ホントはむちゃくちゃしんどい


11月19日
夕方、ひとまわり離れた友人と半年ぶりくらいに短く会食。

現時点でしんどいこと、甘えたいこと、慰められたいことを言い合う。言い合うというか自分が一方的に話すだけ。彼は社会的に成功しているので、逆に、もういっそ何言ってもいいやと思い、普段言えない弱音や苦しさや親に対する葛藤を安心して吐き出せる。
彼が私に好意があると知っていて会うのは、利用しているようでズルいなと思うが、今の時点で互いのパートナーに言えない悩みを口に出せ、甘えたり助けを求められるのがその人しかいないので仕方ないと納得する。
別に身体的接触があるわけでないし、愛の言葉を囁き合うわけでもないし、ほとんど会わないから、社会的には不倫ではないだろうが、こんなに精神的にベッタリ癒着した状態は肉体だけの不倫よりよっぽど際どく、ハタから見て気持ちの悪い関係ではないだろうか。
変なの、と思う。全部のことを一人で済ませられたら結婚も恋愛ももっと単純なのに。

母が村上龍の担当編集を20年くらいずっとやっていて……という話をすると、
相手に「それはけっこうしんどいんじゃないか?」と言われて、初めて私がしんどい環境にいることに気づく。

しんどい。
本当はめちゃくちゃしんどい。何をやっていても本当はしんどい。
何を書いても何をやっても親のジャッジが追いかけてくる。
言われるまで気づかなかったが、ずっとベンチマークとして村上龍やそのあたりの子供の頃から読まされていた作家の作品を突きつけられている気がして、ここまでの成果をできるだけ早く出せよと言われている気がしてしんどい。
小説を書くことの意味が、もはやよくわからない。今書いている長編はほぼ完成しているのに、本当にこれが書きたかったのかどうかもよくわからない。
小説以外の創作は気が楽だ。親のジャッジがあんまりない。
最初の一作の絵本は作るのが本当に楽しかった。でもそれ以降は、本を出すために書くみたいなところがあって、書きたいから書いているという感じじゃない。
心の中にはパンパンに膨れ上がって外に出ようとしている何かがあって、でもそれを外に出そうとすると親のジャッジが追いかけてきてすかさず蓋をするので苦しい。正確には親のジャッジを背負っている私というのをやめられない私、が苦しい。あっちに行ってくれと思えば思うほど影のようにべったりとひっついてきて本当に重たい。
ものすごく体調が悪いのは自分で自分に蓋をしてずっと苦しいせいなのだと分かっていてもこれを取り外す方法がわからなくて苦しい。それは自分以外の誰か、身近な人でもきっと、分かることではないんだろうと思う。
母のことを、早く死ねばいいのに、と思うが、死んだところで簡単に解決するわけじゃないんだろうな、とも思う。

夜にエッセイを漫画化してくれる漫画家さんと編集者さんと会食。自分の作品をよりよくしてくれる人がいるというのは嬉しい。少しだけ、前向きな気持ちに。

11月20日
山梨の陶芸工房に行く。誰にも何にも言われないし、好きなように好きなだけ創作できるので気が楽だ。窯の火を見ていると落ち着く。火は燃えるだけ。一度として同じ形はとらないし、どんな形を取っても自由。

夜に、疲れが出てしまいこんこんと寝込む。
彼と付き合いたいのかも、
小説を書きたいのかも、
生きていたいのかも、わからない夜があって、でもそれは突き詰めると親のジャッジから逃れたい、それだけ、たったそれだけだったりするのだ。
誰にもジャッジなんかされたくないし、したくないし、逃れたところで一心に違うものを創作したい。
小野美由紀をやめてしまいたい。
誰のことも信用できない自分がいる。どんな関係も、どうせ最後には空気の抜けた自転車のタイヤのようにしぼむでしょうと思っている自分がいる。

工房に来て2日目の朝に、山の上まで歩いていったところにある氷室神社へ散歩。ここには縄文時代からの原生林がまま残っていて、立っているだけで不思議な感じがする。
千年杉にべったりとくっついて甘える。木はでかい。男にも木にも甘えている。


「湯を沸かすほどの熱い愛」を見た


 映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を見に行く。冒頭のシーンでもう生理的にだめになってしまい12分で退席。最悪な気分。これは私のための映画ではなかった。
ネタバレになるので詳しいことは書かないが、宮沢りえ演じる母の役柄がとにかく無理。娘がいじめられているのに気づかないフリをし、あれだけ学校に行きたくないと言っているのに笑顔で「明日も学校行こうね」って……。いや、そこは休ませろよ!気づかないフリすんな!!こんな女がこの先病気になろうが死のうが一切感情移入も共感もできんわ、そう思って席を立つ。

 私は「いじめには立ち向かえ」という意見がとても嫌いだ。電通の過労死自殺の時にも有識者が「100時間程度の残業で情けない」と言ったが、彼らが問題にしていることと、当事者が抱えている問題は根本的にずれている。
 外野が「そんな問題、大したことないから立ち向かえ」と言う時の「立ち向かう」は多くの場合、「問題を無くすために対処する」ではなく「我慢する」ことでしかない。

 しかし、それは間違っている。

 いじめに「立ち向かう」こと、それは決して我慢することではなく、自らの健全な精神状態を取り戻すために策を練り、あらんかぎりの選択肢を考えて、冷静に対処することだ。
 やられたらやり返せ、俺もいじめられたけど、やり返してやった、という年輩の人間も時々いるけれど、それはその人にとって「やり返す」ことが最善の「自分を守る方法」であっただけであって、いじめられている子ども、全員にあてはまることではない。逃げる、人に助けを求める、訴える、無視する、いじめにはあらゆる対処法があり、どれが最善かは状況によって違う。
 立ち向かう=戦う、我慢する、ではない。
君が精神の健康と安らぎを得て自分らしく生きる道は何千通りもあり、君はそれを選び取る権利があるのだ」「君がそうすることを、いじめっこやその他周りの悪意ある人間が邪魔することは決してできない」そう教わって、はじめて彼らは外部の世界に対して「立ち向かう」ことができるのではないだろうか。そのことを保護者や先生や周りの大人が教えるべきだ。「我慢する」ことしか対処の仕方を教わらなかった子供は、その先もきっとあらゆる物事に対して、そういう防御の仕方しか取れなくなってしまう(自力で学ばない限り)。

