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7月21日新刊「路地裏のウォンビン」が発売されます。

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新刊「路地裏のウォンビン」がU-NEXTから発売されます。

スラムで育ち、幼いころからスリで身を立てていたルゥとウォンビン。
いつかこの生活から抜け出すことを願いつつも、生き延びるために汚れ仕事を避けることはできない。そんな二人を引き裂く出来事が起こる。
養父母に引き取られ文化的な生活を手に入れたルゥにとって気がかりなのは、願ってもない別れ方をしたウォンビンのことだった。
そして、偶然の邂逅からまたしても二人の運命が大きく動き始める。非力な二人がもがいた先に幸せはあるのか–。
『ピュア』で話題をさらった小野美由紀の書き下ろし小説。

 

「ピュア」と同じ頃に書き上げ、4年を経て発売される事になった、思い入れの強い作品です。

よろしくお願い申し上げます。

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いまのいままで忘れていた

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いまのいままで忘れていた
わたしのあたまの中が
でっかい演芸場であることを
 
わたしがのぞめば
馬はオレンジの炎を吐き
うさぎは尾を振り正確に時を刻んでほっぷする
正しい位置に配列した7匹のきじが
みかづきいろの声でぽぉんと鳴いて
その時あらゆる貝殻は
その二枚の手のひらで
涙の粒を受けとめる
夜の帳が
2枚の扉に幕を下ろし
 
7つの紅い火が灯り
記憶は未来と出会い
新しい天体が生まれる
 
はじまり はじまり
 
なぜ、しらないの
 
わたしの頭の中は
一角獣の沈む海
金の鯨のかける空
水と風のあいだのぶっしつ
 
なぜ、しらないの
 
あなたの頭の中には
海に通じる階段があることを
白い砂まじりの風が
びいだまいろのしぶきを巻き上げやってくる
草原へと開く扉があることを
 
そこでは世界は逆さまに見えるでしょう
 
そこでは透明な太陽が
見たことのない光の曲がり角を作るでしょう
星の軌道は涙より早く
悲しみの記憶をかけ抜け
新しい地平にたどり着くでしょう
 
どこかで絶えず巻き上がる憎しみの竜巻も
あなたの天蓋(うち)には届かない
 
わたしの頭の中は
海と空とが交わるところ
ダイヤモンドの砂嵐
夜と朝とが出会う浜
 
なぜ、しらないの
 
 
 
 
 
 
 
 
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9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。

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淡路さん写真4

(写真提供:淡路愛)

9月3日(木)   19:30 ~に、「旅の本屋のまど」さんにて、新刊のトークイベントを行います。

スペイン巡礼の魅力について、スライドショーをつかいじっくり解説するほか、他の巡礼者の方をお呼びし、貴重なフランスパート(ル・ピュイからサンジャンまで)についてもたっぷりお話しします!

ぜひ皆様、お越し下さい。

 新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」発売記念

◆小野美由紀さん  スライド&トークショー◆

「スペイン巡礼旅の楽しみ方」

———————————————————————-

新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」(光文社新書)の発売を記念して、ライターの

小野美由紀さんをゲストにお迎えして、スペイン巡礼旅の魅力についてスライドを

交えながらたっぷりとお話していただきます。カトリック三大巡礼路のひとつ、カミーノ

・デ・サンティアゴ。スペインはもちろん、イタリア、フランス、東欧諸国まで、世界中の

さまざまな国の人々がこの道を歩くことを目指して旅していて、最近は巡礼路を歩いて

旅する日本人も急増しているのだとか。本書は、就職活動に挫折し、スペイン巡礼を

体験し、その後3度に渡り全800キロの道を歩いた著者が、アウトドアとしても、旅として

も面白く、信仰を問わず誰にでも開かれている「スペイン版お遍路」の醍醐味を伝えた

旅エッセイになっています。実際にスペイン巡礼路を歩いて来た小野さんが肌で感じた

「歩き旅」の貴重な体験談が聞けると思います。小野さんのファンの方はもちろん、

スペイン巡礼路に興味のある方や歩き旅に興味のある方はぜひご参加ください!

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

————————————————————————

●小野美由紀(おのみゆき)

1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。学生時代、世界一周に

旅立ち22か国を巡る。就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。その後3度に渡り全800キロ

の道を歩く。卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。クラウドファンディ

ングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を

出版。2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、

話題を呼ぶ。現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

◆小野美由紀さんブログ

http://onomiyuki.com/

———————————————————————–

007

(写真提供:淡路愛)

【開催日時】  9月3日(木)   19:30 ~ (開場19:00)

【参加費】   900円   ※当日、会場入口にてお支払い下さい

【会場】   旅の本屋のまど店内

【申込み方法】 お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、

 お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627

 e-mail :info@nomad-books.co.jp

 (お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)

  ※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】

 旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)

 東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F

 http://www.nomad-books.co.jp

  主催:旅の本屋のまど

 協力:光文社

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病んでないと書けない?

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先日、取材に行ったゲイバーで、同席した人から、

「病んでなきゃ、文章なんて書けないでしょ?」と言われた。

本当にそうだろうか?

