生の「答え」も朝起きるたびに毎回変わっている。とってもチャーミングでキュートな世界だ。多分、生きているうちに、何の形にもならないものもいっぱい出てくるだろう、でも、それでも、続けていって、私の手からでも、もしくはこの世界にいて、一緒に連なっている他の誰かの手からでも、100年に1度のマスターピースが作り出されるのであれば、たとえカオティックで頭ぐちゃぐちゃになってしんどくてわけわかんなくても、まあ、悪くないっていう感じである。
 
 「正解を求めない」「他人と競争しない」世界が、競争社会の外側に実は存在していて、そこで生きることはどんな人でも案外可能なのだ、ということに、私は30を過ぎてやっと気づいた。それは別に難しいことではない。ただ、目を開いて、その世界を見さえすれば良いだけだ。競争の内側にいても、競争の外側を見さえすれば良いだけだ。
 1たす1が2ではなく、1たす1が2にも3にも4にもなる世界が、本当は私たちの周りには広がっている、そのことに自分で気付きさえすれば良いだけだ。
眩しい光を恐れずに、自分で自分の目を覆っている手のひらを、そっと剥がしさえすれば。
 
 なんてことを、電通の女の子の自殺のニュースを見て思った。
 彼女があの世で、「こっち側」の世界を生きていればいいと思う。
 
 
 
 
 
 

どこにも行けなかったころ#1 上野のハプバーにて


 

20代前半のころ、上野のハプニングバーに行ったことがある。

友達に漫画家のI先生と飲んでるから来ない?と呼び出されて、行ったら上野の有名なハプバーだった。

感受性がまだ、火傷によってズル剥けた皮膚のようにヒリヒリとして、敏感な頃だったので、私は怖いという気持ちと、私、どうにかなっちゃうのかなというドキドキした気持ちで薄暗い廊下の隅の扉を叩いた。

入り口で、身分証を見せ、女性は無料ですと言われて入った。

どんなミステリアスな場所だろうと思っていたのだが、入ってみたらガッカリした。だだっ広い場所に、数席のテーブルとソファー席があって、店内は相手の顔が見えないほど暗かった。照明を落とした、ただのカフェとかバーのような感じだった。一つだけ違うのは、そこにいる人々が、服を着ていたり、裸だったり、半分裸だったりすることだ。

しかし、裸の人間が積極的に絡み合っているかというとそういうわけではなかった。そこにいる皆が皆、壁際に佇みながら「そこで何が起きるのか」をずっと観察している。観察すらしていない人間もいた。彼らはただ裸ん坊になりながら困っていた。衣服という壁だけは取り払ったものの、そこから先どうしていいのかわからないと言った顔で佇んでいた。裸なのが、却って彼らの心理的な距離を際立たせる気がした。目の前にある、透明な分厚いこのプラスチックの壁を、壊してよ、誰か、僕に興味を持ってくれた人間が、そう彼らは言っているようだった。

そのうち友達同士が、フロアの隅にある、セックスをする用の小部屋に行ってセックスし始めたので、私たち一緒に来ていたグループの人々は、それを狭い小部屋で車座になって眺めた。

小部屋はひどく湿っぽくて、体液の臭いがした。目の前で起きていることを、全くエロいと思わなかった。ただグロいと思った。

触ってごらんと言われて触ってみたが、女の子の局部は黒く茂っていて、全く何がどうなっているのかわからなかった。童貞は大変だなと思った。自分の持ち物でさえこうなのだから。

そのあとで、その女の子が、「小野さんは見当違いのところを触っていて全く気持ちよくなかった」と言っていて、すみません、と思った。

そのうちそれを見て興奮した同じグループの男性が手を引っ張ってきたので、私たちは隣の部屋に入った。興奮していなかったかといえば嘘になる。けれどそれは性的な興奮ではなくて、異常な空間で何が起こるのかを期待する怯えと、自分を高みにおいてそこから他人の泥にまみれた行為を見下ろす、何も差し出すことのない、吝な傍観だった。

男は隣の部屋で私を押し倒し上にのしかかってきた。私はされるがままになっていたが、二人きりになった途端に心は冷凍庫に放り込まれたみたいにかちかちに凍り始めていた。

異常な状態なのに、興奮しない、私は一生、何にも興奮ができないのではないかと思った。

男は別に服を脱がすわけでもキスをするわけでも胸を触るわけでも局部に触れるわけでもなく、転がっている私を抱きしめながらポエムのようなものをずっとつぶやき続けていた。手がねっとりと汗ばんで気持ちが悪かった。この男もまた勇気がないのだなと思い、足で蹴飛ばして、部屋を出て、元いた席に戻った。男はなんだかほっとしたような嬉しそうな顔をしていて、私はその男を馬鹿じゃないかと思った。そして、自分のことも大馬鹿だと思った。

私は別に、知らない男とセックスしたいわけじゃないのだなと思った。

性的な場所にいるからといって、性的な存在になるわけではない。

また、セックスしたからといって、寂しくなくなるわけではない。

寂しさは会話によってしか埋まらないのではないかと思う。

会話ですら埋まらない最後の一筋の穴を埋めたような気持ちになるために、人はセックスを使うのではないかと思う。

そこにいる人たちは、決して部屋の中心には立たず、誰かが自分の隙間を埋めてくれるのをひたすら待っているように思えた。

彼らのことを寂しく感じ、同時に自分も、寂しいから、来たいのかどうかわからない場所に誘われれば来てしまうのだなと思った。

Iさんは、セックスするわけでも、女の子を口説くわけでもなく、ただ酒を大量に飲んでニコニコ笑っていた。Iさんはいい人だった。

4時間ほど居て外に出た。

外に出ると、明け方4時の上野の街は店に入った時と変わらずギラギラと青白い光を放ち、そこを通る人間の目を全力で刺し続けていた。

私は、何かを隠すために光り続けているものもあるのだなと思った。


「若いね」って言われたら、嬉しい?


