ニューヨーク、1ミリも後悔しないほど美味しいレストラン&カフェのリスト17


10年前に訪れた時には留学中の貧乏学生だったので「何もかもが高い」と言いながらエッサの一番安いベーグルしか食べられなかった。吹雪でバス地下鉄含めすべての交通機関が凍結し家に帰れず、前日まで泊まっていたユースホステルのおじさんには24時を過ぎたらゲストじゃないと言われて大雪の路地に放り出された。そんな苦い記憶を払拭するべく今回の旅の目的は”食”に絞り、駱駝の如く食べて、食べて、食べて食べまくった。食べることしか考えてなかった。出発前に7日間の断食をしたのが無に帰すくらいに食べた。行く前と行った後で顔が変わってる(2倍強)。おかげで超おしゃクソ店(悪態つきたくなるほどお洒落な店)から高級店からファストフードまで、1ミリも後悔しないほど美味しい店を開拓できたはず。以下、何度でも行きたいと思った店のリスト。
当たり前だけど、料理の味と値段は比例しない。一番のヒットだったのは「Dirty Bird」(すごい名前)のチキン・スティック。「ファスト・スローフード」を謳う、有機の平飼い鶏を使った唐揚げの店。7ドルの唐揚げが高級店の35ドルのチキンに勝る旨さ。思い出しただけで涎が……。

 

 

Marta

(しょっぱなから写真なし)
グラマシーにある、ニューヨーカーに人気のサクサク系ピザ屋さん。値段が手頃なのにサービスもよく、お店の雰囲気もよくてコスパよし!ホテルが併設されているためか、内装はほどほどに高級感があって、開放的。広いのにすごい混みっぷり。ここのピザ、今までで食べた中ではナポリのダ・ミッケーレに次いで美味しかったかも……。石窯で焼き上げたピザは生地が薄くてサクサクしていて、日本人の胃でも余裕で1枚食べれる。とろとろのチーズと濃厚なサラミの味がたまらない。カクテルやサイドのサラダも美味しかった。滞在中にもう一度行きたいと思うくらいに。

Devoción

おしゃクソ、ここに極まれりなブルックリンのカフェ。とにかくおしゃクソ。おしゃクソ世界一。店内の98%の人々がMacBookを開いている(そうでない人は充電している)。みんな同じ方向に向いてるから学校かと思った。飲み物はリーズナブルかつ美味しい。コーヒーが飲めないので、ホットウォーターにレモンと生姜とスパイスを混ぜた健康ドリンクみたいなのを頼んだ。スパイシーで美味しい。味の濃い飲み物に慣れた体がほっとする。

Le turtle

ロウアーイーストサイドの新しいレストラン。とにかく内装がおしゃクソ。予約が取りにくい。フレンチというより多国籍料理っぽい。カルボナーラはスパイスが辛い。ステーキやヒラメのカルパッチョは美味しい。味付けはとにかく濃い目。ダック(50ドル程度、4人分)が美味しそうだったので大人数でチャレンジしてほしい。

Finest Ice cream

ここのアイスクリームに出会えただけで生きている価値があった。
とにかくうまい!なめらか!味が濃い!raw milkに塩カラメルソース最高。チョコレート・アイスも甘すぎず爽やかな味わい。店内は夜中でも人がぎっしり。le turtleの近く。

タル・ベーグル 

街に数多あるベーグル屋の中で一番好き。日本人好みのしっとり系ベーグル。エッサベーグルが固すぎる・・・という人にはこちらをおすすめ。
サーモンも美味しいけど私のオススメはエビ・サラダ!エブリシング・ベーグルにプリプリのエビとセロリをマリネしたものを挟んで食べると絶品。ミニ・ベーグル(半額)もある。甘いクリーム系も甘すぎずにちょうど良い。

Juice Generation


街のそこらじゅうにある。健康ブームのNY、とにかく街はジュース屋だらけ、おまけに10ドルはくだらないのだからたまらないけど、その分ジュースだけでお腹いっぱいになるほどの量で出てくるのでコスパ的にはとんとん?いろんな店のジュースを飲み比べたけどここが一番上品な味だなと思った。余談だけど、野菜を絞りすぎてカップに入りきらないと、残りも小さな紙のカップで出してくれるのは景気が良くていいね。

Dimes deli&Restaurant


チャイナタウンの一角にできたクソおしゃなレストラン。エッジーなインテリアとおしゃくそ(インスタ映えする)なフードが周辺のおしゃれ&オーガニックフレンドリーな住民の関心を引いているよう。店内におしゃれな人しかいない。フードについてもさすがの美味しさ、だけどアメリカンの濃い味付けに慣れた身としては「この薄味にこの値段?」とつい感じてしまう(ヘルシーフードが売りだから、それこそこの店のウリなんだけど)レストランよりデリカッセンの気安い雰囲気の方が食事していて楽しかった。デリの方がメニューも豊富だし。

Dirty-Bird

(写真なし)

正直、ここのから揚げが一番美味しかった……なんていうか麻薬的な味。ファストスローフードをうたっているらしく有機の平飼いの鶏肉で作ったから揚げやチキンスティックなどのジャンクフードが売り。
チキンスティックは病みつきになる味。さっくりほろほろの鶏肉がたまらん!後5回は食べたかった。8av と 14th street のあたり。

Union Fare

Gramercy Tavern の予約をうっかりミスして取り消してしまったので代打で。しかしここで十分だったのでは?と思うぐらい当たりだった。ユニオンスクエアの近く。レストランゾーンとフードコートゾーンがある。フードコートはカジュアルだけど、どの店も美味しそう。レストランの店内は快活な雰囲気。騒がしいレストランが苦手な人には薦めない。ワイワイ食事するのにはぴったり。チキンムースとチーズと生ハムのカッティングボード美味しい!サーモンのタルタルをのせたトースト、ローストチキンも外れの店が多い中、ここのはしっとり、どっしりな食べ応え。この値段でこの味はコスパよしだと思う!

The Gander

現地在住の日本人の方に連れて行ってもらったお店。おしゃれ!天井が高くて居心地がいい。ブランチに訪問。ロメインレタスのサラダや魚が美味しかった。チキンはボリューミーすぎて食べきれないかも……。ユニオンフェア、シティベーカリーの近く。

FIKA

16thと6th aveにあるスウェディッシュなカフェ。(店舗はNYにたくさんあるけどここが一番綺麗だと思う)滞在先から遠いにもかかわらず毎日通ってしまった。天井が高く、通りに面しているため、開放感があり店内にいながら街の動きを感じられる。窓から差し込む光が心地いい。
チョコレートやコーンスープなどフードも充実。ここのチョコレートはグルテンフリー。店内は静かで、明るくて、フェルメールの絵みたいな光の入り方がしていて清廉としている。
NYでは抹茶が数年前からブームらしく、各所で抹茶味のスイーツやラテを見かけた。FIKAの抹茶ラテは甘みが全くなく、抹茶のワイルドな苦味がそのまんま残っている。砂糖を入れないとちょっときついかも。
店内はおしゃれ、かつ気取らず居心地がいい。PCで作業をしている人が多く、とても静か。

Ben&Jacks

ピータールーガーの予約が取れなかったので、ピーターから暖簾分けしたというこちらの店へ。マディソンスクエアの近く。ポーターハウスさすがの大きさ。オニオンスープもほうれん草のクリームもめっちゃ美味しい。正直、ステーキの美味しさを食べ比べできるほど舌が肥えてないので他の店との比較はできない。

グレゴリーコーヒー

NY発祥のコーヒーショップ。スタバを内装暗めにした感じ。ドーナツやチョコレートなどのサイドメニューが充実。ラテは他の店よりずっと美味しいと感じた。ここの何がいいって、電源がいっぱいあってWifiが速くて好きなだけ使えるってことですよ!!仕事をしている人がほとんどだった。他の店舗はわからないけど5avの店はテーブルの高さがMacの作業にちょうどいい。

 

【以下、定番】

ラス&ドーターズ

サーモンのベーグルといえばここ。ユダヤ系デリカッセンなのでチョコレートやその他のスイーツ、キャビアなども売っている。サーモンの種類も数種類あり、スモークしたものからベイクしたもの(おすすめ!)まで色色。何枚も何枚も挟んでくれるため、1つでお腹いっぱいに。クリームチーズも種類が豊富。私の一番のお気に入りはベイクドサーモンにトマトケッパーアド。ロウアーイーストサイドにカフェとデリカッセンの両方がある。