個人的な経験から言うと、これはもう、病んでいない時の方が確実に文章は書ける。
モノを書くという行為は半分以上が技術だ。配管工事とか、プログラミングと同じだ。
病んでる配管工が上手にペンチを使えるとも思えないし、プログラマが病んでたら頭がぼうっとして正確にプログラムを書けないだろう。

だから、モノを書いているときはできるだけ心が安定しているほうがいい。気分が良く、朗らかなときのほうが、あきらかに筆が進む。

毎朝、7時くらいには起きて、7時半には本郷三丁目のスターバックスの窓際の席にいる。
この時間が一番好きだ。
店内には人もまばらで、窓から見える景色はまだ薄暗く車もあまり通らず情報量が少ない。
外部刺激のない状態で、黙々と書ける。窓の外の景色を吸収して心はりんと冴え、道路の上の白線とおなじくらい混じりけのない状態に、自分の内部がだんだんと変化してゆく。

病んでいる人に、書くと言う行為は必要かもしれないが、
書くためには病んでいる必要があるわけではない。
また、病んでいるからといって書けるわけでもない。

書くためには、自分の「病み」を俯瞰する能力が必要だ。
どうやって他者と共有できるか。人が面白いと思う形にするか。
病みを俯瞰できる能力があるということは、半分くらい「病まない」ことを意味しているから、
病みを俯瞰し続けるうちに、少しずつ病まなくなってゆく。
書くことに病気を癒す作用があるとしたらそのためだと思う。

病んでいないと、文章なんて書けない、は嘘だ。

ただ、病みを俯瞰するためには、孤独が必要だと思う。
わいわいがやがやとにぎやかな状態で、病みを静かに俯瞰することは難しい。

だから、書くためには孤独でかつ正常な状態に自分をいかに持って行くかが重要だ。

孤独と、病みと、正常な状態。

その3つをグルグル回ることが、文章を書くという行為なのだと思う。

あくまで、個人の意見だけど。

 

IMG_5426

駅のホームも、静かに心を見つめて文章を書くのに適している。

 

 

===

お知らせ

9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。

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人前で話す

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IMG_3670

人前で人と話す。

たったそれだけのことなのに、なぜか緊張する。

まるで他人の視線という妖怪に取り憑かれたみたいだ。



「性と生のディアローグ」という連続トークイベントの第二回が終わった。

以前、別のイベントスペースで、「小野さんファシリテーターでなにかイベントをやりませんか」とお声がけいただいたのをきっかけに始まった企画だ。

この会では、私の好きな人を呼んで話している。

来てくれる方々には私の興味にお付き合いいただいている感じだ。お付き合いいただいているのだからもう少し来場者の立場に立って話せればと思うのだが、興味があることしか聞けないので申し訳ないが個人的な聞き方になる。

第一回の代々木忠さんの時には相手が大物で、初回とあって緊張した。

この時は、西村佳哲さんのワークショップの作り方を徹底的に真似した。

西村さんの、「『自分の仕事を考える3日間』を作るワークショップ」を受けたときに習ったことを総動員して、全部ぶち込んだ。なのでこの回の構成は西村さんのやり方の丸パクだと思ってもらってよい。雰囲気づくり、会場との距離、流れ、代々木さんとの関係性。トークの最中も、西村さんになりきるつもりで話した。代々木さんと話しながら、西村さんの目を、声を、手の動きを思い出していた。

真似するのが果たして良いことだったのかどうかは、分からない。

模倣はあくまで模倣であって、話すのはあくまでも私だからだ。

西村さんには見せて恥ずかしくないイベントになったと思うけど、聞き手の方々に随分と助けられたからこそ、そうなったような気がしてならない。



第二回の奥谷さんの時は、ボイストレーナーの徳久ウィリアムさんが教えてくださった、集中と発声のワークが役に立った。

『無理してリラックスする必要は無いんですよ』と徳久さんは言った。

『それよりも、必要なのは集中なのです』

私はこれまで、人と話す時には緊張をほどかなければいけないものだと思っていた。けれどそうではなかった。身体を使って集中状態に持ち込むワークを、徳久さんは教えてくれた。話すというのは頭で行っている行為のようであって、じつは、身体に任せることなのだ。対人関係は身体のことだから、身体に任せたほうがじつは上手くのだと言う事に、私はこの時、はじめて気づいた。

奥谷さんの身体の底からいくらでも湧いてくるパワフルなトーク力と、楽しんでくれた来場者の方々の柔軟性で成り立ったイベントだなと思う。



当たり前のことだけど、イベントというのは毎回、雰囲気が違う。

同じ箱でも、来場者の方とゲスト、全員のその日のテンション、それが全部合わさって場を作る。私の企画だとしても、それは私のものではない。本当に何が起きるのか私にも分からない。私にできることは、ただ、はじまりの合図をすることだけだと思う。この場に生まれる雰囲気にたゆたうつもりで、今後も好きな人たちとしゃべりたいなと思う。



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言葉と物体

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今日、なんとなく銀座三越に行ったら、懐かしの「遊☆戯☆王」の高橋和希先生と、どこぞの彫刻家さんがコラボレーション展をやっているとのお知らせが貼ってあった。 高校生の時に和希絵にどハマりしてブルーアイズホワイトドラゴンのカードとか持ってた(←ここ笑うとこ)自分(一番好きだったのはもちろん海馬社長。ドン☆)としてはぜひ見なくてはと思い展示会場に走ったのだけど、そこで展示されていた、薬師寺一彦さんの作品が素晴らしく、なぜか、見ていて泣きそうになった。