 

若いね、と褒められることに最近喜びを感じなくなって来た。

昔は「若いね」と褒められると、この人は私に「フレッシュな魅力を感じてくれているのだな」と思い、嬉しかったが、

今は、「若いね」と言われると、

「年相応の貫禄や社会的な責任のある人間」のようには見られていないのではないか、という懸念がよぎる。

お世辞で言ってくれているのかもしれないが、それはそれで「若いと言っておけば、喜びそうな女だ」と思われているようで、腹が立つ。

「若いのにすごいね」などと言われるよりも、

「年齢にふさわしい貫禄と、社会的な責任を負った大人の女だね」と言われたい。

そう思うのは、単に私がその領域に関して現在コンプレックスを感じていることの裏返しなのだが、

どちらにしても、若さを単にほめられるよりは、年齢にともなった人生の蓄積を先に褒められたい、まだこれだけしか生きていない、ではなく、すでにこれだけの人生を生きてきた人だ、ということを認めた上で話してほしい、という気持ちのほうが先行する。

それに、そう褒めた人が、若さをやたら懐かしがっているようなそぶりを見せたりすると、

若くないと人生を楽しめないと言われているようで、そっちのほうが心の裏地にちくちくとささる。

初対面とか、すくなくとも年齢を問うような浅い関係性においては、自分のことよりも、相手の人生観のほうが、大事だ。

最近、ある男の人と知り合って、恋愛風のムードが漂ったのだが、

「若いね」「ほんとに30歳?」「見えないね」と相手がひたすら連呼するので

気持ちがしゅるしゅると萎えてしまった。

男性は女性を褒める時に(また、女性が男性を褒める時にも)とりあえず容姿と年齢のギャップを褒める、という定石のようなものがあるが、

若さに価値を置いていない人間を相手に、その人の若さを褒める事は、逆に自殺行為だ、と思う。

日本にはアイドル好きに代表されるような、若さを称揚する文化があり、それに対して社会的に「大丈夫かな」とは思う(「幼さや未熟をアピールする事で、相手の手をゆるめさせ、ある種の牽制を相手に与える」という日本的な戦術は国際社会では通用しなくなりそうな気もするし、一歩間違えると危ういのでは」という懸念を感じる)が、それを無理に変えて欲しいとか怒ったりするつもりはない。「女性蔑視では」と怒るつもりもない。(だって、日本の女性だって若くて幼い男子が好きだ。高倉健ファンの若い女性より、韓国アイドルが好きなおばさまが多いのを見ても明らかだ)

ただ、私は若さで勝負をしたくない、という気持ちが今は強い。

銀座の高級クラブで働いていた時に、いろいろ教えてくれたお姉さんたちは、みなでっぷり太って貫禄があった。

なんていうか、「美人」とか「かわいい」からはほど遠いのだが、ばんと張った腹の上に、たっぷりとした乳とふくよかな頬が並び、きりっとしててきぱきと業務をこなしているのを見ると、なんていうか、どっしり地面に根を張った太い木の幹の内側から漂ってくるつややかさがあって、私はつい、お客さんよりもお姉さんたちのほうを眺めてしまっていた。

山崎ナオコーラさんの小説「かわいい生活」に

「女としての魅力ではなく、社会人としての魅力をアップしたい」というような趣旨の言葉があるが、

わたしも

「年齢を重ねた人としての魅力をアップしたい」

と切実に思っている。

そのためには、とりあえず「初めての相手にこちらから電話をかけられるようになる」とか、クリアしなきゃいけないことが、たくさんあるのだけど……。

 

文章のクセ、コミュニケーションのクセ


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文章教室を開講して2ヶ月。

今のところ、週に3回のペースでお申し込みをいただいている。

思ったよりもいろいろな層の方に受講していただいていて、ハローワークで職を探している人から、大きな企業の社長さんまでいろいろだ。

やっていて思うこと。それは、

“文章の悩みというのはそれ単体では存在せず、その人の人生の悩みと直結している”

ということだ。

文章は、いうまでもなく、書き手自身の人格と直結している。

その人の見ている世界、その人の暮らし、今の生活状況、コミュニケーションの仕方。

人格だけではない。対面で坐した時の、その人の喋り方、姿勢、声のトーン、話すときの文法の癖。それらはすべてリンクしている。

たとえば、読み手にとって共有されるべき情報をはじめから共有せずに、いきなり前提をすっぽかして書き始めてしまうような人がいる。そういう人は、会話においても、他者の視点が抜けていることが多い。

また、主題がはっきりせずに、だらだらと際限なく長い文章を書いてしまう人。そういう人は会話においても、いつまでたっても述語が表れずに区切りなく話し続けてしまうクセを持っている。

このように、その人が持っている文章の癖や、うまく書けなくて悩んでいる部分というのは、そのまま、その人の生き方のクセや、もしくは他人とのコミュニケーションにおける、つまづきの表れであることがとても多い。

本当は、自分に自信が持てない、だったり。

部下に相談したいのに、できない、だったり。

やりたいことがなくて焦っている、だったり。

その人の抱える悩みが、紙に印刷された、文字列の上にそのまま透けて見えることがある。

(もちろん、私にもある。私の場合、自分が言っていることが相手に伝わっているか、どうしても自信が持てないので、ついつい蛇足的にダラダラ言葉を重ねてしまう。その結果、余計なことを言ってしまう事が多い。原稿を書く時には、その事についてかなり注意するようにしている。)

 

とあるクライアントで、初対面の第一声からタメ口で話しかけてくる40代の男性がいた。失業中で、ハローワークに出すエントリーシートの書き方を教えて欲しいと言う依頼だった。

最初は「(自分よりも)若い女だと思って、舐めてるのかなあ」と思いながら講義を行っていたが、提出された文章を読み、話をするうち、彼の「他人全般に対する舐め」が、彼の人生におけるつまずきを作り出しているんだなぁということがよくわかった。