 それをただ「我慢しろ」「逃げるなんて情けない、立ち向かえ」と言うことは、自分の愚かさを露わにしているようなものだ。頭を使え、頭を。

 と、映画一つの感想を述べるのに若干横道に逸れてしまったけれど、とにかく「立ち向かえ」とか「我慢」みたいなのってもう古くて、そういうのが美徳、みたいな感じで描く物語は、たとえ他の要素がどんなに美しく彩られていようと、私はどんなものであろうとだめだ。
 しかし、見たおかげで、自分が何に怒りを感じるのか、はっきりと分かった。自分が何を書きたいのかも。12分だけだが見てよかった。
 私が好きなのは、「自由を得るための闘い」の話。どんな物語にせよ。


嫌われなくても、もう勇気


11月9日

 前からお話ししたかった著者さんにお声がけして、羊肉を食べに行くことに。せっかくなので6人にしようということで、その方以外にも普段からずっと話してみたかった方々にお誘いメールを送る。

 以前の私は人を誘うことができなかった。私に誘われても嬉しくないだろうとか、せっかく誘ってもつまんないと思われたらどうしようだとか誘う前から頭がいっぱいになって、結局誘えないことが多かった。実際、断られたら大ショックすぎて頭が追いつかず1日ふさぎ込んだりしていた。

 今は違う。断る権利が相手にはあるのだし、と思うようになった。自分の行動を決める際に、相手の選択というものがあることを算段することができるようになった。

 そうだよね、皆自分と同じように色々選択して生きているのだから、断られたり、もし誘った結果、仮につまんないと思われても、こっちが責任を取ることじゃないんだよね、そんな些細なことに、これまで気づかなくて、いろいろと損をしてたなぁ、と思う。

 

 昨日からアメリカの大統領選のことで、同じシェアハウスの人たちも、 SNSのタイムラインも、世界中の人々も湧き上がっている。同じ話題で盛り上がるのは、なんとなく数多くの人々と自分が繋がっている感じがしてちょっとウキウキする。喜んでいる場合じゃないかもしれないが。

 トランプが選ばれて、ショック、信じられない、という気持ちも大きい一方で、このことでショックを受けていてもしょーがないじゃない、という冷静な気持ちも片方にある。

 アメリカは日本に巨大な影響を及ぼす国であることは間違いないけれど、でも、日本はアメリカじゃない。隣の国のトップが変わっただけだ、という見方もできる。

 これを機に日本はアメリカから自立して、「あんなヤバい大統領の国に依存してたら本当にヤバいことになるから自分たちでどうにかしていこう」という考え方が広まればいいと思う、そう言ったら楽観的過ぎるだろうか?

 トランプは明らかにまずそうではあるけれど、でも

「まだ何も始まっていない。ただ代表が選ばれただけだ」

 そう思えば、次の4年を生きる気力が湧いてくる、ような気もする。

 世界は変わるし私も変わるのだ。変わらないものなんてない。変わらなさを愛でるよりも、ごくごく小さな変わることを、ジャッジも拒否もせずに、ただ体の中にたんたんと積み上げて日々を生きてゆきたい。それがいつかの未来において、かならず何かの材料になるから。

 

 夜、丸ノ内線に乗る。隣の隣の席に、顔ほどもある巨大な白飯のおにぎりを一心不乱にパクつきながら本を読む学ランの男子高校生。隣のOLさんは顔をしかめている。何を読んでいるのかと覗き込めば「嫌われる勇気」……大丈夫、君はすでにそれを持ってるよ。

 しかし白米のおにぎりは匂いがしないせいか、なぜか不快にはなりませんね。


守られたい


 11月8日

 あさ、付き合いたての彼と初エッチ。いつも思うけど人の性器というのはなぜこんなにごつごつしていて変な形なんだろうか。体の中でこんなにも複雑な形をしているとこって他にないと思う。相手にひっかかりやすいようにできているのだろうか、他人にひっかからないと生きて行けないのが人間なのか。

 しばらくしてから急に体調が悪くなり、病院に。ここのところ仕事で頭がいっぱいでろくに食事を取っていなかったことが原因らしい。ちゃんと食べろと怒られる。胃カメラを飲みCTを取ることになった。まだ30歳なのに。急に弱気になってこれからの人生のことを考える。

 ふと振り返って周りの人たちのことを考えるのは、こうやって体調を崩したときだ。体調が良くてイケイケな時ほど視野は狭い。以前、私を「俺より下の女の子」扱いしてくる男の編集者さんに怒ってしまって担当を変えてもらったことがある。あの時は本当に腹が立ったが、いま思えば彼は彼なりに私のことを良くしようとして一生懸命に考えてくれていたのかもしれない。反省。皆なんらかの形で現状を少しでもよくしようとして動いていて、それが噛み合わないと誤解になったり、あの人は私をダメにしようとしていると思ってつい怒ってしまうが、それは同時に、他人へのレセプターが鈍くなっていることの裏返しだ。他人に頼ったり、手伝ってもらったり、相手なりの形で力を貸してもらおうとすることが下手なのでそこの読み取りをよく間違える。いつも、どこかで遠慮してしまって、助けて欲しいと言えない。甘えてはいけないと思っている。甘えないことで何かに復讐しようとしている。

 母に電話。今度一緒に住む相手は彼氏ではないのかと聞かれる。違う、というと、あんた同棲するくらいなら結婚しなさいよと言われる。
 びっくりした。ずっと、母は自分自身と同じように私に結婚して欲しくないのかと思っていた。私の幸せを願っていないから、ずっと独り身でいて自分の手元から離れて欲しくないのかと。
 母に「あんたはしていないじゃん」と言ったら笑って、そりゃできるんだったらしたほうがいいわよ、と言う、母も歳をとって弱気になったのかもしれない。私が、今年の1月に祖母が死んでから、子供の頃のことや、自分に怒りを与えていたトラウマを整理できたように、母の中でも、いろいろな変化が生まれたのかもしれない。子供の幸せを願える人間に、歳をとって変わってきたのかもしれない。

 久々に話して、枷が外れたような気持ち。母も人間だ。歳を取るごとに、錆び付いてブリキになるわけじゃない。死ぬまで変化し続ける。

 守られたい。

 私が異性に求めている条件はこれしかない。今の彼と付き合い始めたり、長編小説が手離れしたせいで、自分が何を本当は求めているのか、心の中の氷が溶け出して、中にあったものが少しずつ露わになるようにして、やっと分かってきた。ずっと、自分が男性に求めるものは、話が面白いだとか頭がいいとかセックスのときこれこれこういうふうに振舞ってくれるだとか、色々あるように思っていたけれど、蓋を開けて自分の中を奥深くまで掘り進めて見たらこれしかなかった。