海や水を象徴した、透明なガラスの作品の中に、石が踊る。すくすくと育つ花や葉のように、鉱石が萌えている。アクリルやガラスが、内側から言葉を発している。

物体が言葉を持つ、ということがあるのだ、と初めて知った。

薬師寺さんは、彫刻を通した、海の言葉、水の言葉の代弁者なのだ。

28歳から独学で彫刻をはじめた、とプロフィールにはあるけれど、薬師寺さんは、きっと海から受け取ったのだと思う。どうしても伝えなければいけない言葉を。それを表現するには、物体じゃなきゃいけなかったのだ。きっと。

昨日の代々木忠さんとのトークイベントでも、「肉体から思わず出た言葉は強い」という話が出た。

形あるものから発せられた言葉は強いのだ。正しいかどうか、間違っているかどうかは関係ない。

頭でっかちな妄想者が紡ぎ出した、リクツの言葉、ひ弱でか細い言葉には太刀打ちできない強さが、肉体や物質から滑り出て来た言葉にはある。

そういう言葉を、私は監督から引き出したかった。

イベントの事前の申し込み者は、6:4の割合で女性が多かった。なので、女性に受ける内容にしようと思っていろいろ準備をしていた。女性にはリクツは通用しない。このイベントではいかにリクツを捨てて、見ている観客のライヴの感情と、監督の生の言葉を引き出せるか、それが勝負だと思っていたので、事前に色々な装置を用意したけど、結局私の引き出したかった状態は、アタマで用意した仕掛けでは達成されず、最後にとある観客の方から発せられた、同じく肉体からの言葉が起爆剤になって、ぱちんとはじけるようにして達成された。私が見せたかったものは見せられた、だけど、違う方法でも、達成できたかもしれない。そこが今回の反省点だ。まぁ、イベント自体はこれからもどんどんやっていくから、色んなやり方を試してゆこうと思う。

それはさておき、昨日の代々木忠さんのイベントをやってみて感じた事と、今日の薬師寺一彦さんの彫刻から感じた事は、奇しくも同じだった。

昨日今日で、本のための文章の書き方が、変わったのを感じた。

これからすることは、肉体から生まれる言葉を探しに行く旅なんだ、と思う。

身体のもっと奥深くから、光の速さではじけ出る言葉を、捕まえる。

やり方は知っている。子どものころに、ずっとやっていたことだから。

http://www.harakara.com/

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本を書く

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DSC_0301

 

 

本を書いている。

どういうわけか運命の糸がわやくちゃに混線して、気づいたら3月中に8万字書かなければいけなくなった。

初めて本を書くのに、無茶である。

おかげでノルウェイのトロムソという街で、ホテルの一室に引きこもってひたすら原稿を書いている。

せっかくトリッピースのツアーに当選して、やって来たというのに。

 

でも、自分でやるって言ってしまったからにはやるしかない。

8万字の雨が空の上から降る準備をしてぶらぶら下がっており私はそれを全部受けきらなければいけない、そういう状態だ。

8万字の雨だれが天から落ちてくる。それを全部身体で受ける。びしょびしょである。かなり、動きづらい。身体が重い。しんどい。

でもどういうわけだかすごく嬉しいのだ。この時をずっと待っていたような気がする。やっと書ける、書いていいんだ、そう思ったとたん、嬉しさがふつふつと湧いて来て、皮膚を突き破って爆発しそうだ。

好きなだけ書いていい、ということがこんなにうれしいだなんて。

 

これまでは、念入りに仕込まないと、ちゃんとしたものが書けない、と思い込んでいた。

ノートに文字を書き溜めて、2週間くらい文字通り寝かせておく。その間に文章が発酵するのを待つ。発酵したら、見返す。読者にとって美味しいかどうか、この時点では分からない。美味しくなるように整えて、トッピングをする。いろいろなものを混ぜる。面白い比喩表現だったり、リズムだったり、事例だったり、キャッチーな言葉だったり。そうして整った文章になったと思ったら、それをまた、2~3日寝かせて、一番綺麗な形に整えたら、ブログに上げる。

「そんなに時間かけてるんですか!」と良く驚かれる。でも、自分が出せるもので一番いいものを出したいと思うから、そうやって時間をかけていた。

でも、8万字となるとそうはいかない。

滝のように書かなければいけない。滝のように書いて、しかも、面白い物を書かなければいけない。

呼吸を止めて一気に書き上げる。三味線奏者の葛西さんは、三味線はあまりに早く指先を動かして演奏するものだから、一曲の間の2分間ずっと呼吸が止まっていると言っていた。

そういう感じだ。書いているとそのうちハイになってすっごく横隔膜があがって、過呼吸になっている。トロムソにつく飛行機の中で書きまくっていたら、息が本当に止まっていて、頭がくらくらした。過呼吸だった。過呼吸になるくらいハイテンションで、でもそれだけだと、頭で浮いている感じの、ふわふわしたおぼつかない文章になっちまうから、あとでちょっと落ち着いた段階でもう一度見返して、ちょうど、てっぺんと足下が、空と大地とつながった文章にできればいい。

今までのは怖かったんだなと思う。自分の文章に自信が無いから、慎重に丁寧に書いていた。でも、私の人生の中で一番先立ち、行動を止めていた「失敗する事に対する怖さ」が、8万字にところてんのように押し出されて、どっかに行っちゃった。怖いけど、書くのが楽しい。