彼の文章は、いうまでもなく、他人に甘えていた。内容が甘えているということではなく、書き方自体が甘えている。べちゃべちゃとしていて、他人と距離が取れていない文章。“相手はもちろん、自分を理解してくれている”という前提で書かれているから、当然、読み手は困惑する。まるでドアもない家を、買うとも言っていないのに押し売りされているみたいな気分になるのだ。そのことを、気づいてもらう必要があった。

このように、 話し方の癖、文章の癖と、その人のコミュニケーションの癖というのは直結していて、それらを総合的に見てゆくと、この人が一体何につまずいているのか、というのがおのずと見えて来る。

 

私はカウンセラーではないから、その人のつまずき全部を取り除くことはできない。また、一回の講義で、コミュニケーションの癖を直せと言ってもどだい無理な話だし、むしろ癖なんかあって当然で、それがその人の個性でもあるから、全部を直す必要もない。また、たとえ文章が下手でも、不思議と相手に伝わる文章というのもあるから、「てにをは」などの文法をびっちり矯正すればいいというわけでもない(エントリーシートなどの場合は別だけど)。

ただ、「他人に伝わる文章を書きたい」と願う時、自分のコミュニケーション上のクセを知っておく、というのは、かなり有効だ。

だから、私が講座の中で行っているのは、提出された文章と、目の前にいる人のすべてから、その人の、文章を書く上でのつまずきに直結している部分を分析して、 それをその人自身に気づいてもらえるよう、促すことである。

 

時々、必要だと感じたら、クライアントに発声練習をしてもらうことがある。

発声して、自分の声を聞く事で、これまでどれだけ自分の声が閉じていて、相手に届かないものであったか、また、自分の話し方の癖について、気づく事があるからだ。

たぶん、やらされている本人は最初は恥ずかしいと思うが、講師としてはこれがいちばん楽しい。

 

声を出してもらううち、ふいに、その人の頭の後ろから、爽やかな風が吹き抜ける瞬間がある。

声がお腹の底から通ってくる感じ。自分の声を聞きつつ、相手に届けるために、迷いなく声を出せている瞬間。

そんな時のクライアントの顔は、さえざえとして、緊張や不安のない、落ち着いた表情をしている。

その時の感じを思い出しながら文章が書けたら、”じぶんらしい表現”になるのではないかと思う。

 

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お知らせ 9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。

 


9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。


淡路さん写真4

(写真提供:淡路愛)

9月3日(木)   19:30 ~に、「旅の本屋のまど」さんにて、新刊のトークイベントを行います。

スペイン巡礼の魅力について、スライドショーをつかいじっくり解説するほか、他の巡礼者の方をお呼びし、貴重なフランスパート(ル・ピュイからサンジャンまで)についてもたっぷりお話しします!

ぜひ皆様、お越し下さい。

 新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」発売記念

◆小野美由紀さん  スライド&トークショー◆

「スペイン巡礼旅の楽しみ方」

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新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」(光文社新書)の発売を記念して、ライターの

小野美由紀さんをゲストにお迎えして、スペイン巡礼旅の魅力についてスライドを

交えながらたっぷりとお話していただきます。カトリック三大巡礼路のひとつ、カミーノ

・デ・サンティアゴ。スペインはもちろん、イタリア、フランス、東欧諸国まで、世界中の

さまざまな国の人々がこの道を歩くことを目指して旅していて、最近は巡礼路を歩いて

旅する日本人も急増しているのだとか。本書は、就職活動に挫折し、スペイン巡礼を

体験し、その後3度に渡り全800キロの道を歩いた著者が、アウトドアとしても、旅として

も面白く、信仰を問わず誰にでも開かれている「スペイン版お遍路」の醍醐味を伝えた

旅エッセイになっています。実際にスペイン巡礼路を歩いて来た小野さんが肌で感じた

「歩き旅」の貴重な体験談が聞けると思います。小野さんのファンの方はもちろん、

スペイン巡礼路に興味のある方や歩き旅に興味のある方はぜひご参加ください!

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

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●小野美由紀(おのみゆき)

1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。学生時代、世界一周に

旅立ち22か国を巡る。就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。その後3度に渡り全800キロ

の道を歩く。卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。クラウドファンディ

ングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を

出版。2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、

話題を呼ぶ。現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

◆小野美由紀さんブログ

http://onomiyuki.com/

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(写真提供:淡路愛)

【開催日時】  9月3日(木)   19:30 ~ (開場19:00)

【参加費】   900円   ※当日、会場入口にてお支払い下さい

【会場】   旅の本屋のまど店内

【申込み方法】 お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、

 お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627

 e-mail :info@nomad-books.co.jp

 (お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)

  ※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】

 旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)

 東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F

 http://www.nomad-books.co.jp

  主催:旅の本屋のまど

 協力:光文社


あなたのそれは何色


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先月の中旬ごろ、お気に入りの水色のカーディガンを、とある飲食店に訪れたさいにうっかり忘れてしまい、後日、確認の電話をかけました。

しかし、電話に出た店員さんの答えは
「水色のカーディガンの忘れ物はありません」。
いやおかしい、どう考えてもあの店にしかないはず。勘違いの可能性もあるかと思い、JRの忘れ物センターやら、その日訪れたほかの場所やらに電話してみたけれど、やっぱり見つからない。
しばらく諦めムードになっていたのですが、もう一度だけトライしてみようと思い、再度、電話でカーディガンのその他の特徴を伝えつつ、店員さんに確かめてもらったんですね。
そうしたら
「水色のカーディガンはないけど、灰色のカーディガンならあります。ブランド名は×△○※……」
………それだ!!!!!
私にはどう見ても水色にしか見えないものが、他人にはグレーに見える。
少し前、例のドレスの画像がSNSで出回ったとき、「ふーん」とたいして気にもとめなかったのですが、我が事となると驚きは大きい。
人の認識する世界の色って、全然違うんだなぁと、驚いたわけですが、でも、これ、たぶん仕事上でもしょっちゅう起きていることですよねぇ。
「数日以内に仕上げます」の数日って、「2〜3日」なのか、「3〜4日」なのか。
「気持ち、巻きでお願いします」の「巻き」ってどんくらいなのか。
今、一緒に仕事してる編集者さんは、私に負けず劣らず感覚人間なので
「気持ちポップめに」
とか
「エグく、かつキャワな感じで」
とか、2人ともようこれで通じ合えるなと思う単語で仕事してるのですが(書いててバカっぽいぞ)
そういうのって奇跡的に噛み合ってるだけで、ホントは細部まで詰めようとしたら言葉がいくらあっても足りないですよね。
このカーディガンの件も、最初に私が色だけでなくて、形はこうで、ブランドはこうで、生地は……と、細かく説明していたら、一発で通じたかもしれない。