 

 

サラベス


ド定番、かつ店員さんのサービスが終わってる、けどやっぱり美味しい。日本にもあるけどね。パンケーキはこれ食べるだけで1日が幸せになる味。

City Bakery


ど定番だけどやっぱり美味しい!ホットチョコレートはマシュマロ入りで飲みたかったけど9月までマシュマロはやっていないらしい。残念。でもチョコレートだけで十分に美味しい。プレッツェルクロワッサンもムギュッとどっしり。パンが大きいので複数人で行って食べ比べするのが良いかも。ユニオンスクエアの近くで朝から人がいっぱい。

 

Veniero


いろんな店でチーズケーキを食べまくったけど、やっぱりここのが一番美味しかった。グルテンフリーのNYチーズケーキも、普通のチーズケーキとほぼ同じ味!グラマシー。夜1時までやってる。夜中に食べる背徳感がたまらない。


人生のすべての時間は萌え出る芽


 

 朝、彼に「成人おめでとう」とメール。生きているとまさか自分の身にこんなことが、と思うよなことが度々起こるけれど、今日のこれなんかまさにそんなかんじ。

 成人かあ、この人は萌えたての木々のような、一瞬一瞬をいま、生きているのかと思うと、なんだか眩しくもあるし、同時に羨ましくもある。
 私は相手の1.5倍の人生を生きていて、しかしその0.5の差は世間から思われるような0.5では決してない。彼女のほうが年上、というと、落ち着きがあり、社会的に責任のある成熟した女性、を思い浮かべられがちだが、私はそのどれでもまったくなく、なんでこの人は私と一緒にいるのだろう、互いの足のあいだについているものだけで付き合っているのじゃあるまいか、と時々思う。

 はたちのころの私は、あまねく大人はスーツを着て会社に行っていると思っていた。今、1日じゅう家から半径50m以内のところにいて、平日にも平気で旅に出かけ、雨が降る日は遅くまで寝ている、私のことを彼はどう思っているのだろう。作家というのはアウトプットがない限りは仕事の形が目で見えないのであって、それを今、一時的にせよ減らしている私は、果たして「仕事している」と認識されているのか、どうか。
 分かっている。これは単に、去年、頑張ってきた成果を本という形で出せなかったことによる、社会に対する焦りや罪悪感を彼に投影しているだけにすぎないのだ。「人からどう感じられるか」を気にするのは、全部自分の問題。

 

 昨日おとといと、小学生向けにダンスと文章の教室をやった。大人に向けた個人の文章講座はやったことがあったが、集団での、しかも子供に向けた文章教室は初めて。ずっとやりたかったことなのでとても嬉しい。

 エイスクールの教室に来る子は、親が教育熱心だったりして、子供達も聡い、というか、「おとなこども」の殻を被っている、というかんじ。それをぶっこわしてもらうために、ダンサーの青剣くんを呼んで、体を使うアイスブレイクを1時間かけてやってもらう。思った通り、というか予想以上に子供達はダンスに熱狂。場の空気があったかぁぁいバラ色に。

 彼のワークショップは、大人は一瞬で子供に、子供はそれ以上に子供にもどす力があって、たとえば最初、明らかに緊張している風だった女の子がいた。「自分でないものの殻」みたいなものをかぶせられている子の体はなんだか固い。私もそういう子供だったので、硬さが空間を通じて伝わってくる。たたずまいがまず、大人びていて、でも、不安そうな顔をしている。

 でも、ダンスをして体を動かすうち、だんだん緊張がほぐれて、他人との距離が縮まって、体の底から湧いてくる熱が手足から溢れ出てきて、最終的に「動物になるワーク」で「犬になって」と言ったら、もう身体中が犬そのものというか、会場でいっとう犬になりきっていて、あ、この子は殻をやぶ(った、らされた、られた、ってしまった)な、って思った。
 そんな風に、子供たちに、ふにゃふにゃで生まれたままの自分、に出会ってほしかったのだ。大人の殻を被らず、むき出しの自分自身で作文を書いてみて欲しかった。それが作文とダンスを組み合わせた狙いだったのだが、参加していたお父さんお母さんにもそれは効果があったみたいだ。大人も子供も、全員がひゅっとイッペンにふらっとになった感じがした。

 とはいえ作文のパートでは、低学年の子全員が同じようにやるのは難しく、最初は思う通りにいかないこともあった。けど、子供は一瞬で吸収して一瞬で化ける。初めは物怖じしてなかなか書けなかった子が、周りから質問やヒントをもらったとたんにぱーん!とスイッチが入り、ものすごいいきおいで膨大な量の「物語」を一気に書き上げたりした。
 そういう子ども1人1人の変化を、全力で見つけて肯定し、それぞれの魅力や個性を本人や親たちに知ってもらおうと思ってやっていたが、上手くいっただろうか。

 子供と一緒に遊ぶうちに、私も頭のネジがぽんと飛んで行ったみたい。

 何を今まで我慢していたのだろう。
 書くことについて、出版社の都合、編集者さんのコントロール、ジャンルだとか、売り方だとか、いろいろな制約を設けられている気がして去年一年間、とてもしんどかった。けど、そんなものに従っていたらもったいない。ただ無心に、好きなことについて書く、あの気持ちに蓋をして、ルールにがんじがらめになって、いつのまにか、目的と手段が入れ替わっていて。

 そんなことをしたら、「私」がもったいないじゃないか。

 子供たちを見て、ああ、私も彼らの延長線上にいるのだなあ、とふと思う。私も「彼ら」だったことがあるし、いまも「彼ら」なのだ。20歳の時間を生きている彼の、8歳の彼らの、延長線上を、いま、30歳の私は生きているのだ。別の存在じゃない。過去に芽吹いた時間は繰り返し再生する。時間軸を行きつ戻りつし、私の時間もまた、一瞬一瞬が萌えたての木々なのだ。

 


京都でいつもゆくお店


1月1日

新年明けてから京都へ。友達の始めた旅館に滞在してひたすら小説の直し。仕事始めも収めもない。街が休みだと、不思議な集中力が湧く。

友達の旅館は街中から少し離れたところにあるのだが、観光客はほとんどおらず、騒がしくもなく、タクシーで京都駅から1メーターと非常にロケーションがいい。おまけに鴨川沿いで、窓からは一面にきよらかな川の流れが見渡せる。素晴らしく良いところ。

朝日の中、せせらぎの中からぱつと白鷺が飛び立つ、新年の清々しさ。

 

京都は2〜3年前から、2ヶ月に1度程度通っているのだけど、最近はやたらに新しい店やカフェが増えた印象。フリーランスで仕事をするにはこの上なく嬉しいことなのだけど、それだけ観光客も増えたってことなのだろう。

お気に入りは、喫茶マドラグ

075-744-0067 京都府京都市中京区押小路通西洞院東入ル北側

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26019438/

 

俵屋旅館が出店した

遊形 サロン・ド・テ

075-212-8883京都府京都市中京区姉小路通麩屋町東入ル北側

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26005378/

くずもちと抹茶のセット2160円〜とお高いけれど、店内の調度品の静かな佇まいや、窓から見える坪庭の美しさの鑑賞料込みと思えば安いもの。ハーブティー1260円は3煎めまでお店の人が時間を計って入れてくれる。値段以上の価値あり。

キッサマスター

075-231-6828 京都府京都市中京区三条通富小路東入中之町26

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26021736/

アパレルショップの並び。青々とした坪庭を眺めながらPCで静かに作業できる最高の環境。Wifiあり、コーヒーもまあまあ美味しい。奥まった場所にあるせいか、あまり人が多くないのもいい。外国人観光客ばっかり。

ゆっくり読書したい時には「さんさか」へ。

075-241-2710京都府京都市中京区間之町通り御池上ル高田町500 ポポラーレ御池 1F

https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26011896/

ここの巨大トーストwithりんごジャムは必食。見たことないくらいに大きな食パンが出てくる。店内には本がたくさん。川上弘美の作品多し。

綺麗な四角形の店内。時間が裁断されたよう。

 

電源も取ってがっつり仕事をするなら、ユースホステル「le9」か「len」のラウンジも良い。平日の昼間は人が来ないし)

 