こんなに書くのが楽しいなら一生書いていたい。将来どんな貧乏になってもいいから、ずっと本だけを書き続けたい。

人生で、こんなに充実していると思ったこと、ない。

「小野さんの文章は面白くない」と言って来た友人の言葉をかなり長い間、ずっと気にしていたけど、それが今、コルクの栓のように、ぽん、と抜けた。

もうどんなふうに思われても、だれに批判されても、全員に面白くないって言われても、私は私の言葉で自分の思っていることを書きたい。

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業と生業

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IMG_2613

自著のプロットを、編集者さんと考えて作っている。

本を書く、ということが生まれて初めてなので、まだよくわからない。

山崎ナオコーラさんの「昼田とハッコウ」を読んだ。
書店で生まれ育った二人の青年の、日曜夜9時のドラマになりそうでならなそうな、微妙な空気感のある物語だ。

山崎さんの小説には、本に関わる労働をする人たちがよく登場する。

山崎さんの、彼らの描き方は面白い。

本に囲まれて育った人間は、森で生まれたオオカミが森での生活に適合しながら育つように、本に適合して生きるようになるのだろう。
もしくは、セミが樹液を吸って飛び立ち、またもとの幹に戻ってくるように、本から栄養を吸いとり、現実の世界に出て、また戻る、のを繰り返すようになる。

本作りの業界にいると、よく、昔から本が好きで本が好きで!やっぱり本の仕事がしたいから、この業界に入ったんですって人に会う。

その温度がうらやましいと思う。

私は本が好きなのかどうかいまだによくわからない。

友達がいなくて、本しか相手にしてくれなかったから、しかたなく付き合ってるような気がする。

「恋の渦」に出てきた、冴えなくて友達のいない男が、自分を相手にしてくれるだけの、冴えない女と付き合ってるように。

 

生まれたときからずっと、本に囲まれて育った。

植物が吐き出す酸素を吸うように、壁を覆う本棚に詰まった本たちの、ページの隙間から漏れ出る活字を吸い込んで育ってきた。

 

思春期の喜怒哀楽も、20代の女性の苦労と悲しみと激昂とそして情愛も、自分がそれを体験するまえに、本の中で疑似体験してしまった。

 

はじめての性的な体験も、もちろん、本の中だった。

6歳の時、何気なく、母の本棚から村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を手に取り、ページをめくっていた。

もちろん、6歳なので、そこで繰り広げられる行為の意味はわからない。

「ベイグンキチ」の意味も分からないし、なぜ男女が絡み合っているのか、

村上龍が何を伝えたいのかも何一つわからない。

しかし、男女の乱交のシーンで、突然

「黒人のめくれあがった肛門が苺状に見えた」

といった内容の一文が、目に入ってきたのである。
前後の文脈は全く理解できない。けれど、その一文の意味だけは突然、理解できたのだ。

まるで、草むらからにゅっと飛び出た人間の白い足の生々しさに、思わず目がゆくように。

そのくだりの衝撃が、頭をかんと殴って、記憶から離れなくなった。

 

 

その、苺、春になると祖母がいつも学校から帰るとお皿に載せて出してくれる、洗いざらしのうるうると水をまとった赤く輝く苺と、そのページにバターのようにぐっしょり染み付いた、自分のこれまでの短い人生で一度も味わったことのない性的な空気、そして、ちびくろサンボでしか知らなかった「黒人」の体の一部、6歳児にも体感で認識できる、その背後にある部位とが、村上龍という人の小説の中では、等号で結ばれて出てくる、そのことが幼い私にとっては衝撃で、その衝撃は未消化のまま、みぞおちに黒い塊となって、その後もずっととどまり続けてしまった。

私の中の「性」のイメージは、今もずっと6歳のままだ。

頭の中に、まるでスタンプのように「黒人のイチゴ状にめくれ上がった肛門」という描写が焼き付き、そのイメージは、成長して大人になった今でもことあるごとにリフレインし、決して消えてくれない。

 

本から受け取ったイメージの烙印に、ずっとずっと翻弄される。

 

本に囲まれて暮らしてきた人間たちは、もしかしたらみな、そうなのではないか。
喜びも、悲しみも、怒りも、全部本の中に挟まっていたものの、リフレインなのじゃないか。
未来が実際に訪れる前に、先走って受け入れてしまったイメージの中にいて、頭と体はちょうど首でちょんぎられたように別の速度を生きている、ということが往々にしてある。

本の間に挟まっていた、無数のイメージたちから、逃れられない。

仕方なく、その烙印を受け入れて暮らしている。

まるで、小さなころから一緒に育ちすぎて、その性質を受け入れて生きてゆくしかない、相棒のようなものだ。

ちょうど、山崎さんの小説の中の、ハッコウと昼田の関係のように。

 

だから、本に触れないで育った、もしくは本を読みたくて読みたくて仕方がないで育った人の、キラキラした本への憧れを見ると、うらやましいなと思ってしまう。

 

もしかしたら、自分は本に対して恨みがあるのかもしれない。

そんな、わけわかんないものを、人に、ぎゅっと、おしつけて、いったい、お前は何を、したいんだ?