ここで、話は変わるのですが、私は今、西崎憲さんの小説教室に行っています。
その時に、西崎さんが、小説の諸要素について、こんな風に説明してくださいました。
「主題が内臓だとしたら、プロットは物語の、骨。ストーリーは、肉。で、描写は皮膚。読者に見える部分、“何を見せるか”“どう見せるか”。詩性は装飾ですね」って。(ざっくりとまとめるとこんなかんじ。実際はもっと丁寧かつ違う言い方でご説明されてました)
はー、そっか。
小説の中の“描写”って、もともと、異なる感覚を持っていることが大前提の他者と、わたしの覚えた感覚を、共有するために、必要な機能なんだ。
それによって、私たちは、もしかしたら2万光年遠くに住んでいる相手とだって、感覚を共有できるかもしれない。
で、かつ、西崎さんは「描写」についてこんなことをおっしゃいました。
「みなさん、小説で描写をするときには、頭の中にあるイメージを言葉で表現しようとしますよね。
そう、し終わった後に、ちょっとだけ待ってください。
あなたのその描写を、世界的に有名な文章家が、読んだとして、その彼が、あなたの頭の中にあるイメージと同じものを想像するかどうか。
そう、ちょっと考えてみたときに、彼のイメージとあなたのイメージが一致するだろうと思える言葉が、いい描写です。」
なるほどなあ。
たしかに描写って、やっているほうは、頭の中に浮かんだイメージに、ついついのめり込んで没頭して書いているから、あまりその場ではふりかえらないんです。
でも、ふと傍観してみた時に、
「この描写や例えは、人に共有されるかな?」と考えてみることって、人になにかを伝えるためには、必要なのかもしれません。
頭の中の世界と、外の世界の一致。
私がブルーと言った色は、あなたにとってもブルーなのか、それともグレーなのか。
小説を書く、という行為は、ひょっとすると、世界(に含有される、ものすごく多くの他者)と私との感覚が、一瞬でも一致する点を、言葉の上でかぎりなく詰めてゆく作業なのかも。
そう思うと、わくわくしてくるなぁ。


冬の薔薇より豚バラ


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エッセイが出た。
タイトルに「就活」と入っているので、就活関係の取材がやたら多い。
その中でも最も聞かれて困るのが、
「今の就活がどれだけ苦しくて、学生を圧迫するのもので、理不尽で制度として破綻しているか」を自らの経験として語らせようとする質問だ。
私の本は、2009年当時、就活がピークとなる4月1日、最終面接の五分前に、リクルートの丸の内サウスタワーのビルへと続くエスカレーターに乗る目前で、パニック障害を起こして転倒してエスカレーターに乗れなくなるところから始まるので、そういう質問が来るのは仕方ないかもしれない。
けれど、私は別に「就活」がなくなってほしいとは思わない。
むしろ、その仕組みの中で内定を勝ち取れるのはすばらしいことだと思う。
中川さんの「内定童貞」に書かれているように、面接の中で自分の武器を、めいっぱい発揮できる人もいるだろうし、楽しく就活を終えられる人もいるだろう。
そういう人にとっては、この上なくいい仕組みだと思うし、もし今自分が大学3年生に戻って、就活をもう一度するとしたら、たぶん、ふたたび就活の仕組みに乗るだろうし、そして内定も取れるだろう。(たぶんね)
でも、やっぱりどうしたって世の中には載れる仕組みと載れない仕組みがあって、もしも自分がその仕組みに載れなかった場合、「載れない」ということを理由に命までおとしてしまう人がいることは、聞いていてやはり、どこかおかしい、やるせない、と思ってしまう。
これは、就活にかぎらず、世の中のすべての仕組みに言えることだと思うけど、その仕組みがどんなに素晴らしい仕組みであろうと、あまりにも「載せる圧力」が強すぎると、それだけで、いろいろなものが潰れていってしまう。その潰れてしまったものの中に、小さくてもきらきらした、あまりにも良いものが、あったとしても。
私の絵の先生は、よく
「人の能力を伸ばすには、『冬のバラ』方式では限界があるんです。」と言っている。
冬のバラは、春に美しいバラを咲かせるために冬にわざと枝葉を削ぐ。厳しい環境においてそれでも新しい芽を出したバラは、より強く、美しい花を咲かせるのだ。
けれど、
「それだけじゃだめなんです。その方式で育てられた人には限界が来ます。人間は命ですから。
人を伸ばすということは、水をやり、枯れた葉は取ってやり、日が強ければ日陰をつくり、支えて、伸びたい方向に枝葉を伸ばせるように支えて、やっとその人の花が咲くんです。人を伸ばすというのはそういうことです。
自分の才能を開花させられる天才というのは、自分に自分でそうしてあげられる人のことなんです」
私はその話を聞いてから、ずいぶんとラクになった。