あとは、京都土産、といえば老舗の行きつけを作りたいと思いつつやっぱり足が向くのは「ウチュウワガシ」https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260202/26017966/

なのだった。こんなに可愛い干菓子、他にあまり見ないものね。

 

京都に住む友人曰く、最近はどこもかしこもホテルだらけ。新風館も取り壊されてホテルになるらしい。平たいこの街の景色の中に、ぽこぽこと間違っちゃったみたいに高いビルの頭が突き出ているのはこれまではそれも愛嬌だったけど、そのうちそれが平均になるのだろうか、それはちょっと、いやだなあと、よそ者らしい単純さで思う。その土地の経済のことは、その土地のものだとは思いつつも。

 

 


相談はぐちゃぐちゃのままでした方がよい


12月14日

知り合いの編集者さんに小説を読んでもらって、アドバイスをもらう。

これまで1年半進まなかったのは題材や筆力の問題ではなく、構造の問題であることが明らかになる。目の前の霧が晴れたよう。もっと早く相談すれば良かった。

知り合いに言われたのは、「相談はね、相談内容がまとまってからするんじゃないんだよ。自分でまとめられるくらいなら相談する前に答えが出せるでしょ。ぐっちゃぐちゃの自分でもわけわかんない状態で、『それでも聞いてくれますか?!』って言って聞いてもらうんだよ」。

私はこれまでとにかく相談が下手で「とにかく何でも自分で解決できる人=エライ」と思ってた。相談=相手の時間を取ること、だと思っていた。

でも周りからしたら、相談しないばっかりに成果が出るのがずるずる遅れるよりは、相談内容はわっけわかんないし、しょっちゅうヘルプも出すけど、早く問題を解決して、それでも成果を出す人の方がいいに決まってるよね。

12月15日

昨日と今日続けて、著者の知人2人と会う。二人とも今年本を2冊出し、活躍している女性たち。

二人とも今年書きたいことは書き切って、次に何を書くか考えている、踊り場にいる状態。

こうして会って話すと、画面の向こうで輝かしい活躍を見ている人でも、それぞれいろいろな種類の悩みを抱えて、もがいて、あがいて、最終的な「本」という形にたどり着いているのだな、と思う。

自分だけではない、と安心する気持ち。

今やっている小説について、第二稿に入って急に進まなくなり、本当はこんなこと、書きたいわけじゃないのになあ、という思いと、書けてないなあと思う部分と、ここは絶対に書きたい、という部分がまぜこぜになってマーブル模様状態。自分でも選り分けられない。

今回の小説は、最初、編集者に何書く?と聞かれた時、

「ファンタジーを書きたい」と言ったら商業的に売りにくいからダメ、と言われ、最初から書きたいものに蓋をして始めた状態。

現代モノは現代にリンクしているわけで、その分現実とのフックがたくさんあり、わくわく、楽しく書いている一方で、次こそは書きたいことを好きなだけ好きなように書いてやる、という気持ちが、原稿に向かっている間も、パソコンを叩く指の隙間からも、ペン先からも漏れ出てきて、あふれてしまうのは止められない。

この気持ちを大事にしようと思う。

待ってろよ。

やっぱり私はファンタジーが書きたいのだ。

12月16日

月1で通っている、山梨の山奥にある陶芸工房「増穂登り窯」から、前回作った作品が焼きあがったとメールが入る。

増穂の窯は電気の窯ではなく、未だに薪と火を使って陶器を焼いていて、そのため1週間ものあいだじゅう人がつきっきりで窯の番をし、火を絶やさぬよう見張り続けなければならない。

窯の温度はゆっくりゆっくり、100、200、300℃……と上げてゆき、最終的には1400にまで到達するのだが、それがなかなか大変で、火は電気と違って人間の思うようにはいかないから、気を抜くとすぐに燃えが悪くなって温度が下がってしまうし、一生懸命薪を放り込んでいるのになぜか温度が下がってしまうことがある。

私はこの窯の温度を上げる作業がなかなか下手で、工房でアシスタントをしている宇田川さんに

「窯の火の温度を上げるコツはなんですか?」と聞いたら

「上げよう、上げようと思わないで、『下がらなければオッケー』くらいに思いながらやること。そうすれば自然と上がるから」

って。

下がらなければオッケー、かあ。

昨年は絵本も含めると3冊も出し、今年は一冊も出ていないので、「こんな自分はダメなんじゃないか」とか「私、本当に大丈夫かなあ」とか、焦りと不安の中でひたすら暗中模索の1年だったのだが、前作よりもクオリティが落ちてさえなければいい、と考えれば気が楽だ。

急に上げようとするから、上がらないのだ。3年くらいでまあ、1冊出るくらいで、自分にはちょうどよいのかも。

7日間かけて焼成する増穂の登り窯の火のように、自分をゆっくり上げていこう。


小説:あまたの泡【2】偉い人の話は聞かなくていい


 僕が「刻の湯」にやってきたのはつい3週間前のことだ。
 
 大学の卒業式の日はあいにくの曇天だった。ざまあみろ、と僕はひとりごちた。そうしたところで気分はまったく晴れないにせよ。
 卒業式の送辞で学長は4回も「希望ある未来」と言った。
「ええ、皆さんはこれから希望あふれる未来へと旅立って行くわけでして、グローバル・リーダーシップを発揮し、国際社会経済を牽引して行く人材として……」
 自分とはまるでエンのない言葉が紙っぺらみたいに頭上をひらひらと飛んでゆく。周りを見渡せば、みな嬉しそうに手の中に隠し持ったスマホの中を覗き込むか居眠りをしているかで、だぁれも学長の言葉なんか聴いちゃいない。当たり前だ。「偉い人の話は真剣に聞かなくていい」ってのが、僕たちが小学校入学から足掛け16年間の教育機関で学ぶ最も重要なことなんだから。もっとも「聞いてるフリの上手いやつが、世の中で最も重宝される」ってのも同時に学ぶべき2番目に大事なことで、それに気づけるかどうかはそれぞれの裁量次第なんだけど。
 
 心底うんざりした気持ちで、僕は大量のスーツや袴の群れとともに大講堂の外へと出て、4年間通った坂道を下り、大学の最寄りである渋谷駅へと向かった。
 目の前を行く卒業生たちはこんなに肌寒い天気を物ともせずに頬を紅潮させ、わぁわぁと嬉しそうだ。そのうち雨が降り始めて、戯れる学生たちの頭の上を、細やかな銀の水滴が覆ったが、みなさして気にしてもいない。
「24」という映画がある。特殊なスカウターを通すと、人生の残り時間が数字となってその人の頭の上に浮かんで見えるという設定なのだが、今日限りは僕の目にも特殊なスカウターがあるみたいだ。群れながら歩いてく学生たちの頭の上に、文字が見える。内定アリ。内定アリ。人気企業に内定アリ。アリ。アリ。みーんな、内定アリばっかり。曇天にとけ込むような地味な色のスーツの群れは、後ろから見れば誰が誰だかも区別はつかないのに、顔を見れば、肌の張り具合や笑顔の明るさで、その人間の将来のランキングが如実に分かるような気がした。
 僕の頭の上には、たぶん、何の文字も浮かんでない。
「卒業」がおめでたいのは、次の行き先が決まっている人間、だけなんじゃないのかなぁ。
 
 最高に惨めな気持ちで、僕は近くにあった銀色のダスト・ボックスに受け取ったばかりの卒業証書を放り込んだ。この紙が俺の未来にとって何の意味を持つのか、現時点では全くもって分からなかった。
 この、絶えず人を吐き出し、全員がどこかへと消えてゆく渋谷駅前の交差点において、たった一人、僕だけが行き先を持たない気がした。目の前に広がる無数の白線のその一本を超えることすらもためらわれて、僕はどこに行ったらいいのかもわからず、冷たい雨に打たれたまま、濁流のように人の流れ続けるスクランブル交差点の前に佇んでいた。
 