 私は思ったより強くないし独り立ちができない。何でもできると思っていたのはなんでもできる人間であれという強迫観念にも似たまやかしだった。男に依存せず、一人でもカッコよく明るく生きられる私、という理想の自己イメージは一種の覚せい剤にも似てカンフル効果は高いのだが、肝心の体の芯はギスギスで、気力と頭の中身だけでがんばって自分を持ち上げている感じ。学生時代、自分で何にもできずに男にちやほやされて全部やってもらっている女の子を見てイライラしていたが、私は本当は彼女のことが羨ましかったのだと思う。自分もそうふるまいたくて、でも、甘えたり頼ったりすることは悪だと教えられてきたから。
 子供の頃、母に些細なことで頼ったら怒られた。幼い頃、忙しくてなかなか話せない母と、塾に向かうタクシーの中でのわずかな時間に、コミュニケーションがとりたくて、わざと知っていることを知らないふりをして質問したことがある。そのとたん母は烈火のごとく怒った。「なんでそんなことも知らないの、私に聞く前に辞書引きなさい」ショックだった。別にそのことを知りたかったわけではなく私は母に甘えたかっただけだ。優しくいろいろなことを教えて欲しくて守られているという実感が欲しかっただけだ。
「守られている」という実感をすっとばして私は大人になった。それが今、何千年もの間溜まりに溜められた地下ガスのように噴出し始めている気がする。満たされれば、多分、別の欲望にすり替わってゆく気がする。が、いま、私は守られたい。本当は全力で依存したいのだ。誰かに。いままで誰と付き合っても満たされなかったのは、自分が男性に対して本当は何を望んでいるのかに気づいていなかっただけだ。時代に逆行しているのかもしれないが、わたしは強い男の人に守られたい。ばかだなあ、お前、と言われたい。ばかでいていい、と言われたい。自立・対等なんかくそくらえだ。銀座のホステスをやっていた頃、たくさんの歳下の男たちをはべらせて、付き従えていた70歳のママが最高に煌びやかでカッコよく見えたように。

 夜、渋谷のアパートメントに行くために銀座線に乗る。赤坂見附の駅で乗り換える時、手荷物の多い私はもたもたして、降りる時に時間がかかってしまう。いつも上手く電車を降りることができない。けどこの日は乗ってくる人たちはきちっと整列して私が降りるのを最後まで待ってくれた。こういうとき、日本の社会ってウェルオーガナイズドだ、と思う。最近は悲しい事件や不幸な事件、理不尽な悪意で誰かが辛い目に合う事件のニュースが多くて辛い気分になるが、一方で、些細なところに思いやりが行き届いているなと思えることも、たまにはある。よかった、他人は頼っていいのだ、電車を降りる時、多少はもたもたしても、生きて行けるのだ。
 もうすぐ彼が来る。部屋を暖めて待たなくては。その代わり、シュークリームをねだろう。


「競争社会」の外側を生きる


 
 シェアハウスの同居人である20歳現役東大生男子がリビングのソファにうつ伏せに転がって死にかけているので何があったのかと聞くと「競争社会に疲れた」という。
一番競争に強そうな東大生でもそんな風に感じるのだなと思うと同時に、自分が「競争社会に疲れている」ことを自覚していて、かつ口に出して言える分、彼は20歳の頃の私よりもずっと大人だな、と思う。
 
 20歳の時、私は自分が競争社会にいるなんてこと、全く気付いていなかった。それは生まれてからそれまで「競争」が当たり前だったからで、「競争社会」ではない居場所とか、違うスキームでの生き方があるなんてことはさっぱり考えもしなかったからだ。
 親によってナチュラル・ボーン・競争者に仕立て上げられた子供は自分が何に追い立てられているのか、何によって消耗しているのか、うまく気づけない。不安とか焦りとか恐怖が常に物心ついた時から周囲を取りまいていて、その外側にある世界を覆い隠してしまうから。
 それにもし、気づいていたとしたって、私はそんなこと、口に出して他人には言えなかったと思う。
「疲れた」なんていうことは、すなわち負けることだと思っていたし、自分はそんなものに疲れるほどヤワな人間じゃないと、20歳の頃の、硬くて強がりで、一度来た道をまっすぐ進むことしか知らない私は思いたかった。
 そんな恥ずかしいことは口に出してはいけない、って、言語化すらできないほど前の段階、無意識のレベルで思い込んでいた。
 
 
 時々、「どんな大学生でしたか」と聞かれる。
そんな時いつも思い出すのは、大学3年生の頃に受けていたフランス文学専攻のゼミのことだ。
 
 ダメ学生の吹き溜まりみたいだった私のゼミは学科1の不人気ゼミで、生徒は5人しかおらず、5人とも卒業時に就職以外の道(留年、失踪、中退、内定無し卒業、海外院試準備という名のニート)を選ぶというとんでもないゼミだった。毎回毎回、皆が来るか来ないかは授業が始まってみないとわからず、大体いつも1人とか2人とか3人で行うのが常だった。
 
 それで何を勉強するのかといえば、出席者が1人とか2人の時には
「沈黙は言語か」とか「無は存在するのか」とか、そういう答えのまるでないことを先生と3人もしくはタイマンで延々1時間半議論する、みたいなことを1年じゅうずっとやっていた。
 
 ゼミの教室は質素で、キャンパスの端っこにあり、蛍光灯は暗く、雨の日などは特に窓の外に茂る青葉の影が黒いレースのカーテンみたいに教室の中にまで押し寄せ、雨音が他の教室から聞こえてくる声をまるきり遮断してしまって、まるでミサか何かのように空気は暗く重く沈鬱だった。時間はぐんにゃりと歪んで、頭が朦朧として、ダリの「溶ける時計」がそこらじゅうを舞って見えた。ボードレールとランボーとバタイユが黒板の上からお通夜のような顔で我々を見下ろしていた。先生は毎回特に結論を出さず、時間が来ると「では、これで終わりにします」と言って名簿を畳んだ。若くて寡黙な先生だった。
 
 同じ学科には学生が電通とかANAとか華々しい企業にバンバン内定をもらっているゼミもあって、でもうちのゼミ生はそれをうらやましがるどころか「自分たちはそれをうらやましがっていいスキーム内には最初から位置すらしてない」ということを皆よくよくわかっていたので、そんな気配は微塵もなく、卒業が間近になっても当たり前のように「カミュに出てくる岩の陰は何の比喩か」みたいな、一体これが何の役に立つのかもわからないような事を、毎回、毎回、人のいない教室で延々としゃべっていた。
 