これを読んでいる、就活生のあなた。いや、就活生に限らないかな。

就活のすべてが悪いとはまったく思わないけれど、就活の仕組みが、あまりにもあなたの枝葉の形にそぐわず、あまりにもがちがちに縛ってしまって、もう二度と、伸びることすらもかなわないほどに命を削ぐような気がしてならないのなら、そこから少しの間でも、逃げていいのではないか、と思う。
もし、その仕組みがあなたにとって本当に必要であれば、たぶん少しの間を置いて、その場に戻ってくるだろうし、
その間に、自分で自分の枝葉を伸ばす方法を、誰かと一緒に、あるいはひとりで、考える時間をもっても、いいのではないか、と思う。
あかるいひざしを浴びて、ひなたぼっこでもしながら、さ。


蛸とシャンデリア


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私が銀座の高級クラブでバイトをしていた時、Kさんというお客さんがいた。
Kさんは、ものっすごく、顔が怖い。スキンヘッドに、剃り上がった眉毛をいつもしかめている。道で会ったら、飛び退くレベルだ。
そんなヤクザみたいな見た目だけど、うちの店に来れるくらいだから、たぶん、堅気だ。
70歳のママが仕切るうちの店は、銀座で40年の老舗だった。そのためか、“お姉さん”もお客さんも年季の入ったツワモノばかり。60代はざらで、80代、90代の引退した政治家や経済界のトップもごろごろいた。二十歳になったばかりの私にとって、もくもくの煙草のけむりと、シャンデリアのぎらぎらの光に包まれたそこは、得体のしれない妖怪たちの巣食う城で、日々冷や汗を流しながら格闘していた。

Kさんはそのうちの一人、65歳のお客さんだった。

Kさんのセクハラは豪快だ。
初めて会った日、まだ店に慣れない私が隣に座ろうとすると、いきなり無言でぐわしっとお尻をひっつかんできた。
私はそのとき、まだまともに男性とお付き合いしたこともないおぼこ娘だったから、ぎゃーっと叫んで飛び退いた。
Kさんは「へっへっへ」と笑うと、
「男にケツさわられてビビるようじゃ、銀座じゃとてもやってけねぇな」と、予め私の敗北を見透かしたような事を言うのだった。
「セクハラのコツはよ!女が席について、会話が始まらないうちに、いきなり手えつっこんでおっぱい揉むんだよ!そうすれば怒られねぇんだよ」と、つるつるの頭を真っ赤にして、ニヤニヤしながら言う。
「女の子はヌーブラしてるじゃん。どうするの?」と聞くと 
「ヌーブラの中に、指を入れるんだよ」と言う。
そんな、サイテーのヤツである。
しかしKさんは、見た目と上辺の言動に反して女の子たちには優しく、私がライターの火の長さを見誤ってうっかりKさんの鼻を燃やしそうになったときも、全く怒らず、へらへら笑っていた。
Kさんは何の仕事をしているのか分からないが、うなるほどお金を持っていて、いつも一人で深い時間にふらりと現れた。その横には、この店で3番目にキャリアの長い、50代の“お姉さん”のナツヨさんが、丸太のような身体をソファにみっしりと詰め込んで座っていた。
高そうな着物で簀巻きにされたナツヨさんの胴体は、鬆がなく、むっつりと肉に満ちていて、女の私でも触りたくなるような、ふかふかとした肌をしている。透き通るような白い顔に、真っ赤な唇がちょんと乗っている。
プライドの高いベティー・ブープと、歳を喰ったポパイ。
この2人は20年来の付き合いなのだと、私は白髪頭のママに聞いた。
その時の私は、結婚もしていない男女が20年もどういうわけで連れ添えるのか(しかも、店の女と客という関係で)まったく想像しがたくて、とかく、この世に起こる事は不思議だらけだな、と、目の前で繰り広げられる、時に甘やかで、時に意地汚い男と女の世界を外側からぼーっと眺めつつ、自分はそこに混ざれなくて、必死に水割りを作り続けていた。

そのKさんがいつも出前で頼むのが、銀座「たこ八」のおでんだった。
「たこ八」は夜の店で人気の出前店である。明石焼き風たこ焼きとおでんを、客席まで届けてくれる。泰明小学校の近くに店舗があり、ちょいと飲むのには最適の店だ。
本来はたこ焼きの店だが、Kさんが寒い日に頼むのは、いつだっておでんだった。
ギラギラのシャンデリアの下に、あたたかそうな風呂敷包みが届く。
なよやかなちりめん友仙の風呂敷をほどくと、漆塗りの重箱の中に、ほかほかのおでんの具が、ぎっしり詰まっている。
つやっとした黄金色の汁が、シャンデリアの光をうけてきらきらと震える。その中に、真っ白な湯気を衣装のようにまとって並ぶ、ぷるぷるの具材たち。
Kさんは、テーブルについた女の子にも必ず「食べろ」と言ってくれた。遠慮する私に、ナツヨさんは「いいから」と、いつもの通りの無愛想さで割り箸をよこす。
ふわっふわのはんぺんに歯を立てると、じわあと汁があふれだす。
だしが喉をすべりおちる。こっくりとした鰹ぶしのうまみが、食道に染み込む。
肌理のこまかなちくわぶは、やわらかくて繊細だ。
これまでの人生で食べたことのないくらい、なめらかで味のしみわたった捻りこんにゃく。
厚揚げ豆腐のぷつぷつと粟立つ肌は、適度な弾力で歯を喜ばせる。
Kさんはそれをナツヨさんに「あーん」してもらう。
Kさんはこの時だけ、子供のような顔になる。
たこ八のおでんにはタコ串が入っている。「タコタコ、タコ頭」と言いながらKさんはそれをほおばる。湯気のせいで、Kさんのスキンヘッドは真っ赤に火照っててらてらと光る。共食いですねと言うとKさんはタコをほおばったまま、拳で肩をパンチしてきた。
銀座のお店で出前を取る客は多い。けど、私は高級官僚のお客さんがお祝いで取る豪華な寿司よりも、Kさんの頼む素朴なおでんのほうが、ずっとずっと楽しみだった。
店に勤めて3年が経った頃。
Kさんがガンになった。
半年ぶりに店に来たKさんはひどくやせこけ、髭は真っ白になっていた。
Kさんはそれでも、病気のことなどおくびにも出さず、いつものようにへらず口を叩きながら、ウイスキーグラスを傾ける。ナツヨさんはその横で、まるで何事もないかのように座っている。
いつも通り、たこ八のおでんが運ばれて来た。
「これ喰わなきゃよ、この店に来た気がしねぇよな」とKさんは笑う。「うちはおでん屋じゃないわよ」とナツヨさんは言う。
Kさんが急にいててて、と言って、身体をねじった。腰のあたりをおさえている。ガンが進行して、薬の副作用が出ているんだろうか。
激痛がKさんの身体を蝕んでゆくのが、目に見えて分かった。
顔をゆがめたKさんの頭は真っ赤だ。けれど、Kさんは何事もないかのように、おでん喰わせろ、と言う。
ナツヨさんは、心配するそぶりも見せず、おでんのちくわを一口大に箸で割いて、ふー、ふー、と息を吹きかけ、Kさんの口元に運ぶ。
店のヘルプの、ちょっとだけアタマのたりないAちゃんが「ガン〜!ガンなのにお店に来るなんてすごいですう、私、もし自分がガンになったらたぶんショックで寝たきりになっちゃう」と、場をぶちこわすようなことを言ったけれど、ナツヨさんはAちゃんを、いつもヘルプが粗相をした時にするみたいにぎろっと睨むわけでもなく、黙ってKさんの口元におでんを運び、背中をさすり続けている。