 
 幼馴染の蝶子から一通のメールが届いたのはその時だった。
 
 そこにはたった一言「ここに15時」という文言と、町名と番地のみで構成されたシンプルな住所が書かれていた。
 
 
 やつの呼び出しはいつもこうだ。こちらの都合などお構いなしに、理由も言わず唐突に僕をあちこちに呼びつける。それは陰毛が生え始めたばかりのガキの頃、僕が共に育った気安さをうっかり恋と勘違いしてのぼせ上がり、彼女に告白してこっぴどく振られたという苦々しい思い出があるからで、彼女は僕がそれに負い目を感じていることを知っていて、僕を犬の尾のように振り回す。TSUTAYAでDVDを10本借りたいけれど、彼女のカードが貸出の上限を超えているとか、男との別れ話の際に、彼氏役として何も言わずにカフェの隣の席に座らせておきたい時、だとか。それをシャクに思いつつ、しかし彼女の存在は、友達の少ない僕にとっては大学生活の4年間を乗り切るだけの命綱のような存在だった。
 
 
 僕は雨に濡れてすっかり重たくなった29800円のアオキのスーツと、水を含んでネズミ色になった履きつぶした革靴を引きずって、大学の4年間を通い続けた渋谷駅から電車に乗り、目的地に向かった。
 電車は渋谷でたくさんの人を吸い込んだが、東京の東側に近づくにつれて徐々にまばらになり、目的地の最寄りの駅に着く頃には車内には人はほとんど残っていなかった。俺はやたらに幅の広いホームと、無人の改札にびびりながら駅の外に出た。
 
 駅を出てすぐに道は細かく分かれ、枝葉のように入り組んだ路地へと続いていた。両側には鈍色の雑居が押し合いへし合い並び、大通りの喧騒を遠くに押しやっていた。家々の垣根の向こうからは、曲がりくねった木々たちが裸の枝を寒々しく伸ばしている。
 そろばん教室、やらミシンあります、やらの古い手書きの看板が、曇りガラスに覆われた店の入り口に引っかかっている。渋谷の街のハイビジョンパネルの広告のようなけたたましい主張はないが、文字の筆跡や塗り重ねられたペンキのあとから、描いた人間の人柄がかいま見えるようだった。何かが削れるキィンという音が、工場らしき四角く低い灰色の建物の中から聞こえてくる。
 本当にここは東京なのか。これまで4年間暮らした東京の西半分とはあまりにも違う景色に、俺はおもわず歩幅を狭め、あたりを見渡しながらゆっくりと細い坂を下った。
 
 路地はさらに密になり、かと思うと急に広く、コンビニやらビデオ店やらの並ぶ通りに急に接続したりして、方向感覚を狂わせる。急勾配の坂が続き、降ったかと思えばまた上がり、現在地がつかめない。古い家々の屋根の切れ目から空を見上げると、遠くの方に一筋に煙が立ち上っているのが見えた。俺にはそれが何の煙かわからなかった。
 
 小さな赤い橋の架かる浅い川を越えたあたりから、スマホの地図は急に効かなくなった。
 現在地を示す青い点は、灰色の四角のぎっしりと並ぶ画面の上で情けなくふらふらとさまよっている。整然と並んだビル街では役に立つマップアプリも、こうした細い路地の混み入る場所では案外、役に立たない。どちらに向かうべきか迷っている間にバッテリーが切れてしまった。昨日、やけ酒をあおっているうちにそのまま寝てしまい、充電するのを忘れていたのだ。スマホなしでは行先一つ決められない俺は、ひょっとしたら地上で一番弱い生き物なのではないかと思う。
 一体、これから先どうしたらいいのだろう。今、こうしてしょぼくれたまま平日の昼間の住宅街をさまよい歩いている俺のことを、4年前、希望に満ち溢れながら大学に入学した頃の俺は果たして想像しただろうか。
 
 
 こうなったらもうやけだ。
 俺は方向を気にせず、無茶苦茶に歩き始めた。黒々とした蜜柑の葉の下を通り抜け、寒々しい石塀の間の細い道を、歩幅を大きくしてずんずん進む。くすんだ3月の太陽は石灰層のように分厚い雲の奥から控えめに光を放ち、東京という巨大なボウルの底にひっそりと沈んだような、古い匂いのする街をぼんやりと照らしていた。
 ブロック塀の角を曲がったとたん、突然目の前に現れたものを見て、俺はおもわず足を止めた。
 
<3に続く>
 

(この文章は、来春刊行予定の長編小説の冒頭部の草稿です)


子供向け文章講座を開催します。【小学生対象】ダンスで作文!?!子どもの表現力を伸ばす作文講座(冬期講習)


子供の好奇心と思考力を育てる探求型学習塾a.schoolさんで、小学生向けの2日連続の作文講座をやることになりました。

1日目はダンス(体を思いっきり動かす)で感情を解放。頭やことばで考えてもなかなか出てくることのない、自分でも気づいていなかった微細な感情が、みんなで体を動かすことで現れます。
2日目には従来の「作文」のイメージから離れた方法で子供たちの中にある”誰かに伝えたい”気持ちのコアを引き出し、言葉や絵や声、様々な方法で遊びながら表現します。
教室で原稿用紙に向かい合っているだけではなかなか育ちにくい「表現したい気持ち」を引き出し、自由に書いたり伝えたりする楽しさを知ってもらおう!と、これまで子供たちを相手に数々のワークショップを手がけてきた、ダンサーの友人と企画しました。小学生のお子様がいらっしゃる方はぜひご覧いただけますと幸いです。

(お申し込みはこちらのページから) 

【小学生対象】ダンスで作文!?!子どもの表現力を伸ばす作文講座(冬期講習)

 

表現は十人十色!からだで表現して、ことばで伝えよう。

文章を書く時に大事なことは、「自分の気持ちを知ること」と「伝える相手を意識すること」。

今回の作文講座では、「自分の気持ちを知る」方法としてなんと「ダンス」を使います。
「ダンス」といっても、特定のダンステクニックが必要な、難しいものではありません。ここでいうダンスとは、自分の身体を思いっきり動かして遊ぶことです。

そして、自分の嬉しい気持ちってどんなものだろう?悲しい気持ちってどんなものだろう?ということを、体で表現しながら、自分の気持ちを探究します。

頭やことばで考えてもなかなか出てくることのない、自分でも気づいていなかった微細な感情が、体で表現するからこそ現れます。1日目は、ダンサー青剣さんをゲストに、楽しく心と体をほぐし、気持ちを爆発させましょう。

からだを使って自分の気持ちを見つけた後は、ことばのプロ、文筆家の小野美由紀さんをゲストに相手に伝える方法を考えます。
作文でおなじみの原稿用紙は今回は使いません。模造紙いっぱいに、自分の伝えたいことをことばで表現しましょう!

普段は作文が苦手な子も、表現するのが大好きな子も、からだとことばで楽しく自分を表現し新しい自分を見つけましょう。

 

内容は多少変更の可能性があります。
原則二日間連続での受講をお願いしておりますが、ご都合が合わない場合は初日のみのご参加も可能です。お申込の際、備考欄にその旨お伝えください。

  日時 内容
一日目

2017/1/7(土)

低学年(小1-3):
10:00〜12:00

高学年(小4-6):

14:00〜16:00

からだで表現しよう

からだをほぐして、ダンスをして、自由に全身で表現します。表現を深めるためのインタビューでは、どんな天気?どんな色?などイメージで表現を膨らませます。

二日目

2017/1/8(日)

低学年(小1-3):
10:00〜12:00

高学年(小4-6):

14:00〜16:00

 

ことばで伝えよう
初日にからだで表現したことを、ことばで伝えます。この時大事なことは伝える相手を決めること。相手を想像しながら、模造紙いっぱいに自分の感情を伝える文章を書きます。最後は展示発表会。さあ、相手にちゃんと伝わるかな。

 

会場:
a.school 本郷校
住所:
〒 113-0033 東京都文京区本郷4丁目1-7 近江屋第二ビル 601
(都営大江戸線 本郷三丁目駅4番出口から徒歩1分)
(東京メトロ丸ノ内線 本郷三丁目駅本郷通方面出口から徒歩3分)
コース名

【小学生対象】 ダンスで作文?!子どもの表現力を伸ばす作文講座:からだで表現して、ことばで相手に伝えよう(冬期講習)

日程

2017年1月7日(土)8日(日)

(午前)10:00〜12:00
(午後)14:00~16:00

場所 a.school 本郷校
対象 (午前)小学1〜3年生
(午後)小学4〜6年生
定員 12名
申込締切日

2016年12月31日 (土) 18:00

授業料

10,000円(税込)
(二日間/塾生8,000円)

 