 

でも、いざ自分が本を書くとなったら、できればやはり、他人の心にぎゅっと判を焼き付けるような、爛れていつまでもぐじゅぐじゅと残ってしまうような、そんな本を書きたいと思ってしまう。

 

自分が人にされたことは、人にもしてやりたくなる。

 

すべからく、生業というものは、そのようなものかもしれない。

生まれてから大きくなる間に、知らないうちにぬるぬると低温で焼き付けられた焼きごてみたいなもの。

その印を、誇りと思って生きるか、仕方ないと諦めて生きるか、どちらかなんだろう。

 

何かを生業だと思って、腹をくくってやるということは、そういうことなのだ、きっと。

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他人から求められたい

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IMG_2686

12月2日

 

恋人(とおぼしき男)が就職活動を始めるというのでスーツを買うのに付き合った。
青木とか青山とか、そのような名前の店に入ってゆくので、そのまま付いてゆく。

このような衣料品店に入るのは、人生で初めてである。

 

店員さんの言われるがままに、蛍光灯の下でペラペラのスーツを着ている恋人はなんだか作り物みたいで、塩化ビニルの光沢で皮膚がてかてかするフィギュアのようだった。

この前までは汚い格好をして、ドロドロになりながら表現活動に励んでいたのに。

セットで39800円のスーツを、彼は一着買った。

てろてろの、布地がクリアファイルみたいなやつ。へんなおっさんみたいなかばん。

そのあと喫茶店で、800円の紅茶をすすりながら、

「みんな50社くらい受けるっていうから、リクナビとか一応見てるんだけど、興味あるところはそんなに無いんだよね」

とか

「OB訪問とか、したほうがいいのかな?」とか、彼がうわついた感じで

話すのを聞いていた。

「みゆきちゃん、おれのES見てよ」と言われたので、

(絶対、見ない)と思った。
彼を、遠くに感じた。

 

今、本の企画を編集者さんと考えているけど、何を書いたらいいのかわからなくてずっと考えている。

何を書いたらウケるのか、何を書いたら面白がってもらえるのか。
わからなくて気が狂いそうになる。

そうまでして人に求められたいのか。
自分がときどきすごく、あほに感じる。

 

自分で自分の顔を見ていない時の自分は、きっと、物欲しそうな顔をしているはずだ。
就職活動の時と一緒だな、と思った。
何をやったら、どんな風にすれば人から求められるか、そればかり考えていて、結局一社も受からなかった。

求められることを求めると、結局誰からも求められない。

でも、誰からも求められないのは、怖いことだから、みな求められるために努力する。

 

言葉では嘘をつくことはできるけど、人は、嘘をつけない。

多くの他人から求められたい、好かれたいという、もの欲しさが、その人をコーティングして、その人の魅力は、半減する。

塩化ビニルのスーツのように、その人の皮膚呼吸を止めてしまう。

 

求められないことは、本当は怖くない。

求められようとして、すかすかになって、知らないうちによだれを垂らす心のほうが、本当はいちばん怖い。

 

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9日目:私はマオ・レゾルビーダ(未解決人間)

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巡礼10日目②-3

 

自分と家族との間に、抱える問題。

どこに行っても、どこに逃げても、私はそれを隠せない。

『未解決の人間』。

それは、私の事じゃないか……。

 

 

 

 

 

 

就職活動が苦しい

今日は、小さな山の頂上で夜を明かす事になった。

山の夜は冷え込む。夜空を見上げれば、大気が重く、遠近がいびつだ。
星が、こちらに手を伸ばしてくるような近さで瞬いている。

 

暖炉の前で、巡礼者たちと談笑する。小さな宿なので、人数は少ない。

 

隣に座った韓国人の女の子、ヒジュ。同い年の22歳。ヨーロッパの学生が巡礼に殺到する7月8月と違い、9月のこの道で、学生に出会うことは珍しい。
ヒジュも、去年韓国での就職活動に悩んで、大学院に進学するかどうか考えるためにカミーノ・デ・サンティアゴの道に来たらしい。

「韓国でも、就職活動は大変なイベント。学生たちはこぞって大企業に殺到するのよ。彼らも、彼らの家族も良いキャリアを勝ち取るのに必死。大学受験が終わってヘトヘトのまま、すぐ次の競争にかりたてられる。

私は大学で新聞部の部長をやっていた。就職活動で有利になると思ったから。留学もしたし、大企業でインターンもしたけど、ハードな仕事で、身体を壊してしまった。

これまでの活動実績があれば、きっと企業は評価してくれる。でも、私は自分が将来やりたいことなんてわからない。このまま卒業する前にやり残したことが無いか、ずっと気にかかってる」

 

無理もない。就職活動はまるでレースだ。一瞬でも気を抜けばライバルに負けるという恐怖を煽られて、必死で走り続ける。
将来が不安になるのは皆同じだ。

 

ヒジュは続ける。

「この旅に出るとき、さんざん親に怒られた。
『スペインを歩くことが、キャリアになんの役に立つんだ?って。お前を大企業で働くエリートにするために、これまでどれだけのお金をお前に投資してきたと思ってる?余計なことをするんじゃない』って。
お父さんは未だに怒っていて、メールの返事をしてくれない。
親の期待に応えて、周りがほめちぎる大企業のOLになるべきなのか、
それとも別の道を行くべきなのか・・・なんにもわからない。
頭がパンクしそう。毎日毎日、同じことを考えながら歩いているわ」

自分と同じ境遇のヒジュの悲痛な言葉は、重く胸に刺さった。

 