Kさんの顔がよりいっそう険しくなった。
脂汗をながして、ぎゅっと目をつぶる。目尻の皺がいちだんと深くなる。
Aちゃんが、抜きすぎて砂漠の林みたいになった眉根を寄せて「だいじょうぶですかぁ〜?」と言う。
Kさんはそれを無視して、もくもくとナツヨさんが口元に運ぶおでんを食べる。
きっと、Kさんは自分の“痛み”よりも、“痛くてもここに通ってる”ことに注目してほしいのだ。

Kさんのふしくれだった手は、それでもお金持ちのおじいさん特有の、ほかほかとしたピンク色で、桜のでんぶを思わせるような赤い斑が、ところどころに浮き出ている。
私は、なんて声をかけてよいのかわからなくて、Kさんの手をそっとにぎった。
お客さんの手を自分から握るのは、それがはじめてだった。
Kさんは顔をゆがめたまま「おおきに」と言った。
Kさんの大阪弁を聞いたのは、それが最初で最後だった。

今も私は寒い冬には、たこ八ののれんをくぐる。
デートには向かない店だ。なんでこんな店知ってるの、と言われたらなんと答えたらいいかわからないし、男女の会話も似合わない。だから一人で来て、ちょっと飲んで帰る。本来はたこ焼きの店だから、一年中通えるんだけど、ここに来たくなるのは、いつだって冬の日だ。
おでんの湯気が、赤い壁を撫でるように揺れている。
その湯気の向こうに、私はKさんの禿げ頭を探す。

===
たこ八 数寄屋通り店 (たこはち)
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13007812/
東京都中央区銀座7-2-12
平日:18時~2時 土曜:18時~23時
夜10時以降入店可、夜12時以降入店可
JR新橋駅3分 JR有楽町駅6分 地下鉄銀座駅5分
#同時日記 #おでん 


誰かを恨んだり、不幸を人のせいにしないために、好きなように生きたほうがいい。―「傷口から人生。」発売によせて


 

表紙

2月10日に、拙著「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫、626円)」が発売した。

 

この本を通して私が書きたかったのは、

「他人や社会を恨まないためにも、自分の好きに生きたほうがいいよ」という事だ。

 

インターネットを覗けば、恨みと怒りが溢れている。

ヘイトスピーチ、社会的な不平等、性差、育児問題、恋愛、社会への不満。

「外国人が、男が、女が、夫が、妻が、会社が、上司が、日本の社会の仕組みが、恋愛のあり方が」、“私たちに、不幸を運んでいる”。

誰かのせいにして、批判する意見ばっかりだ。

 

まったくもってくだらないと思う。くだらないけれど、同時に、そうなってしまう仕組みもとてもよく分かる。

 

みな、恨みたくないけど恨んでしまう何か、あるいは恨みたいけど恨みきれない何か、に対して怒っている。

その怒りが、社会や他人への不満として噴出している。

 

また、私はブログで家族問題や対人関係、恋愛について多く書いているせいか、よく読者から悩み相談のメールが来る。

「就活に失敗して苦しいです」

「母が私のことを分かってくれません」

「コミュニケーションが苦手で友達ができません」etc。

私はそういうメールに対して、よほどのことがない限りは返事をしない。他人の悩みに関わり続けるのは、とても難しいからだ。

 

その代わり、そういうメールをくれる人に対して、

「あなたがもし、自分のことを「イケてない」と感じているならば、それは他人や社会を恨んでいるからだ」という事を突きつけたくて、この本を書いた。

 

この話は、「軟弱で、不幸を社会や他人のせいにしていた女の子が、母親を殴り殺して、自立する話」だ。

 

私は長い間、母親を恨んでいた。

母親だけではない。今から振り返ってみれば、就活しかり、仕事しかり、恋愛しかり、その都度、社会や他人も恨んでいた。

そのせいで、だいぶ遠回りしてしまった。

今となっては、それは自分のせいだと分かるけど、その恨みの渦中に居る間は、自分を受け入れてくれない社会や母親を恨んでいた。

恨んで、そして、逃げていた。

本当は、「自分がしたいようにしていない」だけなのに。

 

ずっと前に、毒母問題のシンポジウムを見学しに行った時に、壇上でパネリストの人が、母親から受けた被害やトラウマについて延々と訴えたり、怒りを吐露したりしていた。

その時、パネリストの一人に、有名なカウンセラーの女の人がいて、その人は、会場にいる誰よりも怖い顔で「母親なんか許さなくていいんですよ!」と叫んでいた。

私は、その怖い顔を間近に見ながら、「この人のほうがカウンセリングが必要なんじゃないか」とぼんやり思った。

この会に来ている人たちは、他人の、母親に対する恨みや怒りを聞いて、スカっとするかもしれない。でもそれは、リストカットがスカっとするのと同じで(なぜリスカがスカっとするかについては、拙著の中の「私はいかにして、自傷をやめたのか」という章に書いてある)