※お支払方法:
前払(銀行振込/クレジットカード)。詳細はお申込受付後にご案内します

※キャンセルポリシーについて:
キャンセルのご連絡をいただいたタイミングによって、以下キャンセル料のお支払をお願いしております

・一週間前まで:無料

・一週間前〜前日:授業料の20%

・当日:授業料の50%

講師・ゲスト

a.school講師  岡村麻美

文筆家 小野美由紀

ダンサー 青剣

主催 株式会社a.school

上記プログラムのお申し込みはこちらから


小説:あまたの泡【1】「刻の湯」、営業開始


 

 刻(とき)の湯の営業は十五時から二十二時までだ。毎日、昼の十二時きっかりに開店の準備を始める。釜に薪をくべ、火を起こすのが、一日のうちで一番最初の僕たちの仕事だ。

「釜は銭湯の心臓です」と戸塚さんはよく言う。

「釜が動く限りは、湯を沸かすことができますから、配水管が壊れても、シャワーが壊れても銭湯は営業を続けられます」

 薪場の裏にある、この1m四方の巨大な湯を沸かす装置は、薪の火によって中を巡る水を80℃にまであたためる。その湯が銭湯の床下に張り巡らされた無数の水道管を通って湯船やシャワーに供給される。鉄でできた四角い釜の中に薪をくべ、火をつけると、最初は木の表面を撫でるようにやわやわと下方で彷徨い、やがて勢いよく燃え上がり、釜の丸い内壁に沿ってのびやかに燃え広がる。

 たっぷりの灰を顔に浴びながら火かき棒で中をかき回し、風の通りをよくしてやると、やがて炎は薪を包み込み、ばちばちと威勢のいい音を立てながら猛々しく燃え上がる。幼い頃からアウトドアが苦手で、小学校の飯盒炊飯でも、遠巻きにキャンプファイヤを囲んではしゃぐ同級生たちを遠くからながめていた僕にとっては、炎と呼べるほどの火をこれほど間近で眺めるのはここに来てからが初めてだ。

 一旦火をつけて終わりではない。熱すぎず、ぬるすぎない温度に保つため、銭湯の営業時間中は薪をくべ続けないといけない。そのため開店してからも、交代で釜の番をする。

 燃え終わりに近い木の上に新しい木を載せてやると、火は命を吹き返したようにまた赤々と燃え上がる。釜の蓋に開けられた四角いスリットから中を覗き、火の粉が木の呼吸にあわせて夜光虫のようにゆっくりと瞬くのを眺めるのが僕は好きだ。火は何時間ながめていても飽きない。一度として、同じ形をとることがない。

 薪が足りない時には、近所の廃材屋が運んできた木材を鉈で割って細かくする。ぱきん、とこ気味良い音を立てて木が割れる。皆、解体された家の梁や柱だったものの破片たちだ。年季の入った古材でも、切り口はまだみずみずしい象牙色をしていることもある。最近は火にくべた時によく燃える木とそうでない木の違いがだんだんわかってきた。他のガス焚きの銭湯にはない、とろりとして、上がった後にもじんわりと体の芯にまで温もりの残る湯を作るのだと思えば、自然と刃を振るう手にも力がこもる。

 僕はスマホを取り出し、この家のどこかにいるカンちゃんにラインを送る。

「火、つけといた。あと、窯よろしく」

 すかさずカンちゃんから、OK!というアルファベットと熊のイラストを組み合わせたスタンプが届く。僕たちの昼間のやり取りのほとんどは、このチャットアプリで済まされる。仕事も生活スタイルも寝起きする時間帯も皆バラバラで、手伝える時に銭湯の仕事を手伝うのがこの家のルールだから、たとえ同居していても自然と顔を合わせる相手と合わせない相手が出てくる。画面の右上で絶えず点滅する黄緑色のメッセージアプリは、広い敷地内のどこにいても僕たちを瞬時につなぐ。

「了解!掃除よろしく」

 カンちゃんは右足の膝から下がない。4歳の時の事故で失ったそうだ。幼いカンちゃんをママチャリの後ろに乗せたカンちゃんの母親は、雨の中、猛スピードで国道16号を走っていた。信号待ちの間にスリップした乗用車が脇から突っ込んできて、避けようとした母親はおもわず自転車を傾けカンちゃんはチャイルドシートから放り出された。幸い命に別条はなかったが、地面に落ちたカンちゃんの右足を逆方向からやってきたバイクが轢いて、カンちゃんは大泣きした。

「すごく熱くて怖かったんだ」と、カンちゃんはその時の事を思い出して言う。

「痛いっていうより、熱かったんだ。もちろん痛かったはずなんだけど、なぜだか知らないけど、熱かったことしか記憶にないんだ」

 釜の火入れが済んだら、今度は浴場の掃除だ。ざばぁ、とイキオイよく熱い湯を洗い場いっぱいにぶちまけて、木の柄のモップで丹念に汚れを洗い流す。

「何事も丁寧に、念入りに、ただし、軽やかに」が、戸塚さんの奥さんで、刻の湯の2代目店主だったトキさんの訓示であるらしい。らしい、というのは僕自身も彼女に会ったことがなく、戸塚さんや、この湯に通い続けている常連さんたちから伝え聞いた話だからだ。築70年の刻の湯を生まれた時から見守り続け、4歳から番台に立っていたというトキさんの遺影は、今も微笑みをたたえて、女湯の脱衣所の壁の上からこの湯を見下ろしている。

 しゃーこ、しゃーこ、とモップがタイルの上のすべる小気味よい音が、湯殿の天井に響き渡る。この清潔な音が好きだ。裸足の足先は冷たいのに、湯殿の天井に灯がともり、湯気が満ちるだけで、なんだか僕の体の中にも、さっきまで見ていた釜の火と同じものが乗り移る気がする。

 最後にホースで水を流すと、床じゅうを覆った白い泡が細いひだをつくりながら排水溝まで流れてゆき、その下から白いぴかぴかのタイルが顔をのぞかせる。

 戸塚さんは力を込めて床を磨く僕の事を、にこにこしながら若い人はのみ込みが早いですねぇとか、タイルの磨く腕が力強くていいですねとか言ってくれる。ほめて伸ばす方針らしい。大学に入って以来、他人からほめられる事など殆どなかったから気分がいい。

 洗い場の清掃を終えて、今度はゴスピにLINEを入れる。ゴスピはこの家に住むフリーランスのプログラマだ。奇怪なあだ名は彼が新木場のクラブで回す時のDJネーム「Godd scorpion」から来ている。本名は誰も知らない。透けるように青い髪、口にはピアス、人気イラストレーターの「恋⭐︎おれんじさん」のアニメ風美少女の絵のついた巨大なパーカーを着こんだ彼は、この家の中でも若干、浮いた存在だ。一緒に住み始めて3週間が経つ今も、俺はまだこいつとのコミュニケーションに慣れていない。それでも、メッセージを送ってすぐに「了解。SNS、更新しておく」と返事が来た。口数こそ少ないものの、淡々と迅速に確実に、彼は仕事をこなす。時の湯のfacebookページとtwitterの更新が彼の担当だ。つい先日公開した、刻の湯のウェブサイトを作ってくれたのも彼だ。刻の湯の先代からの刻印をデフォルメしたロゴと、暖簾の色である深いヴィンテージブルー、そして、この湯の裏で2ヶ月前に生まれた子猫の”タタミ”の写真が散りばめられたスタイリッシュなデザインだ。こんなに洒落たウェブサイトをものの数日でどうやったら作れるのか、文系の僕には想像もつかない。

 もう一度洗い場を確認してから、僕は番台で帳簿をつけているアキラさんに声をかける。

「アキラさん、開店準備OKです」

 アキラさんは振り返ると、5月の真昼の空みたいないつもの笑みを俺に向けた。

「ありがとう、マコ」

 俺の名前は真島(ましま)真彦(まひこ)。刻の湯の居候だ。

<2に続く>

 

(この文章は、来春刊行予定の長編小説の冒頭部の草稿です)