 凄まじく居心地が良かった。
 
 私がそこで知ったのは、
「ああ私はこういう、社会的に無価値かもしれないけど、正解のないことを延々と考え続けるのが好きなんだな、正解のないことであれば、いくらでも考え続けることができるのだな」ということだった。
 
 正解のない問い、数値に現れるものよりも、結果のないことを、延々と、延々と、延々とやるのが、たまらなく心地いい。
 それは他の学生も同じだったと思う。
 
 他に、留学とか世界一周とかインターンとか、学生らしいこともいろいろやったけど、それらすべてなぜかさっぱり記憶がなく、いつも学生時代のことを振り返った時に思い浮かぶのは、あの狭く薄暗い教室で、普段は無口な男の子と、先生と3人で延々としゃべっていた「沈黙は言語か」の背後に降る雨の音と、窓の外の青葉闇だ。
 
 
 それでも親の「三井物産か電通に入れ」という謎のプレッシャー(⇦本当に謎だ……)によって、いやいや、就活していた。入りたくもない会社のエントリーシートを頭痛を我慢して書きながら、しかし自分では「なぜ私は好きでもないのにこんなことをやっているのだろう」と、まったく思わなかった。自分は何が嫌で何が嫌じゃないのか、何に惹かれ何に惹かれないのか、全くわかっていなかったし、考えようともしなかった。
 
 だって、競争ってそういうものだと思ってたから。心を無にしてやるものだと思っていたから。
 
 自著「傷口から人生」には就活をパニック障害を起こしてやめたと書いたが、本当は、就活を止めるために体がパニック障害を起こして「くれた」のだと思う。それぐらい私は就活が嫌だった。
 
 でも、なんで止められなかったかというと、その時の私は「正解があるものの方が、社会の中では絶対的に正解だ」と思い込んでいたからだ。
「用意された正解を、どれだけ正確に早く出すか」ってルールから、抜け出す力がなかった。若くて、頑なで、馬鹿で、自分をひ弱だと思い込むのをやめられなかったから。
 
 リクルートスーツを着るのも死ぬほど嫌だったが、その頃は世の中のすべての人はスーツを着て仕事をしていると思い込んでいた。いや、私は全盲ではないので、街を歩いていたら、スーツを着ずに仕事をしている人などゴマンといることに嫌でも気づくはずだ。ただ、愚かで、狭い「競争」の世界にいる私は、それを見ないようにしていただけなのだ。「正解を探す」とか「競争で勝つ」以外の仕事が、生き方が、この世界には本当は溢れているということに、私が気付いていなかった。
 
 その時の私は「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ」と思いながら、一体自分が何をいやだと思っているのか、全く分かっていなかったのだ。あれだけ早く、正確に、答えを出す訓練を5歳の小学校受験の時からやってきたにもかかわらず。
 
 
 それから6年経って、今、私は運良く「正解のないことを延々と考え続ける」仕事で食べている。
 何でこうなったのか自分でもよくわからない。物書きになりたいとは本当は1度も思ったことがない。でもなぜかたどり着いてしまった。細い道を、それ以外の選択肢を押しのけてやっとできた隙間みたいな細い道をたどってきたら、いつのまにかこの世界にたどり着いていた。たどり着くまでに6年もかかった。本当はあのゼミの授業を受けていた時から、頭よりも賢い私の体は「お前はこっちだろう」って、本能的に気付いていたのに。
 
 今の自分は、正解のない世界を生きている、と思う。
 こう書くと「負け犬の状態を受け入れた」というふうに受け取る人もいるかもしれないが、うーん、そういう感じとはちょっと違うんだよな。正確には「自分だけの」正解を探し、「自分の中でだけ」競争をしている。自分の外側の他人が勝手に作った競争社会を降りて、自分の中でだけの答え探しに、ある時から徐々にスイッチが切り替わり始めた。その答えはいつ出るのかわからないし、出たところでそれが社会にとってどんな意味があるのかわからない。それはとても怖いことだ。競争社会にいる時は、競争がない世界ってなんて平和なんだろうと思っていたが、そこから降りてみたら、正解のない世界の方が、何の支えも保障もないぶん、残酷で暴虐で理不尽で、よっぽどヘビーだということがわかった。勝者も敗者もグラデーション的に入れ替わるぶん、意識をしっかり持っていないと、自分のアイデンティティが保てない。
 
 でも、こっち側の世界に来て良かった、と思う。
 こちら側の世界の様相は毎時毎分毎秒変わり、人生の「答え」も朝起きるたびに毎回変わっている。とってもチャーミングでキュートな世界だ。多分、生きているうちに、何の形にもならないものもいっぱい出てくるだろう、でも、それでも、続けていって、私の手からでも、もしくはこの世界にいて、一緒に連なっている他の誰かの手からでも、100年に1度のマスターピースが作り出されるのであれば、たとえカオティックで頭ぐちゃぐちゃになってしんどくてわけわかんなくても、まあ、悪くないっていう感じである。
 
 「正解を求めない」「他人と競争しない」世界が、競争社会の外側に実は存在していて、そこで生きることはどんな人でも案外可能なのだ、ということに、私は30を過ぎてやっと気づいた。それは別に難しいことではない。ただ、目を開いて、その世界を見さえすれば良いだけだ。競争の内側にいても、競争の外側を見さえすれば良いだけだ。
 1たす1が2ではなく、1たす1が2にも3にも4にもなる世界が、本当は私たちの周りには広がっている、そのことに自分で気付きさえすれば良いだけだ。
眩しい光を恐れずに、自分で自分の目を覆っている手のひらを、そっと剥がしさえすれば。
 
 なんてことを、電通の女の子の自殺のニュースを見て思った。
 彼女があの世で、「こっち側」の世界を生きていればいいと思う。
 
 
 
 
 
 

【仕事メモ】ジョージア・オキーフについて書きたい


韓国のとある出版社から

「文豪・もしくは画家・思想家について旅をして彼らの生涯についてエッセイの本を書きませんか」

というお仕事のオファーを頂いた。

最初はスコット・フィッツジェラルドにしようと思ったが、画家でもいいということなら、私が超超超大好きなジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe 、1887年11月15日 – 1986年3月6日)が良い!オキーフはお花と骨と風景画だけをほぼ100歳になるまで描き続けた、アメリカの20世紀を代表する女性画家。彼女のニューメキシコの荒野の家は、彼女のワールドが詰まっていて、プレミアムとか、kinfolkがやってるよな「丁寧な暮らし」をもう30年も前から先取りしている写真だけでも目ん玉が飛び出るよーな素敵なおうちで、ニューヨークでの華々しい成功者としての生活に疲れたオキーフが「ここはわたしの居場所。心が静かです。わたしの皮膚がここの土地に近いと感じている」と言って晩年をそこで過ごして死ぬまで絵を描き続けた場所なんですよ!