根本的な解決にはならないんじゃないかなとは思った。

 

また、よく「他人を許さないと幸せになれないよ」と言う人もいる。

それは圧倒的に正しいとは思うけど、でもそういうことを言う人はたいがい説明不足だ。

「なぜ他人を許さないと」「幸せになれないのか」のロジックについて、恨んでいる最中の人が納得できるように説明している人を、私は今までに見た事が無い。

私もうまく説明できない。だから、代わりにこの本を書いた。

「他人を許さないと幸せになれないよ」とか「親を愛さないと自分も愛せないよ」とか言うことは、「親なんて許さなくていいんですよ!!」と激怒することと、正反対に見えて全く一緒だと思う。

人が、誰かを許したり、恨みを止める過程、そこにたどり着くまでのプロセスというのは千差万別だから(それは佐々木俊尚さんの「愛の履歴書」のインタビューをしてみて思ったことだ)

何が正しいかは私にも分からない。「こうしたらいいですよ」と言うのは言えない。

ただ、この「許さなくていいんですよ!」という怒りと「許さないと幸せになれない」という振り幅の、その間にある繊細な葛藤を書きたいと思った。

 

恨むんだったらとことん恨み尽くしてもいいと思う(それは、たいてい、やる前には思いもしなかった結果をもたらすものだけど)。

ただ、誰かを恨んでしまうことに苦しさを感じたり、恨みたくないのに恨んでしまうのを、もう辞めたいと思うなら、人生の中の、「誰かのせいで好きに生きれないなあ、しんどいなあ」という部分を解決しようとフォーカスするのではなく、「自分の好きに生きる」領域を、少しずつ、押し広げてゆくことが有効なんじゃないかと思う。

“どうにもならない今の時点”の中で、「自分の好きな事、快適にいられること」を押し広げてゆく。本当に、1ミリ1ミリでいいから。

そうしているうちに、思いも知らなかったやり方で、いつか、恨みから脱却していると思う。

 

(蛇足だけれど、「自分の好きな事、快適にいられること」を押し広げるためには、そのことについて、自分で言語化することがけっこう重要だな、と思う。そのために、文章を書いたり、カウンセリングを受けたり、あるいは誰かと話したりすることは、役に立つのかなと思う。)

 

これだけたくさんの人間がいる世の中だから、いつだってままならない事はいっぱいあるし、社会のひずみというのはどうしたって生まれてしまうものだけど、でも、「自分が心地よく、快くいられる方法」を探す事は、誰にだって許された権利だし、今は辛くて、ああ、もうだめだ。自分なんかにはそんな権利がない、と思ってしょげている人にも、それを求める力は、身体の奥深くで眠っているものだと思う。

だから、今、何かが上手くいかなくて、苦しかったりもやもやしたり、自責感に苛まれている人は、安心してほしい。

無理に、元気を出す必要もない。

もやもやした人生を、ただ、快なるままに過ごすだけでいいと思う。誰にどう思われるか、他人に迷惑をかけていないか、社会的にどうかなど気にせずに、ただ、すこしずつ、一個一個の不快のスイッチを、快に切り替える作業に淡々と励めばいいと思う。

そうしているうちに、人生が自分をどこかに運んでくれる、ということがある。

悩みのメールをくれる人に対しては、私は返事はしないけど、ただ、それぞれが、自分の快なる道を歩んでほしいと、そう強く願う。

 

 


満席に付き〆め切りました:【「傷口から人生。」出版記念トークイベント】魁!メンヘラ塾!!~死にたくならずに生きるには?!2月11日(祝)


※満席になりましたので、〆切りました。

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どーして死にたくなっちゃうの~?
こんなに健康なっのっに~?
ト ラ ウ マのー、せいなのね、そうなのね?
(辛いぜ、マジ!)
ウィッス!!!!

……わしがメンヘラ塾塾長であるッッッ!!!!!!

2月10日に初のエッセイ集である「傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫)」を発売する文筆家の小野美由紀と、「愛の授業」などで宮台真司らと対談し話題となった、元ナンパ師で心理カウンセラーの高石宏輔がメンヘラについて徹底討論!!

メンヘラとは:元々は精神疾患や人格障害など、メンタルヘルスに問題を抱える人を指すネットスラングだが、最近では「私昨日まじメンヘラだった」「元カノから朝起きたらLINE50通来てたんだけどメンヘラなのかな?」などと言うように、悩んでいる人、執着ゆえに何かに振り回されている人々の事を広義に指す。

 

対人関係、家族関係、恋愛……。

なぜ私たちは悩むのか!?

なぜ、朗らかに生きられる時間は短いのか?

できるだけくよくよせずに生きるには、一体どうしたらいいの?

自傷、不登校、毒母、パニック障害、セックス依存症、うつ、摂食障害……etc、
元メンタル問題の総合商社の2人が語る、落ち込みがちな人がこの世で生き延びるための戦略とは何か?!?!?!

今回、質問の時間を多めに取り、皆様から寄せられた疑問に二人が答えます。

・仕事につまずいている
・コミュ障が治らない
・なんでかいつも恋愛が上手く行かない
・飲み会がイヤでイヤで仕方が無い
・毒親、毒家族がマジで重い
………etc、対人関係、家族、仕事の悩みに、劇薬的に効く2時間!

 

ふるってご参加ください!