話を聞いていたカナダ人のブレンデン。バンクーバーの名門大学を出たあと、3年ほど勤めた会社を辞め、バーテンダーになった。次の仕事に就く前に、自分の人生を考えたくてこの旅に来たという。
日本の知り合いにも、脱サラをして銀座にバーを開いた男性がいる。彼らはどうして安定した道を外れる勇気が持てるんだろう。私なんて、就活に必死の同年代の仲間から外れて、一年遅らせるだけでも怖くて仕方が無いのに。

 

皆黙って暖炉の火を見つめ、思索にふける。それぞれの悩みが、窓を越えて外の暗闇へと広がってゆく。

 

張り付いた本当の問題

黙って聞いていたブラジル人のエリート、マルコスが口を開いた。熱っぽい視線で、それぞれの胸に言葉を届けるよう、一語一語、ゆっくりと深いトーンで語りかける。

 

「ブラジルには、『マオ・レゾルビーダ』という言葉がある。
直訳すると『未解決の人間』。
自分の家族や、人生の悩みを、解決していない人間を指して言うんだ。
マオ・レゾルビーダな人間は、ブラジルでは社会的にも評価されない。
たとえ大企業の重役に就いていたとしても、『あいつはマオ・レゾルビーダだからな』と言われて、仲間内では信頼されないんだ。
君たちの周りにも、マオ・レゾルビーダはたくさんいるだろ?
ミユキ、ヒジュ、俺は君たちにマオ・レゾルビーダになってほしくないよ。どんなに良い企業に入ることよりもね。」

 

ぐっと、マルコスの言葉が胸にめりこんだ。

マオ・レゾルビーダという、聞きなれない異国の響きが、痛みを誘発する。

 

こんなにも自分にぴったりの形容詞があるなんて。

『未解決の人間』。

それは、私の事じゃないか……。

 

大学進学時、一番行きたかった大学に行くことを、母に反対された。その大学に行くなら、学費は払わないと言われ、包丁を突きつけて泣きながら懇願した。それでも母は頑として首を立てに振らなかった。3日間の修羅場の後、疲れ果てて私が折れた。
後に続く大学生活のことは、もうどうでもよかった。

 

入学後、せめて勉強する分野は自分で選ぼうと、留学を決めた。行きたい大学に行けなかったんだから、せめてどこかに抜け道を探そう。そうして交換留学の試験に受かった。母は喜んでくれなかった。どうせ行くならアメリカの大学にすればよかったのに。そんな名の知れない大学なんて、就職活動の足しにもならないわよ、と。

 

就職活動中、一番行きたかった企業のインターンに合格し、喜び勇んで家に帰って報告した。報告する前から、無意識の内にうっすらと母の表情は予期していた。それでも報告せずにいられなかった。母は無言だった。

翌日、母が受けてほしい企業のパンフレットと、週刊誌が机の上に置かれていた。
パンフレットは、電通と、博報堂、それから4大商社だった。
週刊誌の「就活生に人気が落ちている企業」という特集記事の中の、私の行きたい人材系の企業の名前に、赤線が引かれていた。

 

母にとって私の言動は、すべて白紙の通知表だったのだ。毎回点数をつけて、無言で突きつけるための。

 

やめて。やめてよ。
私に点数をつけないで。
点数をつけるんなら、せめて一度でいいから、ほっとする点数がほしいよ。

 

巡礼に出た今も、パニック障害で就職活動を辞めたことを、母には言えないままだった。
その後に続く母の表情を想像したら、「あの時、エスカレーターに乗れなかったんだ」と、打ち明ける勇気はとても持てない。
母はなぜ、私が就職活動をやめたのか、未だに知らずにいる。

 

一番恐れていたのは、この事だったのだ。
就職活動以前に、自分の抱えている問題がなんなのか、この旅で自覚してしまうことが、一番怖いことだったのだ。

 

できるなら、家族をめちゃくちゃにぶっこわして、消えてしまいたい。

 

身体のあちこちが、未解決の問題で汚れているのが、今の私なのだ。
自分の家族との間に、これまで抱えてきた問題。
家族との摩擦の中で身体にべったりと固着した黒ずみを、どこに行っても、どこに逃げても、私は、隠せない。

 

自分の中心を見るのが、こわい。

 

未来を見続けていれば、過去の自分が抱えてきた問題は見ずに済む。

足し算をし続けていれば、本当の自分は見なくて済む。

かりそめでも、「いろんな私」を作り上げれば、就活では評価が得られる。

TOEIC900点以上取れる私。グループディスカッションを上手く仕切れる私。◯◯代表の私。
胸を張って、一夜漬けで考えた尤もらしい志望理由を、語れる私。

そうやって、「できること」が増えれば増えるほど、自分の中心部は、余計なもので覆われて見えなくなる。
そうだ、それでいい。安心しろ。中心は見なくていい。

大丈夫、お前はできるんだから。

 

解決しきれない家族との問題があること。ずっと、それに悩んでいること。それが自分を支配していることを、私は知らなかった。いや、見ないふりをしていた。就活の自己分析でも求められないような、ずっと奥深くの自己分析を、勝手に始めてしまうことが、私は怖かった。

身体の中心にある、一番、未解決の巨大な虚無に、マルコスの言葉が突き刺さった。

 

今、知ってしまった。
マルコス。私が『マオ・レゾルビーダ』だよ。
その言葉が指すのは、私なんだよ。

 