で「もうここに行けるなら取材費は自腹でもいい!私ぐらいオキーフについて情熱持って書ける人はいない!」と思ってオキーフを提案したのだが、結果はNo, アートの専門家じゃないし、文筆家は作家について書いたほうがいいという先方の判断。ま、それ自体は仕方がないと思うしフィッツジェラルドも好きだから良いのだけど・・・うーん!

でも諦めきれない!

どちらか私にオキーフについて書かせてくれる媒体&出版社はありませんか・・・?

多分だれより熱心にサンタフェに通うしなんなら取材費自腹でも良いよ〜!オキーフについて書きたい!!!!彼女のワールドについて書きたい!!書かせてくれぇぇ〜〜!!!

ま、今の長編小説が終わってからの話ですが・・・!

という日記でござんした。

ま、「依頼」と「本人のやりたいこと」が合致しないことも、時にはあるわな。

 

(掲載した写真の著作権はもちろんジョージア・オキーフのものです)


どこにも行けなかったころ#1 上野のハプバーにて


 

20代前半のころ、上野のハプニングバーに行ったことがある。

友達に漫画家のI先生と飲んでるから来ない?と呼び出されて、行ったら上野の有名なハプバーだった。

感受性がまだ、火傷によってズル剥けた皮膚のようにヒリヒリとして、敏感な頃だったので、私は怖いという気持ちと、私、どうにかなっちゃうのかなというドキドキした気持ちで薄暗い廊下の隅の扉を叩いた。

入り口で、身分証を見せ、女性は無料ですと言われて入った。

どんなミステリアスな場所だろうと思っていたのだが、入ってみたらガッカリした。だだっ広い場所に、数席のテーブルとソファー席があって、店内は相手の顔が見えないほど暗かった。照明を落とした、ただのカフェとかバーのような感じだった。一つだけ違うのは、そこにいる人々が、服を着ていたり、裸だったり、半分裸だったりすることだ。

しかし、裸の人間が積極的に絡み合っているかというとそういうわけではなかった。そこにいる皆が皆、壁際に佇みながら「そこで何が起きるのか」をずっと観察している。観察すらしていない人間もいた。彼らはただ裸ん坊になりながら困っていた。衣服という壁だけは取り払ったものの、そこから先どうしていいのかわからないと言った顔で佇んでいた。裸なのが、却って彼らの心理的な距離を際立たせる気がした。目の前にある、透明な分厚いこのプラスチックの壁を、壊してよ、誰か、僕に興味を持ってくれた人間が、そう彼らは言っているようだった。

そのうち友達同士が、フロアの隅にある、セックスをする用の小部屋に行ってセックスし始めたので、私たち一緒に来ていたグループの人々は、それを狭い小部屋で車座になって眺めた。

小部屋はひどく湿っぽくて、体液の臭いがした。目の前で起きていることを、全くエロいと思わなかった。ただグロいと思った。

触ってごらんと言われて触ってみたが、女の子の局部は黒く茂っていて、全く何がどうなっているのかわからなかった。童貞は大変だなと思った。自分の持ち物でさえこうなのだから。

そのあとで、その女の子が、「小野さんは見当違いのところを触っていて全く気持ちよくなかった」と言っていて、すみません、と思った。

そのうちそれを見て興奮した同じグループの男性が手を引っ張ってきたので、私たちは隣の部屋に入った。興奮していなかったかといえば嘘になる。けれどそれは性的な興奮ではなくて、異常な空間で何が起こるのかを期待する怯えと、自分を高みにおいてそこから他人の泥にまみれた行為を見下ろす、何も差し出すことのない、吝な傍観だった。

男は隣の部屋で私を押し倒し上にのしかかってきた。私はされるがままになっていたが、二人きりになった途端に心は冷凍庫に放り込まれたみたいにかちかちに凍り始めていた。

異常な状態なのに、興奮しない、私は一生、何にも興奮ができないのではないかと思った。

男は別に服を脱がすわけでもキスをするわけでも胸を触るわけでも局部に触れるわけでもなく、転がっている私を抱きしめながらポエムのようなものをずっとつぶやき続けていた。手がねっとりと汗ばんで気持ちが悪かった。この男もまた勇気がないのだなと思い、足で蹴飛ばして、部屋を出て、元いた席に戻った。男はなんだかほっとしたような嬉しそうな顔をしていて、私はその男を馬鹿じゃないかと思った。そして、自分のことも大馬鹿だと思った。

私は別に、知らない男とセックスしたいわけじゃないのだなと思った。

性的な場所にいるからといって、性的な存在になるわけではない。

また、セックスしたからといって、寂しくなくなるわけではない。

寂しさは会話によってしか埋まらないのではないかと思う。

会話ですら埋まらない最後の一筋の穴を埋めたような気持ちになるために、人はセックスを使うのではないかと思う。

そこにいる人たちは、決して部屋の中心には立たず、誰かが自分の隙間を埋めてくれるのをひたすら待っているように思えた。

彼らのことを寂しく感じ、同時に自分も、寂しいから、来たいのかどうかわからない場所に誘われれば来てしまうのだなと思った。

Iさんは、セックスするわけでも、女の子を口説くわけでもなく、ただ酒を大量に飲んでニコニコ笑っていた。Iさんはいい人だった。

4時間ほど居て外に出た。

外に出ると、明け方4時の上野の街は店に入った時と変わらずギラギラと青白い光を放ち、そこを通る人間の目を全力で刺し続けていた。

私は、何かを隠すために光り続けているものもあるのだなと思った。


11月3日(祝)12時〜旅行家の吉田友和さんと、ランチつきトークライブ「一周したけどスペインが好き! スペイン巡礼×世界一周トラベラーのトーク&ランチイベント」


《お知らせ》

11月3日12時より、麹町のメゾン・セルバンテスにて、旅行家の吉田友和さんと、ランチつきのトークライブを行います!
題して、「一周したけどスペインが好き!
スペイン巡礼×世界一周トラベラーのトーク&ランチイベント」
吉田さんといえば、私が学生時代に世界一周した時、彼の著書「してみたい!世界一周」を参考にさせてもらったぐらい憧れの著述家さん。
そんな方とお話できるなんて夢みたいです。
メゾンセルバンテスのランチは美味しいしボリュームもあり、めちゃくちゃお得!
ぜひみなさま、ふるってお越しください!