ホントはむちゃくちゃしんどい


11月19日
夕方、ひとまわり離れた友人と半年ぶりくらいに短く会食。

現時点でしんどいこと、甘えたいこと、慰められたいことを言い合う。言い合うというか自分が一方的に話すだけ。彼は社会的に成功しているので、逆に、もういっそ何言ってもいいやと思い、普段言えない弱音や苦しさや親に対する葛藤を安心して吐き出せる。
彼が私に好意があると知っていて会うのは、利用しているようでズルいなと思うが、今の時点で互いのパートナーに言えない悩みを口に出せ、甘えたり助けを求められるのがその人しかいないので仕方ないと納得する。
別に身体的接触があるわけでないし、愛の言葉を囁き合うわけでもないし、ほとんど会わないから、社会的には不倫ではないだろうが、こんなに精神的にベッタリ癒着した状態は肉体だけの不倫よりよっぽど際どく、ハタから見て気持ちの悪い関係ではないだろうか。
変なの、と思う。全部のことを一人で済ませられたら結婚も恋愛ももっと単純なのに。

母が村上龍の担当編集を20年くらいずっとやっていて……という話をすると、
相手に「それはけっこうしんどいんじゃないか?」と言われて、初めて私がしんどい環境にいることに気づく。

しんどい。
本当はめちゃくちゃしんどい。何をやっていても本当はしんどい。
何を書いても何をやっても親のジャッジが追いかけてくる。
言われるまで気づかなかったが、ずっとベンチマークとして村上龍やそのあたりの子供の頃から読まされていた作家の作品を突きつけられている気がして、ここまでの成果をできるだけ早く出せよと言われている気がしてしんどい。
小説を書くことの意味が、もはやよくわからない。今書いている長編はほぼ完成しているのに、本当にこれが書きたかったのかどうかもよくわからない。
小説以外の創作は気が楽だ。親のジャッジがあんまりない。
最初の一作の絵本は作るのが本当に楽しかった。でもそれ以降は、本を出すために書くみたいなところがあって、書きたいから書いているという感じじゃない。
心の中にはパンパンに膨れ上がって外に出ようとしている何かがあって、でもそれを外に出そうとすると親のジャッジが追いかけてきてすかさず蓋をするので苦しい。正確には親のジャッジを背負っている私というのをやめられない私、が苦しい。あっちに行ってくれと思えば思うほど影のようにべったりとひっついてきて本当に重たい。
ものすごく体調が悪いのは自分で自分に蓋をしてずっと苦しいせいなのだと分かっていてもこれを取り外す方法がわからなくて苦しい。それは自分以外の誰か、身近な人でもきっと、分かることではないんだろうと思う。
母のことを、早く死ねばいいのに、と思うが、死んだところで簡単に解決するわけじゃないんだろうな、とも思う。

夜にエッセイを漫画化してくれる漫画家さんと編集者さんと会食。自分の作品をよりよくしてくれる人がいるというのは嬉しい。少しだけ、前向きな気持ちに。

11月20日
山梨の陶芸工房に行く。誰にも何にも言われないし、好きなように好きなだけ創作できるので気が楽だ。窯の火を見ていると落ち着く。火は燃えるだけ。一度として同じ形はとらないし、どんな形を取っても自由。

夜に、疲れが出てしまいこんこんと寝込む。
彼と付き合いたいのかも、
小説を書きたいのかも、
生きていたいのかも、わからない夜があって、でもそれは突き詰めると親のジャッジから逃れたい、それだけ、たったそれだけだったりするのだ。
誰にもジャッジなんかされたくないし、したくないし、逃れたところで一心に違うものを創作したい。
小野美由紀をやめてしまいたい。
誰のことも信用できない自分がいる。どんな関係も、どうせ最後には空気の抜けた自転車のタイヤのようにしぼむでしょうと思っている自分がいる。

工房に来て2日目の朝に、山の上まで歩いていったところにある氷室神社へ散歩。ここには縄文時代からの原生林がまま残っていて、立っているだけで不思議な感じがする。
千年杉にべったりとくっついて甘える。木はでかい。男にも木にも甘えている。


「湯を沸かすほどの熱い愛」を見た


 映画「湯を沸かすほどの熱い愛」を見に行く。冒頭のシーンでもう生理的にだめになってしまい12分で退席。最悪な気分。これは私のための映画ではなかった。
ネタバレになるので詳しいことは書かないが、宮沢りえ演じる母の役柄がとにかく無理。娘がいじめられているのに気づかないフリをし、あれだけ学校に行きたくないと言っているのに笑顔で「明日も学校行こうね」って……。いや、そこは休ませろよ!気づかないフリすんな!!こんな女がこの先病気になろうが死のうが一切感情移入も共感もできんわ、そう思って席を立つ。

 私は「いじめには立ち向かえ」という意見がとても嫌いだ。電通の過労死自殺の時にも有識者が「100時間程度の残業で情けない」と言ったが、彼らが問題にしていることと、当事者が抱えている問題は根本的にずれている。
 外野が「そんな問題、大したことないから立ち向かえ」と言う時の「立ち向かう」は多くの場合、「問題を無くすために対処する」ではなく「我慢する」ことでしかない。

 しかし、それは間違っている。

 いじめに「立ち向かう」こと、それは決して我慢することではなく、自らの健全な精神状態を取り戻すために策を練り、あらんかぎりの選択肢を考えて、冷静に対処することだ。
 やられたらやり返せ、俺もいじめられたけど、やり返してやった、という年輩の人間も時々いるけれど、それはその人にとって「やり返す」ことが最善の「自分を守る方法」であっただけであって、いじめられている子ども、全員にあてはまることではない。逃げる、人に助けを求める、訴える、無視する、いじめにはあらゆる対処法があり、どれが最善かは状況によって違う。
 立ち向かう=戦う、我慢する、ではない。
君が精神の健康と安らぎを得て自分らしく生きる道は何千通りもあり、君はそれを選び取る権利があるのだ」「君がそうすることを、いじめっこやその他周りの悪意ある人間が邪魔することは決してできない」そう教わって、はじめて彼らは外部の世界に対して「立ち向かう」ことができるのではないだろうか。そのことを保護者や先生や周りの大人が教えるべきだ。「我慢する」ことしか対処の仕方を教わらなかった子供は、その先もきっとあらゆる物事に対して、そういう防御の仕方しか取れなくなってしまう(自力で学ばない限り)。

 それをただ「我慢しろ」「逃げるなんて情けない、立ち向かえ」と言うことは、自分の愚かさを露わにしているようなものだ。頭を使え、頭を。

 と、映画一つの感想を述べるのに若干横道に逸れてしまったけれど、とにかく「立ち向かえ」とか「我慢」みたいなのってもう古くて、そういうのが美徳、みたいな感じで描く物語は、たとえ他の要素がどんなに美しく彩られていようと、私はどんなものであろうとだめだ。
 しかし、見たおかげで、自分が何に怒りを感じるのか、はっきりと分かった。自分が何を書きたいのかも。12分だけだが見てよかった。
 私が好きなのは、「自由を得るための闘い」の話。どんな物語にせよ。


嫌われなくても、もう勇気


11月9日

 前からお話ししたかった著者さんにお声がけして、羊肉を食べに行くことに。せっかくなので6人にしようということで、その方以外にも普段からずっと話してみたかった方々にお誘いメールを送る。

 以前の私は人を誘うことができなかった。私に誘われても嬉しくないだろうとか、せっかく誘ってもつまんないと思われたらどうしようだとか誘う前から頭がいっぱいになって、結局誘えないことが多かった。実際、断られたら大ショックすぎて頭が追いつかず1日ふさぎ込んだりしていた。

 今は違う。断る権利が相手にはあるのだし、と思うようになった。自分の行動を決める際に、相手の選択というものがあることを算段することができるようになった。

 そうだよね、皆自分と同じように色々選択して生きているのだから、断られたり、もし誘った結果、仮につまんないと思われても、こっちが責任を取ることじゃないんだよね、そんな些細なことに、これまで気づかなくて、いろいろと損をしてたなぁ、と思う。

 

 昨日からアメリカの大統領選のことで、同じシェアハウスの人たちも、 SNSのタイムラインも、世界中の人々も湧き上がっている。同じ話題で盛り上がるのは、なんとなく数多くの人々と自分が繋がっている感じがしてちょっとウキウキする。喜んでいる場合じゃないかもしれないが。

 トランプが選ばれて、ショック、信じられない、という気持ちも大きい一方で、このことでショックを受けていてもしょーがないじゃない、という冷静な気持ちも片方にある。

 アメリカは日本に巨大な影響を及ぼす国であることは間違いないけれど、でも、日本はアメリカじゃない。隣の国のトップが変わっただけだ、という見方もできる。

 これを機に日本はアメリカから自立して、「あんなヤバい大統領の国に依存してたら本当にヤバいことになるから自分たちでどうにかしていこう」という考え方が広まればいいと思う、そう言ったら楽観的過ぎるだろうか?