でも、どうしたらこの苦しみが取れるのか、わからないんだ。

 

窓の外、明日歩くはずの道は、真っ暗闇の中、豪雨に打たれてぐずぐずと泥の中に溶けてゆくように見えた。

 

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会社という幕の内弁当

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最近、仕事の用ありで、某新聞社によくいく。

 

築地にあるその新聞社は、でっかい。
社食も、でっかい。

 

私はここで、ぼーっとするのがすきだ。

 

大きい会社は、小さな会社とちがって、打ち合わせが終わった後も、ぼーっと意味もなく、居させてもらえる場所があるから、それは大きい会社の魅力だと思う。

 

社食のぎっこんぎっこんいうパイプ椅子に座って、ぼーっと周りを眺める。

 

ここには、思っているよりもいろんな人がいる。

 

引退間近の、髪の薄くなった記者の方が、スーツですすっと静かにそばをすする横で、
ダイゴスターダストみたいな、おしゃれ過ぎて浮いているスタイリストらしき男の人が、
俺はこんなださい場所にいる男じゃないぜ、みたいな顔をしてどかっと座っている。

 

すごくぴりぴりしてそうな眼鏡のお姉さんが、ぴりぴりのまま、ケータイをにらみつけて、唐揚げをもっくもっくと嚥下している。

 

時おり、そんな人たちの間に、青い制服を着た、工事で働く人たちみたいな一団もいる。
そこだけ別地帯、といった感じでめだっている。

ここには、新聞社内の印刷所で働く人たちも、お昼を食べに来るからね、と、ライターの先輩が教えてくれた。

印刷所のおじいさんたちは、いかにもベテランといった感じで、若くて堅そうな新聞記者よりも、ゆったりと社食の空間を占めて、おだやかにごはんを食べている。

 

うどんのゆげの垣間に、いろんな人が森のきのこのように立ったり座ったりしている。

なめこのゲームのように、ひょっこりと、離脱したり、着席したり、笑ったり、怒ったり、入れ替わり、立ち代わる。

 

会社って幕の内弁当みたい。
いろんな具がある。

 

ニートだった時、新聞社には新聞記者しかいないと思ってた。
そもそも築地市場駅には築地市場しかないと思っていた。

新聞社はときおりネットで叩かれているけれど、それでも、これだけ多くの、多すぎるくらいの種類の人たちが、総体でなにかをしている、というのは、やはり、なんだかすごいことのように思う。

社会の中の面積を占めている。でっかい幕の内弁当。

 

ブログを書きはじめてから、三年経った。
昨年の年末には無職だったが、ある方が私を引き立ててくださって、雑誌の仕事をさせていただけるようになった。
ブログを見てくれた方から仕事の依頼が来るようになって、今は、だいたいブログ経由のお仕事で、ごはんを食べてる。

相変わらず、風呂なし10疂だけど。

 

採用活動のときに、箸でつまみ上げられなくて、幕の内弁当に入れてもらえなかった具でも、働く場所は、あるのだなぁ。

 

就職活動のとき、わたしは働く場所に入れてもらいたくて仕方なくて、
でも、最終的には入れなかった。
でっかい通信社の最終面接で、家族構成のアンケートみたいなの取られて、
「お父さんいないの?」と面接官のおじさんにつっこまれたとき、
口がからからに干からびて話せなくなった。
ビルの入り口のモスキートよけの音波みたいなので頭がきんきんして、私よけなんじゃないか、と思った。
多分、新聞社に入れる人はこういう時「お父さんいないんですよー!」と明るく言える人。
私は幕の内弁当に載れない人。

 

今は、こうして、先輩たちとか、編集者さんとか、ブログ経由でお仕事くれる人たちのおかげで、
なんとか社会に「適合」させてもらってる。

1年前には考えられなかったこと。

 

この前、雨がすごかったので、東銀座から東京駅まで、ちょっとタクシー乗っただけで、すごいリッチなことしてる気分になった。

丸の内のまわりのイルミネーションはパワフルで、ぎらぎらしてて、きれい以外のなにものでもない。
通り過ぎるだけで、自分がシンデレラみたいな気になる、と丸の内で働く人に言ってみたら、その人は笑っていた。

 

前に、JPモルガンで働いてる友達が、丸ビルから自分の茅場町の家に移動する時、タクシー拾ってて驚いた。
それくらいの距離、歩けよって思ったけど、いつのまにか同じことしてる自分がいる。

 

就活ができなくてやめた時、大きなお弁当にうまく載れなかった自分に、絶望していた。
今は、どこかに私のことをそっと箸でつまんで、具として扱ってくれる人がいると思うと、安心する。

 

今、はたらけなくて、こまってる人。

 

幕の内弁当には最初から載れなくても、社会のどこかに、自分が具になれる場所はある。
そう思うと、ほっとするのではないか。

 

幕の内弁当ほどは、きれいには見えないかもしれないけれど。

 

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おじさんと食器棚

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9月6日

残暑の夏ばてで這い這い、パソコンをひらく、ラング・ド・シャみたいなうっすいマックの蓋を開くことすらも指に負担でふるえる。

顔を合わせれば一発なこともメールでずうっ、とやりとりしていると、かわせばかわすほどうっすらと、透け紙を重ねてゆくように疲弊して相手の顔も見えなくなるのはなんでかしら。