♪♪♪
「一周したけどスペインが好き!
スペイン巡礼×世界一周トラベラーのトーク&ランチイベント」

「10日もあれば世界一周」など数多くの著作を持ち、いかに短期間で遠くの国でも旅ができるかを極め続ける、世界一周旅行家の吉田友和さんと、7月に「人生に疲れたらスペイン巡礼 食べ飲み歩く800kmの旅」を発売し、スペイン巡礼路の魅力を発信する、エッセイストの小野美由紀さん。

二人とも世界一周の経験者でありながら、「いろんな国を見たけれど、やっぱりスペインが好き!」と言い切る二人。

そんな2人が感じる、アンダルシア、マヨルカ島などのスペイン各地、また、南米や中米などスペイン語文化圏の魅力、さらには、新たな旅行スタイルとして世界中でブームの「カミーノ・デ・サンティアゴ」=スペイン巡礼の旅の味わい方について、余すところなくお伝えします。

ランチコースはスペイン巡礼の道にちなんだスペシャルメニューとワインです。※コーヒー付き

終了後にはお二人のサイン会もございます。

見て聞いて味わう、楽しみのたっぷり詰まった充実の2時間です!

「スペイン巡礼の道」ランチを召し上がりながら、お二人のトークをお楽しみください。

第一部
・小野美由紀さんトーク
「スペイン巡礼は、美味しい!カミーノ・デ・サンティアゴの歩き方」

・荷物は体重の10分の1
・ワインがタダで飲み放題?
・いらないものを捨てる旅
・巡礼路は恋の道。街コンならぬ”道コン”?!
・安い!うまい!巡礼グルメ

・吉田友和さんトーク
「世界三周!ラテン三昧の旅」

・中南米旅行なら世界一周がお得
・ここは行きたいラテン旅先ベスト5
・週末アジア旅でもラテン気分
・闘牛と生ハムメロンから知るスペイン
・バルセロナから足を延ばそう!

第二部

小野さん×吉田さん対談
「世界一周したけど、スペインが好き!」

トーク終了後

・書籍販売会とサイン会

【開催概要】
11月3日(祝)11:30~受付 12:00~スタート 14:00終了予定

会場:市ヶ谷「メソンセルバンテス」
アクセス:
市ヶ谷駅より徒歩4分
麹町駅より徒歩4分
四ツ谷駅より徒歩7分

定員:先着46名様(お一人様の参加も歓迎いたします。)
参加費:お一人様4,000円(トークショウ、コースランチ、ウエルカムワイン、税込)

お申込みはメソンセルバンテス
03-5210-2990
メールでのお申込み
cervantes@spainclub.jp

~小野美由紀さんプロフィール~

小野美由紀(おのみゆき)
1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。
学生時代、世界一周に旅立ち22か国を巡る。就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。
その後3度に渡り全800キロの道を歩く。
卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。
クラウドファンディングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を出版。
2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、話題を呼ぶ。

現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

~吉田友和さんプロフィール~

1976年生まれ。出版社を経て2002年初海外旅行にして夫婦で世界一周を敢行。
2005年に旅行作家としてデビュー後、国内外を旅しながら執筆活動を行う。
著者に「3日もあれば海外旅行」(光文社新書)、「世界一周デート」(幻冬舎文庫)、
「自分を探さない旅」(平凡社)、妻・松岡絵里との共著に
「初めての世界一周」「世界も驚くニッポン旅行100」(ともにPHP研究所)などがある。

新進気鋭の旅行作家として注目されています。

皆様のご参加をお待ち申し上げております。

以上

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

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蔵元直送のハイクオリティーワインを取り揃えています。
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「若いね」って言われたら、嬉しい?


 

若いね、と褒められることに最近喜びを感じなくなって来た。

昔は「若いね」と褒められると、この人は私に「フレッシュな魅力を感じてくれているのだな」と思い、嬉しかったが、

今は、「若いね」と言われると、

「年相応の貫禄や社会的な責任のある人間」のようには見られていないのではないか、という懸念がよぎる。

お世辞で言ってくれているのかもしれないが、それはそれで「若いと言っておけば、喜びそうな女だ」と思われているようで、腹が立つ。

「若いのにすごいね」などと言われるよりも、

「年齢にふさわしい貫禄と、社会的な責任を負った大人の女だね」と言われたい。

そう思うのは、単に私がその領域に関して現在コンプレックスを感じていることの裏返しなのだが、

どちらにしても、若さを単にほめられるよりは、年齢にともなった人生の蓄積を先に褒められたい、まだこれだけしか生きていない、ではなく、すでにこれだけの人生を生きてきた人だ、ということを認めた上で話してほしい、という気持ちのほうが先行する。

それに、そう褒めた人が、若さをやたら懐かしがっているようなそぶりを見せたりすると、

若くないと人生を楽しめないと言われているようで、そっちのほうが心の裏地にちくちくとささる。

初対面とか、すくなくとも年齢を問うような浅い関係性においては、自分のことよりも、相手の人生観のほうが、大事だ。

最近、ある男の人と知り合って、恋愛風のムードが漂ったのだが、

「若いね」「ほんとに30歳?」「見えないね」と相手がひたすら連呼するので

気持ちがしゅるしゅると萎えてしまった。

男性は女性を褒める時に(また、女性が男性を褒める時にも)とりあえず容姿と年齢のギャップを褒める、という定石のようなものがあるが、

若さに価値を置いていない人間を相手に、その人の若さを褒める事は、逆に自殺行為だ、と思う。

日本にはアイドル好きに代表されるような、若さを称揚する文化があり、それに対して社会的に「大丈夫かな」とは思う(「幼さや未熟をアピールする事で、相手の手をゆるめさせ、ある種の牽制を相手に与える」という日本的な戦術は国際社会では通用しなくなりそうな気もするし、一歩間違えると危ういのでは」という懸念を感じる)が、それを無理に変えて欲しいとか怒ったりするつもりはない。「女性蔑視では」と怒るつもりもない。(だって、日本の女性だって若くて幼い男子が好きだ。高倉健ファンの若い女性より、韓国アイドルが好きなおばさまが多いのを見ても明らかだ)

ただ、私は若さで勝負をしたくない、という気持ちが今は強い。

銀座の高級クラブで働いていた時に、いろいろ教えてくれたお姉さんたちは、みなでっぷり太って貫禄があった。

なんていうか、「美人」とか「かわいい」からはほど遠いのだが、ばんと張った腹の上に、たっぷりとした乳とふくよかな頬が並び、きりっとしててきぱきと業務をこなしているのを見ると、なんていうか、どっしり地面に根を張った太い木の幹の内側から漂ってくるつややかさがあって、私はつい、お客さんよりもお姉さんたちのほうを眺めてしまっていた。