 トランプは明らかにまずそうではあるけれど、でも

「まだ何も始まっていない。ただ代表が選ばれただけだ」

 そう思えば、次の4年を生きる気力が湧いてくる、ような気もする。

 世界は変わるし私も変わるのだ。変わらないものなんてない。変わらなさを愛でるよりも、ごくごく小さな変わることを、ジャッジも拒否もせずに、ただ体の中にたんたんと積み上げて日々を生きてゆきたい。それがいつかの未来において、かならず何かの材料になるから。

 

 夜、丸ノ内線に乗る。隣の隣の席に、顔ほどもある巨大な白飯のおにぎりを一心不乱にパクつきながら本を読む学ランの男子高校生。隣のOLさんは顔をしかめている。何を読んでいるのかと覗き込めば「嫌われる勇気」……大丈夫、君はすでにそれを持ってるよ。

 しかし白米のおにぎりは匂いがしないせいか、なぜか不快にはなりませんね。


守られたい


 11月8日

 あさ、付き合いたての彼と初エッチ。いつも思うけど人の性器というのはなぜこんなにごつごつしていて変な形なんだろうか。体の中でこんなにも複雑な形をしているとこって他にないと思う。相手にひっかかりやすいようにできているのだろうか、他人にひっかからないと生きて行けないのが人間なのか。

 しばらくしてから急に体調が悪くなり、病院に。ここのところ仕事で頭がいっぱいでろくに食事を取っていなかったことが原因らしい。ちゃんと食べろと怒られる。胃カメラを飲みCTを取ることになった。まだ30歳なのに。急に弱気になってこれからの人生のことを考える。

 ふと振り返って周りの人たちのことを考えるのは、こうやって体調を崩したときだ。体調が良くてイケイケな時ほど視野は狭い。以前、私を「俺より下の女の子」扱いしてくる男の編集者さんに怒ってしまって担当を変えてもらったことがある。あの時は本当に腹が立ったが、いま思えば彼は彼なりに私のことを良くしようとして一生懸命に考えてくれていたのかもしれない。反省。皆なんらかの形で現状を少しでもよくしようとして動いていて、それが噛み合わないと誤解になったり、あの人は私をダメにしようとしていると思ってつい怒ってしまうが、それは同時に、他人へのレセプターが鈍くなっていることの裏返しだ。他人に頼ったり、手伝ってもらったり、相手なりの形で力を貸してもらおうとすることが下手なのでそこの読み取りをよく間違える。いつも、どこかで遠慮してしまって、助けて欲しいと言えない。甘えてはいけないと思っている。甘えないことで何かに復讐しようとしている。

 母に電話。今度一緒に住む相手は彼氏ではないのかと聞かれる。違う、というと、あんた同棲するくらいなら結婚しなさいよと言われる。
 びっくりした。ずっと、母は自分自身と同じように私に結婚して欲しくないのかと思っていた。私の幸せを願っていないから、ずっと独り身でいて自分の手元から離れて欲しくないのかと。
 母に「あんたはしていないじゃん」と言ったら笑って、そりゃできるんだったらしたほうがいいわよ、と言う、母も歳をとって弱気になったのかもしれない。私が、今年の1月に祖母が死んでから、子供の頃のことや、自分に怒りを与えていたトラウマを整理できたように、母の中でも、いろいろな変化が生まれたのかもしれない。子供の幸せを願える人間に、歳をとって変わってきたのかもしれない。

 久々に話して、枷が外れたような気持ち。母も人間だ。歳を取るごとに、錆び付いてブリキになるわけじゃない。死ぬまで変化し続ける。

 守られたい。

 私が異性に求めている条件はこれしかない。今の彼と付き合い始めたり、長編小説が手離れしたせいで、自分が何を本当は求めているのか、心の中の氷が溶け出して、中にあったものが少しずつ露わになるようにして、やっと分かってきた。ずっと、自分が男性に求めるものは、話が面白いだとか頭がいいとかセックスのときこれこれこういうふうに振舞ってくれるだとか、色々あるように思っていたけれど、蓋を開けて自分の中を奥深くまで掘り進めて見たらこれしかなかった。

 私は思ったより強くないし独り立ちができない。何でもできると思っていたのはなんでもできる人間であれという強迫観念にも似たまやかしだった。男に依存せず、一人でもカッコよく明るく生きられる私、という理想の自己イメージは一種の覚せい剤にも似てカンフル効果は高いのだが、肝心の体の芯はギスギスで、気力と頭の中身だけでがんばって自分を持ち上げている感じ。学生時代、自分で何にもできずに男にちやほやされて全部やってもらっている女の子を見てイライラしていたが、私は本当は彼女のことが羨ましかったのだと思う。自分もそうふるまいたくて、でも、甘えたり頼ったりすることは悪だと教えられてきたから。
 子供の頃、母に些細なことで頼ったら怒られた。幼い頃、忙しくてなかなか話せない母と、塾に向かうタクシーの中でのわずかな時間に、コミュニケーションがとりたくて、わざと知っていることを知らないふりをして質問したことがある。そのとたん母は烈火のごとく怒った。「なんでそんなことも知らないの、私に聞く前に辞書引きなさい」ショックだった。別にそのことを知りたかったわけではなく私は母に甘えたかっただけだ。優しくいろいろなことを教えて欲しくて守られているという実感が欲しかっただけだ。
「守られている」という実感をすっとばして私は大人になった。それが今、何千年もの間溜まりに溜められた地下ガスのように噴出し始めている気がする。満たされれば、多分、別の欲望にすり替わってゆく気がする。が、いま、私は守られたい。本当は全力で依存したいのだ。誰かに。いままで誰と付き合っても満たされなかったのは、自分が男性に対して本当は何を望んでいるのかに気づいていなかっただけだ。時代に逆行しているのかもしれないが、わたしは強い男の人に守られたい。ばかだなあ、お前、と言われたい。ばかでいていい、と言われたい。自立・対等なんかくそくらえだ。銀座のホステスをやっていた頃、たくさんの歳下の男たちをはべらせて、付き従えていた70歳のママが最高に煌びやかでカッコよく見えたように。

 夜、渋谷のアパートメントに行くために銀座線に乗る。赤坂見附の駅で乗り換える時、手荷物の多い私はもたもたして、降りる時に時間がかかってしまう。いつも上手く電車を降りることができない。けどこの日は乗ってくる人たちはきちっと整列して私が降りるのを最後まで待ってくれた。こういうとき、日本の社会ってウェルオーガナイズドだ、と思う。最近は悲しい事件や不幸な事件、理不尽な悪意で誰かが辛い目に合う事件のニュースが多くて辛い気分になるが、一方で、些細なところに思いやりが行き届いているなと思えることも、たまにはある。よかった、他人は頼っていいのだ、電車を降りる時、多少はもたもたしても、生きて行けるのだ。
 もうすぐ彼が来る。部屋を暖めて待たなくては。その代わり、シュークリームをねだろう。


「競争社会」の外側を生きる


 
 シェアハウスの同居人である20歳現役東大生男子がリビングのソファにうつ伏せに転がって死にかけているので何があったのかと聞くと「競争社会に疲れた」という。
一番競争に強そうな東大生でもそんな風に感じるのだなと思うと同時に、自分が「競争社会に疲れている」ことを自覚していて、かつ口に出して言える分、彼は20歳の頃の私よりもずっと大人だな、と思う。
 
 20歳の時、私は自分が競争社会にいるなんてこと、全く気付いていなかった。それは生まれてからそれまで「競争」が当たり前だったからで、「競争社会」ではない居場所とか、違うスキームでの生き方があるなんてことはさっぱり考えもしなかったからだ。
 親によってナチュラル・ボーン・競争者に仕立て上げられた子供は自分が何に追い立てられているのか、何によって消耗しているのか、うまく気づけない。不安とか焦りとか恐怖が常に物心ついた時から周囲を取りまいていて、その外側にある世界を覆い隠してしまうから。
 それにもし、気づいていたとしたって、私はそんなこと、口に出して他人には言えなかったと思う。
「疲れた」なんていうことは、すなわち負けることだと思っていたし、自分はそんなものに疲れるほどヤワな人間じゃないと、20歳の頃の、硬くて強がりで、一度来た道をまっすぐ進むことしか知らない私は思いたかった。
 そんな恥ずかしいことは口に出してはいけない、って、言語化すらできないほど前の段階、無意識のレベルで思い込んでいた。
 