これまでわたしは「おじさん」という人種とあまり、仕事をしたことがなくて、それどころかこれまでの生い立ちの中に「おじさん」という存在が刺さる隙がなかったので、「おじさん」は私にとって、世界にのりで貼付けられた書き割りみたい。

ときおり会議をしていてこ、これがジェネレーションギャップ!と戦慄したり鳥肌たったりもするのだけど、彼らの方が実際に立場も実績もずっとずっとえらいので、うん、うん、と頭を下げるんだけど、なんだろうこの違和感、とかそういうんじゃないんだけど…とかいろいろ思うんだけど私はそのうまい伝え方を知らないのだからして、「そういうもんだから、だまってよう」と誰かが頭の中で言うから、だまってみたりして、せめて、深呼吸してちょっと楽にして、相手の言う事を、聞ける素直なわたし、になってから思い切って電話して、目の前にいないのに頭を下げたりして。

どうにかうまくやりたいんだけど、どうすればいいのか分からない。

だが彼らと一緒にいると高いワインを飲ませてもらえたりもするので、それでちょっと自分をごまかしたりとかして、これが高いワインかーとグラスのふちのにおいを嗅いでみて、銀座のど真ん中。彼らを見ていると若者よりも楽しそうで、それにくらべて自分のこの暗さは如何、と思うんだけどそれにしても仕事というのは自分以外のものすごくたくさんの多くの人間が糸を引き合っていて、その糸の隙間にそっと手を入れて自分の裁量をちょっとだけ発揮してみるもののまたすぐ押し戻されて、でも彼らには彼らの生活があって日常があって家に帰ったら奥さんがいて、会社のおじさんたちの数と同じ数だけのダイニングテーブルと子供部屋とあとお茶碗が食器棚にちゃんとおさまっているのだ。うちにある食器棚とはずいぶんと違うだろう、そこから彼らの生活はちゃんと流れ出していてその流れがちゃんと線路に沿って街に出、東京のど真ん中でかちあってでかいビルが建っている。

でかいビルのでかい食堂でぼーっとする、これだけ多くの人が多くの場所で多く働きみんなそれぞれになにかを発揮したいと願っていて実際発揮してるんだけれど、なんでこの世は良くならんのやろ、じぶんみたいな人間がいるからか。ビルの中で働いている女の人は白と黒のおにぎりみたいなちゃんとした服を着ている人、おじさんとちゃんと働ける、早口でしゃべれる女の人、そういう人になりたくて、体をできるかぎり薄くしてみたりするけれど、なんでちょっと、ちょっとずつ、本音のすれちがいみたいなので薄紙がふりつもってなんだか世界があっさりとさざなんで、ざわざわ、どうか。しごとってむずかしい。

自意識はすりおろして食べちゃいたい。

 

9月8日

元彼の事を思い出して鬱々とする。

あいたいか、と言われたらぐっとあいたい、というわけでもないのだけれど、でもときどき脳内にひょっこり現れて、いろいろとさざなみを立てたりもし、彼の「みゆきちゃん、SNS辞めたら頭でかくなりすぎて苦しいの直るんじゃない」という言い分にしたがってやめてみたらとてもそれは人生にとって都合良く生きやすく好転で大吉、なんだけど彼が残した人生への波及効果、ってゆうのなんてゆうの、その多くがとても良い事だったにも関わらず、それがやっぱりときどきでかくなりすぎて、人の記憶は、巨大な脳のほとんどは都合がわるい、昔の紙芝居みたいに今のぶん以外ごっそり抜き取ってしまえたらよいのに。

 

 

9月9日

山口ミルコさんとお会いして嬉しさで震えた。

ミルコさんとても優しい方で名刺交換してすぐブログを読んでくださり編集者さんづたいにとっても勇気づけられるお言葉をいただいて、ああ、存在自体が発熱体みたいな人、こんな人も世の中にはいる、なにをどんな仕事をしてどんな生き方をしてようと「生きてて、生きててよ」と他人にその生を願われずにはいられないような人がいて、私もなるべくそういう人になりたいと思う。突然変異的に人は変われるものだろか。「おじさん」にとってのそういう人に、まずはなってみたらいいのか。

 

 

9月10日

気分が悲しくなったら友人から教えてもらったこの動画を見る。

ありったけのタンブルウィードという、西部劇の背景で砂漠をよく転がってるあれがとにかく大量に転がりまくり、子供は笑いまくる。君よ、終わりを知らない君の笑いよ。世界はこの動画とこの笑い声と尽き知らずのタンブルウィードのようにいつまでもごろごろと途切れずに続いてゆくのだなぁ。幸せは雪崩式にやってきて、嬉しい人を見ると世界には嬉しさが吹雪く。

 

 

9月11日

頭がおかしいのはSNSのせいで、辞めたら直るかなと思ったけど、辞めたらもとのおかしさが爆発しただけだった。爆風の向きが変わっただけで

 

 

9月12日

編集者さんにごはんをごちそうしてもらって帰宅。

私は長い事、お母さんから創作でない、オリジナリティの無い文章は価値ないから書くのをやめなさいお前のそれは面白くあらへんと言われてきたので賞を取るわけでもない文章を書くのは罪だと思っていたのだが、最近は会う編集者さんが皆にこにこしてくださって小野さん書いていいんですよと言ってくれるからグにもつかない文章でも書こうとおもう。

今、人生で初めて許可されてる感。

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