山崎ナオコーラさんの小説「かわいい生活」に

「女としての魅力ではなく、社会人としての魅力をアップしたい」というような趣旨の言葉があるが、

わたしも

「年齢を重ねた人としての魅力をアップしたい」

と切実に思っている。

そのためには、とりあえず「初めての相手にこちらから電話をかけられるようになる」とか、クリアしなきゃいけないことが、たくさんあるのだけど……。

 

文章のクセ、コミュニケーションのクセ


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文章教室を開講して2ヶ月。

今のところ、週に3回のペースでお申し込みをいただいている。

思ったよりもいろいろな層の方に受講していただいていて、ハローワークで職を探している人から、大きな企業の社長さんまでいろいろだ。

やっていて思うこと。それは、

“文章の悩みというのはそれ単体では存在せず、その人の人生の悩みと直結している”

ということだ。

文章は、いうまでもなく、書き手自身の人格と直結している。

その人の見ている世界、その人の暮らし、今の生活状況、コミュニケーションの仕方。

人格だけではない。対面で坐した時の、その人の喋り方、姿勢、声のトーン、話すときの文法の癖。それらはすべてリンクしている。

たとえば、読み手にとって共有されるべき情報をはじめから共有せずに、いきなり前提をすっぽかして書き始めてしまうような人がいる。そういう人は、会話においても、他者の視点が抜けていることが多い。

また、主題がはっきりせずに、だらだらと際限なく長い文章を書いてしまう人。そういう人は会話においても、いつまでたっても述語が表れずに区切りなく話し続けてしまうクセを持っている。

このように、その人が持っている文章の癖や、うまく書けなくて悩んでいる部分というのは、そのまま、その人の生き方のクセや、もしくは他人とのコミュニケーションにおける、つまづきの表れであることがとても多い。

本当は、自分に自信が持てない、だったり。

部下に相談したいのに、できない、だったり。

やりたいことがなくて焦っている、だったり。

その人の抱える悩みが、紙に印刷された、文字列の上にそのまま透けて見えることがある。

(もちろん、私にもある。私の場合、自分が言っていることが相手に伝わっているか、どうしても自信が持てないので、ついつい蛇足的にダラダラ言葉を重ねてしまう。その結果、余計なことを言ってしまう事が多い。原稿を書く時には、その事についてかなり注意するようにしている。)

 

とあるクライアントで、初対面の第一声からタメ口で話しかけてくる40代の男性がいた。失業中で、ハローワークに出すエントリーシートの書き方を教えて欲しいと言う依頼だった。

最初は「(自分よりも)若い女だと思って、舐めてるのかなあ」と思いながら講義を行っていたが、提出された文章を読み、話をするうち、彼の「他人全般に対する舐め」が、彼の人生におけるつまずきを作り出しているんだなぁということがよくわかった。

彼の文章は、いうまでもなく、他人に甘えていた。内容が甘えているということではなく、書き方自体が甘えている。べちゃべちゃとしていて、他人と距離が取れていない文章。“相手はもちろん、自分を理解してくれている”という前提で書かれているから、当然、読み手は困惑する。まるでドアもない家を、買うとも言っていないのに押し売りされているみたいな気分になるのだ。そのことを、気づいてもらう必要があった。

このように、 話し方の癖、文章の癖と、その人のコミュニケーションの癖というのは直結していて、それらを総合的に見てゆくと、この人が一体何につまずいているのか、というのがおのずと見えて来る。

 

私はカウンセラーではないから、その人のつまずき全部を取り除くことはできない。また、一回の講義で、コミュニケーションの癖を直せと言ってもどだい無理な話だし、むしろ癖なんかあって当然で、それがその人の個性でもあるから、全部を直す必要もない。また、たとえ文章が下手でも、不思議と相手に伝わる文章というのもあるから、「てにをは」などの文法をびっちり矯正すればいいというわけでもない(エントリーシートなどの場合は別だけど)。

ただ、「他人に伝わる文章を書きたい」と願う時、自分のコミュニケーション上のクセを知っておく、というのは、かなり有効だ。

だから、私が講座の中で行っているのは、提出された文章と、目の前にいる人のすべてから、その人の、文章を書く上でのつまずきに直結している部分を分析して、 それをその人自身に気づいてもらえるよう、促すことである。

 

時々、必要だと感じたら、クライアントに発声練習をしてもらうことがある。

発声して、自分の声を聞く事で、これまでどれだけ自分の声が閉じていて、相手に届かないものであったか、また、自分の話し方の癖について、気づく事があるからだ。

たぶん、やらされている本人は最初は恥ずかしいと思うが、講師としてはこれがいちばん楽しい。

 

声を出してもらううち、ふいに、その人の頭の後ろから、爽やかな風が吹き抜ける瞬間がある。

声がお腹の底から通ってくる感じ。自分の声を聞きつつ、相手に届けるために、迷いなく声を出せている瞬間。

そんな時のクライアントの顔は、さえざえとして、緊張や不安のない、落ち着いた表情をしている。

その時の感じを思い出しながら文章が書けたら、”じぶんらしい表現”になるのではないかと思う。

 

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お知らせ 9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。

 


ネットワークビジネスの洗脳イベントに潜り込んだ話


古賀史健さんの、「騙される人の共通点」という記事を読んで。

私もつい最近、次の書籍のために、とあるネットワークビジネスの洗脳パーティーみたいなのに潜入取材してきたんですよ。

いったいどんな人たちが来ていて、どういう感じで取り込まれてゆくんだろう、と思って行ったんですが・・・。

まず、それが渋谷のクラブで行われるクラブイベントであることに驚き、さらにそれが真っ昼間に行われることに驚いた。

そして、意外なことに、来てるのはみんな、20歳から24、5歳くらいの、お金を持ってない感じの子たちなんですよ。どちらかというとコミュニケーションが苦手な、大学の1学期に友達づくりに失敗してしまっていそうで、でも一応は会社や学校には所属していて、暇と友達作りたい欲をもてあましていそうな子たちなんです。

「お金持ってない若者を狙うのか〜」と思ってたら、主催の人が出て来て、最初に煽るのが「老後の不安」なんです。「みんなこのままじゃあと50年後はやばいぜ!」って。で、そっから「老後に悲惨な思いをしないためにはつながりを作って日本を変えていこうぜ!」とかなんとか、音楽のパフォーマンスの合間のMCで言う訳。「老後の不安」「つながり」「日本を変える」がこの会の黄金キーワードらしく、そのあとも繰り返し繰り返し繰り返し言われ続けるわけです。

特に一番最後に出て来たDJの人の語りがやばかった。

「俺はぁ〜!