 
 時々、「どんな大学生でしたか」と聞かれる。
そんな時いつも思い出すのは、大学3年生の頃に受けていたフランス文学専攻のゼミのことだ。
 
 ダメ学生の吹き溜まりみたいだった私のゼミは学科1の不人気ゼミで、生徒は5人しかおらず、5人とも卒業時に就職以外の道(留年、失踪、中退、内定無し卒業、海外院試準備という名のニート)を選ぶというとんでもないゼミだった。毎回毎回、皆が来るか来ないかは授業が始まってみないとわからず、大体いつも1人とか2人とか3人で行うのが常だった。
 
 それで何を勉強するのかといえば、出席者が1人とか2人の時には
「沈黙は言語か」とか「無は存在するのか」とか、そういう答えのまるでないことを先生と3人もしくはタイマンで延々1時間半議論する、みたいなことを1年じゅうずっとやっていた。
 
 ゼミの教室は質素で、キャンパスの端っこにあり、蛍光灯は暗く、雨の日などは特に窓の外に茂る青葉の影が黒いレースのカーテンみたいに教室の中にまで押し寄せ、雨音が他の教室から聞こえてくる声をまるきり遮断してしまって、まるでミサか何かのように空気は暗く重く沈鬱だった。時間はぐんにゃりと歪んで、頭が朦朧として、ダリの「溶ける時計」がそこらじゅうを舞って見えた。ボードレールとランボーとバタイユが黒板の上からお通夜のような顔で我々を見下ろしていた。先生は毎回特に結論を出さず、時間が来ると「では、これで終わりにします」と言って名簿を畳んだ。若くて寡黙な先生だった。
 
 同じ学科には学生が電通とかANAとか華々しい企業にバンバン内定をもらっているゼミもあって、でもうちのゼミ生はそれをうらやましがるどころか「自分たちはそれをうらやましがっていいスキーム内には最初から位置すらしてない」ということを皆よくよくわかっていたので、そんな気配は微塵もなく、卒業が間近になっても当たり前のように「カミュに出てくる岩の陰は何の比喩か」みたいな、一体これが何の役に立つのかもわからないような事を、毎回、毎回、人のいない教室で延々としゃべっていた。
 
 凄まじく居心地が良かった。
 
 私がそこで知ったのは、
「ああ私はこういう、社会的に無価値かもしれないけど、正解のないことを延々と考え続けるのが好きなんだな、正解のないことであれば、いくらでも考え続けることができるのだな」ということだった。
 
 正解のない問い、数値に現れるものよりも、結果のないことを、延々と、延々と、延々とやるのが、たまらなく心地いい。
 それは他の学生も同じだったと思う。
 
 他に、留学とか世界一周とかインターンとか、学生らしいこともいろいろやったけど、それらすべてなぜかさっぱり記憶がなく、いつも学生時代のことを振り返った時に思い浮かぶのは、あの狭く薄暗い教室で、普段は無口な男の子と、先生と3人で延々としゃべっていた「沈黙は言語か」の背後に降る雨の音と、窓の外の青葉闇だ。
 
 
 それでも親の「三井物産か電通に入れ」という謎のプレッシャー(⇦本当に謎だ……)によって、いやいや、就活していた。入りたくもない会社のエントリーシートを頭痛を我慢して書きながら、しかし自分では「なぜ私は好きでもないのにこんなことをやっているのだろう」と、まったく思わなかった。自分は何が嫌で何が嫌じゃないのか、何に惹かれ何に惹かれないのか、全くわかっていなかったし、考えようともしなかった。
 
 だって、競争ってそういうものだと思ってたから。心を無にしてやるものだと思っていたから。
 
 自著「傷口から人生」には就活をパニック障害を起こしてやめたと書いたが、本当は、就活を止めるために体がパニック障害を起こして「くれた」のだと思う。それぐらい私は就活が嫌だった。
 
 でも、なんで止められなかったかというと、その時の私は「正解があるものの方が、社会の中では絶対的に正解だ」と思い込んでいたからだ。
「用意された正解を、どれだけ正確に早く出すか」ってルールから、抜け出す力がなかった。若くて、頑なで、馬鹿で、自分をひ弱だと思い込むのをやめられなかったから。
 
 リクルートスーツを着るのも死ぬほど嫌だったが、その頃は世の中のすべての人はスーツを着て仕事をしていると思い込んでいた。いや、私は全盲ではないので、街を歩いていたら、スーツを着ずに仕事をしている人などゴマンといることに嫌でも気づくはずだ。ただ、愚かで、狭い「競争」の世界にいる私は、それを見ないようにしていただけなのだ。「正解を探す」とか「競争で勝つ」以外の仕事が、生き方が、この世界には本当は溢れているということに、私が気付いていなかった。
 
 その時の私は「いやだ、いやだ、いやだ、いやだ」と思いながら、一体自分が何をいやだと思っているのか、全く分かっていなかったのだ。あれだけ早く、正確に、答えを出す訓練を5歳の小学校受験の時からやってきたにもかかわらず。
 
 
 それから6年経って、今、私は運良く「正解のないことを延々と考え続ける」仕事で食べている。
 何でこうなったのか自分でもよくわからない。物書きになりたいとは本当は1度も思ったことがない。でもなぜかたどり着いてしまった。細い道を、それ以外の選択肢を押しのけてやっとできた隙間みたいな細い道をたどってきたら、いつのまにかこの世界にたどり着いていた。たどり着くまでに6年もかかった。本当はあのゼミの授業を受けていた時から、頭よりも賢い私の体は「お前はこっちだろう」って、本能的に気付いていたのに。
 
 今の自分は、正解のない世界を生きている、と思う。
 こう書くと「負け犬の状態を受け入れた」というふうに受け取る人もいるかもしれないが、うーん、そういう感じとはちょっと違うんだよな。正確には「自分だけの」正解を探し、「自分の中でだけ」競争をしている。自分の外側の他人が勝手に作った競争社会を降りて、自分の中でだけの答え探しに、ある時から徐々にスイッチが切り替わり始めた。その答えはいつ出るのかわからないし、出たところでそれが社会にとってどんな意味があるのかわからない。それはとても怖いことだ。競争社会にいる時は、競争がない世界ってなんて平和なんだろうと思っていたが、そこから降りてみたら、正解のない世界の方が、何の支えも保障もないぶん、残酷で暴虐で理不尽で、よっぽどヘビーだということがわかった。勝者も敗者もグラデーション的に入れ替わるぶん、意識をしっかり持っていないと、自分のアイデンティティが保てない。
 
 でも、こっち側の世界に来て良かった、と思う。
 こちら側の世界の様相は毎時毎分毎秒変わり、人生の「答え」も朝起きるたびに毎回変わっている。とってもチャーミングでキュートな世界だ。多分、生きているうちに、何の形にもならないものもいっぱい出てくるだろう、でも、それでも、続けていって、私の手からでも、もしくはこの世界にいて、一緒に連なっている他の誰かの手からでも、100年に1度のマスターピースが作り出されるのであれば、たとえカオティックで頭ぐちゃぐちゃになってしんどくてわけわかんなくても、まあ、悪くないっていう感じである。
 
 「正解を求めない」「他人と競争しない」世界が、競争社会の外側に実は存在していて、そこで生きることはどんな人でも案外可能なのだ、ということに、私は30を過ぎてやっと気づいた。それは別に難しいことではない。ただ、目を開いて、その世界を見さえすれば良いだけだ。競争の内側にいても、競争の外側を見さえすれば良いだけだ。
 1たす1が2ではなく、1たす1が2にも3にも4にもなる世界が、本当は私たちの周りには広がっている、そのことに自分で気付きさえすれば良いだけだ。
眩しい光を恐れずに、自分で自分の目を覆っている手のひらを、そっと剥がしさえすれば。
 
 なんてことを、電通の女の子の自殺のニュースを見て思った。
 彼女があの世で、「こっち側」の世界を生きていればいいと思う。