当日会場では、「傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫)」の販売も行います。

通常626円のところ、600円で販売いたします。消費税分安くなりますので、ご来場になられる方は、Amazon等で買われるよりも少しだけお得です。

(登壇者)

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小野美由紀
1985年生まれ。慶應義塾大学仏文科卒。ライター。エッセイスト。
コミュニケーションや家族、対人関係を取り扱うブログが人気。
2月10日、自身が経験した家族問題、仕事、対人関係の悩みについてを描いた「傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった (幻冬舎文庫)」を発売する。
他の著書に「ひかりのりゅう」(絵本塾出版)など。
http://onomiyuki.com/

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高石宏輔
1980年生まれ。慶應義塾大学仏文科中退。カウンセラー。催眠療法師。
自身のナンパ経験を元に「ラポールと身体知」など、多数のワークショップを開催。セッションに身体的なアプローチを得意とする。
2012年には、新宿ロフトプラスワンで行われたトークイベント「宮台真司の愛の授業」で、ナンパや性愛について対談し話題に。
http://takaishi-hirosuke.com/

<日時>

2月11日(祝) 18:30開場 19:00開演(終演21:00)

<値段>
1000円

<定員>
40名(先着順:定員を超えてからお申し込みの方は、お立ち見となる可能性がございます。予めご了承ください)

会場:CreativeHub131 5階イベントスペース 「NICAペントハウス (Nihonbashi Institute of contemporary arts)」

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〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1 地下1階

※1階が「RENSA日本橋」というカフェです。カフェの裏手に周り、エレベータで4階までお越し下さい。その後、階段にて5階までお上がりください。

詳しいアクセス方法はメールにてご案内します。http://publicus.jp/sp/

営団日比谷線小伝馬町駅から徒歩3分 JP総武線快速馬喰町から徒歩4分

地下鉄 都営浅草線東日本橋駅から徒歩5分

他、JR神田駅、秋葉原、浅草橋より歩いて15分程度

<応募方法>
※満席になりましたので、〆切りました。

 


【お知らせ】2月10日、 仕事、恋愛、対人関係、家族について取り扱う処女作エッセイ集「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」が出ます。


 

表紙
傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった

2/10、幻冬舎さんより、エッセイ集

「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」(幻冬舎文庫、626円)

が出ます。

・就活失敗して死にたい

・飲み会がイヤでイヤで仕方が無い

・毒親、毒家族が重すぎて困っている

・仕事につまずいて身動きとれない  

………等の悩みに、劇薬的に効く一冊です。

まだまだ有名ではない、新人なので、全部脱いで書きました。
仕事、恋愛、対人関係、家族について、つまんないジブン地獄にモヤモヤしているすべての人に向けています。メイン読者層は18〜25歳くらいではありますが、不登校とか就活に悩んでる子どもを持つ、お父さんお母さんにも読んで欲しいです。

Amazonで予約を開始していますが、できれば、発売日に書店で購入していただけるととても嬉しいです。

表紙イラストは、でんぱ組等とのコラボで注目度急上昇中の愛☆まどんなさんの絵に一目惚れして、彼女にお願いしました。

キラキラ目のインパクトある表紙が目印です。

電子版も同時発売です。

どうぞよろしくお願いします。

 


上手い自己紹介


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自己紹介が下手だ。
人前で、自己紹介をしてください、と言われて、上手い自己紹介をできた、と思った事がいっぺんもない。

あるとき、いわゆるリア充っぽい人たちばかりが集まるパーティーに参加したことがある。
その中でホスト役の男の子が「一人30秒で自己紹介をしよう。」と言い出した。
全員に緊張が走った。
私は焦った。ここで何を言うかが今後の人間関係を決めるかもしれない。順番は10番目だった。あと10番のうちに、面白い自己紹介を思いつかなければ。
一人ずつあいさつをしていく。「○○商社の××です」とか、「某有名IT企業の企画部です」とか。
そのうち一人が言った。
普段滑り慣れている滑り台を、何千回目かに滑り降りるような口調で、抑揚も無く彼は矢継ぎ早に言った。
「東大出て電通行って、アメリカでMBA取って今コンサルです」
ロイヤルストレートフラッシュだと本人だけが言っているけれども、その中の一枚にもキングが描かれていないような、そんな自己紹介だった。
その場にますます、あからさまな緊張が走った。男子も女子も、全員の目の色が変わった。すでに自己紹介を終えた人間からは憎悪が、これから自己紹介をする人間からは怯えが立ち上った。

こんな下手な自己紹介は聞いた事がなかった。
今、この場で、彼ぐらいコミュ障な人はいないだろうな。
こんなに彼自身のことを表している、そして、表していない自己紹介は無いな、と思った。

次に、私のとなりにいた友人が、自己紹介をすることになった。
その会場には大きなテレビがあり、お洒落感の演出のためか、会の最中ずっと、古い白黒のアメリカ映画が流れていた。
彼が自己紹介をはじめたとき、画面の中では、マフィアみたいな、いかにもろくでなしっぽい男の人が、バーでタバコを片手にマリリンモンローみたいな女性を口説いていた。

「自己紹介が始まるまで、ずっと、この映画を眺めてたんですけれど」
彼は言った。会場にいる全員が、思わずテレビの画面を見た。
「この主人公は、毎日、ブラブラして、酒を飲んで、タバコを吸って、女の人とセックスしてるんですけど、ぼくも、ちょうど今、そんな生活を送っています」

会場の全員が笑った。MBAの人は、しまった、みたいな顔をしていた。
なにひとつ彼のことは分からないけれど、彼のことをこれ以上言い表している自己紹介はないなと思った。

このMBAの彼も、後者の彼も、私も、根底では同じ欲望を抱いている。
みんな、良く思われたくて必死だ。
働くために、何かを成すために、コミュ力が必要なのではない。
さびしさを紛らわすために、コミュ力が必要なのだ。

私はまだ、上手い自己紹介ができない。それはたぶん、緊張せずに他人と関わることがまだできない証拠だ。
でもそれでもいいと思う。人とうまく関われないさびしさを否定せずに生きてゆきたい。
そしてもし、次に自己紹介をする機会があるなら、その時は後者の彼のように人を笑わせたい。