3年前まで売れない役者だったけどぉ〜!

この会のおかげでこうして舞台に立てるようになりましたぁ!

みんな〜〜!! 夢を叶えるために必要なことって何か知ってるかぁ〜〜〜!

それはぁ〜〜〜………

  …

  …

  …   

 

 

つながりダァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」

 

 

…吐きそう。

で、あとはその場で半強制的に「つながり」を作らされる。

ああ、こうやって会員を増やしているんだな、って思いました。それぐらい今の若者で「つながり」に不安を持っている人が多いんだな、そういうぼんやりうっすらした不安から来る「友達つくらなきゃ、つくりたい」っていう欲、「でもどうしたらいいかわからない」っていうグルグルの中にこの人たちは自分のビジネスをはさみこんで少しずつかっさらってゆくんだって。本来なら人に言われてするようなことじゃない、確立した道筋みたいなのがない物事について、でもまあ、仕組みに任せちゃえば安心、みたいな気持ちから、亀裂にはまり込むんだな、って。

そのクラブのVIPルームには、ビジネスの代表みたいなのがいるらしく、30分並んで入ると、そこには“しょぼい松岡修造”みたいなのが陣取っていて、そのまわりを若い子たちが3周くらい取り巻いており、しょぼ松岡はキラキラ光る白い歯を見せながら

「俺みたいなクラスの自由人になるとぉ〜、年に5、6回はハワイいっちゃうからっ!見てこの日焼けの色!これじゃ会社員無理っしょ!」とかなんとかひたすら「ハワイ、ハワイ、ハワイ」自慢、それを若い子たちが目をキラキラしながら聞く、という構図が延々と続きたいへん胸クソ悪くなった。肌の色と仕事関係ねぇ〜〜〜!!!!

しかし、この胸のむかつきはなんだろう、老後に不安があるのは事実だし、たしかにつながりは大事、そして日本には問題がたくさんあり、変えて行かなければいけないことは分かり切っているし、ロジック自体は間違いではない、でも彼らに言われるとなんだか底なしの胃のむかつきのようなものがおそってくる。べつに彼らは騙しているわけでは決してないし、このイベント自体だって、参加するのは来場者の選択だ。でもなんだか、「老後不安」→「つながり大事」→「だからここでつながろう」のあいだにはすんごくいろいろなものがスルーされて取りこぼされている気がする。しかしここに来ている人々はみなすごく不自然な笑顔でうんうんとうなずき素直にMCを聞いている、まるで、笑顔と素直さがこの場の通行手形であって、そうであらないとなにか大きなものから取りこぼされてしまうみたいな緊迫したものが彼らの身体から漏れていて、わたしはなんだか見ているうちになんだか悲しい気持ちになってしまった。

 

この悲しい気持ちとむかつきの正体を、うまく書けるときがきたら書こうと思う。

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お知らせ

9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。くわしくはこちらをご覧下さい。


9月3日(木) 19:30「旅の本屋のまど」さんにて新刊のトークイベントを行います。


淡路さん写真4

(写真提供:淡路愛)

9月3日(木)   19:30 ~に、「旅の本屋のまど」さんにて、新刊のトークイベントを行います。

スペイン巡礼の魅力について、スライドショーをつかいじっくり解説するほか、他の巡礼者の方をお呼びし、貴重なフランスパート(ル・ピュイからサンジャンまで)についてもたっぷりお話しします!

ぜひ皆様、お越し下さい。

 新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」発売記念

◆小野美由紀さん  スライド&トークショー◆

「スペイン巡礼旅の楽しみ方」

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新刊「人生に疲れたらスペイン巡礼」(光文社新書)の発売を記念して、ライターの

小野美由紀さんをゲストにお迎えして、スペイン巡礼旅の魅力についてスライドを

交えながらたっぷりとお話していただきます。カトリック三大巡礼路のひとつ、カミーノ

・デ・サンティアゴ。スペインはもちろん、イタリア、フランス、東欧諸国まで、世界中の

さまざまな国の人々がこの道を歩くことを目指して旅していて、最近は巡礼路を歩いて

旅する日本人も急増しているのだとか。本書は、就職活動に挫折し、スペイン巡礼を

体験し、その後3度に渡り全800キロの道を歩いた著者が、アウトドアとしても、旅として

も面白く、信仰を問わず誰にでも開かれている「スペイン版お遍路」の醍醐味を伝えた

旅エッセイになっています。実際にスペイン巡礼路を歩いて来た小野さんが肌で感じた

「歩き旅」の貴重な体験談が聞けると思います。小野さんのファンの方はもちろん、

スペイン巡礼路に興味のある方や歩き旅に興味のある方はぜひご参加ください!

※トーク終了後、ご希望の方には著作へのサインも行います。

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●小野美由紀(おのみゆき)

1985年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学専攻卒業。学生時代、世界一周に

旅立ち22か国を巡る。就職活動に挫折し、スペイン巡礼へ。その後3度に渡り全800キロ

の道を歩く。卒業後、無職の期間を経て2013年春から文筆業を開始。クラウドファンディ

ングで「原発絵本プロジェクト」を立ち上げ、絵本『ひかりのりゅう』(共著、絵本塾出版)を

出版。2015年には、初の著書である自伝エッセイ『傷口から人生。』(幻冬舎)を刊行し、

話題を呼ぶ。現在、ライター、エッセイストとして活躍中。

◆小野美由紀さんブログ

http://onomiyuki.com/

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(写真提供:淡路愛)

【開催日時】  9月3日(木)   19:30 ~ (開場19:00)

【参加費】   900円   ※当日、会場入口にてお支払い下さい

【会場】   旅の本屋のまど店内

【申込み方法】 お電話、ファックス、e-mail、または直接ご来店のうえ、

 お申し込みください。TEL&FAX:03-5310-2627

 e-mail :info@nomad-books.co.jp

 (お名前、ご連絡先電話番号、参加人数を明記してください)

  ※定員になり次第締め切らせていただきます。

【お問い合わせ先】

 旅の本屋のまど TEL:03-5310-2627 (定休日:水曜日)

 東京都杉並区西荻北3-12-10 司ビル1F

 http://www.nomad-books.co.jp

  主催:旅の本屋のまど

 協力:光文社